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六話

 元々、フィオリーナは、偽名だ。名前も物語では改変されていた。


「だけど、話す上では、偽名で通す。すまない」

「私の方も、その方が混乱しません。大丈夫です」


「劇は、あくまで物語。実際には、もっとどうしようもない話なんだ」


 そんな前置きから、話は始まった。

 フィオリーナは、物語では成人したばかりの乙女だったが、実際はすでに子も成した女だった。

 跡取りを生み、貴族の女性として嫁いだ家に十分貢献したフィオリーナは、自身の美貌を形として残したいと、絵の展覧会や画廊に通い、ひとりの画家の後援者となった。


「画家、ですか」

「そこが物語で変更してあるのは……何枚か、フィオリーナの絵が、出回っている可能性を考慮してだ。もちろん、実際の名前も違うんだが……」


 フィオリーナは、その画家に何枚も自分の絵を描かせた。自分が用意したアトリエに画家を住まわせ、そこに通い詰めた。

 貴族の女性としては、芸術活動の後援はそれほどおかしな趣味ではない。ただ、その芸術家と男女の仲にとなると、話は違ってくる。

 そしてこの二人は、その醜聞の方へと突き進んだ。


「……当然ながら、その画家には物語の通り恋人がおり、その恋人は、あの物語の通りに、魔女の弟子となった。……そして、アトリエで、その恋人の呪いは発動した」


 物語では、あえて恋人が乗り込んだ現場についてはぼかしてあった。劇ならば、とにかく当事者が呪われたと言うことが明確にわかるだけで良いからだ。


「その後、その魔女の弟子は、画家と無理心中を図り、二人ともがその場で亡くなった。呪いを受けた衝撃で、フィオリーナが気絶している間のことだ。……どういうことになると思う?」


 肩をすくめてジョルジョはイーヴォに質問した。イーヴォは、しばらく顔をしかめたあと、短い言葉で答えた。


「最悪の展開……ですね」


 少なくとも、物語としては生々しい。ジョルジョは頷いた上で、話を続けた。


「仮にもフィオリーナは貴族の女性だ。当然ながら、アトリエにも侍女は伴っていた。その呪いの目撃者は、フィオリーナとその侍女の二人だけだった。そしてフィオリーナは、愚かにもこの醜聞が表に出て、夫に知られることを恐れ、自分の父親を頼った。そして、それを聞いた父親は、すべてをなかったことにしたんだ」


 それを聞いたイーヴォは、驚愕に目を見開いた。


「実家の使用人頭の手によって、画家とその恋人の遺体はその場所から移され、別の場所で死んだことにされた。侍女は婚家に雇われていたが、それもやめさせた上で改めて実家で雇い直した。フィオリーナの父親は、侍女に対して厳重に口止めをして、生きていたいなら黙っていろと脅したんだ」


 侍女は、それに従い、ずっと口をつぐんでいた。フィオリーナの体に異変がなかったことも大きいだろう。変化がないなら、騒いだところで侍女ひとり、口を封じられて終わる。


 だが、その事件から三年ほど経過して、ふたたび蒸し返される事態になった。他ならぬ、フィオリーナによって。


「フィオリーナが、第二子を身ごもったんだ。夫は元々実直で、フィオリーナ以外に傍に侍る女もいなかった。だからある意味、これはわかっていた未来だったはずなんだ。だがそこで、魔女の弟子にかけられたあの呪いがフィオリーナに襲いかかったわけだ……」


 ――これから先、この家に生まれた女はすべて、災厄を生むこととなるだろう。


「あの物語に出てくる呪いの言葉については、真実なんですか」

「ああ。その部分は、一切の変更はしていない。証言のままだ。証言したのは、フィオリーナについていた侍女だ。その時の記憶はしっかり残っていたらしい。なにせ事件が事件で、侍女としては、口をつぐんでいたとしても、忘れられない話だから」


 フィオリーナは、恐怖に駆られていた。日々大きくなるお腹と共に、恐怖も増した。当然、そんな精神が不安定な妻を案じた夫は、フィオリーナの希望もあって、出産まで実家に戻されることになる。

 そうして、結局彼女は実家で出産の日を迎えた。


「生まれたのは……女だった。それがわかった瞬間、フィオリーナは……悲鳴を上げて、生まれたばかりの我が子を……投げ捨てたんだ」


 イーヴォは、猫の姿で恐れられ、母に見向きもされなくなった。

 フィオリーナの娘は、女であるというだけで、生まれた瞬間母に投げ捨てられた。


 聞いた瞬間、イーヴォは一瞬泣きそうに顔をゆがめ、そして俯いた。


「夫も、もちろんその悲鳴を聞いていた。我が子の出産だ。産気づいたと聞いて駆けつけていたから。そしてその時、妻のフィオリーナが生まれたばかりの娘を罵る言葉で、彼女が取り乱している理由を知った。今まで、父と実家の使用人頭、フィオリーナ、そして侍女。この四人でひた隠しにしていた呪いについて、ようやく夫が知ったんだ」


 当然、夫は激怒した。

 妻のフィオリーナにも、その実家にも、怒りをぶつけた。

 その呪いとやらは、すでに結婚していたフィオリーナにかかったもので、それならばその時点での彼女の家は、夫の家である。ならば魔女の告げた「家」は、つまり夫の家と言うことだ。

 こんな重大な話を、自分達に秘され、怒らない方がおかしい。

 それから、夫側は調査を始めた。

 だが、その呪われた場に立ち会ったものの中で無事に証言できるのは、すでに侍女しか残されていなかった。フィオリーナは心が壊れ、まともに会話にならなかったのだ。

 侍女の証言から画家を割り出し、その恋人、そして恋人の周辺と極秘で調査するうちに、画家の恋人が魔女と接触を持っていたことと、その時の会話をなんとか知ることができた。

 だが、夫が知ることができたのは、そこまでだった。


「画家の恋人は、普段酒場で働いていた。魔女は、その店にたまたま立ち寄ったのではないかという話だった。目撃されたのもその一回限りで、そのあとそこでの目撃情報もない。姿の情報も、なにせ現場は酒場で、しかも数年が経過している。その酔っ払いだらけの場所では、しっかりと見ていた者もいなかったらしく、誰も証言できなかった。会話については、恋人の同僚が、不穏当な内容に驚いて、画家の恋人をいさめたことで、正確ではないだろうが覚えていただけだった」

「……だから、物語に……?」


 この情報では、魔女にたどり着くのも難しい。

 今のところ、その家が呪われたことも、実家が動いていたためにまったく広がっていない。

 呪いを公表すれば、あるいは魔女にたどり着けたのかもしれない。だが、夫側も、どのような呪いかわからない以上、今公表するのは得策ではないと結論づけた。もちろん内々に調査は続けるが、ひとまずフィオリーナと生まれた娘を家から隔離することで、ことを収めることになった。

 フィオリーナは、心を壊したことは伏せ、出産で体を悪くしたからと理由をつけて実家に引き取らせて、娘は、呪いの経過を観察するために、領地へと閉じ込めた。


「今回、物語を表に出すことになったのは、フィオリーナが呪いを受ける前にもうけた息子が妻を娶ることになったからなんだ。もし呪いとやらが家にかかっているのなら、その孫にも何か異変が起こるかもしれないと。……すでにフィオリーナは、実家で事故を起こして亡くなっていた。娘の方には、何年待っても呪いの兆候が起こらない。かといって家の事業にも、なんの変化も起こらない。この呪いとは、いったい何だったのか。それがわからない限り、安心できない。そう、夫側が判断してのことだったんだ」

「フィオリーナは……事故で……」

「見えない影に怯えて逃げ出したところで、階段から落ちたんだ。打ち所が悪くて、そのまま亡くなったそうだ」


 そこまで話し終え、ジョルジョは、イーヴォの黒白ぶちの柔らかな手をとり、祈るように握り締めた。


「ありがとう。これでようやく……フィオリーナの家族の前に、道ができる」


 イーヴォの手を額に押し頂きながらそうつぶやいたジョルジョは、熱くなった眦から涙が零れないように、ぎゅっとまぶたを閉じたのだった。




 トッリアーニ家による魔女の呪いに関する資料は、人差し指程の厚みを持った四冊の書籍として綺麗に装丁されていた。

 それに加えて、祖母の、魔女と対面した前後から亡くなるまでの日記も添えられた。

 それらをジョルジョは、すべてみずからの手で抱えて屋敷に帰ってきた。

 そして翌朝、部屋にそれらを持ち込み、人払いをした上で目を通していた。


 内容は、魔女の証言に関しては大体イーヴォが語ったやりとりが記されている。

 そして、そのあと、どのような個人、組織に解呪を頼み、そしてその結果どうなったのかも、すべてわかりやすく、金額と共に、日付順に記されていた。

 その金額は、最後に記載されているものだと、王都にある国で一番大きい神殿の新しい棟を、一棟ぽんと建てられるような金額が記されている。

 それだけの金を積んで、最高位の司祭に頼み、そして出た結果が呪いの影はないというものならば、イーヴォの祖父が、結果を信じて娘を結婚させたのも納得がいく。

 むしろこれは、その後の結果を見れば聖職者達は立つ瀬がないだろう。

 イーヴォが今年、叙爵される時に、まず神殿に向かった理由と、その保証がもらえたわけはこれかと理解できた。


 イーヴォが生まれたあとになれば、今度は娘ではなく、イーヴォの解呪を試みた記録が並びはじめる。

 イーヴォは、二十三年前に生まれたその日、最初の解呪を試みている。

 それから祖父が亡くなるまでの十年間、最初に娘に呪いの影はないと断じた人々が、無償、もしくはあり得ないような僅かな金額で、もう一度解呪に挑んでいる。

 最後に娘の解呪に挑んだと記されていた司祭などは、それ以降無償で何度も解呪を試みているが、いずれも失敗に終わっている。

 この記された内容から読み取れるのは、どれだけ調べたところで、この呪いは孫世代になるまで絶対に顔を出さず、また取り除けないということだ。

 イーヴォが、同じ魔女による、同じ呪いだと感じたと言うのなら、この資料はまさに重要な記録だろう。


 記録には、その時に解呪を行った人物が語った呪いに関する内容も、すべて記されている。

 その中には、イーヴォを、猫の化け物と人の母との間にできた子だと断じた者もいたらしい。だからその両方の血が混ざってこのような子ができた。だからこの子は呪われているわけではないと、その呪い師は結論づけている。

 これを書き記した人物が、その時どれほど憤っていたのかは、その文字を見ればわかった。

 他よりも力を込めた文字、乱れた筆跡、そして、にじみ。

 感情の高まりで手に力がこもり、怒りで震える手を押さえ、涙をこぼしながらこれを書き記した。その歯ぎしりまで聞こえてきそうな文面に、読んでいるジョルジョも心が重くなる。


 そしてイーヴォの祖父が亡くなったあとは、今度は解呪ではなく、改めて受けた呪いについての研究が行われていた。


 最終的には、呪いをかけた魔女ではなく、別の魔女を探し出して相談するまでに至っている。その魔女からの助言で、もうひとり、植物の生育を専門とする魔女が招かれて、最終的にイーヴォの呪いの影響を取り除く術が編み出されている。


 ――そして、当然ながら、それはすでに、何回かためされていた。


 最初は、使用人。次はその娘。そして最後の記録は、祖母自身だった。

 最初の使用人は、その当時のイーヴォの侍従だった。五十代の男性。イーヴォを案じ、みずから志願してのことだったらしい。呪いは、姿を現すことはなかったらしいが、解呪を試みたことで呪いに反応された。幸いにも、通常の解呪で利用される呪い避けの処置をしていたために命は助かったが、その数日後に、理由が不明のまま亡くなっている。

 次は、その娘三十一歳。イーヴォの乳母を務めていた女性だった。途中まではうまくいっていたが、女性が恐怖のあまり失神し、そのまま亡くなっている。

 最後は、イーヴォの祖母自身だった。だが、これだけ少し、結果が違っていた。

 そもそもイーヴォの祖母だと、呪いは表に出てこなかったらしい。だが、元々体が弱っていたらしく、これはおそらくだが、呪いは関係なく、寿命で亡くなったのではないかと思われる。

 だが、それでも、イーヴォはその人達をいずれも見送る結果となり、そして祖母の死後は、この記録をまとめただけで、解呪の試みはなされていなかった。


 だが、最後の解呪についての検証はなされている。

 解呪を試みた時に現れた結果から、件の術を編み出した魔女が、この方法について挑むための条件をまとめたらしい。


 まず、一番重要なのは、呪いの対象者に、好意を持たれていること。これはあきらかに、宿主の不幸を望む上での動きだろうと書かれている。

 その前提があった上で、正常な生殖能力を持った異性が好ましい。これは、生殖能力がある場合、その対象者を呪いの種の宿主にするために呪いが動き、時間の猶予が生まれるためということだった。だが、呪いの対象者について僅かにでも恐怖心を覚えた瞬間に、種を植え付ける相手ではなく、命を奪う対象として見られてしまうようだ。

 そして呪われた対象者と血が少しでも繋がったものは不可能である。

 孫、子、親ならば、その愛情故に身代わりを望むことも、当然ながら魔女は考えたのだろう。呪いが発動して姿を変えても、血縁故にと愛情を注ぐ可能性はある。だからそのような相手には、この呪いは一切反応を示さない。よくあるが故に、認めない。


 つまり、この呪いは、もし解呪を試みることがないとしても、イーヴォと結婚した女性には、もれなくふたたび呪いの種を植え付けられ、結果その人物は新たな呪いの種の宿主となるらしい。そしてその状況であっても、僅かでもイーヴォに対し恐怖を覚えた瞬間、イーヴォの呪いに牙を剥かれ、亡くなることになる。

 どの場合でも、呪いとイーヴォの心に触れた場合のみ、この呪いは牙を剥くということだ。

 

 最後まで読み切って、溜め息をついたジョルジョは、そのままソファの背もたれに体を預け、天井を見上げていた。

 どれほどぼんやりしていたのかはよくわからない。頭の中で情報を整理していたジョルジョが、次に部屋に意識を向けたのは、人払いをしていたはずの扉から、ノックの音が聞こえた時だった。


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