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第6話



「じゃあ、今は楽しいか?」


「え?」


「俺は……昔の倉瀬さんを知らない」


倉瀬さんが今までどんなことをして、周りからどんな風に思われて、どうやって生きてきたかなんて、ちょっと話を聞いただけじゃわからない。


でも……。


「でも、今の倉瀬さんは、楽しそうだ」


初めて俺の家に来て、ゲームに触れた時。


倉瀬さんは目を輝かせていた。


あれは嘘じゃないのだとすぐにわかった。


「……楽しそう、ですか?」


「ああ、だからもう、いいんじゃないか?」


「何が、ですか?」


「もう、前みたいなことをしなくていいんじゃないかってことだ」


結局、彼女が知りたかったことは知らないままなのかもしれない。


けど、今楽しければそれでいいんじゃないかと俺は思う。


「先輩は……私のことをおかしいとは思わなかったんですか?」


さっきもそんな質問をされたな。


「そう、だな……おかしいとは思う。けど、今の倉瀬さんはおかしくない、とも思う」


何も知らない俺が言うのも差し出がましいことなのかもしれないが、少なくとも、今ここにいる彼女をおかしいと言う人間はいない。


だから俺はもう一度聞いた。


「倉瀬さん、今は楽しい?ゲームは、楽しいか?」


「……楽しい、ですよ。勿論」


わかっていた。


ここ2週間、新しい刺激に慌てるも、コントローラーを握りながら画面に釘付けになっている彼女を隣で見ていた俺にはわかる。


彼女が心からゲームを楽しんでいたのを。


「なら、それでいいじゃないか?」


彼女は今まで、母親が何に楽しさを感じているのか知りたくて、馬鹿げた行動に走ってしまっていた。


楽しいと感じることは、人によって違う。


母親が楽しいと感じていても、それを彼女も楽しいと感じるかどうかは別だ。


そして、彼女が楽しいと感じているのは、今のこの環境────新しいことを知ったこの状況なんだ。


なら、もうそれでいいじゃないか。


「でも……先輩、本当は迷惑してるんじゃないですか?先輩まで変な噂されるかもしれませんよ」


まあ、そうだろうな。


実際、俺と彼女が一緒に帰っているところを見られていたらしいし。


「別に。俺は気にないし」


元々目立つタイプじゃないから、多少噂されたって何も起きないだろう。


「先輩は……私のこと、気持ち悪いって思わないんですか?」


気持ち悪い……か。


今まで何度もそう言われてきたんだろうな。知らない誰かから。


「気持ち悪いって言ったら、倉瀬さんはどうするんだ?」


「……もう先輩には関わりません」


彼女は顔を伏せたままそう言う。


「そっか……」


俺は再び画面の方に体を向け、停止していたアバターを動かした。


モンスターを一体倒し、ドロップアイテムをボックスに収納して付近の街にテレポートした。


「先輩……?」


「ふぅ、やっと素材集め終わった……ほい」


俺は溜まった疲れを一気に吐き出した後、持っていたコントローラーを彼女に渡した。


「えっと……これは?」


いきなりコントローラーを渡された彼女は困惑の表情を浮かべていた。


「今日中にストーリー15まで進めたいのに、素材集めとか、よく分からない過去話とか聞いて俺はもうヘトヘトだ。だから後は頼んだ」


そう言いながら、俺は床に寝転び、視界を腕で遮断した。


「ちょっと、先輩……」


「気持ち悪いなんて、思わないさ」


腕で顔の半分を隠したまま、俺はそう呟いた。


気持ち悪くなんてない。だって俺も……。


「俺も……似たような経験したことあるから」


「え……」


「俺の両親しもさ、離婚してるんだよ。7年前にな」


この話は、今まで誰にも言ったことのない俺の過去を、初めて彼女に語った。


離婚のきっかけは、父親の不倫だった。


それも発覚するまでに、少なくとも3人以上の女性と同時に不倫していた。


離婚した後も、母の悲しみと憤りは当分消えずにいた。


自暴自棄になり、毎晩のように泣きながら家中の物を破壊するようになっていた。


そんな狂った日常は、当時まだ小学生の俺には耐えられる訳もなかった。


部屋の隅で小さくなりながら怯えているだけ。


精神科でのカウンセリングなどによって母の情動が治まるまでの2年間、俺は児童養護施設でお世話になった。


そしてその時、施設にあったとあるゲームと出会った。


今まで見たことのない景色、感じたことのない高揚感に、俺は完全に惚れ込んでしまったんだ。


それが、当時リリースしたばかりのアクションロールプレイングゲーム、『アインツゲイル』。


2年経って、母がようやく落ち着き、俺は家に戻った。


2年もの間、辛い思いをさせてしまい申し訳なかったと母は言うが、俺は施設にいた時間が人生で最も充実していた。


家に戻ってから最初に迎えた誕生日の日に、俺は当時のゲーム用ハード機器とアインツゲイルのソフトを買ってもらった。


それからはもう幸せな時間が続いた。


施設にいた頃の高揚感かんと幸福感に満たされる毎日。


そして気づいた。ゲームという1つの些細な娯楽が、俺の人生に欠かせない存在となっていたことに。


俺はゲームに救われたんだと。



「……俺はすぐにゲームに出会えたから運が良かった。でも倉瀬さんは、自分の居場所を見つけられなかった。ただそれだけの違いさ」


たったそれだけの違いだ。運の悪かった彼女に、気持ち悪いなんて言葉を向ける権利はない。


そして、倉瀬さんは今ようやく楽しいことに出会った。だからもう……。


「だからもう、いいだろ。今楽しかったらそれで、さ」


「でも……本当にいいんですか?私のせいでまた嫌な思いをするかもしれませんし……」


まだそんなことを気にしてるのか……。


「あーもう!倉瀬さんそればっか。もういいって言ってるだろ。そんなこと気にせず早くストーリー進めてくれないかな?」


痺れを切らした俺はつい強めの口調でそう言ってしまった。


しかし、このぐらい言わないといつまで経っても埒が明かない。


「ゲーム楽しいんだろ?まあ楽しくないんなら別にやらなくていいけどな」


「……や、やります!」


ようやく彼女はコントローラーを両手で握り、画面の方に体を向けてくれた。


はぁ、まったく……面倒臭いな。こんな痛い台詞、二度と口に出したくない。


というか、割と本気で疲れたな。ちょっと寝ようか。


ゲームを彼女に任せて、俺はそのまま睡眠に入ろうとした、その時。


「……先輩」


「ん、なんだよ」


「先輩は、私とゲームしてて楽しいですか?」


また卑屈な発言が飛んでくるのかと思ったが、今回は少し違った。


「どうなんだろう……ゲームは1人でしてたって楽しいからな」


実際、俺はずっと1人でゲームを楽しんできたから、もう1人加わったところで何かが変わったと言われれば、そうでもない気がする。でも……。


「でもまあ、倉瀬さんが楽しそうにゲームしてるのを見ると、なんか嬉しいよ」


「そう……ですか」



その言葉を最後に彼女の口は閉じ、小さめの音量に設定したアインツゲイルのBGMが流れるだけとなり、聞きなれたBGMのせいか、俺も睡魔に負けて完全に瞼を閉じた。




───そんな頃、倉瀬は淡々とストーリーを進め、なんとか自力でストーリー15まで終わらせた。


「先輩、終わりましたよ!……って、先輩?」


隣を見ると、広夢は顔半分を隠したまま寝息を立てていた。


そんな広夢を見て、彼女は小さく笑いながら彼の耳元で囁いた。


「先輩……本当に私がここにいてもいいんですか?」


どうせ聞こえてないと思い、彼女はまたそんなことを聞いたのだ。


すると、熟睡しているはずの広夢の口が小さく動く。


「……いいよ……だから、もっと、ゲーム……しよ……」


本当に寝ているのか疑う程に正確な返事が帰ってきて、彼女はくすりと笑う。


そして彼女はふと、あの時のことを思い出す。


痴漢される少し前から、広夢のことには気づいていた。



とても嬉しそうにゲームショップのロゴがついた紙袋の中身を覗き込む彼の姿を見て、彼女はこう思った。


───なにがそんなに楽しいのだろうか。


彼もまた、何かに楽しさを見出している。それが何なのか知りたい、と。



高校で再会した時、本当は彼女の方が驚いていた。


───偶然なんかじゃない。運命なんだ。


彼女は広夢に接触し、近くから探ることにした。


彼が何を楽しんでいるのか。


そして知った。ゲームの楽しさを……誰かと同じ場所で、同じものを見て、感じて、話す。そんな幸せな環境を。



母親の気持ちは理解できないままだが、代わりに自分の気持ちを理解することができた。


───私は……ゲームをするのが楽しいんだ。先輩といるのが嬉しいんだ。



出会って一緒にゲームをするようになってから、まだ2週間しか経っていないが、この2週間が彼女の人生で最も充実した時間になっていた。幸せなな時間だった。


そしてこれからも、この人とそんな時間を共有したい。


彼女は心からそう思った。


「先輩……これからも私に、幸せをくれますか?」


耳元でもう一度そう言ってみる。が、今度は全く返事がない。流石に2度も偶然が起きるわけはなかった。



しかし、彼女の顔には穏やかな笑みが一面に浮かんでいた。



もう少し寝かせておこうと、彼女はコントローラーをもう一度握った。



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