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19.

そして、あの夜から一週間ほどが過ぎた。

私たちは特に変わったことなく、薬草を切り、煎じ、薬を作り、渡す……。そういう作業の繰り返しの日々を送っていた。

一つ変わったことがあるとすれば、エルンの薬草作りが早くなったことくらいだろうか。とかく、そういう穏やかな時を過ごしていた。


「何をお読みになっているのですか」


日が出たばかりの早朝、私は作業に一つの区切りをつけると、ベッドに腰をかけ、革表紙の分厚い本を膝に置き、じっと文字を追うエルンにそう声をかけた。


「小さい頃、お父様から貰った薬学の本だ。いつも大事に枕元に置いてあるのだが、最近は問診所にいることの方が多いだろう。作業の片手間に読めるようにと、持ってきたんだ」


エルンはそう得意げに語った。彼の隣に座り、本の内容を見れば、幻覚を見せる毒草、ソムノラ草について書かれていた。ソムノラ草の採集場所や毒の取り除き方など専門的な知識ばかりであった。

これを一度口に入れた時があったが、確か独特な苦味があった気がする。

それでも、一番目を引いたのはページに書かれた薬草ではなく、栞に挟まった一輪の花だった。それはすでに枯れているように思え、栞にしては不釣り合いなほど侘しく見えた。——それに、その花の名前を私は知らない。


「この栞の花は何でしょうか?」


「分からない。実のところ、この本にも載っていないし、調べようにも、枯れていてよく分からないんだ。……ただ、これを貰ったときのことは今でも覚えている。彼が言うにはなんでも、良いことが起きるらしい」


「彼というのは……?」


「セリンの友人のサイラスだ」


セリンの友人。その言葉に引っかかりを覚えてしまい、つい口を開いた。


「——その医師は聖女によって処刑された医師でしょうか」


私が聞けば、彼は「……知っているのか」と呟いた。しかし、それに続く言葉はないようで、ため息をこぼす。


「……もう聖女はいないし、ここで暗い話をするほど野暮なことは無いだろう。それより、そろそろ、問診所を開ける時間ではないのか?」


エルンは表情を曇らせた。

それもそうか、と思う。彼にとってようやく、疫病根絶の兆しが見えたばかりなのだ。暗い話をするほど、過去に囚われるべきではないのかもしれない。

触れてはいけない何かに、不用意に手を伸ばしてしまった気がして、それを取り繕うように私は答えた。


「今日は患者の家へと伺いますから、問診所はお休みですね。……エルン様も一緒にどうでしょうか」


「ああ、行こうか。私の仕事でもあるから」


エルンは薬学の本をパタンと閉じ、枕元に置くと、丁寧に皺を伸ばすように上着を正し、羽織った。ふんわりと薬草の香りが広がる。その仕草が妙に大人びて見えた。


こうして見れば、誰もが好印象を抱く貴族に違いない。けれど、それと同時に、どうやら私の見る彼は少し違うように思えた。

それがどうにも、私を酷くわがままにしてしまう——彼の弱さを他の誰かに触れられるのが、いやに惜しく思えて堪らなかった。


「髪が跳ねてますよ」


背伸びをし、エルンの金色の髪に触れ、治してあげる。彼は気恥しいように口元を緩めながら、「感謝する」と、一言だけを返した。


「それでは、行きましょうか」


と。

鞄を手に取り、何事もないかのように歩みを進めた。

それでも、隣に並ぶ彼の横顔はどこか遠く——。けれど、だからこそ、私だけに近くあってほしいと願ってしまうのは、医師としておこがましいことなのだろうか。

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