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一話

「やあ、素敵な髭ですね!」


 突然そんな事を告げられ、驚かない人はいないだろう。ましてやそれが、猫の顔を持つ人ならばなおさらに。

 自然とその眼差しは厳しいものとなり、ジョルジョに警戒も露わな視線が向けられた。


「ああ、このシャンデリアの明かりだと、瞳孔も猫のように、少し細くなるんですね。澄んだ水色の瞳も、とても綺麗だ」  


 口にはしなかったが、ジョルジョの目の前にある鼻口部の髭が、僅かに前に向かってぴんと伸びている。猫の耳は、警戒も露わに立てられたまま、動いていない。尻尾は先ほど見たより少し膨らんでいるので、これが猫ならおそらく怯えているんだな、と思うところだ。忙しなく、動いているところを見ると、この猫の人がジョルジョを不審人物として考えているのもわかる。

 これだけ、感情むき出しになるようでは、社交界は大変だろうなとジョルジョはのんきに考えていた。


「……ありがとうございます、と申し上げればよろしいのでしょうか。失礼。初対面の相手に、容姿についてここまで踏み込まれたことがありませんでしたので」


 目の前の、猫の口が紡いだとは思えないほど、流暢な発音だった。くぐもることもなく、魅力的な低音を響かせた口元を、ジョルジョは思わず凝視した。


「ああ……気を悪くしましたか。申し訳ありません。私は、人を褒める時は嘘はつけない性分でして。本当に綺麗だと思ったんですよ」


 あきらかに警戒も露わだった猫の人に、ジョルジョは微笑んでそう謝罪した。

 毒もなにも無いその様子に、若干だが気が抜けたように、猫の人はその表情を警戒から困惑へと変化させた。


「あいにく、生まれてこの方、この身で褒められた部位などありませんでしたので」

「そうですか? 私から見れば、その毛並みもとても美しく整えられているのに」


 さすがにこの言葉に、若干むっとした表情をした猫の人は、眉をひそめてそれに応えた。


「人として、毛並みを褒められたとしても、喜べません」

「そうですか。ですが、髪が艶やかだとか、綺麗な色だとか、それは女性を褒める美辞麗句の一種です。それと一緒だと思うんですよ」

「……私はあなたほど、脳天気にはなれませんので。失礼します」


 猫の人は、最低限の義務は果たしたとばかりに、さっさと会場に背を向け、立ち去った。

 ジョルジョはそれを見送りながら、肩をすくめる。


「うーん。あの尻尾があると、感情は隠しづらいのかな」


 少なくとも、社交になれていないのは丸わかりの猫の人は、足が速いらしく、すでに姿は無かった。

 社交に慣れてはいなくとも、あの人が貴族としての作法をきちんと心得ているのはわかる。今も、手に持っていたグラスは、ちゃんと使用人に返却して立ち去っている。

 そのグラスに入っていた薄紅の酒を、自分も使用人に注文しながら、ジョルジョはふと気がついた。


「あ、名乗るのを忘れてたな。……まあ、大丈夫か」


 こちらの名を名乗り忘れたのは痛いが、相手については問題ない。なにせ特徴には事欠かない相手である。

 ふと振り向けば、今度はジョルジョに向かって驚愕の眼差しが向けられている。

 あの猫の人と普通に会話しただけでこの状態では、今日はもう社交どころではないと気づいたジョルジョは、あっさりとその場を引き上げる事に決めたのだった。



 その屋敷は、いつも人の出入りが極端に少ない。

 使用人も、数が最小限であるらしく、近所の屋敷の使用人達も、滅多なことではその屋敷に人の気配を感じることがないという。まるで屋敷全体で、息をひそめているかのようだった。

 その屋敷が、今日はやけにざわめいていた。

 賑やかなわけではないが、珍しくも家の中に人の気配がするのである。


 そこは、トッリアーニ伯爵家の所有する邸宅。

 ――近所でも有名な、呪われた伯爵家の持ち物だった。


 馬車から降りて、ジョルジョがまず確認したのは、ここに本当に人が住んでいるのかだった。

 一応自宅はここから馬車で二、三分という所にあるので、ご近所とも言える屋敷なのだが、今回調べるまで、ジョルジョはここを空き家だと思っていたのである。


 あの猫の人に会うために、ジョルジョがまずしなければならなかったのは、当然ながらあの人の名を知ることだった。それに関しては、あっという間に解決した。

 あの人は、あの夜会の一週間ほど前に、父親の跡を継いで叙爵されたばかりだったのだ。

 あの目立つ姿では当然ながら、役所では、忘れた者などいないと言い切れそうなほど、記憶に残っていたのである。そのため、適当な事務官を捕まえて、あの姿を説明するだけで、あっという間に名前が出てきたのである。

 あの姿だ。跡を継いだからといって、人前に出るのはさぞや勇気がいっただろうに、あの人は堂々とここに来て叙爵の手続きを行ったあと、わざわざ聖教会で自身の呪いについて、呪いは彼の家系のみのものであり、他者に害を与えるものではないことの証明をもらった上で、国王陛下に自身が伯爵の位を得ることの許しをもらったのだという。

 どうやらそのときに、陛下から直接あの夜会の招待を受けてしまい、あれだけ嫌々ながら夜会に参加していたようだ。


 実は、ジョルジョ自身には、トッリアーニ伯爵家について、事務官から名前を聞いた時点で若干ながら覚えがあった。

 前々当主は、貴族であると同時に、各方面に投資をしている人物で、辣腕を振った人物だった。その人には娘がひとりいて、そのひとり娘の婿が前当主となっている。

 そして、この婿である前当主は、驚くことに一切人前に出てきたことがないことで有名だったのだ。

 叙爵すら、代理人で済ませていたという噂もあったし、王都には一切足を踏み入れなかったとも聞いている。それこそ、病弱を理由にしていたはずだ。


 ――そして、一切の人付き合いを、その病弱という前当主の段階で行わなくなったのだ。


 現在のトッリアーニの基盤は、前々当主がすべて築いたものであり、前当主がまったく顔を見せなくとも、トッリアーニ家はそのままあり続けた。


 そこまで思い出して、ジョルジョは自分がもっと若い頃に、この前当主に領地を訪問させて欲しいと手紙を送ったことを思い出した。そしてその時は、返事どころか一切の反応がなかったことも。


 そのことを思い出し、一応ここがトッリアーニの屋敷だと判明した時点で、手紙を送ってみたのだ。

 昨夜、夜会に出ていたのだから、当然王都の屋敷には当主が滞在中のはずである。時間をとって欲しいというごく定型の文章に、あちらは二通の返事を用意してくれた。

 一通は、流麗な筆致の、お待ちしていますというこちらの定型に添った、余計な情報の無い手紙。そしてもう一通は、こちらが訪問できる日時を知らせる、丁寧な筆致の手紙。あきらかに、書いた人物が違うだろう二通の手紙は、だが、その書いた主が誰なのかを如実に知らせていた。

 おそらく、定型文が主人のあの猫の人であり、もう一通は、側付きの上級使用人である。日時を知らせる手紙には、主人の呪いが感染するようなものではないこと。姿形は違えど、主は間違いなく人である事などを、その丁寧な筆致から読み取れる几帳面な性格が表れた文章で説明されていたのだ。あの猫の人は、使用人達には好かれているらしいというのがよくわかった。


 そして、その手紙に指定されるまま、その日時にこうして訪ねてきてみると、家はひっそりと静まりかえっていた。

 まるで屋敷全体で息をひそめているかのようだが、いつも見かけるときより庭などが調っているところを見ると、一応歓迎されているのだなと思えた。

 馬車から降りて、扉の前に立つと、まるでそれを待ち構えていたように、扉がゆっくりと内側から開く。音も軋みも無いところを見ると、この屋敷は、一見手入れもなにもされていないように見えるが、内側はそうではないらしい。

 一歩屋敷の中に足を踏み入れれば、上品な飴色に磨かれた家具と、その家具と揃いで作られたのか、揃いの彫刻が入れられている大きな柱時計が正面に据えられていた。

 ジョルジョの家も、それなりに名の売れた名家とされているので、屋敷の中などの手入れは怠ることはないが、それでもこの重厚な雰囲気は、一朝一夕に作れるようなものではない。


「ようこそおいでくださいました」


 扉の傍に、真っ白な髪の身なりの良い人物が頭を下げて立っていた。

 気付かずに足を踏み入れていたジョルジョは、その場で立ち止まり、その人物に視線を向けた。


「失礼。素晴らしい内装に、思わず挨拶を忘れてしまいました」

「いえ。当家でお客様をお招きするのは、ここ数十年無かったことですので、こちらこそ何か失礼がございましたら、お詫び申し上げます」


 数十年という期間が何を指しているのかはわかる。そんなに昔から、この家は呪いと付き合ってきていると言うことだ。おそらくは、前当主の段階で、すでに呪いに関わりがあったのだろうと推測できた。


「……私は、ご主人の詮索をしに来たわけではありません。信じていただけるかはわかりませんが、友誼を結びに来ただけなんですよ」


 苦笑しながら、手にしていた籠を軽く持ち上げたジョルジョを、目の前の使用人は僅かに顔を上げて見つめていた。

 その顔をみて、この使用人が、ジョルジョが想像していた以上に若いことに驚きはしたが、彼はそれ以上無駄話をするつもりもなかったらしく、すぐにジョルジョを案内して、その屋敷の応接間らしき場所に案内した。



「やあ! 今日はお招きをありがとうございます!」


 その勢いの良い声を聞いた瞬間、目の前の猫の人は、思わずといった風に腰を浮かして後ずさった。


「昨夜、酒は口にされていたようだったから、大丈夫だと思って持って来たんです。口に合えば良いのですが」


 猫の人はその包みを開け、確認した上で隣に移動していた先ほどここまで案内してきた使用人にそれを手渡した。


「あ、ありがとう……ございます」


 あきらかに警戒心も露わな猫の人の様子を見て、ジョルジョもようやく首を傾げた。そして、突如思い出したように、ぽんと手を叩いた。


「私はジョルジョ・ダマートと申します」

「……今さらだとは思わないんですか」

「思いはしましたが、名乗り忘れていたのだからしかたがないし、だからといっていつまでも名乗らないのも失礼かなと思ったんです」


 あまりにも明るく、しかも平然とそう言われてしまったためか、猫の人は何も言えなかったのか、口ごもる。その上でしばらく悩み、ようやく口を開いて出てきたのは、やはりジョルジョと同じように自己紹介だった。


「イーヴォ・トッリアーニと申します……」


 それを耳にした瞬間、ジョルジョの目は細められ、その瞳にはやさしい光が宿る。


「それで、ダマート卿……」

「私には敬称は必要ありませんよ。私は爵位を持っていませんし、それで言うなら爵位を継承されているトッリアーニ卿の方が、身分は上なのですから」

「……私も、卿と呼ばれるのは慣れていません」

「私のことは、名前で呼んでくださって結構ですよ」

「……それで、ダマート殿は、いったいどのようなご用件でこちらに?」


 あまりにものんきな自己紹介だったからか、トッリアーニ卿はこれ以上ないほど警戒し、耳をぺたりと横に倒したまま、早々に話を切り替えた。


「え? せっかく出会えたのだから、親交を深めようと思ったんですが」


 あっけなく告げたその回答に、トッリアーニ卿は目を丸くして、まるで未知の存在を見ているような視線を向けている。

 椅子に座り、正面から姿を見たトッリアーニ卿は、今日もしっかりと毛並みを整えたらしく、明るい陽の下でもつやつやとしている。ただ、耳は警戒とおびえが表れたのか横に倒れており、尻尾は先程から気遣わしげに尻尾の先が動き、座面をぱふぱふと叩き続けている。

 これが猫が相手ならば、言葉の通じない小さな生き物を怯えさせるのもかわいそうだからと身を引くところだが、相手は会話の通じる人である。

 遠慮無く、こちらが会いに来た理由を告げた。


「私はこれでも、旅行が趣味なんです。国内は大体の場所に足を運びましたし、いろいろな地方のお伽噺などを現地の老人達に教わって、書籍にまとめているんですが、トッリアーニの領地には、一度も足を踏み入れたことがなくて」

「はあ……」

「何度か、トッリアーニの前のご当主にも手紙で申し入れたことがあったのですが、まったく反応がなかったので、諦めていたんです。……ただ、それについては、あなたの姿を見て、その理由を悟りましたが」


 ぴくりとトッリアーニ卿の耳が跳ねた。


「今まさに、呪いを受けて姿を変えている方がいたのなら、トッリアーニ家の前当主殿が私の話を一切聞かなかったその理由もわかります。私は、別にトッリアーニの家に、何事があったのかを聞きたかったわけではありませんので、それについては特にこだわりはしません」


 トッリアーニ卿は、口を開くことなく、ジョルジョを見つめていた。その視線は、睨んでいると言っても良いほど強いものだ。

 だが、尻尾を見たジョルジョは、思わず笑みがこぼれた。尻尾の動きが、少し収まっていたのである。尻尾も耳も髭も、自分の意思で動かせるわけではないのだろう。だからこそ、その感情はその部分を見ればよくわかる。


 不安、警戒……そして、好奇心。


「おそらく、そちらの領地で話を聞いたとしても、あなたの存在がある限り、領地の方々からもその話についてを聞かせていただけるだけでしょう。だから、トッリアーニの領地に宿泊する件については諦めます。でも、せっかく出会えたあなたと友誼を結ぶくらいは許していただけないかなと、そう思って面会を申し込んでみたんです」


 トッリアーニ卿は、不安は感じているが、少し興味もあるようだった。元々、呪われた姿である事に加え、長年社交界と遠ざかっていた家だ。消極的にでも、そこに顔を出すというだけで勇気が必要だったろうに、表に出てきたのである。責任感だけで、それができたとはとても思えない。

 トッリアーニ卿が、しばらく何かを考えるように俯くと、改めて顔を上げた時には、先程まであった強い不安感は見えなくなっていた。


「……あいにく、私はお伝えできるようなお伽噺も昔話も、ほとんど知りません。姿を見ていただければわかると思いますが、人に忌避されて育ちましたので、そのような話を聞いたことがないんです」

「それなら、せっかくだし、ダマートの領地に伝わる昔話なんでいかがですか」


 あえて微笑みながらそう言えば、トッリアーニ卿は、あ、え、うとしばらく言葉にならない言葉を続けた後に、はい、と頷いた。


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