表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
12/18

十一話 イーヴォ・トッリアーニ4

 今日、イーヴォが屋敷を出発する時、ジョルジョに会いに行くことは屋敷の使用人達にも伝えられていたことだった。

 ただ、今日、そのジョルジョを、イーヴォが連れて帰ることになるとは思っていなかった。イーヴォ本人ですら、まったく考えていなかった。

 馬車の中で、二人で膝をつき合わせている間にも、おそらくは使用人達は驚くことになるだろうなと思いつつ、イーヴォはジョルジョの姿を眺めていた。


「……ジョルジョ。ひとつ、聞いても良いでしょうか?」

「何かな?」

「とてもとても大事なことなんですが……女性なんですよね?」


 イーヴォは、頭の中ではすでにそれを確信している。目の前の人物の正体も、おそらくはと言う段階はすでにすぎて、間違いないとさえ思っている。

 それでも、目の前に本人がいると、どうしてもその確信が揺らぐのだ。


 相手の性が違って見える理由というのは、何なのか。

 ジョルジョの場合、外見は男女どちらともつかない、中性的な雰囲気を持っている。

 男性にしては細身で、女性にしては身長が高い。

 男性にしてはなよやかな顔で、女性にしては丸みが足りない。

 外見がどちらともつかなければ、あとはその仕草などで判断するしかないが、ジョルジョの場合、丁寧なのにそこに女性らしさはかけらもない。口を開けばこれでもかと聞こえる女性への賛美のせいで、そこに男性であることを疑われる要素もない。

 知れば知るほど、女性の疑いなど遠ざかるのが、ジョルジョである。


 状況的に確信するしかないこの現状においても、確信が揺らぐ。

 だが、ジョルジョはあっさりとそれに答えて見せた。


「もうわかっているものだと思ってた。その通りだよ」


 こちらの悩みなどものともしない潔い回答だった。しかも満面の笑みである。


「……もっと……こう、なんと言うか……聞いてはいけない繊細な問題的な……」

「つい先ほどまでならそうなんだが……今はもう、ジョルジョはいないことになっているからね。私も、わざわざそれをごまかすつもりもないんだ」


 その言い方に、違和感を抱いたイーヴォは首を傾げた。


「つい、先ほど……?」

「それに関しては、あとで君の家に着いてから、すべて話すよ。……それにしても」


 今度はジョルジョの視線が、先ほどのイーヴォのように相手の姿を上から下まで辿っていく。

 そして手を伸ばすと、髪の一房を指先で弄ぶ。


「うん、黒白猫の意味がわかる色合いだな」

「そう、ですか?」

「髪は黒だったんだな。まあ、前のぶちの時も、頭のうしろにも黒ぶちがあったから、それほど違和感がないな」


 ジョルジョは、イーヴォの困惑を置いてけぼりにして、なにやら納得したように、うんうんと頷いた。


「母が……どうやら私は、母似だったようです」


 それを聞いたジョルジョは、そうか、と嬉しそうに微笑んだ。


「その服は、新しく仕立てたのか? 前より少し、体つきも変わっている気がする」

「これは、父の服を直したんです」


 さすがのジョルジョも、その返答に驚いたらしい。珍しくそれが表情に出ている。


「父君は、どこにいたのかもわからないと言ってなかったか?」

「はい、その通りです。ですが、領地の家も王都の家も、いつ主人が現れても大丈夫なように、礼服と外出着をひと組ずつ着替えが用意してあったそうで。それを直して着ています。ですから、父のものと言っても、一度も袖は通したことがないものなんです」


 はじめは、尻尾用の穴を塞げばいいと思っていたのだが、あいにくとそうは行かなかった。


「あなたのお見立てどおり、どうも寸法がかなり変わったようで……」

「だろうな。さっき感じたんだが、背も伸びているだろう?」

「はい。靴も手袋も、すべて作り直さなければならないようで……そのままで使えるのは、帽子だけでした。ちなみに今履いている靴は、祖父のものです」


 綺麗な飴色に磨かれた革靴に視線を落としながらそう言うと、ジョルジョもそこに視線を向けた。


「全身、ご家族のものなんだな」

「はい」

「よく似合ってる」


 そう言って、ジョルジョは微笑んだ。

 我がことのように喜ぶジョルジョの姿を見て、イーヴォも僅かながら、はじめて味わう、心が浮き立つような気分というものを感じていた。



 たどり着いた家では、不安そうな使用人達に玄関で出迎えられた。

 全員、結果を聞くために集まっていたようで、イーヴォのうしろにジョルジョがいるのを見つけて、わっと沸き立った。

 一斉にジョルジョを取り囲み、英雄をたたえるがごとくに長年トッリアーニ家を苛んでいた呪いを解いたことの感謝を述べる使用人達から、イーヴォがジョルジョを取り戻せたのは、全員がひとまず一度ずつはジョルジョと握手を終えたあとだった。


「聞きたいこともあるので、今日、晩餐をご一緒にいかがでしょうか。よろしければ、そのまま当家に宿泊していってください」

「助かるよ! 実は今日の寝床にも困ってる状態だから」


 その場にいた、イーヴォを含む全員が、驚きに目を剥いた。


「え、あの……」

「いや、私はもう、領地にある修道院で幽閉予定だったもので、家に帰るわけに行かなくてね。たぶん、街の宿泊施設も、ある程度の場所は顔も知られているし、うっかり顔を出せばそのまま連れ戻されてまた送り出されそうだから使えなくて」


 ジョルジョ本人は笑いながら、軽くそんなことを口にするが、それを聞いたトッリアーニ家一同は、先ほどまでの笑顔も消し飛び、笑い事ではなくなっていた。


「ゆっ、ゆうへい!? なぜ!?」

「あー。なんと言うか、今年中には元々そうなる予定だったとしか」

「さ、さっきの馬車は……」

「あれは、ジョルジョを消すためのものだよ。元々、私の存在は、ダマート家ではあやふやなものだ。私が男ではない限り、いつかはジョルジョという存在は消えなければならない。だから、あの馬車で別荘に向かい、そこで病死となる予定だったんだ」


 そしてそのまま、領地の修道院へ頃合いを見て移動する予定だった。

 そう語ったジョルジョに、イーヴォは愕然としていた。

 だが、周囲の使用人達は、それ以前の問題でぽかんと口を開けていた。


 結局、使用人達がジョルジョの性別について理解できたのは、その日の夜、ジョルジョの着替えを手伝った侍女の目撃談があって以降のこととなる。

 



 呆然と立ちすくんでいた使用人達の間を縫い、ジョルジョとともにテラスに入る。

 ソファに落ち着き、なんとか平静を取り戻したカルロがお茶を用意したところで、イーヴォは改めて核心となる話に触れた。


「……ジョルジョ。あなたは……フィオリーナの、娘なんですね?」

「ああ、その通りだよ。まあ、母の名はフィオリーナではないんだが」


 改めて突きつけられたその事実に、イーヴォは項垂れた。


「あの日……辛いことを答えさせてしまい、もうしわけありませんでした」

「気にしなくていいよ。……幸いにと言うか、赤ん坊の頃の話だし、私自身にそんな記憶はないんだ。おまけに、私は母に、会ったこともないからね」


 悲痛な表情で顔を上げたイーヴォに、仕方ないなと言うように苦笑したジョルジョは、まるでイーヴォを慰めるように、ぽんと頭に手を置いた。


「言ったろう? そう悪い暮らしでもなかったよ。私を預かってくれた女神官様というのが、父の叔母に当たる方でね。事情のほとんどを説明されないままに預かった私を、我が子のように可愛がってくださったんだ。礼儀作法にはうるさい方だったが、私のことは災いを呼ぶらしいと言う曖昧な情報しかなかったのに、それがあなたなのだからと受け入れてくださった。厳しいのに、それ以上におおらかで優しい、私にとってはあの方こそ、母だったんだよ」


 微笑を浮かべながら懐かしい思い出を語るジョルジョの姿は、なにひとつ痛みを見せない、穏やかなものだった。


「……あの、では、もしかしてお名前も違うのではありませんか。ジョルジョは男性名です。本名はなんと仰るのでしょうか。そのまま、ジョルジョを女性名にして、ジョルジャ、とお呼びすれば良いんですか?」

「いや、それがだな……ないんだ」


 ここまで来て、何を言われても大丈夫と覚悟を決めたつもりだったイーヴォにも、さすがに予想外すぎてぽかんと口を開けた。


「……え?」

「私には、名前がないんだ。元々、生まれてすぐの時は、それどころの話ではなくてね。ひとまずどんな災いが起こるかわからないから、とにかく家から離せという話になって、生まれた母方の実家から、すぐさま女神官様に預けられて……父がそのまま、私に名前をつけていないこと自体を忘れてしまったらしい」

「じゃ、じゃあ、その、ジョルジョというのは……」

「兄上がな、私が母の腹にいる間に呼んでいた名前なんだそうだ。兄上は、母から絶対に弟が生まれるからと言われ続けていて、その時にはそう名付けてくださっていたそうなんだが、あの騒ぎで一度も会うことがないまま引き離されてしまい……。その後も、まだ幼かった兄上には真実は知らされず、私のことをずっとジョルジョと呼んでくださっているうちに、家にその名前が定着してしまったんだ。だから、正式な名前はないままになっている」

「じゃあ、手紙が、名前を書くと届かないというのは……」

「ああ、カメーリアに話を聞いたのか。基本的に、私に届く手紙は、すべて父上が中をあらためることになっていてね。読んだあとは当然そのままだから、私に届かないんだ。だから、執事に頼んで、次男宛となっている手紙は、私にそのまま渡して欲しいと頼んだんだ」


 聞くうちに、イーヴォもだが、部屋の隅で立っていたカルロまで、唖然となっていた。


「どうして……そんな……」

「父上は、今もほとんど私とは顔を合わせてくださらないよ。話はすべて兄上を経由して伝えられるし、私が顔を出しそうな場所には、父上は近寄らない。まあ、私も、父上がそうだとわかっているから、父上が用事がありそうな場所には近寄らないようにはしていたが……さすがに、長い間そうしているのも疲れるし、もとよりジョルジョという存在は泡沫のようなものだ。兄上の結婚を機に、母上の呪いについては、私を家から除名することで災いを防ぐという形で終わらせようと、そういう話になったんだ」


 ダマート家に呪いをかけた女はすでに死んでいる。その原因となった男も、そしてジョルジョの母も死んでいる。ただ、正体も、存在も、まったく確認することができない呪いというその言葉だけが、ダマート家には残っている状態だった。


「だから、私はあの物語を書いた。元から、母上に起こった話を聞いて、自分なりに魔女を探してはいたんだが、すでに亡くなった魔女と、酒場にふらりと近寄ってきた魔女を探すとなると、空を掴むような話でね。それならいっそ、情報から来てもらおうかと、そう思ったんだ」

「あなたが、お伽噺や昔話を集めていた理由は……やはり、魔女を探していたんですね」

「ああ。私が十四の頃、女神官様が亡くなってね。領地の屋敷に連れ戻されたんだ。その前から、領地の話については纏めていたんだが、母が呪いを受けたのは王都だ。どうせならと、思い切って王都に移って、そこから次第に手を広げたんだ」


 その時から、ジョルジョ・ダマートは、社交界に存在することとなった。そして許された時間で自分の足を使い国中を巡り、丁寧に話を聞いて回った。とても病弱な人間のすることではないだろうが、ジョルジョの父はそれを止めることはなかった。興味がなかったのか、それとも調べてくるならそれもよしと判断したのかはわからない。


 だが、それだけしても、結局魔女にはたどり着かなかった。

 国が広い、というのもあるだろうが、それ以上に、肝心の場所に手がつけられなかったのもあったのかも知れない。


「それなら、当家の領地についても……調べようとなさったんでしょうか」

「真っ先に。トッリアーニの呪いについては、あなたのおじいさまが呪われた当時の噂が、僅かに話に残っていたから。トッリアーニ家には、話を聞かせて欲しいと手紙を送ったこともあったんだが……まあ、あなたのお父上の時代は、一切反応がなかったし、時代も古い話だからと、諦めたんだ」


 イーヴォの父が当主の時代であれば、確かに一切、他家との繋がりを絶ってしまっていた頃だ。その頃に、呪いだの、魔女だのと言われても、煩わしいこととして相手にもしなかったかも知れない。

 イーヴォは、それを聞いて、項垂れながらも考えていた。


「……それであなたは、もう、呪いについては調べることはなさらないのですか?」

「ん?」

「もう、領地に戻って、生涯幽閉されて過ごされるんですか? 私には、諦めることに慣れるなと、そう言ったのに」

「……あの時、聞こえていたのか?」

「私の人生がまだ半分なら、あなたならまだ半分以上残っている。その残りの時間を、あなたは諦めて過ごすんですか?」


 我がことのように、悲痛な表情でそう訴えたイーヴォに、ジョルジョは意外なほど力強く、簡単に答えた。


「はは、まさか!」


 そこに浮かんだ笑みには、諦めなどと言う後ろ向きの感情は一切見られなかった。


「ダマートの名はなくなっても、私の体はそのままだ。私は変わらず私だ。それなのに、何を諦めるんだ。私はまだ、生きている。災いもなくだ。……確かに、私が子をなせば、その子はあなたと同じように、獣の姿になるかも知れない。あなたの嘆いた期間を思えば、それを子に背負わせるのも忍びない。それでも、私の中から呪いの種を除けば希望はある。私はまだ、諦めたりしていない。私の代で、呪いの種を除く方法を、ずっと探すつもりだよ」


 ひたすら前向き。ひたすら前進。羨ましいほど直向きで、眩しいほどに行動的。


 イーヴォの知る、ジョルジョそのままの返答に、イーヴォは覚悟を決めた。

 真剣な表情で、正面にいるジョルジョに告げた。


「それなら……ダマートがあなたを除名したのなら、どうか当家で、新しい名で、お過ごしください。そして……どうぞ、当家の領地にお越しください。当家の領地こそ、この呪いのはじまりの地です。きっと、何か手がかりもあるでしょう。私を救ってくれたあなたに、それくらいの恩返しはさせてください」

「……私は、ある意味、あなたを利用したんだ。私は、あの方法で本当に呪いは解けるのか、試したかっただけかも知れないよ?」


 その言葉を受けても、イーヴォは、笑顔を浮かべた。


「ずっと、ずっと昔のことです。どうして私がこんな姿なのか、正確なことは聞かされていなかった頃の話です。魔女の参考にと集めたのかも知れませんが、家にも、お伽噺の絵本はありました」


 突然はじまる昔語りに、ジョルジョが首を傾げている間に、イーヴォは座っていた椅子から離れ、ジョルジョのすぐ傍に歩み寄った。そしてつい先ほどまで、不似合いなダマート家の指輪がはまっていた指をそっと手に取り、押し頂いた。


「その絵本では、姫君の口付けで王子の呪いは解かれ、本来の姿を取り戻し、めでたしめでたしで終わっていました。もし、私が人の姿に戻る日が来るのなら、こんな風になるのかと、そう夢に描いていました」

「……それはまた、夢を壊して申し訳ないな。私の姿は、姫にはほど遠いし」

「構いません。私の姫は、凜々しい姿で颯爽と現れ、私の髭を褒めてくれたあなただったというだけのことですから」


 少し顔を上げ、微笑んだイーヴォは、そのままジョルジョにまっすぐと告げた。


「もし呪いが解けたなら。そんなことを想像することも、私は諦めて忘れていました。そして、姿を取り戻してくれた姫がまだ呪われているのなら、私にとって、まだ物語の終わりは来ていません。……もう、私も諦めはしません。どうか、あなたの呪いを解く手伝いを、私にもさせてください。そして共に、めでたしめでたしのあとを、過ごしていただけませんか」


 その必死のイーヴォの告白に、ジョルジョは驚いたようにしばらく目を見開いたあと、その眼差しからぽろりとひと粒涙をこぼしたのだった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ