伝聞怪談 夜霧の山道
「そういえばこの間、変わった話を聞いたんだよ。この話をしにきたのにすっかり忘れてたぜ」
運転席に座る男性は朗らかに話し始めた。
「なんだったっけなぁ、たしか……あ、そうそう、隣県に跨る山地のドライブウェイでの話だよ。ほら、あのグネグネした道がずーっと続いてる……そうそう、昔遠足でバス移動した時、お前が酔って吐いたあの道だよ」
「ああ、あそこか……。嫌な思い出を蒸し返して来たな、キミってやつは」
「ははっ!お前が乗り物苦手なのは相変わらずみたいだしな!」
「そうだね、おかげで出不精が捗るよ、まったく。しかし、今のところは大丈夫さ。ちゃんと酔い止めの薬を飲んでいるからね。私のことはいいから、その変わった話とやらを聞かせてくれよ」
「わかったよ、そうせっつくなって。知り合いのドライバーが件の道を通っていた時のことだ。遠距離の取引先まで荷物を運んだ帰りでな、日付が変わっちまった上に、天候も良くなかった。下の方では小雨が降っていたんだが、山道を進むうちに標高が上がって雲の中にでも入ったような濃い霧に覆われてしまったそうだ。その日は早朝からずーっとあちこち走りっぱなしで、いい加減疲れちまってたんでな、山道の途中にあるちょっとした展望広場に空っぽのトラックを止めて朝まで寝ることにしたんだそうだ。幸い積荷は空だし、翌日は集荷に向かうのも昼からだってんで、無理に帰る必要もなかったってわけさ。」
「なるほど、それなら朝までゆっくり休憩してからの方が良さそうだね」
「うんうん、そういうわけで、十分な広さのある広場に頭から突っ込んで、コンビニで買っておいたおにぎりなんかを頬張りながら、ぼーっとしたりストレッチしたり、とにかくゆっくり体を休めてたんだと。さすがに時間も遅いし天気も悪い。こんな日に山道を通る車なんてそんなに多いわけもなく、山の中に静かに落ちる霧雨の音だけが聞こえてくるんだと。」
「めちゃくちゃリラックス出来そうな感じだね、それ」
「だろ?そんで程なくしてもう瞼も勝手に落ちてくるってな具合になったころ、すーっと車のヘッドライトが通り過ぎていったんだ。まぁ、夜中だとは言え道は道。誰か通ることもそりゃあるだろう。霧の向こうからとはいえ、ハイビームにしたヘッドライトの光が差し込んだことでふっと眠気が飛んじまったらしい。」
「寝入り端に光を感じれば、たしかにちょっと目がさめるね」
「だろ?そんでまた目を瞑ってのんびりしてたってわけだ。さっきも言ったようにその日は疲れていたから、程なくしてまた眠気がきた。いよいよ眠るぞって時にな、また、すーっと光が顔を照らしていくんだよ」
「偶然にしても、嫌な感じの偶然だね」
「まったくだ。鬱陶しいことこの上ないぜ。んで、その後も何度も寝入りそうになると窓から光がさしてくるってのを繰り返してな。いい加減鬱陶しいから、車の向きを変えて、荷台の方を道路に向けてやろうって思ったわけさ。そうすりゃ、ちっとはヘッドライトよけになるだろう?」
「なるほど、それはたしかにそうだ。考えたね、そのドライバーさん」
「もともとそんなに車が通るなんて思っちゃいなかったらしいからな。ま、思い立ったが吉日。早速回頭してやろうじゃないかとエンジンに火を入れてふと気付いたんだ。おかしいぞ、ってな。このトラックは、最初から頭から広場に突っ込んで止めてんだよ。じゃあよ、前っていうと何だ?展望台になってる広場の手すりの向こう、深い霧の先は何だ?」
「……何もないな」
「そう、そこには何もないんだよ。ずっと向こうのはるか下に街があるだけ。光なんてさすわけが無い。それに気づいてしまったら、ゾゾゾって寒気がして全身総毛立つわけよ。急いでその場を離れようとしたらしい。そしたらよ、いきなり後ろからバン!って大きな音がしたんだって。びっくりして『ヒッ!』って柄にもなく声が出ちまったそうだ。急いでここを離れないといけないとは思うが、商売がら事故ならシャレにならねぇってんで、なけなしの勇気を振り絞って見に行くことにしたんだと」
「うわぁ、行きたくないなぁ……」
「ほんとそれだよ、絶対行きたくねぇよな。運送屋の悲しい職業柄ってやつさ。懐中電灯と発煙筒を持って震える足になんとか気合いを入れて外に向かわせたんだってさ。『誰かいますか?』なんて声をかけながら荷台の陰にライトを向けてもよ、そこには誰もいやしないわけ。しかしな、バンって大きな音がしたからには何かが荷台にぶつかったはず。荷台に異常がないかライトで照らして確認していったそうだ。するとな、真後ろの荷台の扉にな、真っ赤な手形が1つついてたんだ……」
「それは怖いな……」
「だろ?怖いよな。ま、実はそこは嘘だ。ちょっと盛った」
「盛ったって……」
「本当は何か小動物の死骸だったそうだ。何者かがトラックの荷台めがけて思いっきり投げつけたらしい」
「キミ、それはそれで十分過ぎるほど嫌な感じじゃないか」
「なー、最悪だよな。うちでハリネズミ飼ってるから余計嫌な感じだぜまったく。で、だ。ドライバーはこれはシャレにならないやつだって思ってな、踵を返すと一目散に運転席に駆け込んで、さっさとその場を後にしようとしたらしい」
「そりゃあそんな場所に長居をしようとは思わないよね」
「で、周りを確認して出発しようとしたらまたバンっ!って大きな音だ。ヤバいヤバいって心臓バクバクさせながら車を回頭させるとな、霧を照らすヘッドライトのなかに、何者かの影があるのがわかったんだそうだ。でもな、一瞬のことだし、よく見ていたわけではないそうなんだが、あきらかにその影、人の形ではなかったんだってさ」
「それは、どんな形だったのか聞いたのかい?」
「ああ、霧の中にぼんやり見えたその影は、歪な長さの不揃いな手足、異様に痩せて猫背のような……まぁ、そのようなことを言っていたな。正直どんなもんなのかはよくわからんかったらしい」
「なるほど。気味の悪い話だ」
「んで、その気味の悪い影から逃げるように山道を抜けたドライバーは、這々の体で車を営業所に戻したそうだ。ここまでくれば勝手知ったる俺の城ってなもんで、気力を取り戻したらしい。トラックが傷ついてなんかしたら大変だってんで、帰る前に点検したらしい。さっきの今でよくやるぜって俺も思ったけどよ、やっぱ運送屋のサガってやつかな。山道で何かぶつけられたところを見にいったんだと。そしたらよ、気味の悪いなにかの死骸がへばりついてたところには何もなかったらしい。雨が降っていたとはいえ霧雨程度のあの雨で、後ろ側の扉にベッタリとへばりついていたあの汚れが落ちるとは思えない。きっとタヌキか何かに化かされたのだろうって無理やり納得して家に帰ったんだそうだ。どうだ、変な話だろ?」
「変っていうか、なんというか、本当にキツネやタヌキに化かされたような話だね」
「な。世の中変な話ってのはあるもんだぜ。おっと、そうこうしてる間に到着だ!忘れ物すんなよ!」
手慣れた様子でハザードをだし、私の家の門前に車を停めると、彼はニカッと人懐っこい笑顔をみせた。
「ああ、ありがとう。送ってくれて助かったよ」
「なに、いいってことよ。帰り道だしな」
「キミも気をつけて帰るんだよ、くれぐれも山道で気を抜かないようにね」
「ははは!安心してくれ、俺は化かされるような道は通らんさ」
「いずれにせよ、気をつけておくにこしたことはないさ」
「たしかに、その通りだな。じゃあ、また変な話を仕入れたら話しにくるぜ。美味い飯をご馳走してくれよな。それじゃ、おやすみ!」
「ああ、楽しみにしているよ。気をつけてね、おやすみなさい」
彼の車は軽快なエンジン音を響かせ、角を曲がっていった。私は手を振ってそれを見送ってから家に入る。忘れないうちに今聞いた話を書き留めておかねばならないな、などと思いながら私はコートを脱いだ。そして一人呟くのだった。
「さて、次はどんな話が聞けるだろうか」