玖:現実の受け入れ
青川さんの話を聞いた店長は、花嫁姿の彼女に食べ物を差し入れることを許可してくれた。
ただし、届けるのは青川さんではなく、俺が行くことが条件だと言われた。
「え、何でですか?」
俺の問いに、店長は目を瞬いてから肩を竦める。
「だって青川くんが行ったら、絶対余計なこと言って拗れちゃうでしょ? 藍沢くんの方が適役だと思うよ。今日は店も暇だし、もし必要そうなら、彼女の話聞いてあげな」
納得した俺は、解せないと言いたげな顔をしている青川さんを尻目に、店長がチョイスしたおにぎりとお茶を袋に入れて、青川さんが彼女を見たという川岸へ向かった。
川岸の岩に腰を降ろして、彼女は両手で顔を覆っていた。
近付くと嗚咽が聞こえてくる。
「……あの、大丈夫ですか?」
やんわり声を掛けると、彼女はゆっくり顔を上げた。
不思議と、涙は流れていなかった。死んでいるからだろうか。
「……貴方、コンビニにいた……」
「あ、はい。あの……えっと、腹減ってないですか?」
どう切り出したらいいかわからず、俺はとりあえず持っていたビニール袋を差し出した。
彼女はそれを受け取って、顔を歪める。
「ありがとう……ねぇ、本当に、私は死んだの? 君も死んだ人なの?」
「あ、はい……俺も、バイト帰りに車に撥ねられたみたいで……」
「……信じられないの……私、だって、一週間後に結婚式を控えていて、大きな病気だってしたことなかったのに……」
「俺もすぐには信じられませんでしたよ……まぁ、俺の場合は死に装束でここにいたし、なんとなく車にぶつかったことは覚えてたんで、受け入れられましたけど」
俺が頬を掻きながらそう言うと、彼女は川の向こうに視線を投じた。
「…………何で、私は死んでしまったのかしら……」
「覚えてないんですか?」
「ええ……確か、婚約者と住んでいる家に帰ろうとしていたはずだったんだけど……」
「その途中で事故に遭ったとか?」
「そうかもしれないわね……でも、何か大事なことを忘れている気がして……」
言いながら彼女は額に手を当てる。
「あ、私、桃坂詩乃っていうの。よろしくね」
「はい。俺は藍沢悠汰です」
自己紹介をしたところで、彼女は袋からおにぎりを取り出した。
「……これだって、よくあるコンビニのおにぎりと同じなのに……」
「俺もまだここに来たばかりでよく知らないんですけど、多分、生前でコンビニの経営とか、商品製造とかやっていた人が、こっちでもコンビニを造ったんだと思いますよ」
「あはは、きっとそうね」
渇いた笑みを浮かべ、彼女はおにぎりのフィルムを破いた。
海苔を綺麗に巻き付けて、それを頬張る。
「……見た目は同じなのに、味が……薄い?」
「そうなんですよ。死んでるからか、味がよくわからないんです。店長曰く、記憶に残っている味や、イメージが頭の中で再現されるけど、肉体は死んでいるから、はっきりと味として感じることはできないらしいです」
「あー、つまり、食べてはいるけど、舌で味を感じているんじゃなくて、頭でそういう味だと思っているだけってことなのね」
「はい。それでも食べないと、魂魄エネルギーが尽きて、魂が消滅しちゃうらしいです」
「魂が、消滅……?」
桃坂さんが首を傾げる。
「はい。死者は、基本的に三途の川を渡って、閻魔大王の裁きを受けて、天国か地獄へ行って、その後輪廻転生の環に入り、新しく生命として誕生するらしいんですけど、この川岸に留まっていると、天国にも地獄にも行けないじゃないですか。ここで魂のままの状態を維持するのって、エネルギーが必要らしいんです」
「魂が消滅したら、どうなるの?」
「輪廻転生の環には入れず、永遠に消滅することになるそうです……俺は、消滅するのは流石に嫌なので、川を渡るための渡し賃を稼ぐために、そこのコンビニでバイトすることにしました」
「……そう」
桃坂さんは視線を落として呟いた。
「……桃坂さんもバイトします? 店長に掛け合ってみますよ」
俺がそう尋ねると、桃坂さんは苦虫を嚙み潰したような顔をした。
「うーん、川を渡るために働いた方がいいんだろうけど、私、接客苦手なのよね……」
「そんな感じしないですけど……」
話してみて、彼女の人となりはなんとなくわかった。
嫌な感じもしないし、結構美人だ。寧ろ接客に向いていそうな気がするんだけど。
「いや、なんていうか……私、男運なくて、すぐ変な男が寄って来るのよ……学生時代にカフェでバイトしていたんだけど、お客さんにナンパされたり、常連客がストーカー化したり」
げんなりした様子で呟く彼女に、何となく察した。
実際、『そこそこ美人』って、一番モテるんだよな。モデル並みに美人だったりすると、同じレベルのイケメンしか近寄っちゃいけない気がして、一般的な男は敬遠しがちだったりする。
一方で、『そこそこ美人で隙のある女の人』って、「俺でも、いけるかも!」と思わせるからか、変な男を寄せ付けるんだよなぁ。
「……そんな時に助けてくれたのが、バイト仲間だった彼でね……大学時代からだから、もう七年の付き合いで……ん?」
懐かしむように語る桃坂さんが、砂利を踏む音に振り返った。俺もその視線を追う。
「あ……」
そこには、藤咲さんが立っていた。
両手にパンやおにぎりを抱えている。
「……失礼。藍沢くんが既に差し入れした後だったみたいですね」
苦笑した藤咲さんの言葉に、彼もまた、配送中に桃坂さんを見かけて、心配になって引き返してきたのだろうと察した。
「ヘブン・イーヴンへの配送が最後だったので、車を置いて戻って来たんですが……」
余計なお世話でしたね、と踵を返そうとしたので、俺は慌てて呼び止めた。
「あ! 藤咲さん! 俺まだ勤務中なので、よかったらここのこととか教えてあげてもらえませんかっ? 桃坂さん、接客苦手らしいし、もし藤咲さんが働いている工場とかで人を探しているようだったら……」
と、彼は意外そうな顔で振り返った。
「接客が苦手……?」
「は、はい……」
「……うちの工場も、製造の方が人手不足って言っていたんで、良かったら紹介しますが……」
「……あ、じゃあ……お願いします」
お願いします、とは言ったものの、不安そうな顔をしている桃坂さんに、藤咲さんは僅かに眉を下げた。
「……まぁ、まずはここの案内からしましょうか。僕も夕飯はこれからなので、よかったらここで食べながら話しても構いませんか?」
藤咲さんは桃坂さんに気を遣ってくれたようだ。
それを察した様子の桃坂さんも、ほっと息を吐いて頷く。
とりあえず大丈夫そうだと悟った俺は、二人に店に戻る旨を告げて、足早にヘブン・イーヴンへ戻ったのだった。
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