告白(三十と一夜の短篇第84回)
重い病の床に臥す修道女が枕頭に訪れた神父に告白を行った。
わたしは弱い人間でした。強い者に阿り、大勢に逆らわず生きてきました。
言いたいことも言わず、耳も目も塞ぎ、口を押さえて生きてきました。
本音はいつだって胸の中に抑えたまま、穏やかさを偽ってきました。
わたしは自分の意見を持たない女と同輩たちから侮られました。
わたしは恐ろしかったのです。わたしは早くに両親を喪い、伯父の家に引き取られ、育てられました。伯父夫婦はわたしに優しくしてくださいました。伯母の留守中に、伯父が女中のジュリアに誘い掛け、拒まれる姿をわたしは偶然目撃しました。後日ジュリアは窃盗と怠惰の罪を犯した魔女かも知れないと伯父から訴えられ、捕らえられ、獄中で亡くなりました。酷い拷問を受けたと聞きます。町の誰もが伯父の言を信じ、ジュリアの言い分を聞き入れませんでした。わたしはジュリアの無実を信じましたが、自分の無力さから彼の女を弁護できませんでした。伯父の保護を失っては生きていけない、ましてや女子どもの言い分など、誰が聞いてくれましょうか。わたしの大いなる罪です。
染物屋の女将が、染料に使う草木だけでなく、病や気鬱に効く薬草を知って町の人々の相談に乗っていたのを、隣町の染物業の支配人に魔女と訴えられて処刑されました。また高利貸しを生業にする未亡人が甥から財産を取り上げられ、狭い部屋に閉じ込められました。夫亡き後、家業をより盛り立てた健気な方なのに、人々をだましたと悪評が立ったがゆえに引退してもらったというのです。
女は殿方に逆らってはいけないのです。生意気な態度だと感じさせでもしたら、殿方の力無しでも生活していける才覚や財力があると知られでもしたら、とにかく目立つ行動をしたら、たちまち捕らえられ、咎め立てられるのです。伯父は家族にも町の人たちにも穏やかに対し、品行もよろしいと悪く言われたためしのない人でした。しかし伯父がジュリアにみだらに誘い掛けた時の目付きや嫌がられた時の怒りのすさまじさ、まるで知らない人のようで体が震えました。日頃紳士、名士と呼ばれる方々が女将や未亡人、人並み優れた技術を持つ女性たちを魔女と糾弾し、糺さねばならぬと主張なさる姿には、まるで自分が責められているかのように身が縮みました。わたしは伯父の好意から読み書きや算術を教えられて賢いと褒められ、針仕事や台所の始末もうまくできると伯母から言われました。伯父の手伝いで帳簿を付けることもいたしました。しかしこれは自分の身を危うくするわざではないかと思い始めるようになりました。女が賢いと言われて良かったことなどあるのでしょうか。算術の得意な高利貸しの未亡人は帳面を取り上げられて部屋に押し込められ、優れた技術を持つ染物屋の女将は魔女と告発されました。既婚者からの誘惑をはねのけて操を守ったはずのジュリアも命を落としました。殿方は女を簡単に破滅させられるのです。殿方の誰かの妻になるのは恐ろしく、かといって女が独り身のままでは生きていくのは困難です。わたしは俗世を離れ、この身を神への祈りに捧げたいと伯父に願い出ました。嫁に出すよりは面倒もお金も掛からないと伯父は承諾し、わたしは尼僧院に入り出家いたしました。
尼僧院に入ってからもわたしは同輩からの妬みを買ってはいけない、また良いものであれ悪いものであれ評判になるようなことはしてはいけないと、日々勤行をこなし、傲慢の罪を犯さぬよう常に謙虚な心を保つよう心掛けました。
司祭様が尼僧院にいらして、若い見習い尼僧を猟犬のような目でご覧になり、ご自身のお使いになるお部屋に呼び寄せて人払いをなさいました。見習いの泣く声を聞きましたが、お部屋の扉を叩くことができませんでした。
詰まらぬ諍いから激しい口論、掴み合いの喧嘩となった尼僧たちが罰として苦役と十日間水とパンだけで過すようにと院長から申し渡されました。それでは身が持たないからと片方の尼僧イレーヌにせがまれ、わたしはこっそりとチーズや山羊の乳を差し入れました。スール・イレーヌは出家したばかりのわたしを指導してくださった方でした。もう片方の尼僧は院長から命じられた通りに水とパンだけで過し、すっかり体力を落とし、落ち込んだ容子になりました。神は恩寵を片方に与え、片方に与えなかった、すべては神の思し召しと尼僧たちは囁き合い、わたしもスール・イレーヌも気まずく沈黙を守りました。
尼僧院で作る品を買い取り、暮らしに必要な物を売りに来る商人が、お世辞半分、色めいた冗談を言っていくことがあります。汚らわしく、恐ろしい。俗人が尼僧に姦通の欲望を抱くのは罪悪ではありませんか! 心の中での姦淫も罪になるとあるでしょう? ですが、心動かされた覚えがあります。
薪売りに付いてくる、少年期を脱したばかりの若い徒弟がにっこりと笑い掛け、主人に隠れてわたしに花をくれました。道端で咲いていたのを摘んだ、受け取った掌の中でしおれてしまうような小さな花でした。でも嬉しかった。殿方を怖いと避け続けていた自分でも幼さの残る徒弟に怯えずにいられました。聖母子と一緒に描かれる天使のように清らかな姿をしておりました。畑で鍬を振るい、手のまめが潰れても、花を受け取った時の気持ちを思い出せば苦しくありませんでした。また薪売りの徒弟と会えたなら、また花をくれるだろうか、笑い掛けてくれるだろうか。そうしたらわたしも微笑みかけるかも知れない、そっと手に手を重ねるかも知れない。徒弟は喜んでくれるのだろうか。想像するだけで心が踊りました。何度も何度も、どのように声を掛けようかと考えてはやめ、それでもやめられず考えた文言を記憶しようと頭の中で繰り返し呟きました。
しかしその徒弟が笑い掛けるのはわたしだけではありませんでした。別の日に薪売りが来た時、ほかの尼僧が対応しました。その尼僧にも徒弟は笑い掛け、花を渡そうとしたそうです。その尼僧は受け取れない、気安い真似をしないでくれときっぱりと言ったそうです。徒弟は平謝りしつつ、ほかの尼さんと違って怖いと言いました。花を受け取った尼僧がいるのか、いたとしたら男性に付け入られる隙があったからだと、尼僧院で問題になりました。薪売りと対応したことのあるわたしは院長から徒弟から物を受け取らなかったかと訊ねられました。花はとうにありません。徒弟のしたことに激しく失望し、屈辱を感じました。わたしは何も受け取っていない、供の者の顔など見ていない、知らないと言い張りました。途中で涙が零れました。疑われた怒りゆえだと院長は考えたようでした。ええ、憤っていたのは確かです。わたしは裏切られたと感じていました。そして身を焼く灼熱の苦しさに耐えるのに必死でした。尼僧が甘い夢など抱くのは罪だったのです。出家の身に本気に好意を示す殿方おりましょうか。いるはずがないのです。わたしはなんと愚かだったのでしょう! 自惚れの罪を自覚させた徒弟を憎まずにはいられませんでした。
わたしに対して咎めはなく、その徒弟の姿は二度と現れませんでした。三、四年して、噂でその徒弟が別の店で働いており、そこの娘と結婚したと聞き、わたしの心は完全に石となりました。
それでも尼僧院で祈りの日々を共に過す同輩たち姉妹と助け合い、手を携えるのを一日たりとも怠りませんでした。万事に置いて控えめに振る舞い、口数の少ないわたしは物足りない人間と思われていたようです。スール・イレーヌはあの一件以来必要な事柄以外話をしなくなりました。寂しいと感じるのは弱さゆえです。人に対する好意が些細なことで逆転して恨みや憎しみになるくらいなら、一人でいるのがいいのです。
同輩たちと共に清貧・貞潔・従順を誓ったはずなのに、誓願通りに振る舞えたとはいえません。わたしは罪深い嘘つきです。
女であるだけでどれだけ罪深いのかと嘆くばかりです。
何故神様はわたしたち女を創られたのでしょう。
いえ、大いなる神の御業を人が推し量ることはできません。傲慢でした。ですが、誓って申し上げます。いつも後悔していました。いつも善人でありたいと願って生きてきました。祈りを絶やすことはございませんでした。
わたしの為に天国の扉は開かれるでしょうか? わたしが本当のことを口にしなかった所為で傷付いた人たちがいるのを神はお赦しくださるでしょうか?
神父は厳かにゆるしの秘跡を与え、修道女はその夜に亡くなった。