大きすぎた聖術の力【幕引き】
「役には、立ったな……」
その声にレオンが振り向くと、ふらふらになりながらも、こちらに向かってくる偉い黒ローブがいる。右手には剣を持ち、その刃はがりがりと地面をえぐりながらも、じりじりと近づいてきていた。
「あんたには少し学ばせてもらったよ……だが、ここで終わりだ……!」
「一人、ならな……」
目の前の敵をまるで興味がなくなったかのように目をそらしつつ、心底後悔しているようなレオンの呟きに、偉い黒ローブは「抜かせ!」と切りかかる。
だが、レオンと黒ローブの間に突如、火球のようないくつもの炎が遮って降り注ぎ、燃え上がる。
「なっ……空からだと!?」
狼狽えた黒ローブに追い討ちをかけるが如く、その後ろから強烈な突風が巻き起こる。それに振り向きながらも風に体を持っていかれ、体勢を崩した。
「嵐の集撃」
高く柔らかく、しかし凛とした声。紡がれた言葉を聴いたあとすぐ、黒ローブは再び腹を貫くような痛みを覚え、その正体──吹き荒れる風の塊を目に移した刹那──
「はっ……!?」
瞳にうつっていたはずの緑の景色が遠ざかっていくと思えば、後ろでレオンを遮っていた炎の壁を突き抜け、視界は紅蓮に染まる。それすらも遠退いていき、黒ローブは火だるまになるような感覚を覚える暇もなく広場を覆っていた木たちに激突する。
風の塊は尚も止まらず、いくつもの木の幹をひしゃげさせては舞い上がらせ、最後に空をも染め上げるような土煙を高くあげたあと、ようやく止まった。
レオンには燃え盛る炎が遮って何をしているのかさっぱりだったし、さっきの光景など理解したくもなかったが、自分達には聞き慣れぬ魔術の詠唱、地形が変わったと確信できる激しい轟音が、たとえ目をつむっていたとしても惨状を知らせていた。
天高く派手に昇る土煙と、追い討ちをかけるように舞い上がった木が地面に降り注ぐ。いかにアンタレス大陸広しと言えど、こんな出鱈目な出来事、起こりっこない。
とにかく助かったのだろう、とレオンは強張っていた顔の力を抜いていると、何もない上空から水が溢れだしては落ち、目の前の炎の壁が押し潰され、鋭い音と共に一瞬にして消えてしまう。
空から炎を降らしたと思えば、山すらをも穿つような風を吹かし、滝のような水を落とす。やることなすことすべてがめちゃくちゃ。
未だ草の焦げた匂いが漂うなか、ぱしゃっ、と地面にできた水溜まりを踏む音がひとつ、またひとつと鳴る。それにレオンはゆっくりと蒼い瞳を向けると、やはりこちらを見つめる少女の姿があった。
いかにも自分を魔女だと訴えるような、藍色の魔女帽とローブ。真っ白な髪、耳のあるべき場所には髪飾りのような羽が添えられている。その姿はレオンとは見知った仲、フェンリー・ファレンシウス。
だが、赤いはずの目は感情のこもっていない虚ろそのもので、まぎれもなく人間ではない。だがしかして、レオンを見つめているのだ。そこにはなんであれ、想いがこもっている。
レオンにとって、彼女の瞳はすべてに憂いた、孤独で、リファとは別の誰かに見えた。
「アレク、か……?」
瞳にうつる名を告げながら、怪訝な目をして身構えるレオンに、"もう一人のフェンリー"は眉間にしわをよせ、悲しそうな笑みを浮かべたあと──
「……レオン王子?」
「……助かった、フェンリー」
少し間を置いてから、レオンは目をそらしながらも言い直した。"もう一人のフェンリー"のあの瞳は儚げもなく消え失せていて、光を灯した赤い眼はきょとんとし、いまいちこの状況をつかめていないようだった。
「助かったって、私何を……あっ」
突然の感謝にリファは戸惑っていると、木々が生い茂る風景のなかであからさまに何かが通ったような風穴を見つける。踏みいった説明は不要か、とレオンはよろよろと立ち上がりながらも、彼女に欠落している情報を端的に述べた。
「お前が黒ローブを吹っ飛ばさなければ、今ごろ俺の首が飛んでいただろうな」
「そうですか……よかった、まだ生きてる」
言いながらも、何を以て判断したのか風穴の先を見据えたあとリファは安堵する。恐らくは吹っ飛ばされて虫の息な黒ローブの、呼吸にも似たマナの流れを感じたのだろう。だとすれば、聖術の使い手としては非の打ち所がないほど優秀と言える。
直剣も握りしめていた辺り心得もあるようだったし、聖騎士団に入っていても何らおかしくはない。彼はどうして、暗殺者にまで落ちぶれてしまったのか……
レオンはそんな黒ローブに毛ほども興味がないのか、目をつむりながら「当然だな」と言うものの、しかし顎を引いて呆れ混じりの不服そうな顔をした。コルト街の周辺で騒ぎは起こしたくなかったのだろう。
「あいつはそういう奴だ。……もし殺すようなら、俺が止めている」
一転、眉をひそめてレオンは低い声を出す。あいつとは、"もう一人のフェンリー"のことだろうかとリファは考えるが、なぜ私の人格のことを詳しく知っているんだろう? と引っ掛かりを覚えた。
◆
「ごめんなさい……救ってあげられなくて。何か、理由があったんですよね」
リファはしゃがんで、灰となった獣人たちに手を合わせて語りかける。
「お前が謝ることじゃない。これはロードライトをまとめきれなかった、俺の責任だ」
草にちりばめられた灰を目を話さず、「やっぱり、ロードライト絡みなんですね……」と弱々しく言いながら、リファは続けた。
「それは、貴方が王族だから……? 貴方の叔父上と、教皇……それだけじゃない。あの国は様々な貴族が辺境で権力を振るっている。そんな人達を黙らせるなんて、無理ですよ……
人間と獣人の溝も……ここが異常ってだけで、本来は……」
「民のことを考えなければ、無理やりにでも力で黙らせれたかもしれない。結局のところ犠牲を恐れただけだよ、俺は。……なのに、こうしてまた目の前に犠牲が生まれていく。
どのみちロードライトという国を変えるには、一度壊して作り直さなければならないのに」
「それって……そんなの、あんまりですよ。貴方のせいじゃない、国を壊すだなんて、どれだけの犠牲を背負うかもわからないのに……」
聖騎士団長の証である、胸鎧の左につけられた小さな十字架の記章を握りしめ「どのみち、立ち止まることは許されない……」と呟いたあと、急に表情を明るくしてリファに語りかけた。
「巻き込んですまなかったフェンリー。そして、もうこの一件には関わるな。……さっき言ったことも、忘れてくれ」
ずるい、とリファは思った。そんなことを言われたら尚更放って置けなくなってしまう。けれど彼の背負うものを聞いたところで、自分に一体何ができると言うのだろうか?
血筋も、地位も、肩代わり出来るものなど何一つない。それでも、そんな彼に無理を言っても聞かねばならぬことがあった。預言者がこの一件に絡んでいるかどうか。
正直、憚られた。レオンの背負うものを増やすだけなのではないかと。けれど……関わっていないかもしれない。関わっていないと信じたかった。願望がリファを突き動かす。レオンに向き直って、リファは尋ねた。
「……忘れます。けど、ひとつ答えてください。お師匠様は、預言をなされたのですか?」
「……ああ」
レオンの答えを聞いた瞬間、リファは表情を凍り付かせてうつむいた。絶望していると言ってもいい。よほど動揺したのか、途切れ途切れに、彼女自身も分かっていることを聞く。
「お師匠、様の、ご容態は……?」
「……眠りについて以来、目覚めてはいないそうだ。もう、長くない……だから、一段落ついたらロードライトに戻ってやれ」
「……いいんですか?」
「ああ。俺が何とかする」
レオンの言葉に「わかり、ました」と答えながらも、未だ狼狽えるリファ。……レオンはあえて、自分を責めさせるようなことを言うことにした。
「どうして止めなかったとは、言わないんだな」
「だって……仕方ないじゃないですか。お師匠様が決めたことなら、きっとこの世界のためになることなんです。だから……私は、その思いを……無駄にするわけには……」
「そうか……決まりきったことを、悪かった」
「だから、許せないんです。預言を自分のいいように使おうとする奴等が。お師匠様の、世界を想っての祈りを踏みにじって、他人事みたいにのうのうと生きて……!」
涙ぐみながらもぐっと拳を握りしめ、リファはレオンに当たるように声を震わせる。冷静ではないのだろう、レオンの心の内には気が付かない。そして、静かに尋ねた。
「……もうひとつ、教えてくれませんか」
「……ああ」
「どうして、こいつらは……お師匠様の預言を知っているんですか……?」
「やはりお前も引っ掛かるか……こういう暗殺部隊もあるくらいだ。恐らくは、王城の至るところに息がかかっているのだろうな」
推理をする割には、レオンの顔は深刻そのもので、まるで自分は罰を受けているんだというようだった。
リファは、レオンの言葉が嘘だということはすぐに気が付いた。本当にそう思っているなら、このひしひしと伝わる、胸を締め付けるような息苦しい感情は一体なんだと言うのだろうか。
「もしかして、貴方が……」
「リーシャの存在が知られてしまえば、俺は廃嫡ではすまない。祖国を信用せず、必要な情報を黙っていたのだから。
ただでさえ獣人に肩入れしているせいで、王位を継承できるかも危うい──」
「それが! ……それがもし、本当でなくとも……ここにいるみんなに誓えますか? 貴方は、預言を自分の為に利用する人ではない、誰かの為に使うと!」
「……ああ、誓う。この身はすでに、俺のものじゃない」
「だったら、信じます。たとえ嘘でも、優しい嘘だと信じていますよ。……私もきっと、あなたと同じみたいですから」
「……」
レオンが返したのは、沈黙。これ以上踏み込んでも、互いを傷つけるのだろうと分かっていたから。
リファも同じく。この人の覚悟は本当なのだと思った。忌み嫌っていた心を読む力が、まさか他人を信じさせることになるなんて思わなかった。
ただ、ずっと後味の悪い静寂のままではいられない。
「いつまで経っても変わらないな、お前は」
「そんなに、変わって欲しかったですか? ……いやそりゃあ私だって変わりたいですけど」
唐突に変わらないな、と言われたのを純粋に疑問に思ったようで、きょとんとした顔で聞くが、後半はすぐに恥ずかしそうにそっぽを向きながら、早口に小声で、しかしはっきりと言う。
微妙に噛み合っていない。リファは大人っぽくなりたいという、単純な人の魅力の問題と見ているが、レオンは戦場に居すぎて、精神的に何か変わってしまったのではないだろうかと心配しているのだ。
リファの受け答えに戸惑いつつも、やはり変わってないなと確信したレオンは、強張っていた表情を破顔させつつ答えた。
「安心しただけだ。……いつまで立っても変わらない人間なんていないから。望もうが、望むまいが」
「そう、ですか……って、そんな哲学的な話をしてるんだったら、さっさと人質持って会議に行ってきてください! もうレギンさんとアルベイドさん集まってるんですから!」
「ああ、その件に関しては問題ない。紹介がてら、代わりに副団長が行く。リネーラも聖騎士団のとこに寄っているはずだし、大丈夫だろう」
「団長の気も知らないで、貴方という人は……もういいです。けど、顔ぐらいは見せておいてください」
目をそらして「すまないな、用事があるんだ」と申し訳なさそうに言いながら踵を返そうとするレオンに、リファは「あそこの不届きものは持っていきませんからね!」と耳辺りの羽を逆立たせながら怒鳴り、物凄く怪訝な顔をした。
まさにこれ以上は我慢の限界だという訴えに、レオンはしぶしぶ偉そうだった黒ローブがぶっ飛んでいったところ──ひしゃげた木々をちらりと見たあと、急に目尻を上げて真剣な表情になる。
気取ることなく、まるで気のおけない友人を見るような瞳でリファを見据えながらも、変わらずさっきと同じ口調で話し始めた。
「……わかった。その代わりくれぐれも、この一件と俺のことは内密に頼む」
「身勝手な都合ばかり……はあ、わかりました。少なくとも、義務感で動いてるみたいですから」
あきれた、これ以上の追求は無意味というような顔でリファは返した。それは結局のところ信用の裏返しで、恐らくはリネーラたちに無用な事を知らせて、動揺や心配をさせたくはないのだろうと考えることにした。
はぁ……とため息をついたあと、何故頑なに自分のやっていることを隠すのか、どうしても事情があるのか、問いただしたいことは山ほどあったが、レオンを追い詰めるだけだと口を固くつぐむ。
考えを読むこともできたが、リファはそんな気になれなかった。できれば、もう二度と"他人にうつる自分"を知りたくはない。たとえ知って、喜びを覚えたとしても、自分が傷ついたとしても、このちっぽけな好奇心とは吊り合わないほど、嫌だった。
そして一度知ってしまえば、大きな運命に絡めとられてしまうような底しれなさがあった。具体的には、野望のような何か。彼についた様々な肩書きが思わせるのかもしれない。
リファが考え込んでもしかたないと頬を緩ませていると、レオンはいつもの優しそうな顔、だが、少し張り詰めた空気を漂わせながらも、話した。
「すまないな。お前にはまだ、迷惑をかけるかもしれない」
「……言う人、間違ってませんか?」
「……俺にはもう、その資格がない」
微笑みながら言うリファに、レオンは一瞬呆気に取られたあと、戸惑いながらも返す。そして逃げるように背を向けながらもこの場を後にする。
レオンは最後まで、リファがわざと話題を噛み合わせなかったことに気が付かなかった。彼女がある程度心を読むことができるのに、話題が噛み合わないなんてことはない。もし取り違えて噛み合わなくても、必ずそれに気付く。
以外と、彼はつめが甘いのかもしれない。
──心配されるのは、ありがたかったけれど。でも、今のあなたが気にかけるべきは、私のことではありません。そうなんでしょう?
まだ日差しは変わらずに私たちを照りつけている。どんなことがあろうとも、何事もなかったかのようにいつもいつも少しずつ西へ傾いては、消えていく。
この世界に生き物がいなくなっても、ずっと大地を照らしては消えていく。
そして今も。だけど、傾いた日は二度と戻ることはない。……だから後悔のないよう、私たちは進み続けた。たとえ人の命を踏みにじっても。
◆黒いひし形◆
そろそろサルバさん達が高原に出る頃かな、と思いながら、リファは森の中にたたずむ広場を後にしようとすると、辺り一面に散らばる捻れ尖った白骨が視界にちらりとうつる。
「あれ、これって……」
元は肋骨だったのだろうと思わせるような骨。レオンがそうとう優秀な聖騎士でなければ、これは彼が作ったのだと思うことなどリファには出来ずに軽いパニックに陥っていただろう。
であれば特に問題のない事柄のはずなのに、なぜ彼女の目にとまったのかというと、この世界において骨はとっても便利な代物だからである。
まず、聖術の力は生物にとっても宿りやすい。この事柄は魔物という例外があるものの、生きるものすべてと親和性が高いことを示している。
今のところはマナとかいう物質をなんか唱えることによって勝手に傷を治してくれる、出自もよくわからない力なのだから、そりゃ当然と言えば当然なのだが……
それはそうと、骨は分かりやすく聖術の触媒に適している。固く、ねじ曲がりにくい。クロスボウのボルトにでもして聖術の光と共に放てば効果的に魔物を殲滅できるし、強度から再利用がしやすい。
(現実の言葉で解説するなら、骨は剛性と靱性(内部でのヒビの入りにくさ……要するに割れにくさのこと。基本剛性と靱性は反比例する)を併せ持つ意外とすごい奴なのだ)
──あ、や、でも持っていってしまうと「レオンさんが作ってくれました!」とか説明しないといけない気が……
絶対に怪しまれる。単に必要な素材として精製したのであれば、それは必要とする人の近くで行うと考えるのが自然である。他人が素直にその説明を受けとれば、必要とする人というのはリファである。
「なんで聖術とは無縁な魔術師が作ってくれだなんて頼むんだ?」と思われれば追求は免れないだろう。骨、と端的に述べても言い換えれば動物の死骸である。
どんなに見てくれが生々しさからかけ離れていようと、そこに一定の想像力と不信感が働けば……もしかすると「てめえ墓漁りでもしやがったな!?」と疑われかねない。魔物が攻めてくる予兆まである状況でそれはまずい。
不信を逃れようにも、素直にすべて話せば、この一件は内密に頼むというレオンの意向を無視することとなる。
「うーん……誰のものでもないでしょうけど……せめて、安らかに眠ってください」
捻れ尖った白骨を、リファはこの場で埋めることにした。それは偶然にも、レオンが背負った人の死の具現を代わりに受けとめ、慈しむこととなる。
そんな資格は欠片もない、彼の代わりに。




