5:The decay of my days
『Side→Kisaki YUKIZOME』
私と繭芽が出会ったのはいつだったかな……。そう、確か小学四年生の時だった気がする。あの頃の私はよく苛められてたんだよね。理由は……そう、お父さんもお母さんも……家族が居なくて孤児院に住んでたからだっけ。授業参観に私の両親が来てなかった事が分かってからだったかな……?
今思えば、そんなことで苛めてくるなんて、幼稚だよね。でも、あの頃の私はとても弱くて、やり返すことも言い返すこともできなかったな。
そんな私の前に、繭芽が現れた。まるで、絵本に出てくる白馬の王子様みたいに。確かその時の繭芽はショートカットだったから、余計にね。
繭芽は私のために何度も何度も守ってくれた。
いつからか物凄く繭芽に依存するようになっちゃった。いつも、どんな時も、繭芽に頼るように。
両親が居なかった私にとって、繭芽はお母さんのような安心感を感じ始めた。それが、何年も続いて、いつの間にか高校生になってた。今でも、繭芽は私と一緒に居てくれる。
でも、それももう終わりにしないといけない。
繭芽はいつまでも、私みたいな奴に束縛されていい人間じゃないから。
私だって、いつまでも繭芽に頼っちゃいけない。自分一人で生きていけるようにならなくちゃ。
春から私だって大学生……もう親離れしないといけない年なんだから。
―――――――――――――――――――――
【The End Of Our Days】
――私たちの平穏を破ったのは、突然だった。
ガシャン!!
積み上げた何かが一気に崩れる音が響いた。
「な、なに……!?」
耳を塞ぎ、怯える喜咲。私はすぐに立ち上がり、蝋燭立てを掴んで音の鳴った方へ向かう。
「ま、繭芽……? どこに行くの……?」
「見に行くのよ、音のした所に……! 喜咲、あんたはここで待ってなさい」
「で、でも……」
「いいから! 大丈夫よ、ちゃんと帰ってくるから」
強張る顔で無理やり笑顔を作り、喜咲に見せる。そして、大きく息を吐き、音のした場所……バリケードに向かって歩いて行った。途中、箒があったのでそれを武器代わりにして、オフィスを出ていく。
廊下を歩き、バリケードへ向かう。
――バリケードが破られ、感染者が侵入する……。
そんな最悪な場合を想定し、箒を構えて、静かに近づいた。ただ崩れただけであってくれ、と願いながら、私は廊下を曲がる。そして、階段の入り口のバリケードが視界に入る。
――筈だった。
「なんで……なんで今なのよ……!」
目の前にある筈のバリケードは崩れ、数体の感染者が、その崩壊したバリケードを上り、こちらに入って来ようとしていた。最悪の状況が発生した。早く喜咲を連れて逃げないと……!
バリケードがあった場所から後ずさる私。その時、背後から物音が鳴る。私はすぐに後ろを向いた。
「……!!」
背後にあったトイレの扉が開け放しになっており、そこから一体の男性の感染者がゆらりと姿を現した。
――ヤバイ。
すぐに箒を使ってその感染者を殴ろうとするが、感染者はその前に箒を払い退け、手から離れた箒はガランガランと音を立てて床に落ちる。そして、感染者は大きく口を開けた。
「ぐおああああああああああ……」
――私、ここで、死……。
攻撃手段を失ったからか、私の中の戦意が完全に喪失したのか、足は全く動かない。
私は、喜咲を……喜咲を守らなきゃいけないのに……!
今にも私に噛み付こうとしたその時だった。
「うああああああああああああ!!」
物凄い叫び声をあげながら、喜咲が突っ込んできた。そして、彼女にタックルをかまし、押しのける。私は思いっきり床に転がった。
「き、喜咲!」
感染者は、喜咲の肩に思いっきり噛み付いた。そして、ブチブチッと彼女の肩の肉を引き千切る。ピュピュッと血が溢れ出す。その光景を見て、私は理性が一瞬飛んだ。
――目の前で、喜咲が、噛まれた……。
私は、箒を手に取って、感染者の、顔面を、殴った。
よろけた、感染者は、トイレに向かって、転げた。
「ごめんね、繭芽……」
傷口を抑えてながらその場に崩れ落ちた喜咲を見て、私は正気を取り戻す。
「あそこで待ってろって、言ったのに……! この馬鹿……!」
「あはは……ごめんね……」
痛みに耐えながら笑みを浮かべる喜咲を背負い、私はその場から離れる。火事場の馬鹿力というものだろうか、喜咲の重さは全く感じられなかった。すぐに私はオフィスに辿りつくと、拳銃と地図をポケットに無造作に入れると、迷わず地下倉庫への入り口へ向かっていった。
取りあえず、地下に逃げ込んでやり過ごすしかない。
いや、それ以上に……噛まれた喜咲をどうすれば……。
感染者に噛まれた人間は、ウィルスに支配されて意思を失い、狂暴化する……。きっと、同じ様な症状が喜咲にも現れる……どうにかして抑える方法は……。
「大丈夫だからね、もう少しで安全な場所に……」
彼女を背負いつつ、どうにかして梯子を下り、地下倉庫に辿りつく。倉庫の奥の方にまで行き、放置していた布団の上に喜咲を乗せる。
「喜咲……」
はあはあと呼吸を荒げる喜咲を見て、私はすぐに近くの段ボールからペットボトルを取り出し、彼女の傷口にかけてやると、残った水を彼女の口元に流し込む。少しづつではあるが、喜咲は水の飲み込んだ。私は立ち上がり、マッチや蝋燭の入っていた段ボール箱があったことを思い出し、もしかしたら何か薬があるかもしれないと思った。此処は確か製薬会社の地下倉庫だ、何かしら薬があるかもしれない。それを使えば、感染の進行を抑えることも……。
わずかな希望を基に、私は物資の段ボール箱が積まれた場所に向かおうとする。
「待ってて、喜咲。何か、感染を抑える薬を……」
そう言った時だった。喜咲は傷のない左手で、私の足首を掴んだ。
「喜咲……!? 何をして……」
「もう……もう、いいの……」
弱弱しく言う喜咲に、私は思いっきり叫んでしまった。
「何がもういいの!!」
「ごめんね……繭芽……私、迷惑ばかりかけて……でもね、最期に……繭芽の事、守れて……私いつも、守られてばっかで……でも、初めて……繭芽の事……守れた……」
「やめてよ……やめてよ、そんな最期の言葉みたいなの!! あんたが……喜咲がこうなったのは、私の不注意で……!」
「もうね……腕の感覚……ないや……」
そう言って喜咲は、自分の右腕を左手で示す。
彼女の右腕はすでに変色し、まるで腐ったかのように見えた。完全感染者と同じ色をしていた。そして、その色は徐々に腕から広がって行っていた。じわじわと襟から見える彼女の鎖骨を、侵食していく。
「繭芽……お願い、私の……最期のお願い、聞いて……? 私ね、あんな風になって、繭芽の事……襲いたくない……大切な人……だから、まだ私が……私のままの今……殺して?」
喜咲の告げた言葉は、とても残酷であった。
私の不注意で喜咲が感染した挙句、彼女は自分が殺すように頼んできたのだ。
もしあの時、私がしっかりとしていれば、この様なことにはならなかったのに。
嫌だ、殺したくない。私が、手を掛けたくない。
でも、このまま喜咲をあいつらと同じ化け物にさせたくない。だったら、今、唯一そうできる自分が、やらなければ……。
私は、大きく震える手で、ポケットの中の拳銃を取り出す。そして、右手で引き金に触れ、左手で右手をカバーし、なるべく反動を食らわないように支える。
「……ありがとう、繭芽……」
銃を自分に向ける親友に対して、喜咲は言った。
私は、これまでずっと伝えそこなっていた言葉を、最期に伝えた。
「――大好きだよ、喜咲」
それを聞いた喜咲は、白濁化していく眼球を見せぬ様瞼を閉じ、同時に涙を流して答えた。
「――私もだよ、繭芽」
その時、なんて叫んだかは覚えていない。銃声でかき消されたのかどうなのかすら。ただ、私は大量の涙を溢れさせたまま、銃口を喜咲の額に向け、引き金を弾いた。
数秒後、私の視界に入ったのは、額を撃ち抜かれ完全に事切れた喜咲の姿だった。両腕が、拳銃を撃った反動で痺れている。込み上げてきた嘔吐感に堪え切れず、私はその場に胃に入っていたすべてをぶちまけてしまった。そうか、人を殺すというのは、こういう気分なのか。それも、自分の大切な人間を。
私が殺した。
私が殺しました。
私が喜咲を殺しました。
殺した殺した殺した殺した。
うああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ。
声にならない叫びをあげて私はその場で圧倒的な罪悪感に狂う。
ああ、何もかもが終わった。
喜咲との関係も、平穏な生活も、何もかもすべて。
こうなるなら、 彩乃原未来と一緒に楽園島を目指せばよかったのかもしれない。
でも、それも、後の祭り、結果論。あはは。
ドシャッと、一定の重さを持った何かが地面に叩きつけられる音が響いた。直ぐに音のなった方向を見てみる。すると、梯子の取り付けられている出口の真下に、一体の感染者が横たわっていた。
彼は、関節をありえない方向に曲げながらも、ゆったり立ち上がり、白濁した瞳でこちらを見つめる。私の事を確認したのか、こちらへ向かって歩き出した。
こいつだ。
こいつのせいだ。こいつらがいなければ、世界は滅びずに済んだし、喜咲は死ななくてよかった。込み上げる憎悪が、口から吐き出される。
「お前がぁ……お前たちがいなかったらああああああああああ!」
私はなりふり構わず、拳銃を無意識に片手で構え、感染者に向けて引き金を弾いた。鋭い銃声が鳴るとともに、弾き出された銃弾はなんと一発で感染者の頭を撃ち抜いた。しかし、反動で私は脱臼し、とてつもなく大きな痛みが襲う。にもかかわらず、私は拳銃を何度か撃った。肩がガタガタになろうとも、関係なかった。この憎悪を発散したかったからだ。
放たれた数発の銃弾が、壁に弾かれて方向を変えたのだろうか。マッチや蝋燭の入った段ボールが突如として燃え上がり、中には爆発するものもあった。爆発した数個の段ボール箱が宙を舞い、地下倉庫の出入り口に落ち、大きく炎を揺らす。
炎は一気に他の段ボール箱に引火し、地下倉庫は一瞬で炎に包まれた。私の周りも当然、炎によって包まれていく。すると、喜咲の乗っていた布団が引火し、炎は喜咲を纏って燃え上がって行った。
私は拳銃を手放す。ゴトリと音を立てて拳銃は床に落ちた。そして、脱臼した反対の手で付けていたネックレスを半ば無理やり引き千切って取った。
銀色に鈍く輝いていたクローバーは、今では炎のオレンジ色に照らされていた。
「ふふ……あははは……あははははははははははははははははははははははは!!!!」
もう、笑うしかなかった。
何もかもが壊れて消えていくんだ。
どうせ死ぬなら、喜咲と同じここで死のう。待っててね、喜咲。もうすぐで、そっちに逝けるから。
私の笑い声は、炎の中で永遠に響き続けていた――。