10.
目が覚めると、窓から柔らかな朝の光が差し込み、昨夜の疲れがじわりと蘇った。いつの間に眠りについていたのだろう。
重たいまぶたを擦り、ぐーっと伸びをして、考える。昨夜はたしか夜通し、ダイゼンたちと一緒に薬の試作に取り組み、粗方の原型を完成させていたはずだ。
そのはずなのに、今はふかふかのベッドに横たわっていて、部屋にはメモも薬草も散らばっていなかった。——昨夜のことは、淡いロウソクの火のように、幻だったのだろうか。
「起床なされたのですね、エリシア様」
しかし、ふいにセリンの声がして、思考はすぐに現実に戻された。
聞けば、薬の試作品が完成した後、私はすぐに眠っていたらしく、それをダイゼンたちが運んでくれたようだった。彼らも疲れていただろうに、後で謝らなくてはいけないな、と思いながら、紅茶を口に運ぶ。
「それで、薬の方は如何まで進みましたか」
「粗方、形は出来ましたが、ガンダリ草が少なく、必要分作れるかは……」
ガンダリ草。それはフォルセイン領にしか生えない固有種の薬草だ。それゆえ、私たちの荷物の中にはサンプル程度の量しか入っていなかった。
「ガンダリ草ですか。——もしよろしければ、私がお集めになりましょうか」
「場所を知っているのですか」
「左様です。友人が医師だったもので、よくガンダリ草の群生地へと連れていかれました」
「この地にまだ、医師は居らしたのですね」
驚きのあまり、思考より言葉が先に出てしまった。神への信仰が強すぎて、てっきり医師は淘汰されていたものだと思っていたが、どうやらそれは——
「……いえ。彼は聖女によって処刑されました」
セリンの言葉に思わず、息を呑む。胸の奥が軋むように痛んだ。
「あぁ……すみません。野暮なことを」
「もう過ぎたことですから構いません。それに、あの頃は聖女の権力が強すぎましたから」
セリンは淡々と告げながらも、彼女の横顔にはかすかな影が落ちていた。
「それでも――彼の死を境に、聖女に盲信だった先代も、民の意識も変わりました」
「皮肉な話ですが」と、彼女はため息を零しながら、紅茶に口を運ぶ。少しばかりの唇の震えを抑えているようだった。
「その聖女はもう居ないのですか」
この話を掘り下げてもいいものなのか、という一瞬の逡巡を紅茶の水面に落とした。けれど、それは聞かなければいけないことのように思えた。
「ええ。一年ほど前、先代の失脚とともに追放されました。確か、名は——リディア=ヴェルクレア、と言いましたか」
リディア=ヴェルクレア。その名前を聞いた瞬間、背筋をなぞられたような悪寒が走る。飲み込む紅茶の味が急に苦いように思えた。
「どうなされましたか」
「……少し気分が」
私が答えると、セリンは少し考えて、ふと、探るような笑みを浮かべた。
「ああ、そういえば、エリシア様は貴族ですから、お会いしたことがあるのでしたっけ」
と。
思わず、口に含んだ紅茶を吹き出しそうになり、咳き込む。
「どうして、それを……」
「ダイゼン様があなた様のことをエリシア嬢と呼んでいたでしょう。嬢と呼ばれるのは貴族の令嬢くらいですから」
咳を落ち着かせて聞くと、彼女はまだ笑みを浮かべながら、そう口にした。
「すみません……」
「いえいえ、良いのですよ。それに、あなたが貴族であった方が嬉しいですから」
セリンは顔を近づけ、耳元で囁いた。何か弄ばれているような、そんな感覚がする。そういう感覚は嫌いだが、騙していた分、それを甘受するしかないのも事実で。
「エリシア嬢、それでは参りましょうか。フォルセイン家当主、オルディン=フォルセインの下へ」
もう煮るなり焼くなり好きにしてくれ、と大きくため息をついた。




