12.
その声を耳にした瞬間、私は椅子から飛び上がりそうになった。
心臓が跳ね、思考が追いつかない。
「……お父様!?」
まさか、こんな場で父が現れるなんて。
婚姻の話だけでも頭がいっぱいなのに、今度は父の存在が加わり、思考は真っ白になった。
目の前の光景が現実なのか夢なのかすら疑わしい。
それに、父にはここに来ていることは言っていなかったはずだ。いや、言おうとはしていたが、時間がなかっただけで——。
混乱の最中、父の背後からひょっこりと、金髪を垂らした令嬢が顔をのぞかせた。
そして、にこやかな表情で私を見て、静かに口を開いた。
「私も居るわよ」
「お姉様まで……!」
思わず声が漏れ、膝の力が抜けそうになる。
変な状況が一度に押し寄せ、息を整える暇もないまま、私は二人の存在を受け止めるのに精一杯だった。
「あら、どうして、そんな迷惑そうな顔をするのかしら。傷心の可愛い妹のために、はるばる王都から駆け付けてあげたって言うのに」
「そうだぞ。婚約破棄の書簡が届いてからすぐに、仕事を放り投げて、馬車を走らせてきたのだ。だから、もっと嬉しそうな顔を見せてくれ」
「仕事を放り投げてきたの?そしたら、私は違うわ」
私がため息を零すと、父と姉はやいやいと、文句を垂れた。——王都のときと接し方は何一つ変わらない。それを喜ぶべきなのか、今の私には分からなかった。
「コホン!……アレクシス様、セレーネ嬢。再会の喜びは分かりますが、まだ、話は残っていますので」
オルディンの低く響く声が、部屋の空気を再び一つにまとめあげる。
父と姉は顔を見合わせ、肩をすくめると、二人は揃って小さく笑い、やや不満げに口を閉ざした。
その様子を一瞥すると、オルディンはゆっくりとこちらを見据え、重々しい声で言った。
「それでは、エリシア=フィオレン。もう一度、問おう。——どうか、私の息子エルンとの婚姻をお受けいただけないだろうか」
オルディンの重々しい問いかけが胸にのしかかる。けれど、すぐに肯定を出せるほど、私は無責任に言葉を出せなかった。——その失敗は嫌というほど、脳裏にこびりついているから。
それに、後ろが騒がしい。
耳を傾ければ、父と姉が「婚姻ですって」「昨夜の語りの甲斐があったのかもしれないな」「そうに決まってますわ」と、コソコソと耳打ちをし合っていた。
今でこそ、オルディンは顔色一つ変えていないが、それが長く続けば、怒りを堪えられないかもしれない。挨拶に来なかった私が言えたことではないが、怒らせるのは相当不味いと見える。
それでも、回答を出すには早計で。
「すみませんが、少々考えてもよろしいでしょうか。まずは薬の方に集中したいのです」
結局、どっちつかずの回答をするしかなかった。失礼は承知だが、これが最善の選択だと思う。
「ああ、構わない。それに家族と相談もしたいだろう。回答は急がなくては良いが……、前向きな返答を期待しているぞ」
思いの外、オルディンは軽妙に承諾してくれた。そればかりか「家族で積もる話もあるだろう。客室に案内してやれ」と、セリンに指示を出した。
父と姉を一瞥する。彼らは揃ってニヤニヤとした笑みを浮かべていた。
オルディンの申し出はありがたいはずなのに……。私の胃は、結局休まる暇がなさそうだった。




