接触
珍しいこともあるものだ。あのケチな協会が宿泊費を出してくれるなんて。
私は、てっきり馬小屋の宿泊予約でも入れられているかと思っていたが、周辺の建物を見渡すことができる見晴らしの良い高い階で、ベッドの室も素晴らしい。これだけ高待遇だと後が怖いと思いつつも、ホテルでの一日を堪能すべく、備え付けの湯沸かし器の湯をカップに注ぎコーヒーを淹れる。漂う焙煎された豆の香りが安らぎを与える。鼻歌まじりに服を脱ぐ。明日の朝までは、私だけの部屋だからと躊躇いなく下着姿になる。いつになく上機嫌だということに自分でも気がついた。
ネクロマンサーを統括するネクロマンシー協会は、その存在を確かめることができない。
伝説の都アトランティスとか、迷い家とかそういった話が好きな人がその存在を知ったなら、歓喜すること間違いなしだろう。
しかし、残念ながら強い情報統制が敷かれており、私達ネクロマンシー協会に属する者ですらその多くを知ることができない。才能を見込まれたほんの僅かな人材のみが情報開示レベルの付与により、協会との関わりを深めることができる。
では、情報レベルが個々に違う個々のネクロマンサーを適切に管理し、指揮命令を効率的に為すことを可能としているのは何だろうか。あちらとこちらの繋がり、特に戦略的な情報連携はどのように行われているのか。
それらの疑問に対する回答は協会から与えられることはない。ただ、幾度の戦いを経てネクロマンシー協会に所属する私、西行腐楽愛は情報に関して圧倒的な優位にいた。通常は知り得ない情報を知っているのだから。
父の書棚にあったそれを今はどこにでも持ち歩いている。何度も読み返した本の内容は既に脳にインプットされている。けれども、その唯一無二の写本を私は持ち歩き続けている。一冊の本の内容を網羅するだけの時が経過した。情報が常識を変え、彼女に多大なる影響を与えたことで、知識の他に若干の慣れと余裕を享受した。
明日は、ターゲットに接触するという任務がある。協会による指示は意図がよく分からないことが殆どで、いつしかそれを詮索するのも面倒になった。遂行していくうちに次第にパズルが組み合わさって全容が見えてくることもあるし、見えないで終わることもある。
コーヒーを飲み終えると、シャワートイレ別の贅沢な部屋にあるキングサイズのベッドに下着を脱ぎ捨て、洗面台に向かって設置してある固めのタオルをむんずと掴むとシャワーを浴びるために風呂場の蛇口を捻った。水温を確かめるように、少し経ってから手で水をあてる。若干、ぬるいのであるが、温度調節は何処にあるのかがわからない。それらしきものをこれもまた捻る。シャワーが出された指示に応える。
「「冷た!!!」」
声が重なる。分厚い壁を通り越して聞こえた大声は隣の部屋からだ。私が温度調節を修了した頃に、ドアがコンコンと鳴り、返事もしていないのだが、鳴らした人物は私のいる風呂場に走って寄ってきた。・・・何故、服を着ていない?
「どわああああ!冷たいです!!!私の部屋のシャワーが壊れています!!腐楽愛さあああん!!」
と、叫びながら私に抱きついてきたのは、とても小さいが私の上司にあたる、フィア・フィッツジェラルドである。・・・冷水を滴らせながら、バスタオルを巻いてそのまま部屋に入ってきたとしても私の上司である。フィアちゃんと呼んでいるが私の上司である。
「だああああ!!冷てえええ!!」
冷たさから逃れるために私はフィアちゃんの顔にシャワーを当てた。
「あー。温かいですー。」
温水を浴びて幸せそうな顔をしている。少し腹立たしい表情である。だが、私はそんなことで怒らない。高い精神性を持ち合わせた才色兼備な私が怒ることはない。寒かっただろうに。可哀想だからしっかりと温めてあげましょうと、蛇口を捻るとシャワーの水量が増した。
「ぶばばばばば!と、とても温かいです!!ありがとうございます!も、もう十分ですよ!!!腐楽愛さん!!・・・腐楽愛さん!?あばばばば!ゲホッゲホッ!!」
◇◇◇
「ふー。さっぱりした。それで。どうしてここに?」
バスタオルで髪を乾かしながら、訝しげにフィアちゃんを問いただす。
「・・奇跡?」
「なんだ。奇跡かぁ。・・んなわけないだろ!!」
「ぐえ。」
私は、冗談混じりにフィアちゃんをベッドに押し倒して、再会を素直に喜ぶように覆い被さってぎゅーと抱きしめて、頭をわしわしと撫でた。私にとって彼女は気の許せる上司であり、小型犬であり、ペットである。
「久しぶりじゃん。どこ行ってたの。野生化したかと思って心配したよ。」
「えへへ。今回の任務の事前調査に。や、野生化?それで。明日の任務からは、もう一人人員が欲しかったので。腐楽愛さんを呼んだのです。私は、まあ、それなりに?信頼されてますから。待遇は悪くないのですよ。」
ああ。それでこんな部屋に泊まれるのか。ありがたいことだ。
「折角だから高級ホテルを予約しましたが生憎、2人部屋が空いておりませんでしたので、別々の部屋に。」
「なるほど。悔しいけど今回ばかりはフィアちゃんに感謝しなくちゃね。・・あれ?どうやってこの部屋に入ったの?」
「え?ぶっ壊しましたよ?簡単なことです。私にかかれば金庫だって、核シェルターだって。私と腐楽愛さんを阻むものは何もありません!」
自身の犯罪行為を得意げに話す。
「馬鹿か!?馬鹿なのか!?どうすんの!?」
「ぐええ。」
覆い被さったまま、犯罪者の首を締め上げる。断罪の首絞めである。このやりとり、この感じが懐かしいと思ってしまった自分に腹立たしさを覚えた。
「冗談ですって!この部屋の予約名義は私ですから!カード、カードキーを。ぐええ。」
「なんだ。」
それを聞いて腐楽愛がパッと手を離す。
「ひゅー。ひゅー。久しぶりのこの感覚。飢えていたのかも知れません。私が冗談を言うなんて。こ、これで。満足です。」
フィアちゃんから抑えられていた言葉が溢れ出す。いや、抑えられていたのは気道か。メンヘラかよ。
閑話休題。全てが閑話な気がするが、明日の任務にまで戻すとする。巻き戻しよりもチャプターごと戻った方が早いかもしれない。
「ネクロマンサーを電力の使用し、何かの目的のために行動する者と定義するならば。実は必ずしも協会に属する必要はないのですよ。」
フィアちゃんはテーブルにある質の良い背もたれ付きの茶色の皮で出来たイスに座りながら説明する。真面目な話をするときに、彼女が髪をくるくると指で遊ぶのは健在である。説明の時の過多な身振り手振りもちらほら見受けられて、彼女が私の記憶にある彼女と連続性があって存在していることに私は落ち着いていた。
バスタオルを巻いた私はベッドに座り、フィアちゃんの話に耳を傾ける。
「有資格制度、というのは協会側の言い分です。公的機関のような役割を担いながらも、公的だとは宣言しない。ちなみにですが、あちらの国が世界が直接に関係するというのにビジネスの一様に過ぎないというのが、協会のスタンスです。」
「へえ。じゃあ、協会に属していなくても、ネクロマンサーになれるということなんだ。」
「その通りです。民間ネクロマンサー団体とでも言いましょうか。協会のアンチテーゼみたいな存在です。」
フィアちゃんが私の方に一枚の小さな厚紙を投げる。それは回転しながら、ベッドに着地する。名刺だ。名刺を私は拾いあげて確認する。
エレクトロ・プロキシー株式会社。ええと、あと株っていうんだっけ。会社の名前の後に株式会社が付く会社を。
「ありそうな名前だね。」
「『こちら』での擬態ですね。『こちら』にネクロマンサー株式会社なんて名前あったら嫌でしょう。」
確かに。
「こういった様に、一般の会社に紛れ込む形でネクロマンシー協会と同じような商いをする人達の集まりが実はこちらにも存在するのです。」
どっちに正当性があるの?なんて野暮なことは聞かない方が良いだろう。私達が所属するのはネクロマンシー協会なのだから。
「へー頑張ってるんだね。」
「随分と暢気ですね。他人事ではありませんよ。ネクロマンシー協会とエレクトロ・プロキシーを代表とする民間企業や団体。自分の所属するところが『こちら』で稼げないとどうなりますか。私はどちらのお金でも使えますが。」
ん?用意されているホテルのパジャマを着ながら話を聞いていた腐楽愛の手が止まる。
「報酬はそのネクロマンサーが居住している国の通貨が振り込まれますよね。あちらとこちらでお金が世界を跨ぐと、両替なんて出来ないですから。ネクロマンシー協会の本部がある『あちらの国』ではギットが通貨として用いられてます。腐楽愛さんの報酬額は円若しくはこちらの外国の通貨でなければなりませんよね。あちらにはこちらの通貨はありませんし、こちらも同様にです。つまり。」
「ギット相当額のこちらの通貨をこちらで稼いで貰わないと、報酬が減額されるってこと?ただでさえ少ないのに。」
「減額で済めばいいんですけど。ま、そういうことです。ネクロマンシー協会の財布の中身は、こちらで受け取るならば、こちらの稼ぎと同じ金額が上限ということになりますね。」
外貨両替やスワップみたいなことができない通貨、ギット。それは最早、通貨ではないのでは?と腐楽愛は思った。フィアちゃんの話のおかげで明日の目的は大体分かった。要するに、自分たちの属している会社の日本支店の稼ぎがなければ、私の給料が下がる。その要因となるライバル会社の関係者に先ずはコンタクトを取る。
まあ、わかったところでやることは変わらない。陰謀が渦巻いていようとも、誰かに仕組まれた計画の一助となるために、業務を遂行する。フィアちゃんに会えた。内部事情も少しながら垣間見れた。それらの事実だけで充分に満足で、安心した私の睡眠はいつもより深いものとなる。
ぐおおおお。
「あーー!!うるせぇ!!!」
・・・ことはなかった。フィアちゃんが一緒に寝ると言い出して、そのまま私のベッドで眠ってしまった。そしてこのジェット機みたいな騒音は彼女の口元から発生している。金銭面の不安と騒音。私は結局眠ることが出来なかった。備え付けられたメモにボールペンで不平不満を書き殴っても全然足りないくらいに私は腹立たしさを感じた。
そして迎えた当日の朝。太陽が登るか登らないかくらいに快適な睡眠を経て活力に満ちたご様子で彼女が朝を告げる。私の身体を揺らしながら、鳥の囀りやアラームとは比較し難い程のお目目ぱっちりハイテンション爆音が鳴り響く。
「腐楽愛さん!!朝!朝ですよお!!着替えください!!朝食バイキングに行きましょう!!いやー、久しぶりのホテルでの朝食!パンを取った後にご飯もよそっちゃうんですよね、私!そうだ!大浴場も行きましょう・・はっ!」
腐楽愛は言葉を発さない。フィアが話しかけている相手から尋常ではない、夥しい禍々しい殺気が漏れ出ていることに気が付き、話を止める。
無言の圧力。濃くて重量感のある今にも光出しそうな雷雲を見ているかのようにフィアは恐れ慄く。自然の暴力に対して動物は抗う術を知らない。それは人間、とりわけ彼女にとっても例外ではない。自然界の絶対的な力には誰もが皆、従うしかない。
「ご、ごめんなさい。私、また、何かやっちゃいましたか?」
土下座。謝罪の体現。それに身体の震えと涙を添えて。ネクロマンサーという肩書きを外せば、力関係は歴然としたものだった。
朝食を軽く済ませ、風呂も付き合いで入り、その後少しばかりの仮眠をとって何とかホテルのチェックアウトが出来た。寝不足感は否めないが、フィアちゃんに同行することにした。
あんな感じだが、ネクロマンサーとしての彼女はとても頼もしい。いつもなら彼女の持つ能力で瞬時に目的地に連れていってくれる。
しかし、私の記憶にないそこにはワープでたどり着くことができない。一人ずつワープすることも不可能。なぜなら『能力』は私には使えないからである。『あちら』の住人しかない発動のトリガーがあるらしい。それは指導でどうにかなる類のものではないらしく、指示を仰いだところで『こちら』の住人である私には習得出来ない。
しかしながら、我らにも代替の『技術』がある。私達は『こちら』の者達の古から培われた技術を駆使して『能力』に近づくことに成功した。それが『下位の能力』。それはあちら側の蔑称かもしれないが、面白いことに『あちら』の者には使えない技術もあるという。『あちら』と『こちら』の者の間で、お互いに届かない領域があるという絶妙なパワーバランスでこの業界は成り立っている。
だから、私にもそれなりの存在意義があることになる。使命は無くても楽しさや、やりがいがなければ、どんなに残酷な無慈悲な契約で縛られていても、いつかは全てを受け入れて諦めてしまう。公言することはないけれど、腐楽愛はこの業界に慣れつつあることを実感していた。
そんなことを考えていたら、ホテル入り口にフィアが予約していたタクシーが停まった。運転席も後部座席も光を遮断する黒みがかったガラスによって中を確認することができない。
「このようなタクシーは見たことがありません・・あっ。失礼致しました。」
「いえ、私もです。」
ホテルマンが驚くのも無理はない。事情を知ったらもっと驚くだろう。話してしまおうか。ネクロマンサーがネクロマンサーの会社に行きますと。
「ご宿泊頂きありがとうございました。いってらっしゃいませ。」
「ええ。また来ます。とっても良いホテルでしたので。」
「いびきがなければね。」
挨拶を返して、私とフィアちゃんがタクシーに乗り込む。
行き先は勿論。
エレクトロ・プロキシー株式会社!