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十五話 めでたしめでたしの先へ行く方法4

「あの子はね、あんたに一個だけ、魔女の助力の権利を譲ったんだよ」


 魔女は、もう一度、器に例の茶を注ぎながら、そうイーヴォに告げた。


「あの子が持って来た贈り物はふたつ。わたしゃ茶を二杯出した。だが、一杯分、残っている。あんたに飲み方を指導しながら、なんだかんだと結局飲ませなかった。だが、今、あんたが飲み干せるなら、その時点であんたとの契約もできる。……呪文書は、確かにあの子のために作られた、あの子のものだ。だが、こっちの水晶は、元々あんたについてたものだ。あんたからの進物ってことにしても問題ないだろ」


 ふたたび、目の前には、先ほどの魔女の返礼茶とやらが置かれた。


「あの子はたぶん、いざというときのためにこの茶を一杯分残したんだろうねぇ。その時は、もう一杯飲めば、もう一度わたしの助力がもらえる。……さっきのことを、あんたにちゃんと説明できる人間を、あの子は残してたんだ。頭のいい子だね」


 さあ行きな。

 魔女の言葉に、イーヴォはその器を手に持った。

 器に口を近づけた時点で、凄まじい異臭がした。

 ジョルジョが一気に飲み干した姿を見ていたので、まさかこの茶がここまでの匂いを発しているとは、思ってもみなかった。


 だが、ここで躊躇っている時間の余裕はない。

 魔女は、にやにやとイーヴォが茶に戸惑っている様を見守っている。

 それを見て、覚悟を決めて、ひと口含んだ瞬間……イーヴォの意識は、完全に飛んだ。

 それでも吹き出さなかったのは、その次の瞬間、声が聞こえたからだ。


 ……飲む気なら、死ぬ気で、吐き出すな。 


 気がつけば、椀の中身はすべてなかった。

 魔女に、あの時のジョルジョのように椀を差しだせば、にやにやと笑いながら魔女はそれを受け取った。

 くくっと笑いながら、魔女が問う。


「どうだった?」

「……意識があったら、きっと飲めない味でした」


 魔女はまた、げらげらと腹を抱えて笑い、改めてイーヴォに水を差しだした。

 僅かに果汁が混ぜられ、それを飲んだ瞬間、口の中の匂いが変化していく。先ほどの茶の後味は、気がつけばすべて、その水の僅かな果実の味で上書きされていた。これも、魔女の力なのかも知れない。それに気付き、目を見開けば、魔女はようやく笑いの発作は治まったとばかりに、先ほどからほったらかしにされていた木の枝を、床から拾い上げた。


「さて、あんたは何を望む?」


 その問いの答えは、今のイーヴォに即答できるものだ。


「……彼女の呪いを、完全に消す方法を」

「……これで巻き戻すかい?」


 魔女は、先ほどジョルジョが渡した呪文書を、ペラペラと振ってみせる。


「その呪文は私にかかっていたあなたの呪いのために作られたものです。……先ほどあなたは、彼女にかかっている呪いは、死者の血を使って効果を増していると仰いました。あきらかに威力のちがう呪いに対して、それはまだ有効ですか」

「おや、ひっかからなかったか。確かに、これじゃあ、効果はないよ。それにね、これは、本当にあの子専用なんだよ。あの子が使わないと意味がない呪文書なのさ。使用者を指定して、威力を上げてあるんだよ。そうやって威力を上げても、今のあの子にかかった呪いは解呪できないんだけどね」


 ふたたび呪文書をうっとりと眺めた魔女は、イーヴォに改めて問いかけた。


「だけどね、これを参考にすれば、これと似た効果の呪文は作れる。わたし自身で、わたしの呪いに対して巻き戻すのと似た効果を発揮する呪文、と言うことで構わないのかね」

「あなたが見た彼女の呪いに対して、効果のある方法を望みます」

「ふむ……」


 しばらく、魔女はジョルジョが残していった呪文書を睨むと、新しい紙を取り出して床に置き、そこにペンで何かを書き付けはじめた。


「よくお聞き。これを作るには、まだ少し時間がかかる。インクから作らなきゃいけないからね。あんたは先に、あの子を探してな」

「探す……?」

「あの子は十中八九、普通の獣と変わりない姿をしている、ってのはわかるかい?」


 もちろんそれはわかる。だが、探すとしても、手がかりがなにひとつない状態で何がわかるのかと僅かに首を傾げる。


「今、この場からあの子が消えたのは、あの呪いがわたしから逃げたからだよ。ちょっと得したね。おかげで少し、力がそがれた。それだけ、あの子に意識が残っている可能性が高くなる。……だが、時間が経てば経つほど、あの呪いは育って力を増して、あの子の意識を奪って獣にしていく。探すなら、早いにこしたことはない」

「……呪いが、逃げた?」

「当たり前さね。あのままここにいりゃ、あっという間にわたしが解くだろうが。ここには呪文を正当に使えるわたしがいて、ミロスラヴァの呪文書もある。……あの呪いはね、とことん、あの子の家に不幸を呼ぶことを望んでいるんだよ。それを今は、あの子ひとりで背負ってる。呪いは、あの子に絶望を味あわせたくて、うずうずしながら芽を伸ばしているところなんだ。そんなすぐさま解呪されちゃ、それができないだろう?」


 それを聞き、ぐっと拳を握り締める。


「ですが、ここから飛んでいく先には、心当たりがありません」

「言ったろ。呪文は、あの子に絶望を呼ぶ。……一応聞いとくが、探しに行かないってことはないだろうね?」

「もちろんです。……場所がわかるなら、ここに座って待っていたりはしません」

「その程度には冷静なようでよかったねぇ。たぶんだけどね、あの子は、あんたの生活範囲にいるよ。……信じるかい?」


 魔女の言葉に、驚き目を見開けば、その正面で一度も顔を上げない魔女が、くくくっと笑っていた。


「あの子、あんたの呪いを解く時、この呪文様式なら、口付けでもしてたんだろ? その時、呪いをいったん体に受け入れていたはずだ。あんたと生まれた時から一緒にいて、その生活を見ていた呪いと、その解呪。それをあの子の呪いの種も記憶していたから、解呪されると判断して、この魔女のいる場所から逃げたんだよ。そして解呪の記憶があるからこそ、あの子の絶望はあんたが鍵を握っている」


 そう言って、魔女は、ジョルジョがいるとおぼしき場所の条件を述べていった。


 ――まず、間違いなくイーヴォの領内にいること。

 そして人里にほどよく近い、人の目から逃れるには少し難しい場所。


 大人しく魔女の言葉を頭の中にたたき込みながら、イーヴォはひたすら頭を絞り、その場所を考えていた。


「いいかい。わたしの作った呪いが元だから、変更できないことってのはもちろんある。まず、性別はそのままのはずだ。そして、呪いが発芽して間もない今なら、それほど定着はしていないから、呪いを引っ剥がすのもそれほど苦ではない。だが、時間が経つことで人としての意識が消えて、その獣として子供でも作っちまえば、もう二度と人には戻れないだろう」


 魔女は、ようやく顔を上げ、手に持っていたペンでイーヴォを指すと、それを扉へ向かって振る。早く行け、と言うことらしい。それを見て、イーヴォは慌てて立ち上がった。


「おまけに今は、狩猟期だ。珍しい獣だからって、狩猟の獲物にされちまうこともあり得るよ。これだけ手がかりがありゃ、探せるだろう。呪文は、おっつけあんたのところに届けてやるから、早く行きな」


 その最後の一言を聞き、イーヴォは勢いよく頭を下げ、そのまま魔女の小屋を飛び出した。





 操り方を聞いたばかりの馬車を駆り、門にぶつかる勢いで屋敷に飛び込むと、イーヴォは使用人達に四の五の言わせる間もなく、真っ先に領内に向かって、触れを出すことを宣言した。

 その触れの内容は、領主が認めるまで、短期間の禁猟とすること。そして、森の中で、通常にはいない変わった小動物がいた場合、すぐに領主に知らせること。


「だ、旦那様、ジョルジョ様は?」


 イーヴォの出した触れの内容を見て、顔色を変えた使用人達が、一斉にイーヴォに詰めよる。

 一緒に出かけたはずのその姿は、今はどこにもいない。嫌な予感に、使用人達は不安を感じていたのだ。


「そのジョルジョを探すための触れだ。すぐに領内すべての村に走れ」

「まさか、魔女がいたのですか!?」


 カルロが叫ぶように問いかければ、イーヴォは机に向かったまま、頷いた。それを聞いた瞬間、トッリアーニの屋敷にいた全員が、何が起こったのかをほぼ理解していた。

 全員、顔色を変えながらも、それぞれその場を離れ、外出のための仕度をはじめた。

 イーヴォは、ただひたすらに触れの内容をひとりで書き写していく。集落の数だけ書き写し、文字が読めるものに運ばせて、各集落の中央で読み上げるのである。触れを出すなら、これが一番早い。警備も使用人も、とにかく文字を読めるものを選んで、つぎつぎ遠い順に、それを預けて出発させるのだ。


「旦那様……お急ぎなのはわかります。しかし、さすがに、相手がどんな生き物なのかわからないままなのは、探すに探せません」

「それは、魔女にもわからないらしい。わかっているのは、ほぼ存在する何かしらの動物に変わっていることだけだ。彼女はおそらく、狩りの獲物になるような、小さな生き物に変わっていると思う。熊や狼、鹿のようなものではなく、そして自由に飛べるような鳥でもない。おそらく、うさぎや鼠、大きくてもいたちのようなものだと思う。鳥以外の、狩りの小さな獲物だ。彼女に少しでも人としての意識が残っているなら、自分のことを知らせようとしてくれるかも知れないが、それに関してはあまり期待してはいけないと思う」

「待ってください。魔女に、何か怒りを買って呪われたのではないのですか?」

「ちがう。ジョルジョは、自分から、呪いの発動を望んだんだ。……それしか、ダマートの呪いを解く方法がなくて……」


 カルロと、すでに外套を着込んだ侍女達が、顔をゆがめてイーヴォの手元を見つめていた。


「だが、わかっていることは多い。今回は、魔女の助力もある。禁猟は、あくまで彼女が見つかるまでの短期間だ。それを徹底しておいてくれ。もし禁猟で何か問題があるようなら、すべてこちらに知らせてほしい。食料がないなら、家に貯蓄してあるものを出しても構わない」


 今まで、一度も屋敷から出ず、勉強するだけだったイーヴォの、まるで人が変わったような姿を見て、カルロは自身も出かける仕度をするために部屋から出た。

 今はまだ、寒さの残る季節である。少なくとも、外套無しで外に出るわけにはいかない。獣を探して森に入るなら、なおさらである。


 仕度を終えてふたたびカルロが部屋に戻ってきた時には、触れの紙は各集落分できたらしい。遠い場所の集落へ向かう警備兵が、数枚持って外へ飛び出していく。

 イーヴォが乗って帰ってきた馬車の馬も、すぐに外されて鞍が乗せられ、先ほどとは別方向に走っていく。

 イーヴォの領地には、大きな村は三つあり、その外れに、数件の家が集まっている集落が五つほどある。

 街道に沿った場所には宿場もひとつあり、そこへも馬が走る。

 屋敷の前にも触れをそのまま貼り付けた立て看板を立てて、情報を受け取るための侍女と侍従を数人残し、イーヴォも屋敷を飛び出した、


 イーヴォは、魔女の家で聞いた、彼女がいそうな場所の条件を聞き、ずっと考えていた。

 魔女は、ジョルジョはイーヴォの生活圏にいる、と告げていた。だが、自分が知る知識は、すべて本を読んだものである。実際に外の風景をまともに知ったのは、今日がはじめてなのだ。

 その上で、彼女を蝕む呪いが、一番望む状況を作るためには、どこにどのような姿で彼女がいればいいのか、ということだ。


 領内に触れは出したが、イーヴォは、ジョルジョはそれほど遠い場所に飛ばされたわけではないという魔女の言葉に、納得もしたのだ。

 あまり遠くに飛ばされていては、彼女が命を落とすその瞬間に、自分が傍にいないという状況が生まれるからだ。

 彼女の絶望を呪いが望む場合、もっとも大きいのは、助けが間に合わない、と感じることではないかと思う。ジョルジョが、あの時別れの言葉を告げたのは、おそらくは必ず助かるわけではないと、そう覚悟したからではないかと思う。


 助けてくれと、言葉ですらイーヴォに縋ることをしなかった彼女に、何としても言わなければならないことがある。

 もう、イーヴォは幸せになるには、ジョルジョ自身も隣にいなければいけないのだ。

 あの別れの言葉は、受け入れることなど到底できない。それを、伝えてやらなければ気が済まない。

 

 屋敷を飛び出し、庭に出たイーヴォは、目視できる範囲にある森に視線を巡らせた。

 今は昼で、すでに狩りに出ている領民もいるかも知れない。

 いてもたってもいられず、イーヴォはひとまず、もっとも近くにあった木立の中に、使用人を二人連れ、足を踏み入れた。



 その後、イーヴォは、目につく木立すべてに足を踏み入れたが、それはすべて無駄足となった。

 そしてさらに数日。魔女の呪文書が鳥で届けられたその翌日のこと。

 とある集落の狩人から、ひとつの報告が上がったのである。


「やけに大きな茶色い雌うさぎが、この冬の最中に、道の真ん中で日光浴をしている」


 その知らせを聞いた瞬間、イーヴォとカルロは、互いに驚いたように目を見開き、顔を見合わせたのだった。


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