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肆:和服の老女

 鬼籍荘を出て、霧の中を三途の川の方に向かって歩くと、川辺の岩に腰を下ろしている人影が見えた。


 ゆっくり歩み寄ると、昨日ヘブン・イーヴンに来ていた和服の老女だった。

 店長曰く、芳江さんという名前らしい。昨日と同じく、白色ながら死に装束とは異なる、刺繡入りのしっかりした着物を纏っていて、川を見つめる横顔は皺くちゃだが、背筋はしゃんと伸びている。


「……あら?」


 俺に気付いた彼女が振り返り、軽く会釈してくる。


「亡くなったばかりの方ね」


 装束を見てか、そう呟くと、彼女は俺に「良かったらどうぞ」と隣を勧めてくれた。

 断る理由もないので、隣の小岩に腰を降ろす。


 と、俺を見て、彼女は目を瞬いた。


「貴方、随分若いわね。どうして亡くなってしまったの?」

「事故で。あんまり覚えてないんですけど……えっと、貴方は?」

「ああ、失礼。私は白鳥芳江というのよ。私の死因は幸いなことに、寿命だったわ……」


 つまりは老衰ってやつか。天寿を全うして眠るように息を引き取るって、ある意味理想的な死に方かもしれないな。


 できれば俺のばーちゃんも、そんな死に方をしてほしい。まぁ、俺のばーちゃんはまだ七十代前半だけど。


「……あの、白鳥さんは、どうして向こう岸に行かないんですか?」


 聞いていいのかわからないが、他に話題もない。

 答えたくなければ答えないだろう。そうなった時に深追いしなければいい。


 そういう考えでいると、白鳥さんは苦笑した。


「……私にはね、五人の子供がいるの。子供っていっても、もう全員七十代以上なんだけどね。その中でも末息子がとんでもないぼんくらで……私が死んだ後、ちゃんと生きて行けるのか心配で、それを思うと呑気にあちらへは行けないなって……」


 頬に手を当てて嘆息する白鳥さんに、俺は何と答えたらいいかわからなかった。


 百歳の母親に心配される七十代の息子。

 母はいくつになっても母親だとはいうが、七十過ぎた息子がそれではダメだろう。

 って、十七歳の俺がとやかく言えた義理じゃないんだけど。


「ええと、貴方は……」

「あ、藍沢悠汰です」

「藍沢さんは、失礼だけれど、渡し賃が足りなかったのかしら?」

「え、あ、はい……ばーちゃんが、六文銭を描いた紙を入れてくれたんですけど、それじゃあ足りないって……」

「あらあら、それは悲しい話ね。おばあさまは風習通りになさってくださったのに……まったく、あっちの世界でもこっちの世界でも、物価高で値上げって、嫌になっちゃうわよねぇ」


 愚痴っぽい話だが、白鳥さんの口調が上品だからかあまり嫌な気分にならずに聞いていられる。

 不思議な雰囲気の人だ。


「まぁ、物価高は嫌だけど、今の時代で良かったわね。今は三途の川の畔にさえコンビニがあるんですもの」

「ええ、それは本当にそう思います」


 もし渡し賃が足りず、稼ぐ場所もなければ、永遠にこの場所に留まるしかない、ということになる。

 ん、待てよ。なら、コンビニができるより以前は、どうしていたのだろうか。

 皆が皆、渡し賃を棺に入れてもらえた訳ではないだろう。


 それに、ヘブン・イーヴンが数百年前からあるとは思えない。あれは間違いなく、現世でコンビニができてから、それを知る死者がこちらにその知識を持ち込んで作ったもののはずだ。


 その疑問が顔に出たのか、白鳥さんはくすくすと笑った。


「昔は、渡し賃が足りなかったら、その場で着ていた着物を剝ぎ取って足しにしたそうよ。でも、渡し賃が値上げしたせいで、それでも足りなくて、此岸しがんに死者が溢れてしまったんですって」

「しがん?」

「ああ、こちら側の岸のことよ。厳密には、彼岸はあの世、此岸は生前の世界を指すらしいけど、ここでは便宜的にあっちは彼岸、こっちは此岸と呼んでいるの」

 

 よくわからないが、呼び名が決まっているのは便利で助かる。

 此岸と彼岸だな。覚えておこう。


「私がここへ来た時には、もうヘブン・イーヴンはあったから、どういう経緯でお店ができたのかは私も知らないのだけれど、結果としてここが集落のようになって、川を渡れない死者の受け皿になったらしいわ」

「そうだったんですね……良かった、着物を剥ぎ取られなくて」


 死んでいても、丸裸にされて川岸に放置されるなんて、考えるだけでも嫌だ。死者にも尊厳というものがある。


「本当ねぇ。私も貴方みたいな、曾孫と同じ年ぐらいの子供の着物を剥ぎ取るなんて、流石に気が咎めるもの」


 引っ掛かる物言いをする白鳥さんに首を傾げると、彼女は朗らかに笑った。


「ああ、私ね、ずっと此岸にいても退屈だから、奪衣婆だつえばのパートをしているのよ」

「だつえば……? パート……?」


 聞いたことのない単語にますます首を捻る。


「奪衣婆っていうのは、さっき話した、死者から着物を剥ぎ取る、地獄の鬼のことよ。地獄絵図なんかにも描かれている鬼なんだけれど、今では鬼から委託を受けて、私みたいな死者がアルバイトやパートでやっているの」


 鬼の仕事を委託されている。奪衣婆のパート。物凄いパワーワードの羅列だ。

 困惑する俺に、白鳥さんはやや得意げな様子で続ける。


「渡し賃不足で三途の川を渡れない死者の中でも、明らかな罪を犯している者の場合、まずは着物を脱がせて、着物の重さを量るの。それが罪の重さに比例しているのよ。ああ、その重さを量るのは懸衣翁けんえおうの仕事なんだけれど」

「は、はぁ……」

「本来、死者は皆、川を渡った彼岸の冥府で閻魔大王様の裁きを受けるのだけど、明らかな罪人が渡し賃不足だからといって裁きを逃れるのは理に適っていないってことで、こちらでも罪の重さを量り、必要に応じて地獄へ直送するのよ」

「あの、どうやって明らかな罪人かどうかを確認するんですか?」

「今の時代は、鬼もタブレット端末で死者の情報を見ることができるのよ。船着場の鬼は、貴方が生前地獄へ堕ちる程の罪を犯していないことを確認したのね。もし貴方が罪人なら、即座に奪衣婆が呼ばれるもの」


 そういえば、船着場の鬼は確かにタブレット端末みたいなものを持っていたな。あれには生前犯した罪についても書かれていたのか。

 だとしたら閻魔大王なんてもう必要ないんじゃないか。


 まぁ、向こう岸の事情は今の俺にはわからないのでなんとも言えないが。

 実は閻魔大王の裁きとやらも、そのタブレット端末が導入されていて、めっちゃ自動化してたりして。


 想像すると面白いが、そんな裁判を受けるとなると、正直なんか嫌だ。情状酌量とかもなく、物凄くシビアに判決を下されそうだ。


 と、白鳥さんは帯の隙間から銀色の懐中時計を取り出し、「あら」と呟いた。


「もうこんな時間。私はそろそろお仕事に行かなきゃ……藍沢さん、こんなおばあさんの話に付き合ってくださって、どうもありがとう」

「いえ、そんな。俺こそ色々教えてもらえてよかったです」

「そう言ってもらえてよかったわ。ではまた……」


 白鳥さんは立ち上がると、ペコリと頭を下げて去って行った。

 去り際まで上品だ。


 なんだか妙にほっとする人だったな、と思いつつ、俺も一度部屋に戻ることにした。

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