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五話

 イーヴォは、迷いがないまっすぐな眼差しで、ジョルジョを見つめていた。

 劇場にいるあいだに見えた困惑は、まったく見られない。カメーリアに質問したあの時から今のあいだに、まるで覚悟を決めたと言わんばかりに、背筋を伸ばし、まっすぐにジョルジョに向き合っている。

 それを見たジョルジョは、自身にも決断を迫られているのだと感じていた。


「正解だ、イーヴォ。あの結末は、物語にするために、付け加えられただけのもの。本当のフィオリーナは……呪われたまま、亡くなっている」


 イーヴォは、小さく息を呑み、そして項垂れた。ある程度は予想していたのだろう。すぐにその姿勢を正し、ふたたびジョルジョに向き直ると、一言礼を述べた。


「ありがとうございます。……では、フィオリーナの血族は、呪われたまま、消えたのでしょうか」

「……いいや。血族は生きている。……そして、生きているからこそ、今回の物語は、表に出ることになったんだ」


 そう告げたジョルジョは、改めてイーヴォに視線を向けた。

 白黒ぶちの毛皮、猫の耳、猫のひげ。イーヴォの姿は、衣服を身に纏うための体つきこそ人だが、それ以外に人の要素は少ない。

 改めてそれを感じながら、ジョルジョはあえて、イーヴォに問いかけた。


「あの物語の元になった事件、いつ頃に起こったことなのかがわかったとして、何か変わることがあるのかな?」


 いったん、フィオリーナの血族から話を遠ざける形で、イーヴォに尋ねれば、彼は今さら悩むこともないとばかりに、こくりとうなずいた。


「それが、私の祖父が起こした事件の前なのかあとなのか……もしあとならば、芸術家の恋人があの魔女に関わったのは、ある意味祖父の起こした騒ぎのせいと言えるかも知れないと思ったからです」


 イーヴォは静かにそう告げると、聞いてくださいますか、とジョルジョにその内容を話しはじめた。


 当時のトッリアーニ家の当主は、いわゆる拝金主義者で、金を貯め込むことだけが趣味だと言わんばかりの生活をしていた。

 貯め込んだ金を、土地を担保に貴族に貸しつけ、返却が少しでも遅れれば、その土地を取り上げるような、情け容赦ない取り立てを行っていたと言う。


「ある時、祖父は、借金の形として、領地の僻地にあった森を譲り受けました。……森の近隣に住まう住人達は、その森を魔女の森と呼んでいたそうです」

「……もしかして、本当にいたのか」

「はい」

 イーヴォは、はっきりとうなずいて答えた。


 イーヴォの祖父は、近隣の住人がその森について、人が寄りつかない怖い場所だと話しているのを聞いて、それなら森の木を伐採しようとしたのだと言う。どうせ人々が利用しないならば、せめてそこに生えていた木材を売って、金に換えようとしたのだ。

 その伐採後は、畑にすれば住人達にも還元される。そう説得し、木の一本に斧を打ち付けた瞬間、魔女は姿を現した。


 姿を見せたのは、老女だった。

 ぼろいローブにねじ曲がった杖を持った、弱々しい姿の老女だった。


「魔女の主張は、前の領主の時にも、自分はここに住み、ここの薬草で薬を作っていた。ここには貴重な薬草もあり、伐採などしてそれらが採取できなくなるのは困る、と言うことでした。ですが、祖父は、その魔女ひとりのために、この森を残すのは金の無駄だと、そう主張しました。木を伐採し、開墾して畑として耕せば、近隣の者達何十人かが食べていける。老女ひとりと多くの住民、有り体に言えば、税を払う住民と、勝手に住み着いていた老女、どちらの意見が重要だと思うのかと、そう告げたそうです」


 当然ながら、魔女とイーヴォの祖父は、全面対決の様相を呈した。強固に魔女に立ち退きを迫るイーヴォの祖父と、手を出すなと森を守ろうとする魔女。結局、イーヴォの祖父は、魔女に別の案を告げた。


「森を伐採されたくないのならば、お前も税を払い、私の領民となった上で、この森の使用料を払え。それがいやなら、私に仕えて薬を我が家に売れ、と」

「……その様子では、魔女はそれを了承しなかったのか」

「そのとおりです。魔女はそのどちらの案も拒み、そして、あの呪いの言葉を告げました」

「……なるほど」

「祖父の傍には、その時森の伐採をするために、近隣の者達が何人もいました。二人の言い争いも、結果何が起こったのかも、彼らはすべて見ていました。魔女は、祖父に光る何かを投げつけ、祖父はそれを受けた途端に意識をなくして倒れた。そして魔女は、森には手を出すなと改めて叫びながら、消えてしまったそうです」


 その後目覚めたイーヴォの祖父がまず行ったのは、それらを見ていた住人達への口止めだった。

 その上で、ふたたび森の伐採を行おうとしたが、近隣の者達は魔女を恐れて参加を躊躇うようになった。それならばとまったく別の地域から人を集めて木を切ろうとしたが、切ろうと斧を振り上げた時点で、その斧を持っている人物は失神するようになった。


 だが、その頃には、魔女もまったく姿を見せなくなり、気がつけばみんな、トッリアーニに何があったのか、忘れてしまっていた。


 そして呪いのすぐあとに、トッリアーニの当主には、魔女の予言通りに一人娘が生まれていた。

 時が経ち、領内でもこの森の噂がみんなから忘れ去られそうになった頃、その娘に結婚話が持ち上がった。


「さすがの祖父も、母に呪いが及んでいるのは哀れに思ったのかも知れません。結婚前に神官や呪い師に大金を積み、解呪を試みたのです。そして、その全員が、同じ答えを返したんです。曰く、どこにも呪いの影はありません、と……」

「……呪いの影は、ない?」

「はい。先ほど私が申し上げた、私のような者が生まれない限り、解呪ができないと言う理由は、ここにあります。魔女が相手に与えたのは、呪いの種なのです。種は、発芽しない限り、眠り続けていて、呪いがどこに巣くっているのか、探ることが不可能らしいのです」

「その、呪いの種の発芽条件が……血族の女性?」

「呪いを最初に受けた人物から繋がる血族の女性が子を身ごもったさいに、その子を根城にして呪いが発芽する、と言うことらしいです。そして、発芽した結果が、私です……」


 手を広げ、その体をよく見えるように顔を上げたイーヴォは、まるで笑おうとして失敗したような、歪みを感じる表情でつぶやいた。


「この呪いは、相手にいかに長く恐怖を感じさせるかを考えたものなのです。だから、本人には現れない。呪われた本人から、孫の世代になってようやく、それが見てわかる形で現れる。それまで、どんな呪いかも、本人達にわからないまま、ただ恐怖感だけを与えていく。もちろん実害もあります。呪われたと聞くだけで、少なくとも周囲から人は去りますし、好奇の眼差しは避けられません。商売や取り引きも、結局は人と人との関係です。相手に不安を覚えさせる要素があれば、成立は難しい。……元々、気難しい性格だからこそ、魔女と衝突した祖父です。あっという間に周囲から人は去ったと聞いています」


 貴族は、血を繋ぐことを重んじる。だからこそ、後継者を作るために結婚を急ぐ傾向にある。その後継に現れるこの呪いは、それだけ相手に与える衝撃も大きいものとなる。

 項垂れるように俯いたイーヴォは、自分の手をじっと見ていた。

 猫の手の指が、そのまま少し伸びたような形の手は、とても人と同じとは言えない。この手でペンを握り、流麗な筆跡の文字を書くために、どれほどの努力をしたのだろうかと思う。


「……母は、呪いを知って、怖がっていたと聞きました。結婚も出産も、ずっと恐れて嫌がっていた。それでも、神官や呪い師の言葉を信じた祖父にそれを強要され、一人娘だった母は仕方なく……そのあげく、生まれたのは、人の体に猫の特徴を持った私です。心が壊れても、仕方ないと、今ならそう思えます」


 じっと見つめていたみずからの手から視線を外し、顔を上げた時には、イーヴォの表情は平素の穏やかな猫の顔に戻っていた。


「フィオリーナの血族の方が、もし当家の祖父より先に呪われていたのだとしたら、私が亡くなったあとの呪いがどうなるのか結果をご存じではないかと、そう思いました。当家の祖父のあとに呪われていたのだとすれば、当家の調査の結果と対処した方法について、お渡しできます。その魔女が、貴族に対して嫌悪を示すようになった一端は、確実に当家の祖父でしょう。それくらいでしか、血族の方々にお詫びをする方法がありません」


「……イーヴォは、双方の魔女は、同じ存在だと、そう確信しているのか?」


「……はい。確かに、魔女と呼ばれる存在は、わが国でも何世代かにわたって幾人か確認されています。ですが、魔女にはそれぞれ、得意とする魔法や薬があるのだそうです。血族にまで及ぶような強い呪いがかけられる魔女というのは、それこそ稀です。いても、一国にひとりいるかいないか。呪いがかけられた世代が同じなら、まず間違いなく、同じ魔女の手によるものだと思われます。それなら、当家の今まで蓄積した調査の資料は、確実にお役に立てると思います」


 自然と、ジョルジュは息を呑む。


 ――ようやく、たどり着いた。


「……それをフィオリーナの血族に渡して、あなたはどうするんだ?」

「……もとより、当家は私の世代で、血を閉じることになります。呪いを解く方法もあるにはありますが、私はそれを試そうとも思いませんので……」

「……ある、のか? 呪いを、確実に、解ける方法が」


 ジョルジュの疑問に、イーヴォはこくりとうなずいた。


「祖母が、たどり着いた方法です。ただ、この方法は、呪いを発芽させた本人ではなく、解除をする人物に負担が大きいのです。少しでも失敗すれば、その人物は呪いに命を奪われるそうです」

「どうやるんだ?」

「……まず、普通の手段では解呪することはできません。発芽した呪いの種は、見てのとおり、体中に影響を与えています。これだけ根を張っていると、無理矢理消しても、どこかに根が残り姿は戻せない。だけど、もう一度体の外で種に戻せば、綺麗に消えてしまうのだそうです」

「種に、戻す? でも、さっき種は、調べても呪いの影はないと……結局、体に呪いが残ることに変わりがないのでは?」

「体の外で、種に戻すんです。発芽した呪いは、その宿主が幸福になることを望みません。例えば、この呪いの姿を受け入れ、愛してくれる相手が現れたとしても、宿主を不幸に陥れるためにと、その相手を呪うために根を伸ばします。それを利用して、その姿を見せた根を起点に、呪いを巻き戻し体の外で種に戻す。そういう方法です」


 ジョルジョが怪訝な表情をしていたことに気がついたらしいイーヴォは、悲しげな表情で、うなずいた。


「ある意味、あの劇のフィオリーナの最後は、呪いの種の発芽後になら、起こりえたかも知れません。ですが、まず、その愛してくれる相手を私のような姿のものが探す時点で、難しいと言わざるをえません。しかも、万一そんな相手が現れたとして、その相手を結局は呪いに晒してしまう。……呪いが望むのは、宿主の不幸。愛する人を目の前で失うこと以上の不幸がありますか。失敗すれば、間違いなくそうなるだろうと言われて、とても試す気にはなれません」


「……ひとつだけ、確認したいんだが、構わないかな」


 今まで静かに話を聞いていたジョルジョからの質問に、イーヴォは首を傾げた。


「何でしょうか」

「……それは、双方が思い合った場合にだけ、発動するのかな。例えば、一方的に思う相手にも、それは起こる?」


 それを聞いたイーヴォは、驚いたように大きく目を見開いた。


「……どうなんでしょう。それはさすがに、聞いたことがありません。問題は、私が不幸に思うかどうかなので、私のほうの思いがあれば、発動する可能性もあるのではないでしょうか」


 イーヴォは、そもそも一方的に自分が思われる状況というものを、想像できないらしい。


「例えば、フィオリーナの例だ。フィオリーナがすでに呪いを芽吹かせていたとして、最後の神官が、真実フィオリーナを思っていたとして、その呪いは姿を現したのかな?」

「……思いを確認する行為、口付けが必要となるので、それができれば可能性はあるかも知れません」

「じゃあ、具体的に、どうやってその呪いの芽を、種に巻き戻すのかな?」

「そのためには、解呪ではなく遡りの呪文が必要です。管轄は、呪いではなく、植物を得意とする魔女だそうです。……祖父は、あくまで呪いを消す方法を探していたのでわからなかったのですが、祖母は魔女の言葉を手がかりに、別の魔女を探して教えを請うたそうです」


 その呪文も、調査の結果として、資料にまとめてあるらしい。

 フィオリーナの血族が望むのなら、それもちゃんとお渡しできますと、イーヴォは後ろに立っていた執事に、その資料を持ってくるように命じた。


「それで、フィオリーナが呪われた時期は……」


 イーヴォの質問に、ジョルジョは顔を僅かに歪めた。

 イーヴォは、ある意味すべてを語ってくれた。自分の望む情報も、すべてだ。

 ならば次は、ジョルジョが覚悟を決める番だった。


「……フィオリーナは、二十四年ほど前に呪われた」

「それなら……間違いなく祖父より、あとですね」


 辛そうに項垂れたイーヴォに、今度はジョルジョが語りはじめた。


 自分勝手だったフィオリーナの物語を。 

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