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十三話 めでたしめでたしの先へ行く方法2

 カラカラと、軽快な音を立てながら、二人乗りの小型の馬車が道を走る。

 トッリアーニの屋敷から出てきたその馬車には、遠目には青年が二人、乗っているように見える。

 領地の、収穫を終えた畑が延々続く景色の中をゆっくりと進みながら、イーヴォとジョルジョの二人は、問題の森に向かっていた。

 馬車の上にいる二人は、一人は楽しげに、一人はどんよりと落ち込んで、対照的な様相を呈している。


「気にするな、イーヴォ。仕方ないだろう。一度も乗ったことがないのに、いきなり乗馬は無理だよ」

「いや、しかし……」

「前は屋敷を出たこともなかったし、馬車にも乗ったことがなかったんだろう? それならなおさら、馬に乗る練習など、するわけもないって、私にもわかる」


 ちなみに現在、手綱を握っているのはジョルジョだ。

 イーヴォはそもそも、外出をしたことがない。当然ながら、馬に乗るどころか、馬車の手綱すら、これは何だというレベルだったのだ。


「ほら、イーヴォ。せっかくなんだ、景色を見ると良い。出かけたことがないなら、この景色も自分の目では見たことがないんだろう? 君の領民達が、がんばって作り出した景色だぞ」


 その言葉に、ようやくイーヴォは視線を上げた。

 なだらかな丘陵いっぱいに、畑が広がっていた。所々に見える小さな森が今の季節にも緑なのは、常緑の木を植えているからなのだと、イーヴォは知っていた。

 イーヴォは、知識として、自身の領地にどれくらいの畑があるのかを知っている。所々にある緑が、ときおり来る暴風のために、わざわざ位置を選んで植えている防風林であることもわかっている。

 その防風林の近くには、風を受けると傷みやすいブドウの棚がならんでおり、今はどれも春の芽吹きに備えた剪定を終えて、静かに眠っているようだった。

 畑の大部分が、もうすぐ麦の種まきを行うこともわかっているし、どれくらいの収穫が見込めるのかも、わかっている。

 それは、すべて、情報としてイーヴォの元にもたらされる数字だった。

 領地を預かるものとして、知っているべきことだった。

 だが、それはあくまでかたまりの数字で、実際には、その数字は、それぞれ個性ある一の集合体なのだと、イーヴォの目の前の景色は語っていた。

 どれひとつとして同じ森はなく、どれひとつとして同じ畑はない。

 作り出す領民の手は膨大で、それを手がける時間も、同一のものではない。

 そんなことすら、屋敷に籠もっていてはわからなかった。


「……綺麗ですね」


 冬の景色は、春の景色を知るものにとっては、侘しいとすら感じるものだろう。だが、芽吹きを知らないイーヴォにとって、それははじめて見る、雄大な自然の姿である。

 夏の空の青さを知らないイーヴォにとって、まだ冬の気配が残る早春の僅かに霞みがかった薄青の空は、どこまでも透明で、空の広大さを知らせる美しいものにしか見えない。


「実りの季節は、きっと見応えのある景色なんだろうな。見に来るのが楽しみだ」


 ジョルジョは、なんの気負いもなく、未来の希望をその口に乗せる。

 その言葉ひとつで、心がふわりと浮きあがるほど嬉しいのは、今、呪いが解けて浮かれているからなのか。

 頬で受ける風すら、イーヴォにとっては未知のものだ。


「私は、知らないことがたくさんあるんですね……」

「それなら、今から知ればいい。少なくとも、今まで育ってきた時間分くらいは、ちゃんと時間は残っている」


 その時間を、自身の命をかけてまでもたらしてくれたジョルジョは、それが何でもないことのように笑いながら、自身が持っていたものをイーヴォに手渡した。

 手綱である。


「せっかくたくさん知るものがあるんだ。まずはここから行ってみようか」

「……え……え??」

「大丈夫だ、イーヴォ。馬は賢い。基本的に何もしなくても、前には進んでくれる。幸いに、ここは一直線に道が続いている」

「え、え、え!?」


 先ほどまで、景色の雄大さに感動していたことも吹っ飛ぶ勢いで慌てるイーヴォに、ジョルジョは笑いながら、操縦の方法を説明していた。


「基本は馬任せだ。曲がりたい方向に、ほんの少し手綱を引く。馬は生き物だ。当然感情もある。速さを落とす時と止まりたい時は、両方引く。引きすぎるなよ、馬がわかればいいんだから。進む時は、手綱で軽く体を叩く。速さを上げたい時もだ」


 慌てたように、ぎこちなく手綱を握るイーヴォを、隣でジョルジョは笑いながら見ている。

 そのジョルジョの胸元には、彼女の目によく似た色の赤瑪瑙が飾られたタイピンが飾られている。

 イーヴォの持つ中で、一番ジョルジョの目の色に似ていたそれを渡したのは、今日出かける直前だった。

 まだその名で呼べない代わりにと渡した時、ジョルジョは真っ赤になりながらそれでも嬉しそうに身につけてくれたのである。

 ジョルジョが、今隣にいることこそが幸福なのだと、慣れない手綱にあくせくしながらも心から実感したイーヴォだった。





「……イーヴォ」

「……はい」


 二人して、驚愕の表情のまま、かたまりって正面にあるものを確認する。

 何度瞬きしても、目を擦っても、それは消えることなく正面に存在していた。それを確認して、隣にいる人物に確認しても、それが間違いないことは表情が語っている。


「赤い屋根……水車小屋……」


 消えたと言われていた。イーヴォからは、祖父の時代から、ここの調査は定期的に行われていて、イーヴォが王都に行く前にも、ここには何もなかったと報告を受けていたと、今朝聞いたばかりだった。


「石積みの、小屋……なんで……」


 森の中、小さな小屋と、小さな畑。

 それこそ、老人ひとりが隠居するといった言葉がしっくりと合う場所だった。

 そこは、魔女がかつて住んでいたとされている場所だ。

 赤い屋根の石積みの小屋があり、傍には小さな川と、その横には小さな水車小屋がある。

 それがあるはずがないと、思って、場所の確認だけのためにきた二人にとって、ある意味あり得ない景色が目の前に広がっていた。


「……畑もあるぞ。ここ数日で突然できたようには見えないが……」

「薬草も……干してありますね」


 あきらかに、誰かの気配を感じるたたずまいだった。

 二人とも、その森の中にぽっかりと空いた広場に入る寸前で足を止めた状態で、それを眺めていた。

 ぐっと手を握り、先にそこに一歩を踏み出したのは、イーヴォだった。


「イーヴォ!?」

「誰がいるのか……確かめます。ジョルジョはここにいてください」

「いや、一緒に行こう」


 すぐに追いかけてきたジョルジョは、イーヴォの手を取り、ぎゅっと握った。

 その掌に、寒い季節だと言うのにしっとりとしているのは、イーヴォ自身の手汗なのか、それともジョルジョの手の感触なのか。

 ジョルジョも、それに気がついたらしい。はっと顔を上げ、イーヴォを見つめると、にこりと微笑む。


「大丈夫だ」


 その言葉と共に、手の指は離れないとばかりに絡まった。

 不安を感じているのは、二人とも同じ。魔女の恐ろしさを、呪いによって知る二人だからこそ知る恐怖だ。

 二人でその小屋に歩み寄り、改めて小屋を見渡せば、どこもかしこも二、そこで生活をしている気配がある。

 長い年月使い込んだらしい背負い籠や、今朝使って干したばかりと言わんばかりの手拭い。そこかしこに薬草の染みらしきもののある、木の器。

 疑いようもない魔女の気配に、二人揃って息を呑む。

 互いに視線を合わせ、頷くと、イーヴォがその扉についていた呼び鈴の紐に手をかけた、その瞬間だった。


「わたしゃ、客を招いた覚えはないんだがねぇ」


 背後から聞こえたその声に、二人揃ってひっと息を呑み、振り返る。


 そこにいたのは、小さな老婆だった。

 その老婆は、背が曲がっているわけではないが、ジョルジョの胸のあたりほどまでしかない。豊かな白髪を綺麗に梳っているのは、老婆と言えど女性ならではだとジョルジョは思った。

 それをきっちり結い上げ、森の恵みを飾った木のリースのようなもので頭を飾っている。

 手には歩行を補助するためか、杖を握っているが、それが必要とは思えないほど、かくしゃくとしている。


「盗人はこの森には触れられないし、そうじゃないのはわかるが……」


 まとわりつくような声、というものを、二人してはじめて感じていた。

 まるで、その言葉すべてが何かの呪文のように、二人を取り巻き取り調べているようだった。


「まあ、今、わたしゃ長年暮らした古巣に戻ってきて機嫌がいい。招いてやるよ、トッリアーニの若旦那」


 魔女は、にぃと歯を見せながら笑う。

 その魔女の言葉で、二人は、この魔女が少なくともトッリアーニ家の事情をある程度理解していることに気がついた。



 魔女の住み処は、こぢんまりとした外観とは裏腹に、中はきっちりと整頓されて予想以上に広々としたものだった。

 魔女が、部屋の中でいくつか窓の木戸を開けると、そこから光が入り、部屋の様子が一気に目に飛び込む。

 その整理整頓されたたたずまいに、ジョルジョはまるで薬屋のような印象を受けた。


「ここにゃ、人を招くための机や椅子はないからね。床に座りな」


 そう告げられ、足元を見れば、ちゃんと毛足の長い絨毯に、いくつかのクッションも置かれている。

 戸惑いながらも、魔女の言葉に従い、二人ともそこに座り込んだ。

 魔女は、戸惑う二人にかまうことはなく、壁際の暖炉に火を熾すと、そこに鍋をかけ、何かを煮はじめた。

 鍋から、なにやら青臭い匂いが立ちこめはじめたころ、魔女は二人の前にどかりと座った。


「で? お前さんの呪いは解けたってのに、このババアになんの用だい?」


 魔女の視線は、二人の姿をじろじろと遠慮なく上から下まで辿っている。

 その上で、ジョルジョの胸元を見た瞬間、目を眇めた。


「……んん~? なんか、見えるね」


 その瞬間、ジョルジョは目を見開き、イーヴォはそんなジョルジョに視線を向けた。

 今までしっかりと絡めていたその手を離し、ジョルジョはイーヴォに顔を向けた。


「……イーヴォ。あなたが言いたいこともたくさんあるだろうが、この場はしばらく私に預けてもらえないだろうか?」


 その真剣な眼差しに、否とはとても言えなかった。


「……わかりました」


 イーヴォは、場を譲るようにうしろに下がり、逆にジョルジョは、改めて魔女の方に向き直り、胸元から何かを取り出した。


「魔女にとって、呪文は我が子に等しく、その呪いは我が身に同じ」

「……おや、お前さん、その言葉、誰に聞いたんだい?」

「緑の手、ミロスラヴァから、ご教授いただきました。その言葉に従い、名を知らぬ偉大なる魔女に、こちらをお返しいたします。こちらを、私達からの進物として、お納めください」


 そう言って、ジョルジョはその懐から取り出したものを開いて見せた。

 それは、布に包まれた、丸い小さな水晶玉。薄水色で、まるでイーヴォの目のようなそれは、あの日ジョルジョが、イーヴォから引き剥がした呪いの芽だった。

 イーヴォは、それが何かわからないまま、ぞくりと背中を冷気でなで上げられたように、全身の肌を粟立てた。


「おや、おやおや、まあ」


 魔女は目を見開き、それは嬉しそうにそれを指につまんで、窓に向けて光に掲げた。


「それと、こちらもお納めください。ミロスラヴァの手による、呪いの種を巻き戻すための呪文書です」


 もうひとつ、同じように懐から取り出した折りたたまれた紙を広げて、魔女に差し出した。


「ああ、みせとくれ!」


 ひったくるようにそれを手に収めた魔女は、ひとつひとつの文字を指で辿るように、ふんふんと頷きながらその呪文書を読みふけった。


「ああ、ミロスラヴァ。確かにこれは、ミロスラヴァの手だね。うん、いいとこいってる。少し遠回りではあるが、ほぼ読み解いているね。ああ、あの子の呪文のなんてかわいらしいこと。まるで花でも咲いているようじゃないかえ」


 まるで恋する乙女が、愛しい人からの恋文を読み解くがごとくに喜ぶ魔女の様子に、イーヴォは呆然としていた。

 今までの展開から、魔女に歓迎されていなかったのはわかっていたのに、今何があって、魔女がここまで喜びも露わになったのかわからない。

 ジョルジョに視線を向けてみれば、その真剣な眼差しは、今も魔女の様子を見守っている。

 彼女が、今まで調べていたすべてを、今まさに披露しているのだと、その覚悟を決めたような横顔に感じた。

 ジョルジョは、大喜びする魔女の正面で、魔女の次の動きを待つように、微動だにしていなかった。


「うんうん、あんたの贈り物、気に入ったよ。ちょっと待ってな」


 魔女はそう言うと立ち上がり、先ほどから鍋て煮ていた何かを木でできた器に注ぎ、二人の前にことりと音を立てて置いた。


「さ。あんたは、これの意味がわかってんだろう? 遠慮せずにいきな」


 ジョルジョは、魔女にそう告げられ、その器を手に取った。

 それをまねてイーヴォも手に取ろうとしたのだが、それを気配で察し、ジョルジョは振り返るとそれを制止した。


「……イーヴォ。これは、毒ではない。魔女の返礼であり、一気に飲み干すのが礼儀だ。……飲む気なら、死ぬ気で、吐き出すな」


 これから何に挑むのかわからないほど真剣な、ジョルジョからの忠告だった。


「だが……無理をして口をつけて、魔女の前で吐き出すよりは、飲まない方がまだいい。これは、二人とも飲まなければいけないだろうか?」

 

 ジョルジョは、真剣な眼差しでイーヴォに告げ、そして魔女に質問した。

 魔女は、慣れているのかあっさりと首を振った。


「いいや、土産はあんたからもらったんだ。あんたが飲めばかまやしないよ」


 そう言われて、さすがにイーヴォは大人しくその器から手を離した。

 その次の瞬間、イーヴォにさんざん忠告したジョルジョ自身は、その器の中身を一気にあおった。


「ジョ、ジョルジョ?」


 ごくごくと、音を立てる勢いでそれを飲み干したジョルジョが、からになった器を口から離せば、イーヴォがかつて見たことがないほど、ジョルジョは渋い顔をして、魔女にその器を差し出した。


「いい飲みっぷりだねえ……惚れ惚れするじゃないか」

「……あなたの返礼茶は、生涯忘れ得ぬ味がいたしました」


 事実、ジョルジョは生涯この茶の味は忘れないと思った。あらゆる植物、あらゆる茶の、人が不快に感じる味をすべて集めたような、そんな茶だった。青臭さと苦み、渋みと粘り。わけのわからない不快な匂いも口から漂っているような気がする。

 今もまだ流しきらないその感触に顔をしかめたままのジョルジョの前で、魔女は頷きながら宣言した。


「魔女の礼儀を知るあんたの言葉、聞いてやろう。今日は特別だよ。引っ越し祝いと、懐かしい私の呪いとの再会、そして新しい友からの手紙を見せてくれたからね」


 正面の魔女は、そう言って、ジョルジョに水を差し出したのだった。



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