相撲に関連する作品(相撲小説「金の玉」「四神会する場所」シリーズは、別途でまとめています)
大横綱の半世紀 ー 大横綱がほぼ絶えることなく継続した直近60年間の相撲界 ー
大鵬、北の湖、千代の富士、貴乃花、朝青龍、白鵬。
直近約60年間の大相撲界は、大横綱がほぼ絶えることなく登場し続けました。
白鵬の引退により、大横綱の時代は、ついに絶えることになるのでしょうか。
この文章は、2010年10月。
白鵬の63連勝継続時期(この文章執筆時は62連勝。この翌九州場所2日目に稀勢の里に敗れて連勝記録がストップします)に、大学時代に相撲同好会で、一緒に相撲を取っていた友人、羽黒蛇氏が運営されていた相撲関連サイトに投稿、ご収載いただいた文章です。
別の文章で「この半世紀は大力士(相撲史上最強豪とされる無類力士雷電がいるのでこの表現にしたが、以後は大横綱と記する)が絶えることなく出現し続けた相撲史上でも特異な時代である」と書いた。
この観点からこの半世紀の大きな流れを記述してみたい。
大鵬の新入幕は昭和35年初場所。今年は大鵬新入幕の五十周年にあたるわけである。
最初に大横綱の在、不在の定義だが、大横綱が存在した時代というのを最も広義にとらえれば、その時点での大横綱あるいは将来大横綱となった力士が最下段までも含む番付に載っていた時代、となるかと思う。
だが、この定義であれば、大横綱がひとりも載っていない番付のほうがむしろ少なかったかもしれない。
番付の最上段、つまり幕内力士として存在した場合としてみるとどうなるだろう。
この定義をとると昭和35年初場所以降現在に至るまでの間、戦後6大横綱が、ひとりも幕内にいなかったのは、昭和46年名古屋~九州。昭和47年春場所の4場所だけなのである(この4場所についても、十両には北の湖がいた)。
大横綱が存在した時代を最も狭義にとらえれば「大横綱と称されるに足るだけの実績を既に残している力士が存在している時代」となるであろう。
では、この観点からこの半世紀を記述してみる。
昭和35年初場所に新入幕をはたし、昭和36年九州場所が新横綱であった大鵬が大横綱と称されるにふさわしい実績を残したと言いえるのは昭和38年の時点であろう。
この時点で優勝11回。年2場所制時代の双葉山の12回にもまだ及ばず、優勝回数だけではまだまだであるが、この年は優勝制度ができて以来の新記録である6場所連続優勝を達成し、30連勝し、年6場所制下の新記録である年間81勝した年でもあるので、これだけの記録が揃えば、この年をもって大鵬は大横綱になったと言えるであろう。
従って以降昭和46年夏場所までは「大横綱大鵬の存在した時代」ということになる。
北の湖は、昭和53年の5場所連続優勝、年間82勝の時点で大横綱になったと言えるかと思う。7年間大横綱不在の時代があったわけだが、やや広義にとらえれば、その時代も、その若年出世ぶりからいって、「将来、大横綱となる可能性が極めて高い北の湖がいた時代」とは言えよう。
昭和60年初場所までは「大横綱北の湖が存在した時代」となる。
北の湖引退の時点では、千代の富士はまだ「大横綱」とは言えないであろう。
昭和59年九州場所から千代の富士の優勝ペースが格段にあがる。
昭和60年年間優勝4回。61年年間優勝5回。昭和61年夏~62年初に5場所連続優勝。その初場所で優勝20回。
53連勝するのは昭和63年だが、この昭和62年当初をもって、千代の富士は大横綱になったと言っていいであろう。
短期間の大横綱不在の時代はあったが、それは名横綱千代の富士が大横綱にギアチェンジする過程の時代でもあった。
平成3年夏場所までは「大横綱千代の富士が存在した時代」となる。
貴乃花は、平成8年秋場所あたりが大横綱になった時期となるかと思う。
その時点で優勝15回。全勝優勝4回。30連勝。4場所連続優勝。3場所連続優勝2回。
前々年、前年と2年連続80勝。平成8年はその時点で70勝5敗。
5年間大横綱不在の時代があったわけだが、その時代は、北の湖以上に若年昇進を果たし続けた(横綱昇進のみ遅れたが、実際に昇進した前年に、北の湖が昇進したとき以上の成績を残しており、このとき昇進していれば、横綱についても最年少昇進)「将来、大横綱となる可能性が極めて高い貴乃花の存在した時代」である。
平成15年初場所までは「大横綱貴乃花が存在した時代」となる(あらためて書くと、貴乃花は大横綱と称されるにふさわしい実績をのこして以降は大横綱にふさわしいだけの成績は残せなかったともいえそうだ)。
貴乃花引退の翌場所が朝青龍の新横綱の場所であった。朝青龍も昇進は早かったが、その年齢をみると北の湖、貴乃花ほどの若年昇進ではなく、この時点では「大横綱になる可能性が高い」とも言えなかった(少なくとも私はそう思っていた)
が、翌平成16年には年間5回優勝。35連勝。平成17年には7場所連続優勝を達成し、年間84勝と合わせ一気に大横綱への道を駆け上がった。
白鵬については、昨年平成21年終了時点、優勝回数はまだ12回であったが、年間86勝という記録を樹立した時点で「大横綱」と称するにふさわしいであろう。
平成22年。斎藤健治氏が発行されている「土俵」紙の年頭所感で「年間86勝は史上に冠絶する大記録。今年は、大横綱と称されるに足るだけの実績を既にのこしている2人の力士の対戦を見ることのできる、相撲史上でも極めて稀な時代である。」と書かせていただいた。
大横綱(大力士)同士の対戦といえば、
谷風-小野川-雷電。
常陸山―太刀山-栃木山。
北の湖-千代の富士-貴乃花-朝青龍がおもい浮かぶが、そのほとんどが対戦した時点では、後者に大横綱としての実績があったわけではない。
過去においては唯一、常陸山-太刀山の最後の対戦のみ、その時点では太刀山にも大横綱と称されるに足るだけの実績があったので大横綱同士の対戦であったと言えよう。」と書かせていただいた。
(このときの文章では小野川については、谷風、雷電という強豪力士にはさまれ、真に第一人者と言える時代はなかったのでは、として排除した)
平成22年、大横綱同士の対戦は実現した。たった1度だけ。
さて、最後、話がそれてしまったが、相撲ファンとなって47年という年月が経過した私が今あらためて思うことは
「私は大横綱の時代しか知らないのだ」ということである。