7 皇帝陛下の秘密
軍事施設に入るためにはさまざまなルートがある。無論、俺は正面からでも入ることは可能であるが、今回は皇帝陛下とお忍びで会うため少し警戒をしておこうか。待ちはずれのバー「レイク」は俺と同じ引退した暗殺部の人間がやっている店で、ここには中央軍事施設へ続く地下道が隠されている。バー「レイク」の裏庭の井戸の中からじめじめした地下水路を通ると中央軍事施設の厨房裏の井戸に繋がっている。ジメジメしているから気分は悪いが、この道を知っているのは軍事施設の中でも一握りだ。
俺は井戸から這い出ると埃をおとして売店前へ向かった。人払いがされているのか数人の警備以外はいないのでガランとしていて奇妙だ。だだっぴろいロビーに売店の光だけが煌々と灯っている。
「よくきたな、ダレン」
後ろを振りむくと、そこには濃い紫色の髪に同じ色の深い瞳の青年が佇んでいた。ビロードのマント、腰には飾りの細い剣をたずさえ、色白で華奢な手をこちらに向かって揺らしている。
「陛下」
俺は膝をついて最敬礼をする。
「ダレン、行こうか」
少しハスキーだが、男性にしては高い声。アーミル・アトキンスは若干25歳にして中央帝国の皇帝となった男。魔法銃の開発に成功し、実質的な世界征服及び世界平和の維持を実現した人物でこの国の唯一絶対の君主である。俺がかつて所属していた諜報暗殺部はその任務の機密性や重要性から皇帝直下の組織で、俺たちに任務を与えていたのはアーミル陛下だった。陛下はそのお立場にもかかわらず、俺たちのような汚れ仕事をする隊員にも分け隔てなく……それどころかまるで友人の様に接してくれる人格者で今だってこうして交流を図っている。
しばらく歩いて、俺たちは軍事施設に隣接する皇宮へと入っていった。陛下のご厚意で皇宮の半分は怪我をした軍人たちの宿舎となっており、多数の人の気配がした。「これが賑やかで好きなんだ」と陛下はいうが、俺としては好ましくないと思う。人が多ければ多いほど、暗殺というのは難易度が低くなるからだ。
「スチュは先に部屋にいるよ」
陛下と共に皇宮の一番奥、陛下の部屋に入ると既に長椅子にスチュが座っていた。スチュはヘラヘラと笑うとこちらに手を振る。
「少し外していてくれ」
と陛下が扉番に言った。彼らの足音が完全に遠ざかってから、スチュが「ふぃ〜」と足を広げてソファーにうなだれる。
俺も同じ様にだらけると大きくため息をついた。
「シャンティルどう思う?」
陛下はそう呼ばれるとポッと顔を赤くして俺たちの前に座るとポカポカとスチュの頭を殴った。
「その名前で呼ばないでよ!」
スチュは馬鹿にした様に笑うと
「だって、君はアーミルじゃないだろ?」
俺たちの目の前にいるのは中央帝国皇帝アーミル・アトキンスに扮したシャンティル・アトキンスだ。シャンティルはアーミルの双子の妹で、アーミルの影武者としてその存在をひた隠しにされてきた存在だった。かつて、シャンティルの所属は俺たちと同じ諜報暗殺部だったこともあり孤児院出身だった俺とスチュ、それから身寄りがないとさえていたシャンティルは兄妹のように育った幼馴染だ。
「兄さんが殺されてから、私は兄さんになった」
アーミルに似せるために三日三晩井戸に向かって大声を出して潰した声。シャンティルは小鳥の様な可愛らしい声だったが今や跡形もない。双子だからか顔が似ていたのは不幸中の幸い、そもそもアーミルも戦士型ではなく魔法型だったこともあり、線がほそかったのも幸いした。
「ダレン、持ってきたか」
「あぁ、持ってきたよ」
俺は背負っていたバッグから紙袋を取り出した。中には何の味もついていない、ボロボロのスコーンが入っている。シャンティルが蝋燭に火をつけて、スチュが紅茶を淹れた。
「これ、好きなのよ」
「知ってるよ」
「私、お兄ちゃんになれているかな」
「立派だよ」
俺とスチュは涙を流すシャンティルを慰める様に話す。シャンティルは月に1度、兄であるアーミルの月命日に俺たちの前でだけ本来の姿に戻るのだ。
「ダレン、お前が戻ってくればいいんだ。シャンティルの……皇帝陛下の秘書官となって常に守る。俺が情報官として安全を守り、シャンティルが皇帝として世界平和の維持を続ける。いつまでヘソ曲げてるんだよ」
スチュはパイプを蒸すと呆れた様に俺を眺める。
「ダレン……もういいじゃない。あれから3年。お兄様だってきっと……」
「いいや、秘書官ならスチュ。お前がやれよ」
「悪いが俺は諜報の方が得意なんだ。ダレン、中央帝国1番の暗殺者が何を……」
スチュは俺の顔を見ると諦めたように笑ってスコーンにかぶりついた。アーミル様はお優しい方だった。4人で紅茶をこっそり飲んだことをよく覚えている。アーミル様も俺たちと一緒にいるときは等身大の若者で、街では何が流行っているとか、どんな子が好みだとかそんなたわいもない話をしたもんだ。
「ダレン、お兄ちゃんが死んだのは……、ダレンのせいじゃないよ」
——俺のせいだ。
「さて、本題に入ろうか」
嫌な空気になりかけたところ、スチュがパシンと手を叩いて俺たちに笑顔を向けた。
「あぁ……」
「ダレンの店に北公国からのスパイの女が潜入してきている。先ほど仲間からの情報が入ったが、特に怪しい行動なく仕立てを終えて眠った様だ」
シャンティルは乙女の表情ではなく皇帝に戻って凛とこちらを見つめている。
「あぁ、ヴェロニカ・メレシナと名乗っているが多分偽名だろう。北公国訛りで、見た目もステレオタイプ。ただ、諜報員としては絶望的に……」
俺が言葉を止めたのでスチュとシャンティルの視線が俺に集まった。
「絶望的に……色仕掛けが下手だ」
俺は真剣なのに、スチュがプッと吹き出すとシャンティルも口を抑えてクスクスと笑い出した。いや、確かにこの緊張感の中で出てくる言葉ではないが、ヴェロニカさんの絶望的な色仕掛けの様子を話すと2人も納得したようだった。
「基本的に彼女が迫ってくるとき、暑くてぇ……しかないな」
「あははは、北公国も人材不足なのか? いや、俺たちは念の為危惧してたんだよ。3年前の……」
スチュはそう言って続きをいうのをやめた。
「とにかく、そのダレンの店にやってきた女の子が怪しいんだね」
シャンティルの言葉に俺たちは頷いた。
「でだ、北公国で何か怪しい動きがあるんじゃないかと思って、シャンティル。先日の5国会談で何か動きは?」
5国会談というのは、中央帝国に降伏した他の4国が和平交渉をした後に定期的に行なっているものだ。それぞれ、未来への発展や平和の安定に向けて国のトップ同士が集まり会談する。と言っても、それぞれの希望が通るわけではないし、実質的に中央帝国が一番力を持っていることには変わりないので他国の発言にあまり影響はないといえば嘘になる。和平に反対をしていた北公国なんかは特に不満の多いことだろう。
シャンティルは少し考え込んだあと、
「クヒーニャ女公は、いつも通りだったけど……あぁ、大寒波により飢饉があり西共和国から物資が送られると話していたが……」
クヒーニャ女公爵は北公国の君主である。特に、クヒーニャ3世は若く、美しく、そして冷酷だ。
「私ね、あの人だけにはバレているような気がする」
シャンティルが俯く。
「バレてるって……?」
「私がお兄ちゃんと入れ替わっているっていうこと。クヒーニャ女公が和平に応じていまだにこちらに攻めてこないのも……私が女だから、なんじゃないかって」
北公国は代々女君主がその国を治めている。そのせいか、「女の戦士は殺さない」なんて迷信があるほどだ。実際に、北公国に諜報に言った女隊員は戻ってこない。逆に男の隊員は無惨な焼死体となって国境の川に流される……。
スチュは「そんなこと」と笑ってみせたが、クヒーニャ女公には代々そんな噂があった。実際に、北公国の軍人は9割が女軍人だったし、何よりも北公国では男性は「早死に」すると言われている。気候のせいなのか、それとも……。
「まさか、北公国は昔っから世界征服を企んでる血の気の荒いやつらさ。飢饉のせいで送っきたスパイがあの新人雑魚スパイだったってことかもしれないな」
スチュは真剣な顔をしているが、言っていることはめちゃくちゃである。
「もう少し、様子を見てみるのはどう?」
シャンティルはそう言ったが俺は
「いや、可能性が少しでもあるのなら殺しておくべきだと思う」
スチュとシャンティルは口を開きかけたが何も言い返してこなかった。2人は悲しそうに俯くと黙りこくってしまった。
「テキトーな罪でも着せて連行して、そっちで処理してくれ。俺は引退したんだ。関わりたくない」
「ダレン」
スチュが呆れた様に俺の名前を呼ぶ。
「なんだよ、スチュ」
「もしも、ヴェロニカさんが亡命者で北公国の厳しい環境から逃げてきたただの女の子なら?」
「スチュ、もういい。とにかく俺はお前たち上の指示に従う。ただ、ヴェロニカ・メレシアについては早急に対応を頼む。また、アーミルが殺されるのはごめんだからな」
「ダレン……あれはお前のせいじゃないって」
「俺のせいだ。俺の……。もういくよ。また来月」
「ダレン……!」
シャンティルは涙に詰まった様な苦しそうな声で俺を呼んだ。
「ごめんな……シャンティル」
そのまま振り返らずに部屋を出る。
アーミル陛下は北公国からのスパイによって暗殺された。3年前の今日に。俺は3年前の今日、妻となる女性を殺した。
ひっそりと行われるはずだった結婚式、血まみれのウェディングドレス、ククリ刀を持ったニコラ。アーミル陛下、俺はその暗殺者を……ニコラを殺したのだ。
「おやすみ、ダレン」