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11.

「フォルセイン家当主に会う」——その言葉を繰り返すたび、胃の奥が重たくなる。やはり、初日に当主に挨拶もせず、呑気に寝過ごしたのは不味かっただろうか。いや、不味かった。それは一番私が理解できるはずだ。


セリンはただ何も言わずに先を行く。セリンの背中は妙に軽やかで、その沈黙が私の不安を一層際立たせていた。

私はその背を追いながら、場違いな自分を強く意識していた。せめて薬草の匂いが衣服に残っていなければいいのに——そんなくだらないことすら気になってしまうのだから、我ながら情けない。


私とセリンが当主の元へと向かうのは、ダイゼンたちに事情を話し、別れた後だった。彼も無理に引き止めてくれれば良かったものの、彼は肩をすくめながら、「まあ、行ってみればいい」と笑うだけで、あっさりと背を向けた。

信頼しているのか、はたまた悪戯心か。どちらにせよ、私にとって不都合なのは確かだった。


「オルディン様の仕事部屋に着きましたよ、エリシア嬢」


ここなのか、と疑問を呟く。その扉の装飾が、他の部屋と大差がないほど素朴であったからだ。より豪華により洗練に、と無駄のない無駄が多いルナード邸ではこうも行かないだろう。

その貴族らしくない価値観に、驚きを隠せなかった。


「失礼いたします。エリシア嬢をお連れ致しました」


セリンが扉を叩き、開ける。その音はやはり軽く、これから起こるであろう壮大さからは随分とかけ離れているように思えた。

だが、次の瞬間——部屋の奥からは、重厚な声が降ってきた。


「待っていたぞ、医師・エリシア。いや、この場だとエリシア嬢と呼んだ方がいいか」


声に導かれるように視線を向けると、そこには一人の男が立っていた。背は高く、纏う衣服は質素でありながら隙のない仕立てで、ただ座しているだけで空気を支配しているように思えた。

そして、その眼差しは真っ直ぐで、見られた瞬間、胸の奥を貫かれるような感覚が走る。


「……オルディン=フォルセイン当主様」


「そう警戒するな。私はただ君と対等な立場で話し合いをしたいのだ」


彼は心の中まで見透かすように低い声で言った。その声音は穏やかでありながら、胸の奥を震わせるような重みを持っていた。

沈黙が落ち、時計の針の音すら聞こえる気がする。恐怖で唇が震えるが、問いかけた。


「なんでしょうか」


「エリシア嬢、単刀直入に言おう」


コホン、と咳を一つ挟む。私は固唾を飲み込み、次の言葉を待った。


「どうか私の息子エルンとの婚姻をお受けいただきたい」


思いもよらぬ言葉に、胸の奥で心臓が大きく跳ねた。隣でセリンが静かに目を伏せ、わずかに口元を緩める。その表情は耳元で囁いていたときと変わらない表情だった。それでも、オルディンの言葉に婚約破棄されたときの惨めさが蘇った。


「……そんな、私などには……」


無意識に口をついた言葉は、拒絶というよりも、ただ自分の価値を疑うものだった。

医師としても、貴族の娘としても、果たして彼らに釣り合うのか。——釣り合わないことだけは確かだ。


「それに、医師としてまだ結果も出せていません」


私が口ごもると、オルディンはわずかに目を細めた。


「君の医師としての活躍は十分に知っている。ルナード邸で大勢の民を無償で助けた、とそう伺っている」


「で、でも、それはほんの一部ですし、貴族としてもまだまだで……」


「そちらも問題ない。ルナード邸で大勢の民を無償で助けた、という事実があれば、私たちは君を歓迎したい。それに、君の魅力は昨夜に十分と語られたからな」


と、彼はにこやかに笑った。その含みのある言葉、表情に何か、嫌な予感を察する。

胸にざわめきを覚えたその瞬間、重々しい扉が軋む音を立てて開いた。

そして、その瞬間、やけに聞き覚えのある低い声が、場の空気をあっさりと塗り替えた。


「愛しの我が娘、エリシアよ!お父様が直々に会いに来てやったぞ!」


豪快に響き渡るその声は、この威厳ある場に似つかわしくないほど親しげだった。

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