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零:三途の川と渡し賃

 それは、突然だった。

 高校二年の夏、家の近所のコンビニでバイトをし、その帰り道だった。


 夕方までのシフトで退勤した俺は、自転車に跨って、薄暗くなっていく家路を急いでいた。

 早く帰って見たいテレビがあったのだ。


 家が見え、気が緩んだ、その時だった。

 信号のない交差点に差し掛かった瞬間、車が飛び出してきた。


 ブレーキの音の後、どん、がしゃん、と凄まじい音が聞こえ、俺は意識を手放した。


 視界が真っ暗になり、何も考えられなくなる。

 やがて、どれだけの時間が経ったか、俺ははっと目を覚ました。

 いや、正確には目を覚ましたつもりだった。


 周りが真っ白だ。眩しいというより、ただただ無のような感じ。

 心臓の鼓動も、息をしている感覚もない。それがどういうことなのか、最初は理解できなかった。

 どうしてこうなったのかも、わからない。


 随分経ってから、ああ、俺は死んだんだ、と理解した。


 一度は考えたことがある。死んだらどうなるのか。

 でもまさか、本当にこんな風に、真っ白い世界が広がっているなんて思ってもみなかった。


 何も分からないまま、とりあえず立ち上がろうとしてみるが、身体が動かない。

 いや、動いてる感じはする。けど、まるで動かす力がないみたいだ。足も、手も、どこにも力が入らない。

 妙な感覚だ。足が痺れて感覚がなくなった時のあの感じが、全身に広がったかのような。


 それでも、俺は何とか意識を保ちながら立ち上がり、辺りを見渡してみた。

 目の前には、白い霧が立ち込めていて、遠くの方にぼんやりと光が見えるだけ。


「あれ……?」

 

 どこかで、水の音が聞こえるような気がする。


 もしやこれは三途の川のせせらぎか。


「……はぁ、しんどいなぁ」


 意識が遠のく。いや、遠のくのはおかしい、だって死んでるんだし、痛みもないはずだ。

 でも、なんとなく胸のあたりが重い。苦しい。いや、これは悲しいんだ。


 そりゃそうか。

 俺は、残してきた家族のことを思った。

 俺は家に向かって帰っている途中に、事故に遭った。家で待っていた両親と祖母はきっと悲しみに暮れていることだろう。


 でも、今となってはもう、何もできない。

 俺は、死んでしまったのだから。


 改めて自覚したその瞬間、視界が少し明瞭になった。

 目の前に、昏い川が見える。水面は静かで、でもどこか恐ろしいほど深い感じがした。


「あ、あれは……」


 三途の川だ。そう直感する。

 本で読んだことがある。死者が渡る川、あの世とこの世の境界線。


 あの川を渡らなくては、何故か本能がそう俺に訴えかけてくる。


 俺は左右を見渡して、上流方面にやたらと人が並んでいることに気づき、そちらに歩み寄った。


「あの、すみません……」


 最後尾と思われる老人に声をかける。緊張のあまり声は掠れていて、自分でもよく聞き取れなかった。


 老人は振り返り、俺を見ると、憐れむような顔をした。


「おや? お前さん、随分若くして死んだんだなぁ、可哀想に」

「ああ、はい。そうみたいで……で、あの、この列って……」

「ああ、三途の川を渡るために待っとるんだよ。一度に舟に乗れる人数は限られとるからな」


 老人が自分で最後だと言うので、俺はその後ろにつくことにした。


 ゆっくり列が進み、やがて俺の番になる。


 船着場には、背の高い屈強な男が何人か立っていた。

 鮮やかな青い髪に緋色の瞳をし、頭にはニ本の角がある。歳の頃は人間でいえば三十代後半くらい。

 どう見ても鬼である。虎柄のパンツではなく、黒い和服を纏ってはいるが。

 彼は無表情で俺を見下ろし、「ん」と手を出した。


 手を貸してくれるのか、いやどう見ても違うよな。


 俺が首を傾げると、鬼は「渡し賃」とだけ短く答える。


 そういえば、三途の川を渡るには六文銭が必要だって、昔ばーちゃんが読み聞かせてくれた絵本に書いてあったな。


 俺は慌てて、死装束の懐や袂を探った。

 と、懐に一枚の紙切れがあるのを見つける。


 広げると、昔のお金の絵が描かれていた。きっちり六枚分。

 そういや、昔じーちゃんが死んだ時、実際のお金を棺に入れるのは日本の法律で禁止されているから、お金の絵を描いて入れるんだって、ばーちゃんが教えてくれたっけ。


 ありがとう、ばーちゃん。

 俺はこれで三途の川を渡れる。


 そう信じて疑わず、俺はドヤ顔でその紙を鬼に差し出した。


 と、鬼は呆れた様子で嘆息した。


「あーあ、お前さんもかい……それじゃあ、足りねぇな」


 その一言に、頭が真っ白になった。

 なんだそれ。どういうことだよ。


「は? 何でだよ? 渡し賃って六文銭だろ?」


 俺が言葉を発すると、男はやや面倒くさそうにしつつ口を開いた。


「今が何時代だと思ってんだ? 今は物価や人件費が上がってて、三途の川を渡るには、最低でも()()()が必要だ。六文銭なんて、もうとっくに時代遅れなんだよ」

「え?」


 俺はしばらく呆然として、その言葉を噛み締めた。

 

「時代遅れって、そんなの生前で聞いたことないです! 六萬銭なんて、誰が払えるんですか!」


 思わず噛み付くと、鬼はやれやれと肩を竦めた。


「まず、棺に一定数以上集めた御朱印帳があれば、それだけで渡し賃免除になる。その他、棺に手紙や家族の写真が入っていたり、家族が通夜葬式法事をきちんとこなし、しっかり供養された者はその分が三途ポイントに変換されて、渡し賃に充てられる」


 三途ポイントって何だよ。

 そう思いつつ、そこはつっこんではいけない気がして尋ねるのはやめた。


「ええ……じゃあ俺は……?」


 死んだ後のことなど知る由もない。俺の葬式がどうだったか、棺に何を入れて貰えたかなんて知る訳がない。

 まぁ、少なくとも、御朱印帳はないだろうな。集めたことないし。


「んー? お前は……」


 鬼は俺を見つつ、手元のタブレット端末のような板を何やら操作した。


「えっと? 藍沢悠汰あいざわゆうた、弱冠十七歳で交通事故により死亡、棺に入れられたのは紙に描かれた六文銭のみ……通夜葬式は行われたが、悲しみに暮れた家族はそれどころじゃなく、式典は非常に質素で、三途ポイントに換算できるレベルじゃない、と……」


 鬼の言葉に絶句する。

 通夜も葬式も最低限、供物は祖母が入れてくれた六文銭の紙一枚。

 それが、唯一の供養の証だというのか。


 それなのに、それが役立たないなんて、あまりにも酷すぎやしないか。


 っていうか、さっきから言っている三途ポイントって何なんだよ。


「じゃあどうすればいいんですか? 俺はこのまま舟に乗ることもできず、ここにい続けるしかないんですか?」


 そう尋ねる俺の声は震えていた。

 その鬼は一瞬俺を見て、にやりと笑う。


「簡単だ。死後の世界で働いて、運賃を稼げばいい」


 鬼が顎で指した方を振り返ると、『ヘブン・イーヴン』と書かれた光る看板を掲げる、いかにもコンビニっぽい建物が鎮座していた。

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