18.
夜。
昼のざわめきは嘘のように消え、今は虫の鳴き声が昼の喧騒さに取って代わっていた。
「はあ……、やっと終わったな……」
エルンは遠慮なく、問診所のベッドに横たわりながらため息をついた。本来なら咎めるところなのだろうが、日中の頑張りを思えば、それは億劫に感じた。私もまた、ベッドの端に腰をかけるばかりだった。
エルンは随分と民衆と距離が近いようで、彼が薬をぎこちない表情で手渡す度、毎回会話を挟んでいたからだ。
しまいには老婆たちから手土産をもらう始末で、貴族というよりは久々に故郷に帰ってきた孫のような扱いだった。それでも、その手土産のおかげで、今はお腹を満たせているのだが。
「民とは随分と仲が良いのですね」
「お父様が当主になってからずっと、距離が近いんだ。きっとお父様の意向なんだろう」
エルンは「もう子どもではないんだから、子ども扱いはやめてほしいのだが……」と文句を漏らしながら、ムッとした表情を見せた。そういうところが子どもっぽくて、思わず口元が緩み、「まだまだ子どもですよ」と、意地悪に声をかけそうになった。
けれど、その瞬間、薬草を切っていた時に感じた彼の手の硬い感触を思い出す。顔がぽっと熱くなるのを感じ、慌てて彼から視線を逸らした。
「そういえば、エリシアもだんだんと私に遠慮がなくなってきたな」
「そうでしょうか」
「日中もそうだ。無理やり手を引っ張っただろう。そのせいで、面倒くさいことに……」
私がエルンの質問に答えれば、彼は不意にベッドから立ち上がり、そう言った。
今日のエルンは随分と愚痴を吐くようだ。それくらい信頼されているということだろうか。それが嬉しいような、悲しいような……。そんな複雑な感情がやけに胸にまとわりつく。
「私も民と同じく、遠慮なんてしなくても良いと思ったからです。あなたは甘えん坊さんみたいですから」
「そうか。——では、甘えん坊らしく振舞おうか」
私の意地悪な言葉に、彼は一瞬、不満気な表情を晒したが、何かを悪巧みしたようで、気丈になって答えた。そして、ベッドの上で寝返りを打ったかと思えば、そのまま私の膝に頭を乗せてきた。思わず身体が強張る。
「また、こんなことを……」
それでも、彼に膝に乗られるのはもう二回目だ。馬車の時も平常心で居られたし、今回も大丈夫なはずだ。慣れている……、慣れているはずだ。
「すぐ眠ってしまいそうだ……」
彼はそう言い残すと、すぐに深い眠りについたようで気持ちよさそうに寝顔を晒した。疲れにやられた、純粋な寝顔だ。
——これでは、私ばかりが過剰に意識しているようで、何か胸がモヤつく。そればかりか、胸の鼓動だけが夜の静けさをやけにうるさくしていた。
「今日は慣れないことばかりだったでしょうから……」
あたかも平常心であるかのように装いながら呟く。そして、そっとエルンの頬を撫で、つついた。それでも、彼は気持ちよさそうに眠ったままで、警戒心の一つも見せなかった。
……それならと、恐る恐る彼の瞳を覗き込み——影を重ねた。確かに、重ねてしまった。




