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3 美人スパイは美味しいものが好き


 見慣れた顔の郵便局員が俺に書留のサインを要求した。彼は諜報部の人間でこの手紙は税金の徴収書に見せかけた暗号文書である。もちろん、差出人はスチュだろう。


<彼女がスパイであることが確認できた。彼女は先月この国に密入国した北公国の工作員、以上>


「いらっしゃいませ〜」

 昨日からここで働き始めたヴェロニカ・メレシナは女スパイだ。非常に魅力的なその容姿に客の軍人たちはデレデレと鼻の下を伸ばしていたし、女の軍人は不機嫌そうだった。

「あら、店主。可愛い従業員ね」

「ははは、お陰様で景気がよくてね」

 と常連の女軍人に嫌味を言われて軽く流す。まぁ見た目が北公国っぽい女で、男たちがデレデレしているような女を雇っているともあれば多少はこういう反応をされると予想はしていた。

「こちらサービスでーす!」

 とヴェロニカさんがカウンターに座っていた彼女に小さな包みを渡す。さっきまで嫌味を言っていたショートカットの女性は突然の好意に口をつぐむ。

「昨日、焼き菓子の練習をしてたくさん作ったんです。よければ食べてくださいね」

 美女の笑顔というのは同じ女性にも効果抜群だ。さっきまで嫌味を垂れていた彼女も口角が緩む。不恰好なクッキーに「ヘッタクソね」と言いながらもヴェロニカさんに向かって微笑んだ。

 というのも昨夜、彼女がシャワーから出てきた時のことだ。



「店主さん、私こういう見た目ですからお客さまにすぐに馴染めないと思うんです」

「それはどうして?」

 理由はわかっていた。彼女の見た目が北公国のステレオタイプだからだ。真っ赤な髪に色素の薄い瞳、長い手足。少なからず中央帝国では警戒される見た目だ。

「ヴェロニカさんって北公国の出身でしたっけ?」

「いえ? 私のおじいさんのおじいさんのそのまた従兄弟のおばあさんが北の方の出身で……すなわち、わわわわ、私は純粋な中央帝国の出身でっす!」

 多分嘘だろうが、まぁそういう人もいなくはない。戦乱中も北公国からこちらに亡命してくる人間も少なからずいたし、こちらで捕虜になった子供がこちらの国で育ったという例も少なくない。

「ですが、うちのお客さんは軍の人がほとんどです。ですから、ヴェロニカさんのいうことも一理ある……しばらくの間はうちのお客さんに顔を覚えてもらうことから、かな」

「わっかりました!」

「じゃ、明日のために1日の流れを説明しようか、そこに座って」

 


 この会話の後、彼女が始めたのが「クッキー作り」だった。

 彼女の話じゃ幼い頃に祖母とよく作ったらしい。彼女はスパイだし、男をたらし込むために叩き込まれたんだろう、と思ったが……

「不恰好ねぇ」

 と常連客の女が笑うとヴェロニカさんは照れながら笑い返す。不恰好な星形のクッキーは故意か故意ではないかそれはわからない。ただ、軍人たちの心に滑り込むには正解だったようだ。

「ヴェロニカちゃーん」

「はーい!」

 ヴェロニカさんが他のテーブルに呼ばれて立ち去ると、女軍人は「いいわねぇ平和な時代に生まれた子は」と呟いた。俺は彼女に持ち帰り用のコーヒーを入れ「サービスです」と渡した。ほろ苦いコーヒーと甘いクッキーは膨大な書類作業をする彼女たちにとって午後の仕事のお供なのだ。

「あら、ありがとう」

「いえ、またよろしくお願いします」

 ヴェロニカさんは笑顔で、テキパキと仕事をこなす。無論、スパイとして情報を集めたり目ぼしい男を探しているだけかもしれないが人手が足りなかった俺としては多少なりとも助かっている。ヴェロニカさんはオーダーを暗記するのも早かったし、少し手が開けばテーブルの片付け、セッティングに待っているお客さんの対応、洗い物。まぁ北公国に鍛え上げられたであろうスパイだ。少し不器用ではあるがなんでもそつなくこなすだろう。

「オニオンサンドとナゲット二つ」

「あいよ」

「お持ち帰りです」

 ヴェロニカさんのオーダーに沿って俺はランチボックスにサンドイッチを詰めていく。あぁ、ナゲットのストックはこれが最後だ。

「ヴェロニカさん、ナゲット最後なんて次からストップで」

「はーい」


 昼のピークが終わって店を一旦クローズし、俺たちはディナータイムに向けての仕込みを行っていた。といっても仕込みをするのは俺の仕事で彼女には食器洗いや掃除など簡単な仕事をお願いしようか。

「そうだ、制服のことだけど……明日、仕立て屋に行こうか」

「制服?」

 とヴェロニカさんが首を傾げるので俺はキッチンから出て彼女に自分の服を見せる様にぐると回って見せる。一応、このカフェには制服があって……というのもエプロンだけでは結構服に匂いがつくからだ。まぁ、俺はまがいなりにもシェフなわけだしな。

「エプロンだけじゃ結構汚れるし、それにあまり派手な私服ではご婦人たちからの評判がね」

 本音を言えば軍人をたらし込まれては困るからだ。

「そうですね……レストランのウェイターさんはみなさん可愛い服が多いですしね」

 可愛いかどうかは別にして、確かに街のレストランや定食屋、カフェなんかのウェイターはみなその店のコンセプトにあった服を身につけている。街の方で人気が出ているレストランではウェイターの女性がひらひらした格好でお給仕をするらしい。その様子が男性客に人気になり一躍有名に、一般人の女学生がこぞってアルバイトに応募しているとか。

「ま、うちはお堅い軍人がお客さんだ。あまりヒラヒラしたのはよくないと思うけどね」

 ヴェロニカさんはちょっとだけ頬を膨らませる。どうやら、可愛い方が良かったらしい。やっぱり、色仕掛けで軍人に迫るつもりだろうか。できるだけ露出が少なく、おとなしい色にしよう。

「そうですよねぇ」

「今日の閉店後、採寸に行こうか」

「えっ、いいんですかっ?」

「もちろん、うちの大事な従業員だからね」

「あ、店主さん」

「ダレンでいいよ」

「ダレンさん、今夜は新人歓迎の大きなパーティーが開かれるそうですよ。ですから、あまり仕込みはしない方がいいかも」

 ヴェロニカさんはそういうと「なんでも今日は軍事施設で新人歓迎会があるとお客様が」と付け足した。そう言われてみればそんな時期か。年に4回、季節の変わり目に行われる軍の採用試験、それの合格発表の時期だ。合格した人間は晴れて軍の仲間入り、まずは軍事学校での研修が開始される。その前に盛大なパーティーが行われるのだ。平和となった今は必要ないかもしれないが、長く戦乱が続いていた頃は軍に入ったものは命を預ける仲間だった。だからこういった親睦会が開かれ中を深めていたのだ。

 当初はサクッと夕食をとる程度だが、平和になってからは夜通し飲み明かす様になったらしい。諜報部は基本的に参加はしないが、情報官のスチュは()()()()()()参加していて、うんざりだと愚痴っていったけ。

 にしても、この女……デキる。あの一瞬で新しい仕事をこなしながら、軍の情報収集まで瞬時に? それも俺に疑われない様にわざわざ報告まで。

「あのー、ダレンさん? どうかしました?」

「あぁ、いや。すっかり忘れてたよ。ありがとう。今日は早めにしめようか」

「それが良いかと思います」

 明日、スチュに彼女の動向を報告すると約束していたが少し急いだ方が良いかもしれないな。俺はチラリと洗い物をする彼女を盗み見た。ごく自然に、まるでスパイじゃないみたいに彼女は過ごしている。暗殺を引退してほんの少しだけ、嘘の世界から離れていた俺にまた嘘の世界が戻ってきた。

——人を信用してはならない

 幼少期に聞いた言葉が脳内でこだまする。



***


 彼女のいう通り、夜の営業はほとんど客が来ることなくクローズすることになった。

 ということで、足の速い食材たちは俺たちのまかないに。最近、東王国から仕入れるようになった生食用のサーモンをレモンと酢につけてスライスする。香草のドレッシングと一緒にパンに挟んでサンドイッチにしている人気商品だが足が早い。

 そもそも東王国から仕入れるのに数日、うちに着く頃にはもう食べてしまわないといけないくらいの鮮度だ。だから、仕入れたその日中に売ってしまっているのだ。

「うーん、ムニエルかな」

「ムニエル?」

 ムニエルとは鮮度の悪い魚や臭みの強い魚でも美味しくいただける料理だ。といっても、小麦粉をはたいてバターでじっくり焼くだけだ。スライスするための切り身に塩を降って少し傾けたバットの上に置く。しばらくすると臭みの元が汁になって出てくる。それを確認したら塩胡椒と小麦粉を丁寧にまぶす。

 俺のその調理工程をメモするヴェロニカさん。

「あぁ、調理は基本的に俺がするのでメモしなくていいですよ」

「えぇっ」

「一応ですが、お店で調理できるのには国に申請が必要なのと、ヴェロニカさんはお給仕の担当だから必要ないかと」

「えぇ、そうですけど……ほらダレンさんが疲れた時にまかないを作るくらいはできる様になりたいなぁと」

 この女、俺に毒でも盛るつもりか? いや、ここで俺に取り入ってゆくゆくは軍事施設でパーティーに料理を提供、その際に毒を……。

「いや、今はいい。それに、ムニエルは中央帝国では家庭料理だ。それをメモを取らないといけないほど料理に精通していない人間をキッチンには立たせられないよ」

 我ながら、少し意地悪に釘を刺す。彼女のスパイとしての失敗に気が付かせる様な言い方をして突き放した。彼女は「私は敵国の家庭料理を知らなかったんだ」とさぞかし落ち込んだことだろう。潜入とはこういう細かい違和感からその正体が暴かれる。まだ若い彼女は優秀とは言え多少の粗が残っているのかもしれない。俺は少し迷惑そうで優しい店主といった表情をしながら「掃除を頼むよ」と彼女に言った。

「そ、そうですよね。失礼しました。あの、まかない……楽しみです!」

 演技だ、騙されるなよダレン・バイパー。しょんぼりと首を垂れてトレーを抱き締めるとヴェロニカさんは店内の掃除に向かう。北公国の女スパイはどんなに堅牢な男でも簡単にふにゃりとさせてしまうと聞く。体だけではなくこうして人間関係の構築から擬似恋愛、そして信頼を勝ち取り情報を吸う。必要がなくなれば殺す非情さを持ち合わせている……。

 バターをフライパンの上に溶かし、その上にサーモンを2切れ乗せる。軽い焼き色をつけたら香草をのっけて蒸し焼きに。焦げたバターの香りと香草が鮮度のわるい魚の臭みを消し、美味しく仕上げてくれる。売れ残りのパンをリベイクしてこちらはガーリックソースを。あぁ、いやガーリックはやめておこう。この後、仕立て屋に会うんだった。

 そつなく情報を集める優秀さ、そして人の懐に入り込む技術。警戒をしないと俺までヤられるぞ。女の色仕掛けに強い俺も、人情には弱いかもしれない。もしかしたらあの女は、昨日話した一瞬で()()()()()()()()()()()と判断し、妹路線で攻略をしようとしているのかもしれない。


 俺の強みは、女を……人間を信用できないところだ。信頼できないから、非情になれる。信用できないから信用しない。それが諜報暗殺部では必要とされてきた。だから、今回の任務もスチュが俺にやらせることにしたのだ。

 フライパンの蓋を開ければふわっと魚介とバターの香りが広がった。ふっくらと蒸し焼きにされたサーモンは綺麗なオレンジ色に焼き上がっている。くたっとした香草をバターにからめ、サーモンの切り身を取り出すと別々のさらに盛り付けた。

 普通のレストランならマッシュポテトをつけあわせにするが今日はパンが余っているのでパンで。リベイクしたパンにバターを塗って軽く岩塩を振った。

「ヴェロニカさん、まかないできましたよ」

「わ〜い!」

 屈託のない笑顔でほうきをかたづけて、ヴェロニカさんはカウンター席に座った。

「はいよ」

「わぁぁぁ」

 演技なのかほんとうなのか、目を輝かせて彼女はムニエルを見つめた。北公国ではほとんど外交もない上に厳しい寒さが原因で上層部以外は厳しい暮らしを強いられていると聞く。もしかしたら彼女も暖かいご飯を食べる機会は少なかったのかもしれない。

 そういう貧しい経験がこういった場面で喜びの演技にリアリティを生み、スパイ業に花を添えているのかもしれない。

「付け合わせはあまりもののパンだけど」

「いただきます!」

「はい、どうぞ」

 そう言いながら俺は自分もカウンター席に回り込んで移動をしてエプロンを外した。我ながら良い出来だ。まかないは基本的に俺や、たまにスチュのためにしか作らないからこんなに手の込んだものは珍しい。

「おいひい!」

「どういたしまして」

 と一口。うん、うまい。家庭料理の一つだからと思ってメニューにはしていないが、してもいいかもしれないな。

「さ、食ったら採寸に行きますからね」

「はーい。採寸を終えたら明日の仕込みですね!」

 

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