08
ちなみに当然ながら、私は人間の病にかからない。もちろん妖怪にも病気はあるけど、人間のそれとは全く性質の違うものだ。病気と言っていいのかも分からないもの。だから、例え伝染病だとしても、それほど気にしない。
気にするのは周囲の視線になる。さすがに伝染病なのに平気で近づいたら、正気を疑われるだろうし。
「それじゃあ、よろしく」
「はい」
フロストさんが扉を開けて、ただいまという声と共に中に入る。私も続けて中に入る。
家の中はとてもシンプルだ。部屋の中央に食事をするためのテーブルがあって、扉の側には炊事場がある。部屋の隅には木箱がいくつかあって、物入れにしているみたいだ。
外への扉の反対側、そこにも扉があって、フロストさん曰く寝室に繋がっているそうだ。
「おかえり、おとうさん」
けほ、と小さく咳をしながら、ちょっと高めの声で笑顔で言うのは、テーブルに本を広げて読んでいる十歳ぐらいの女の子。真っ白な肌が印象的だ。
お父さん譲りの栗色のショートの髪で、私のことを不思議そうに見つめていた。
うん。この子、すごくかわいい。なんだか守ってあげたくなる。撫でてもいいかな。
「すずちゃん。紹介するよ。俺の娘の、フロイだ」
いいのその名前で。私が言う問題でもないけれど。
「フロイ。何て言えばいいかな……。客人で、すずちゃんだ」
「客人……。お父さん、もうお医者さんは意味がないって、言われたよね?」
お医者さんって。妙な勘違いをされてしまったらしい。
いや、でも、ちょっと待って。私を見て、その勘違いって、普通するかな……?
私がフロストさんに視線をやると、気まずげに目を逸らした。
「目が、悪くなってる。本は読めないこともないみたいだが、人の判別はほとんどできないらしい」
背格好も含めてできないって、それは見えていないのと同じなのでは……。思った以上に、深刻らしい。旅の一発目がこれって、なかなかに重たいよ……。
フロストさんはお仕事がまだあるからとのことで、出かけて行った。残されたのは私とフロイちゃんの二人。どうしよう、何を話せばいいのか分からない。
フロイちゃんは、テーブルの上の本へと視線を戻してしまっている。でも、私のことが気になるのか、ちらちらと私を見ているのも分かる。かわいいなあ。
「フロイちゃん、どうしたの?」
話しかけてみると、フロイちゃんはびくりと顔を上げた。フロイちゃんはまだ何か悩んでいるみたいだったけど、すぐに小さく喉を鳴らして本を閉じた。
「あの、お姉ちゃん。お客様らしいですけど、お医者様ではないんですよね……?」
「うん。違うよ。私はちょっと、旅をしようと思ってるの」
「旅、ですか? じゃあ、その、私に痛いこと、しませんか……?」
「しないよ」
フロイちゃんの中では、お医者様は痛いことをする人となっているみたいだ。治療とかの目的で、血を抜いたりしたのかもしれない。この世界の治療がどういったものか分からないから、何とも言えないけど。
「私はそんなことしない。約束する」
「そうですか。良かったです」
ほっと、胸を撫で下ろすフロイちゃん。思った以上に、不安だったみたいだ。
「旅って、本で見ました。いろんな場所に行くことですよね」
「うん。そう、なるのかな?」
ざっくりしてるけど、間違いではないと思う。私の場合は目的があるわけでもないし、本当にいろんな場所に行くだけだ。
改めて思うと、人から見るとすごく気楽なことを言っているように見えるかもしれない。事実気楽に考えてるけど。
「いいなあ……」
フロイちゃんの、羨ましそうな声。
「そう?」
「うん……。私も、もっといろんな場所に行ってみたいです。この家からも、あまり出られないから」
フロイちゃんは、生まれて間もない頃からずっと今の病気を患っているそうだ。この家で、本を読む生活をずっと続けているらしい。肌が白いのも、外出をしないからなんだろう。日が沈んでから、目の前の井戸まで出ることはある、とのことだった。
なんだっけ。おじいちゃんが見ていたテレビとかで聞き覚えのある症状だ。光線過敏症とか、そんな名前だったはず。日の光とかで肌が荒れてしまうってやつだ。
でも、詳しく聞いてみると、それとはまたちょっと違うらしい。肌が荒れるわけではなくて、体内の魔力が暴走するとかなんとか。
魔力とか私はよく分からないから、本当に何も言えない。
「えっと……。じゃあ、その病気が治るまではお出かけはできないんだね」
私がそう言うと、フロイちゃんはすごく悲しそうに眉尻を下げた。
「うん……。そう」
ああ、これは、見たことがある。今まで何度も見てきた顔だ。生きることを諦めてしまった顔だ。きっと今のこの子は、父親のためだけに生き続けているんだろう。
そしてそれは、フロストさんも感じていたんだと思う。だから私をここに連れてきたんだ。この子に、何でも良いから刺激を与えたくて。
力になってあげたい。できることなら、この子の病気を治してあげたい。
けれど、私にそんな力はない。私にできるのは、好きになった家の人に幸せを届けること。その幸せも、大きなことはできない。探し物が簡単に見つかったり、ちょっとした懸賞に当たったり、なんてささやかなことはできるけど、行方不明の子供を見つけたり宝くじの一等が当たったり、なんて大きなことはできない。
風邪が治るのを早くすることはできても、この子の難病を治すことなんて私にはできない。
「ごめんね……」
思わず口をついて出た謝罪に、フロイちゃんは不思議そうに首を傾げた。
「何が?」
「うん……。何でも無い。少しでも力になれたら良かったのにって思っただけだから」
きょとん、とフロイちゃんはしていたけれど、すぐにおかしそうに笑った。
「あはは。お姉ちゃんが気にすることじゃないのに。そんなことより、お姉ちゃんは違う街とか国から来たんだよね? そのお話が聞きたいな!」
「うん。いいよ。それじゃあ、そうだね……」
こんな小さい子が生きることを諦めてるなんて、私には認められない。でも、何もできない。何度も覚えた無力感に今回も泣きそうになりながら、元の世界のことを、あの家での生活のことを話してあげた。
フロイちゃんは日が傾くまでずっとお話を聞いていてくれたけど、やがてうつらうつらと船をこぎ出して、今ではもうぐっすりと眠ってしまった。机に突っ伏して。
「ど、どうしよう……」
ベッドに連れて行ってあげたいけど、勝手に人の家の寝室に入るのはさすがにだめだと思う。あまりに非常識だ。この世界でも同じ感覚はあるだろう。……あるよね?
仕方が無いので、私は入ってきた扉を開けた。
「フロストさん。フロイちゃんが寝てしまいました」
扉の側に立っていたフロストさんに言う。フロストさんは頬を引きつらせていた。どうしたんだろう。
「き、気付いてたのか……」
壁|w・)盗み聞きする兵士さん。
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ではでは。