大きすぎた聖術の力【後編】
三つの黒ローブは街にちりばめられた、尖った朱色の屋根を次々に飛び移ってゆき、レオンも続いて追いかけながら、しかし止まれ! だとか、静止の言葉を彼たちにかけることはない。
両者の差が縮まることはない以上、止まるとも思えないし、止まられたら困る。聖術で強化した肉体でも追い付けないということは、同等の能力を持つ人間か手練の獣人で、恐らくは両方。ここでそんな奴等と戦闘を行うのは危険極まりない。
人間と獣人が手を取るのはコルト騎士団の特徴とも言っていい。どうみても怪しいのは向こう側だが、はたから見れば仲間割れしていることになる。
ここで引っ捕らえたとして、奴等の中に人間が混じっていると非常にまずい。最終的にはコルト騎士団の不祥事として扱われかねないし、あの黒ローブたちの動機はどう処理する?
訓練兵や見張りの存在も念頭に置かなければならない。人質にでも取られれば厄介だし、戦闘の目撃者ともなり得る者たち。そして、"闇に怯える子供"と聞けば、リーシャと繋げりうる。
弁解のひとつでもすれば誰かにリーシャの存在を感付かれるかもしれないし、一瞬の間でも疑われることに問題がある。そんなどうでもいいことを証明している時間も惜しい。だから、見えないところで始末する必要があった。
事が起こったルーク街のある北でも、今ごろ大忙しなエイン東城壁でもない南に向かっているのが不幸中の幸いといったところだろう。警備が手薄で、見られる可能性が低い。
いくら王子と言えども、変な噂が流れれば否定することは難しい。どのみち残るのは疑念と不安を煽るような事実だけ。このコルト街にもまだ人を殺すような奴が隠れてると皆が思えば、戦いどころじゃない。
敵は魔物。そして倒すためには誰もが団結し、信頼しなければならないと考えているが──その実、レオンは誰も信頼していないようにも思える。
人は噂程度で簡単に変わり、流されやすい。他人の言う正義には目がなく、そのくせ追い詰められれば自分だけが正義だと言い張る。少なくともレオンは実際にそんな人間を見てきて、知った気になっていた。
もちろん全ての人がそうとは言わない。だが、人にそこまで期待しないというのがレオンの生き方だった。彼にとってはまるで全てが駒。人に役割というラベルを貼り付け、役割以上の働きは一切考えもしない。
だから、妙な噂など広める奴は騎士団の中にはいない、などと信頼する──他人に自分の何かを預けるということをしない。結果的に、全てを抱え込みやすい人間になっているだけ。
サルバにリーシャとアリンを頼むと任せたのだって、結局は使い魔を通してリファに知らせ、守らせるためでしかない。そのはずだったが、結局はレオンにも分からなかった。
あの時、自分にああ言わせたのは大切なものに見ず知らずの人が近付いていることへの嫉妬か、単純に心配なだけだったのか。それとも、ついつい信じてしまったのか?
「くだらない……」
自分を嘲る言葉のわりには、レオンの頬はゆるんでいたが、これは自分を嗤っているのだ。この男は自分自身すらをも信頼していない。経験から人を信頼しなくなったように、きっと──
自分にかまけるような時ではない、とまっすぐと黒ローブたちの背中を見定めながら、朱色の屋根を蹴りあげてはまた別の屋根に着地していく。まだ聖術による肉体強化は続いている。大気のマナの量も感じられる限りは万全そのもの。
ちなみに黒ローブたちは人間と獣人の集まりだと見破れたのも、そのうちの一人だけ、周囲のマナを取り込んでから屋根の上へ飛びうつったから。
マナとは本来見るものではなく"澄みきった気の流れ"として感じるもの。リファやサルバには青い光と見えても、その他には誰もマナをとらえることすらできない。
──もうすぐ街壁、ここは奴の狙いに乗ってやる必要がある……
コルト街にも籠城をするための壁がある。エイン東城壁ほどの大きさではないにしろ、灰色の壁は近付いてみれば視界を覆いつくし、辺りは影で暗くなり、風が一段と冷たさを増していた。
壁のてっぺんには少なからず見張りがいて、地上から逃げるには必ず通らなければならない。だが、黒ローブたちはこちらがコルト街では戦いたくないということを知っている。
だからわざと逃げた。決して強行突破しようなどとは考えていない。しかもレオンが少なくとも見張りに対して命令できる、上の立場だということも折り込み済み。
そして逃げたあと、奴等はどうするか? 街で駄弁っていたときから、追手を撒けていないことには気づいていたはず。黒ローブらの狙いがレオンを誘い出すことに切り替わったのなら、何らかの策を講じるという合図。
ならば、狙いのなかで考えられるのは他の仲間と合流してレオンに仕掛けてくるという手を取るだろう。その場合は待ち伏せからの奇襲が濃厚。
三人だけで援軍が望めないのなら、最初に見つかった時すぐに排除するしか手はないはずで、生かしておく理由もないにも関わらず逃げたからだ。
なまじ周到なだけに読みやすいが、こちらに戦略的な対抗手段があるとすれば地形によるもの程度しかなく、単騎で飛び込む上に敵が何人いるかもわからない状況。つまりは、圧倒的に不利。
──いいや勝てる。もう間違える訳にはいかない……
壁に差し掛かるなか、レオンは一層顔を強張らせながら逆立った鍔の剣を手にかけ、抜く。
ほぼ同時に、黒ローブたちは空高く飛び上がり、やがて城壁を飛び越える。彼らが最後に飛び乗った屋根はずたぼろになっていて、今にも瓦がくずれ落ちそうになっていた。
あわせてレオンも一瞬姿勢を低くして、全力で跳躍する。瓦がみしみしと悲鳴を上げ、その破片が飛び散るほどの力をこめるも城壁の半分程度の高さまでしか届かない。
本来鈑金鎧プレートアーマーの弱点とは機動性に欠けること。聖術で無理やりごまかすことはできるため、聖騎士団は基本的に鈑金鎧なのだが、こういった瞬間的な加速が必要になってくる場面までは無視できない。
それが身軽な軽装との差。レオンは抜いていた剣を思いっきり石の城壁に突き刺し、柄を足場にしてもう一度跳躍する。しかし差は埋めきれず、その間に黒ローブたちは城壁に隠れ、一瞬また見失ってしまう。
「なっ……! 何者だ貴様ら! あっおい待て!」
野太い声と、激しく葉っぱがこすれるような音が聞こえる。恐らくは見張りのもので、黒ローブたちは有無も言わさず逃げおおせたのだろう。
城壁の歩廊に着地したレオンは、今にも身を乗り出そうとしている見張りを見てこう言い放つ。
「よせ! 敵襲じゃない」
「せ、聖騎士団長どの!?」
「すまないただの実戦教育だ!」
「そんな連絡は……あっ、お待ちください!」
見張りは手を伸ばして引き留めるそぶりを見せたが、レオンは無視して、すぐに地面が見えぬほど生い茂る木々の中に飛び込んだ。
「……一体、なんだってんだ……」
レオンの消えた先を城壁から覗きこみながら、わけもわからずおいてけぼりにされた見張りは、こらえきれない不満を言葉に残す。
大抵のことは知らない方が幸せだというのに、なぜ人は分からないことを嫌がり、好奇心を満たそうとするのだろうか?
◆
「作戦通り所定の位置まで誘い込み、待ち伏せ班と共に追手を包囲する。」
偉い黒ローブは引き締まった声で言いながら立派にそびえ立つ木々を蹴って進み、「この手を使うはめになるとはな」とため息混じりに付け加えた。
「追手もこちらについていることですし、囮の班も合流して10人で迎え撃てます」
「ああ。しかし、上手く撒けたと思っていたが……」
レオンが見付けて追っていたのは、確かにこの黒ローブの三人組だったが、目を離した隙に、途中で別に連れてきた者たちと入れ替わり、反転してコルト街に一直線で向かっていたのだ。
つまりレオンが聖術を使ったあとに捉えた黒い影は囮で、しかも撒かれてしまっていたということ。
ここまでは偉そうな黒ローブの予想通り。囮は逃げ足に見込みのある獣人を選んだつもりだからだ。あまりにも使えそうだから念には念を、「撒けたら合流地点に戻れ」と指示するほどに。
しかしコルト街の、教会から山脈高原への抜け道を知らない彼にとっては、どうして追手がこちらについているのかがどうしても気掛りだった。囮が振りきれなかったとしても、山脈方面にいなければおかしい、と。
「囮がこちらに擦り付けたとも考えられん……」
「当時、周囲に味方の影はありませんでした。考えられるとすれば、敵も二人いたのかと」
「最初から全てお見通しだった、と? だとすればまずいな……囮の班とはこれでもう連絡も……いや、いい。合流地点に行けば全てわかることだ」
相手の策については情報が少なすぎていくら推察しても結論が見えないと考えた偉い黒ローブは、自分達に落ち度があるのではないか、と視点を逆にした。
顔を隠すのは当然として、あえて日中に服装を黒く統一したのは仲間を認識しやすく連携を円滑に進め、かつ万が一に備え獣人を監視下に置く狙いもあったのだが、保険に手間をかけすぎて結果的に見つかってしまっている。
本末転倒という他にない。緑色なら少しはバレずにすんだかもしれないな、と己の浅はかさに苛立ちつつも顔には出さず、ただ草木を掻い潜るように走っていく。
「しかし、よろしかったのですか? 追手が仲間を呼ぶこともあり得るのでは……」
「鈍いな貴様、あるはずがない。こちらの狙いにいち早く気付き、"闇に怯える子ども"を逃がしたということは、奴もごく一部の秘密を知っている側だ。
そしてコルト街で仕掛けて来なかったということは、表沙汰にはしたくないという意思表示。それに沿って動けば、手に取るように招待状は出来上がる……
そして奴は──」
「恐れながら、追手は見える範囲にいないようですが……」
「何……? あの"なりそこない"、追ってこないのか……? まあいい、一度合流するぞ。相手は全身に鈑金鎧をつけながらでも、我々を追い続けられるほどの聖術を持つ。我々だけでは手に余るからな」
そうして話しているうちに、合流地点にはすぐ着いた。回りを木々に囲まれつつも開けた所で、日の光が眩しいせいでよく目立つ。
偉い黒ローブたちが足を止めると、木々に隠れていた新しい黒ローブたちが顔を見せ始める。全員合わせて9人で、一人足らなかった。
あのとき見繕ってやった獣人は囮役を買って出たか、と役に立ってくれた事には感謝しつつ、呆気なく消えたことには骨折り損だったと少しがっかりもした。
まあいい、と偉い黒ローブは慈悲一つない冷酷な目で、開口一番に命令した。無事を確認するだとか、仲間意識などいらない。
「貴様ら、黒硝子くろがらすを噛んでおけ」
黒硝子という言葉を聞いたとたん、黒ローブたちは動揺の声を上げながらたじろぐが、「そうか、ガラスが突き刺さって痛いか」と言いながらナイフを抜く偉い黒ローブの姿を見て、すぐに姿勢を正す。
ナイフには黒い液体がべっとりとついていて、たびたび地面へどろりと落ちては花を咲かせている。
人を支配しているということに偉い黒ローブは思わず笑みをこぼし、目を細めながら軽蔑混じりの余裕な声で自己を満たしていく。
「それでいい、もとより私達に逃げ場などないのだから」
悪魔のような笑みから一変、誰も命令通りに動かないことに「……どうした、早く噛め」と、偉い黒ローブは苛立ちに声を震わせれば、黒ローブたちの口から一斉にぱきり、と何かが割れたような音がなる。
すぐに彼らは冷や汗をかいて顔をみるみるうちに白くさせてゆくき、まさにこれから自分は死ぬのだと言っているようだった。
「安心しろ。ここで生き残れば、聖術で助けてやる……貴様らは汚らわしい獣人といえども、約束は違えんさ」
軽蔑と哀れみを一つにしたかのような、心配すらしていない顔で偉い黒ローブの男は言うと、口の端を吊り上げて肩を震わせながらクックックッ、と笑った。




