光と願いの裏、おぼろげな影
暗闇に吸い込まれるように流れてゆく水。
枯れ草がはじけるように燃え、風が吹き抜ける。
石に囲まれた暗闇を、壁から突き出た燭台の火が暗く照らすなかで、がしゃりと鎧の鈑金が大きく響いた。
「誰も、見回りに来てないのか……?」
わざとらしく言いながら、青い瞳で後ろを見返せば光と緑だけが覗かせる。
発した低い声はこだましながら遠く離れてゆく。それに返ってくる言葉もなく、ただ沈黙が続いた。
やがて音を立てているのは──歩いているのは……
ここは自分一人なのだ、と思考が巡ると、強張った目元を緩ませる。
そして走っていたのか、少しの息を安堵と言うには荒げについた。
頬をつたう汗はやがて、白い胸鎧に落ち滴って見えなくなる。
──このままでは、全てが無意味に終わる。
思えば、青い瞳は再び強張る。
後ろにわずかばかりにくくった金色の髪をなびかせながら、わずかな焦りで踵を鳴らす。
腰に下がった剣の柄に右手をかけると、金属は音をたてながら右手の重みだけ剣身を逆立てた。
両手で振るうことを前提にしたそれは、右手だけでは隠れない柄。
繊細に仕上げられた1メートル程のやや細身な剣身。
その刃は黒ずくめな鞘に入っていても鋭さを感じさせ、鍔は十字架を嗤うように刃に向かって左右に張り出している。
少し垂れた優しげな目を歪ませて、睨むように目をこらす。
失敗の余地などないように。
彼の思う"全て"が、どんなに重いものなのかを裏付けるように。
徐々に薄暗くなってゆく下水道のなかで、石を叩く金属の靴底と、ゆれ動く身体に合わせた鎧のこすれ合う音が響きつづけた。
進めば進むほど身体が薄暗い空間に溶け込み、後ろも暗闇ばかりが広がるようになる。
夜目もきき始め、もうコルト街に入ったか、と思うぐらいには歩き続けた頃。
しかし、孤独なひとときも終わりを迎える。
足音が反響した。
人のものであるが、しかし自分のものではないと知ったとたん、眉間にしわをよせる。
だが動じることはない。歩きつづけろ。
でなければ気がついたことを悟られてしまう、と脳裏に身体への命令を浮かべた。
──数は、三匹? いや……
三つぶんの足音のなかでもひときわ小さい、いや軽い音が紛れていた。
子供、それと同等。そんな者は、彼の頭のなかで二人しかいない。
もっとも、どちらも好んで外に出るようなことはないだろう。
とりわけここは非常用として、原則的には立ち入る人間はいない。
その理由はコルト騎士団内でも、口に出すことすらはばかられている。
嫌な予感が彼のなかで駆けめぐっていた。
まだ日の光を浴びていたときに、見ていたから。
いくつもの木々のなかで、枝木をしならせた三つの真っ黒い影。
それはひとときの閃光、まるで流れ星のよう、瞬きの間に消えた。
コルト街に落ちた隕石の跡が、そんな想像をさせたのかもしれない。
木の葉が擦れあって、そして舞い散るまでがひどく長い時のように思えた。
「待て! 何者だ!」
反射的に叫んだのもつかの間、踏みしめていた大地を蹴り、消えた先へ走った。
生い茂る木々が行く手を阻むのをなんとか退けながら、しかし鎧が音を立てて体の自由を奪っている。
その上、坂をなぞるように岩たちが各々の絶壁を以て、目の前に立ちはだかる。
「チッ……! "光よ授けよ! 遠い遠い彼方まで、均衡を成すために!"」
体が飛び上がるなか、皮膚という皮膚が一斉に悲鳴をあげるように音を立てて、その形を膨らませるのが、籠手から窮屈になっていく感覚がわからせた。
その手をぎゅうっと握りしめる。全身に駆け巡る痛みを、更なる痛みで塗りつぶすように。
そしてガラスをこすり合わせたような音が響いたかと思うと、全身の鎧の隙間、かたびらから風が吹き抜ける音。
自らの筋が躍動し、わずかな動きでさえしぼんだり張ったりを繰り返す音までが聞こえる。
そのなかで、まだ遠くでかさかさと葉と葉が擦れあうのが聞こえる。
そして、地に足をつけた時、その地面がくぼんでめくり上がった。
刹那、身体はまるで風に吹かれる羽のように軽々と絶壁を飛び越え、足場のない壁すらをも蹴り、跳躍した。
林を抜けて、日の光が辺り一面に照らされた断崖の荒野が広がる。
光に怯まずとも、びりびりと風が頬と耳を通りすぎ、まるでもげてしまうような痛みが走る。
それにぴくりとも口を動かさず、代わりに青い瞳が見開いて黒い閃光、追うべき者たちを捉えた。
少なくとも、魔物ではない。あいつらにそんな逃げる理性など、存在しないからだ。
聖術によって身体の一部を補う力。繊細にマナを操る能力が必要であり、なければ最悪肉体が破裂する危険なもの。
あっても、命を削ることには変わりなく、それが聖騎士団と聖術士の差異。
命を紡ぐはずの聖術すら、人間の都合の為なら、戦いの道具にもなりえた頃の名残。
聖騎士団というものが今まで体制を成してきたのも、常に何かを捨てる力、あるいは決断だった。
誰かの命を、守るために。その誰かというのはいつもわからないけれど、彼ははじめからそれを決めていた。
その為、その為だけに、今ここにいる。
それでも、追いかけども差は縮まることがない。
獣人か、もしくは同じ力。彼と三つの影はコルト山脈の麓を駆け上がってゆく黒白を描いた。
しかし、黒は突如として断崖の中へと彼の青い瞳から消え失せる。
瞬きの間だけ遅れて彼もその中へと降り立つと、茂みが声をあげた。
コルト山脈の高原域、その端。辺り一面に草だけが埋もれ、その匂いを運ぶ風が広がる平穏な場所。
しかし、その間に黒い影は今度こそ本当に彼の瞳から消え失せた。
平穏は少しも乱れることなく、ただ時を刻み続けていて──
「……撒かれたか……!」
悔しさ混じりの声が響くだけだった。
そして高原域にある炭鉱の跡地を使い、今はコルトの下水道に足を運んでいる。
もし奴等が東城壁に向かったのならば問題はなかった。
魔物がもうすぐ来る状況のなかでは、油断も隙もありはしない者たちばかりが集まっている。
やつらの目的など知るよしもなかったが、回りくどくここまで潜りこんだのも、全てリーシャをさらう為だとしたら。
どこで知られたなんてことはいい。
たとえ何も知らなくとも、彼女の金色の髪はしがらみを呼ぶ。
いまこうしている自分も、リネーラもその金色の髪に囚われている。
だがそれよりも、リーシャはもっと深い業をその身に刻んでいた。
ロードライト王族の証と、獣人の身体──
すうっ、と全身の力を抜く。それでも、歩む足は止めずに。
足音たちは刻一刻と大きくなってゆく。
だが、いつまでたっても人の姿など見えなかった。
緊張が続くなか、目がふと左へ続く通路を見つける。
そこから、まるでびりびりと鼓膜を揺するような音が響いて、耳を研ぎ澄ませていた彼には、それが足音だとわかるには一瞬の時を要した。
都合がいい。ここから来るなら、有利に事を運べる。
しかし、追っ手が来ているというのに来た道を帰っていくというのも、周到さに対して間抜け過ぎるような気がしてならなった。
足止め、囮? もしくは、リーシャを人質にしての時間稼ぎ──
あの影たちの目的がちっとも見えてこない。
だが、本当にそうだろうか?
ここでは石の壁が阻んで剣を振り回すことなどできない。
あの速さのなかでこちらを正確に把握した上での判断なら?
だがそれでも、やるしかない。
身にまとった鈑金の音が、剣を鞘から抜く鉄が擦れあう事をかき消した。
研ぎ澄まされた白い鉄が暗がりのなかでぎらりと光る。
剣を両手で握ると、壁がぶつ切りになるところで止まり、それを背にして角に身を潜めた。
剣を地に向けて、顔をじりじりと前へ前へと近づけていく。
接敵の機会を待ちつづけた。
それは唐突に現れる。ふと、騒がしかった足音が止んだ。
反響する足音が鳴り終えて、静寂も一瞬。
考えるより先に、足が一瞬にして強張った身体を前へ突き動かす。
だがしかし鈑金の靴裏が地を離れることはなく、それと石が火花でも散らすかのような音を鳴かせる。
そしているであろう足音の主にぎらりと殺気のこもった目と、顔のすぐ横に構えた剣の先を向ければ、上擦った声が返ってきた。
「レオン義兄さん……! 帰ってきてたの!?」
「アリンなのか!? なんでここにいる!」
自らを見据える黒い瞳に見覚えがあると思ったとたんに、二つの名が動揺混じりに響き合った。
彼──レオンは腕の力が抜けたように剣を下し、少し呆れぎみにその白い鉄を鞘に隠す。
ちらりとアリンの奥を見れば、見覚えのない黒髪の青年と、そしてわずかな望みを断つようにリーシャがいる。
フェンリーであってほしかったのだが──こういうことを思うとまた怒るな、とため息混じりに頬をひきつらせた。
「あ、あの! 私は、自分の意思でここに来たんです! だから……」
「いや、今は都合がいい。それに……長くここに居させて悪いとは思っている。
こんな状況だが、ゆっくりと羽を伸ばせ」
長く見つめ過ぎた青い瞳がまるで厄介者を見るように感じたのか、アリンたちを庇おうとするリーシャを、緩んだ頬でなだめる。
コルト街で騒ぎが起きれば、要らぬ疑念を生じさせる。その前に、火種は隠して払わなければならない。
まだ、何も知られていないうちに。そう考えたレオンは、都合がいいと言った。
それは、とあるもうひとつの予感が浮かんでいるからでもある。
いまコルト街にいるのはおそらく訓練兵だけ。手を捻るのは赤子を相手にするように簡単だろう。
いや、そんなバカな考えは誰の為にもならない。あるとすれば、それは魔人。
ないな、とリーシャの明るく、無垢な表情を見ながらレオンは思いつつ、心のどこかはもしかしたらと心臓に針が刺さる思いがした。
15年前のようには、させるわけにはいかない。
時が経った今でも、お互いを憎む心は変わらないから。
時が経っても何も起きなかったのだから、むしろ人間と獣人が背中を預けているのだから憎しみは消え去った、などと言う随想は何も意味をなさない。
コルト騎士団が奇跡のようで、周りと違いすぎただけ。
聖術がなければ、聖教がなければ、生きてはいけないような闇が渦巻く世界の中で。
強い人ばかりではないのだろう。すがるものを手放すまいとした狂気が、かつてここを焼き尽くしたのだから。
「アリン、コルトの高原にしばらくリーシャと居ろ。
どうせ薬草でもとって来るつもりだったんだろう?」
お前のことはわかっているぞ、と顔に書きながらそう言うレオンを見て「……わかった」とアリンはただうつ向いて返した。
「全部終わったら、ちゃんと話してね。
姉さんのことも」
哀しそうに見上げて、頬笑むアリンに、レオンはただ通りすぎる時に「ああ……必ず」と言うことしかできなかった。
何も知らぬままでいてほしいから。彼女は勘が悪い方ではない。
いつかは話す事になるのだろうが、それでも悟られぬようにと顔を見せずに。
そしてレオンは、黒髪の青年──サルバの黒い瞳をどこか別のものを見るように見据え、角のない声で語り始めた。
「君は……見ない顔だな。
アリンは他人との距離を測らん奴だが、悪気なんてもんはない。
人を観る目はある優しい子だ。だから……」
ふと伸びた鈑金の腕が、サルバの頭の"上"に置かれる。
不思議と滑らかな感触が頭の上を走ったが、頭が少し重くなったのに怯んで、サルバは少しまぶたを落とす。
「リーシャとアリンを、頼んだ。」
言い残して、レオンはサルバの横を通りすぎる。
振り替えって、思わず口から出た「あの!」というサルバの静止を気にも止めず、暗闇の中へと姿を消した。
どこか、不器用で──しかし全部を背負えてしまう器用さを持ち合わせた人と、サルバの目には映った。
「急ぎましょ。義兄さんならきっと、大丈夫だから」
歯がゆさまじりに頬を強張らせてアリンは言う。
なにもできないとわかっているような。それはサルバも同じ。
リーシャに何があるのかは知らない。
だけれどきっと、誰かが支えてやらねば折れてしまうような哀しい傷を抱いている。
今はただ、できないなりにその傷を癒そう。
思いながら、サルバは足を踏み出した。
ただひたすらに、何も知らぬ者たちは道もわからず歩き続けた。
それは、幸せなことかもしれない。
光に照らされればそれだけ闇が陰るように、暖かさに身を委ねれば、冷たさに心は耐えきれなくなるから。




