魔術師長様の結婚式
「結婚かぁ」
私は職場の窓から、いつになくぼんやりと空を眺めていた。青い空を悠々と雲が流れている。そのふくふくとした白い色を見て、ふと思った。
「ウエディングドレス、着たかったなぁ」
「ウエディングドレス?」
突然割り込んできた声に驚いて慌てて振り返る。
「ま、魔術師長様!もう戻ってきたんですか!?」
「……ほう。まるで戻ってきて欲しくなかったような言い草だな、ハナ」
浴びせられる冷たい視線に、私は目の前でぶんぶんと両手を振った。
「い、いえいえ!まさか!そんなことは!」
もちろんありますが。
……そりゃ上司の不在を喜ぶのは勤め人の性だろう。ましてやその上司が仕事に厳しい上に性悪な男とくれば。
陛下に呼ばれて、珍しく素直に執務室を出て行った魔術師長を見送ったのはついさっきじゃないか。ちょっとは息抜きできると思ったのに。はぁ。
「ふん、まあよい。それで、ウエディングドレスとはなんだ?」
魔術師長は執務机に座ると、書類を手に取ってパラパラとめくり始めた。
「えーと……。結婚式に着るドレスのこと、です……」
なんだか恥ずかしくなりモゴモゴと答えた私に、それでも魔術師長の地獄耳はしっかりとその言葉を捉えたのだろう。珍しく僅かばかり驚いたような表情で書類から顔を上げた。
「つまり婚礼衣装のことか?まさかそなた、結婚式をしたいのか?あんなもの、ただの見世物ではないか」
その言葉になんとなくカチンときた。何もそんな思いっきり否定しなくてもいいじゃないか。
「結婚式は、女性にとっては一生に一度の晴れ舞台ですよ!私だって女ですから、結婚式に憧れくらい持ってるんです」
ついムキになって言い返すと、魔術師長は心底嫌そうに眉をしかめた。
「まさかそなたから普通の女のような言葉を聞くとはな」
聞くとはなって、私、普通の女ですけど。魔術師長にとって私ってどんな認識なんだ。
「とにかく私は結婚式など御免だぞ。普段から周囲の視線がうるさいというのに、これ以上注目されたくはないからな」
魔術師長は私に結婚式のおねだりをされるのを警戒してか、そうきっぱりと言い切った。
魔術師長はそのずば抜けた美貌と魔力から、常に畏怖と敬意とお熱な視線を集めている。いつも涼しい顔で無視しているから気にしていないんだと思ってたけど、どうやら煩わしさを感じていたらしい。
でもだからって、そんな切り捨てるような言い方しなくても。
(……私、なんであの時「はい」なんて答えたんだっけ)
乙女の夢を屁とも思っていないであろう魔術師長の、神々しいのに何故か悪魔を連想させるお綺麗な顔を見ながら、ついつい自問自答してしまう。遠い目になるのも仕方ないというものだ。
私はつい先日王宮で行われた晩餐会で、魔術師長の花嫁に選ばれた。それは破棄のできない契約書の約定に基づく選定だった。曰く、貴族階級の最も魔力の少ない女。この世界の人達がみな魔力持ちである中、私は魔力保有量ゼロ。日本生まれ日本育ちの私が、魔力なんぞ持ってるわけあるかいな。しかも私の与り知らないところで勝手に魔術師長の実家の養女にさせられていて、これまた知らない間になんちゃって貴族にされていた。そんなわけで、契約書はあっさり私を花嫁に指定した。
もちろん、そんな情緒もクソもない経緯で結婚させられるなんて断固拒否だと抗議したが、魔術師長が、まあその、自分の意思で私を花嫁に選んだ、みたいなことを言うもんだから、うっかり流されてオーケーしてしまったわけである。私ちょろい。
けれどあの晩餐会以降、婚約者同士らしい甘い空気など皆無で、いつも通り私を侍女として、いや、自分専属の便利な召使いとして日々こき使う魔術師長。まさか結婚イコール奴隷契約じゃないよなと、最近はかなり疑心暗鬼だ。
(やっぱり今更婚約破棄なんて無理かなー。そもそも破棄なんてしてこの場所にいられなくなったら、この世界じゃ他に居場所なんてないし)
半ば諦めの溜息をつきながら、それでも嫌味の一つでも言ってやらねば気がすまず、わざと馬鹿っぽい口調を作った。
「これ以上注目されたくないって、魔術師長様ってば自意識過剰〜。結婚式の主役は花嫁ですよ!新郎なんて花嫁の添え物ですって〜!」
勘違い恥ずかしい〜!ププっと笑ってやった。
しかし、魔術師長は怒ることなく、それはそれは美しく笑った。あまりの美しさに、こんな状況にも関わらず思わずドキッとしてしまった。そしてドキッとしたにも関わらず、背筋がゾクッとなった。
「……なるほど。では私とハナが結婚式を挙げた場合、主役は花嫁であるハナで、当然注目を集めるのもハナだ、と。そういうことだな?」
「そ、そうですね」
魔術師長の笑顔に圧倒され、ついタジタジとなる。魔術師長は、そんな私の頭のてっぺんから足の先まで、まるで品定めでもするかのように、ゆっくりと視線を滑らせた。そして。
「フッ」
鼻で嗤った。
おい。なんか私の容姿に文句あんのか、コラ。
そんなことがあった数日後。私は国王陛下のツルッと輝く丸いおでこを凝視していた。
「そなたが魔術師長を説得したとか。なかなか良い働きをするではないか」
今まで散々邪険に扱ってきた私に、陛下は初めて満足そうな笑顔を零した。
「結婚式は行わないと魔術師長は頑なに申しておったが、余も諦めきれなんだ。なにせ魔術師長は我が国が誇る最強の魔術師。魔術師長の結婚式はフローリアの威厳を改めて示す良い機会だ。国中の貴族と各国の要人を集めて大々的に催おしたい。そなたも我が国の恥とならぬよう、入念に準備致せ」
「……魔術師長様。どういうことですか?」
ギギギ、と首を回して陛下の隣に立つ魔術師長を見ると、魔術師長は麗しい、つまりは底意地の悪い笑顔を浮かべていた。
「そなたが望んだのではないか。結婚式を挙げたい、と」
愉しそうに、意地悪そうに笑う魔術師を見て、私はしてやられたと悟った。
自国他国の王侯貴族が集まる中で自分の結婚式を挙げるなんて冗談じゃない。肩書きだけ貴族になっていようが、私は生まれてこのかたド庶民代表だ。そんなの、魔術師長が言っていた通りただの見世物、針の筵、壇上にあげられたピエロ以外の何者でもないじゃないか。私だけがな。くっそ。
ここは下手に出て危機回避するしかない。
「あの、私が考えていたのは極々ささやかな式です。私なんかのために、そんな大々的に結婚式をしていただくなんて申し訳ないので、せっかくのお話で」
「そなたの為なわけがあるか。主役はあくまで魔術師長、そなたは添え物に過ぎん。まったく何を勘違いしておるのだ、この娘は」
どこかで聞いた台詞である。
「自意識過剰とはこのことだな。恥ずかしい」
「……」
こんのツルピカ親父、頭上に残った芝生も刈り取ってやろうか。
しかし怒りに震える私に反して、魔術師長はニヤニヤと上品に笑うという矛盾した現象を顔面に起こしている。そしてどこかしら生き生きとした様子で口を開いた。私を虐めるのがそんなに楽しいか。楽しいんだな。
「陛下、そのような言い方はやめてください。ハナは私の大切な婚約者ですよ」
「……魔術師長、そなたはこの娘にとことん甘いのだな。この娘のどこがそんなに良いのか、余には全く理解できん」
「フフ。ハナは魔力の多すぎる私が半ば諦めていた花嫁なのです。つい甘やかしてしまうのも仕方ないかと」
どこが甘やかしてるんだ、どこが。つい虐めてしまうの間違いでしょう。
私の胡乱な視線を綺麗に無視して魔術師長は続ける。
「ですから、ハナに結婚式をねだられて断ることができなかったのです。それにふと思ってしまったのですよ。私の婚約者の、花嫁姿が見たい、と」
「ふん。この娘の花嫁姿など、婚礼衣装に身を包んだそなたの美麗な姿の前には霞んでしまうと思うがな。……まあ、いい。魔術師長、結婚式はくれぐれも頼むぞ」
最後は言いたいことだけ言うと、陛下はあっさり去っていった。
褒めにきたとフェイントをかけて、結局いつも通り人を貶していきやがった。私だって陛下の褒め言葉なんかいらないけど、いつも理不尽な物言いをされる身としては腹の立つことこの上ない。
イライラと陛下の遠のいていく後ろ姿を睨みながら、その頭頂部に進行性の呪いをかけてみる。熱心に念波を送っていると、スッと私と距離を縮めた魔術師長は、両手を私の頬に添え、そのまま私の顔ごとグイッと魔術師長の方に向けさせた。
痛い!そんで扱いが雑っ!!
「ハナ。そなたは私の婚約者なのだぞ。そんなに熱心に他の男を見つめてはならぬ」
「……はぁ!?見つめるって、気持ちの悪いこと言わないでください!」
ブワッと、何故か突然色気を大放出する魔術師長。なんなんだ。精神攻撃か。言っていることも意味不明だ。
「私を嫉妬させようとしているのか?悪い娘だ」
「……。言っている意味がわかりませんが、ほっぺたに食い込んでいる指が痛いです」
「可愛さ余って、だな」
「……可愛いとか、またそうやって心にもないこと言って私を揶揄って虐めるの、いい加減やめてください。……ちなみに、ほっぺたがほんと痛いです。顔が変形しそうです」
「私が婚約者であるそなたを虐めるなどするわけなかろう。それから顔のことだが案ずるな。今さら少し変わったところで大して影響せぬ」
どういう意味だ、このやろう。
「そもそも、魔術師長様が私なんかに嫉妬するわけないじゃないですか」
「……なぜだ?」
艶っぽい笑顔のまま首を傾げる魔術師長に、突然プチッと何かが切れてしまった私は、溜まっていた鬱憤を一気に吐き出してしまった。
「だって!!魔術師長様は嫉妬するような好意を私に寄せてないですよね!?婚約してからも変わらず意地悪だし、揶揄うし、私を虐めて楽しんでるじゃないですか!晩餐会の帰りの馬車の中で言ってくれたことだって、どうせ私を納得させるための嘘だったんでしょ?他に魔術師長様の魔力を受け入れられる女性がいなかったから私を選ぶしかなかったんですよね?楽しかったですか?魔術師長様の言葉を真に受けて浮かれてる私を見て!魔術師長様、はっきり言って性格悪いです!!」
ハァ、ハァ、ハァ。
私は肩で息をしながら清々しい気持ちに酔いしれた。
言ってやった!ついに言ってやったぜ!!
しかし。
次の瞬間、ふわり、と風が動いたかと思ったら、私は魔術師長の腕の中にやんわりと閉じ込められていた。
ピシッと固まる私。
私の危険センサーがものすごい勢いでガンガン警報を鳴らす。
「クク。ここ数日いやに暗い表情をしていると思ったら、拗ねていただけとはな。ハナにしては中々愛いことをする」
この男、メンタルまで最強か。
一瞬呆気にとられるも、鼻腔から流れてくる魔術師長の上品で官能的な匂いに全身にぞわぞわと鳥肌が立ち、すぐにそれどころではなくなった。
私の背に回された魔術師長の手が、悪戯に後ろ髪を結んだリボンの先をピッと引っ張る。大した力ではなかったのに、リボンを引かれた反動でクイっと顔が上を向いた。
ちゅ。
おでこに一瞬だけ触れた柔らかくて温かい感触に、私は頭の中が真っ白になった。
「ふふ。そなたは明日から私の執務室には来なくて良い。侍女の仕事はしばらく休みだ。結婚式の準備に専念致せ。わかったな」
魔術師長は色気だだ漏れの、しかし心底意地悪そうな微笑みでそう言うと、私に回していた腕を解いて悠々とその場から去っていった。
取り残された私はといえば、魔術師長から開放された途端に全身の力が抜けたようにその場に崩れ落ちてしまった。
おでこを片手で押さえながら、ボーッとしたようにしばらくその場から動けなかったのだった。
「さ、最悪だ……」
私はバフッと疲れ果てた体をソファに投げ出した。
王宮内にある魔術師長の執務室には応接室や資料室の他に、専用の休憩室も併設されている。普段は私しか使わない為、ほぼ私の部屋化している便利な空間だ。
その部屋に置かれたソファにグニャリと沈み込んだ。疲労が半端ない。しかし体以上に心はボロボロだった。
今日、私と魔術師長の結婚式が執り行われた。そして今は晩餐会の最中だ。来るわ来るわ、古今東西、国中の貴族は勿論のこと、世界各国の王族貴族がこぞってフローリアにやって来た。あのツルピカ……、もとい、フローリア国王陛下はよほど張り切って招待状をばら撒いたのだろう。
セレブに囲まれたド庶民。それが私。地獄であった。
始まる前から穴を掘って全力で隠れたい気分だった。ましてや私の隣に立つ魔術師長の、麗しいこと麗しいこと。婚礼衣装に身を包んだ魔術師長は、もうあれは神々しいレベルを超えていた。現人神降臨の歴史的一幕だった。流れる黒髪から放たれるフェロモン、切れ長の紫の瞳から溢れ出る色気、蠱惑的な唇が刺激する官能。美しすぎて触れられないことがまた欲情を煽るかの如く、皆が皆ボヘッと魔術師長に見惚れていた。そんな魔術師長の間近にいた私はといえば、鼻血が出ないよう全神経を集中していたために、魔術師長に魂を吸い取られることだけは何とか耐えた。神に扮した悪魔、それすなわち魔術師長。魂を奪われたら終わりである。つまり私は悪魔に嫁入りした悲劇のヒロインだ。嬉しくない。
そして美の神(みんな騙されている)の伴侶はさぞや……と誰もが決まって視線を横に移す。そして私を見て目を見張る。更に横に視線をずらす。私の後ろにも視線をずらす。そして再び私に視線を戻して驚愕するのだ。
人の落胆とは、あんなにもはっきりと目に見えるものなのかと痛感した一日。
いや、もうそれはいい。最初っから分かっていたことだ。魔術師と美人比べなんて、恐竜に素手で戦いを挑むようなものだ。
けれど。
「なんで黒……」
私が一番許せなかったこと。
それは、婚礼衣装が黒だったことだ!!
衣装作りの採寸の際、国一番とかいう仕立屋のおっちゃんに日本の婚礼衣装はどんなデザインか聞かれ、私は意気揚々とウエディングドレスのイメージを紙に書いて、このドレスにいかに乙女の夢と憧れが詰まっているかを熱弁した。明らかに洋風テイストなここフローリアで、何も白無垢だ色打掛だと騒ぎ立てた訳じゃない。女の子なら一度は憧れる白いドレス。そう。私はハッキリと「白い」ドレスと言ったのに。
「なんで黒なのよ!!」
しかも某ネズミ会社が映画化した白雪姫に出てくる悪い継母女王みたいな衣装……!!
魔術師長の正装は黒、当然魔術師長の奥方の正装も黒ってんで、婚礼衣装は2人揃って真っ黒。そりゃ豪華な宝石をふんだんにあしらったアクセサリーも沢山つけられたけど!けど!!
気の乗らない結婚式で、唯一の楽しみがウエディングドレスを着られることだったのに!
フローリア国での貴族女性は昔のヨーロッパ貴族が着ていそうな洋風なドレスを着ているし、日本のウエディングドレスを聞かれた時点でうっかり希望通りのドレスが着られるもんだと思い込んでいた……。ていうか、着る衣装が決まってるなら、わざわざ異世界のドレスなんて聞くなよって話だ。どうりで最初の採寸以降、お直しとかしなかったわけだ!絶対確信犯……!!
「くそぉ〜」
白人顏のこの世界の人達から見れば、ザ・日本人顏の私なんて童顔そのもの。そんな私が綺麗とか可愛らしいどころか、むしろ偉そうなふてぶてしいデザインの黒い衣装を着た姿はさぞかしチンチクリンで滑稽だっただろう。
「……最悪」
憤りが収まってくると、次に胸に去来したのは虚しさと悲しさだった。
教会での厳かな誓いがあるわけでもなく、永遠の愛を約束しあったわけじゃない。ただ大勢の王侯貴族に囲まれて、陛下の前で婚姻の許可をもらっただけだ。そしてその後はパレードよろしく王都を馬車で練り歩き、国民に手を振り、それが終われば当然晩餐会。私が夢見た結婚式の、一欠片も実現なんかしなかった。
魔術師長も私がてんやわんやしているのを見て愉しそうにしていただけだし。
「最悪」
私が同じセリフをもう一度呟いた時、休憩室の扉がノックもなくガチャリと開いた。
「……魔術師長様」
「こんなところにいたのか、ハナ」
晩餐会も終盤に差し掛かっていたとはいえ、周りの目を盗んで勝手に会場を抜け出した花嫁を咎めるような不機嫌な様子の魔術師長に、私は気まずく目線を下げた。
「勝手に持ち場を離れるな」
持ち場って、結婚式は仕事かよ。
そうは思ったが、言い返す気力もなかった私は疲れた溜息を吐いた。
自分の結婚式だというのに、喜びも情熱も、ましてや愛情なんて一欠片も感じられない魔術師長の平常通りの冷静な瞳に映る自分の黒い花嫁姿。
何もかも、思い描いていた結婚とは違う。
なんか、泣きそう、かも。
不意に溢れてきた涙を隠そうと咄嗟に俯いた私に向かって、今度は魔術師長が溜息をついた。
「なんだ。しみったれた顔をして。言いたいことがあるなら言いなさい」
「……」
言いたいことなら、たくさんあった。
見世物みたいな結婚式なんて本当はしたくなかった。
するなら規模は小さくていいから、両親や友達、大切な人に囲まれた幸せな時間にしたかった。
ふんわりとした純白のドレスを着て、たった一日だけのお姫様になりたかった。
……愛し愛される人の隣に立って、生涯を共にすることを誓い合う日にしたかった。
そのどれも叶わないなんて、思いもしなかった。
この異世界で両親や友達など呼べるわけがないから、それはとうに諦めてはいた。
しかも結婚相手はこの魔術師長。なんだかんだ豪勢で見世物みたいな式になるのも仕方ない。
だからせめて、ドレスだけでも思い描いていたものを着たかった。
けれど結局は白とは真逆の黒いドレス。なんだか、私の不安が現実なんだと言われているようで、それが一番悲しかった。
私の不安。魔術師長は本当は、私のことなんて……。
言いたいことはたくさんあるのに、上手く口を開けない。鼻の奥がツンと痛んだ。
二人の間に沈黙が落ちる。色んな思いがグチャグチャになって、そんな思いをとても言葉にできる気がしなくてただ黙ってうつむく私に、珍しく先に折れたのは魔術師長だった。
「まあ、良い。晩餐会もそろそろ終いだ。そもそもこの結婚式自体が茶番みたいなものだしな。周りが勝手に騒いで煩わしことこの上ない」
「茶番って……」
「茶番だろう。こんなもの」
魔術師長はさもくだらないと言わんばかりにそう吐き出した。
私の中で瞬間的に感情の爆発が起こった。
「……っ!私は!私にとって結婚式は……!」
とても、とても、とても、大切なものだったのに。
「なんだ」
でも、全部ぶち壊しだ。
「……いえ。なんでもありません」
感情の爆発は一瞬で収束し、その後やってきたのは先程よりも更に大きな虚しさだった。
きっと、この人に言っても理解なんかされないだろう。
「ふん。なぜ言いたいことを言わない。大人しいハナなどつまらんな」
「……どうもすみませんね」
どうせ魔術師長にとって私は暇つぶしのオモチャ程度の存在でしょうよ。
「言いたいことがないなら、もう移動するぞ。早くしなければ日付が変わってしまう」
「晩餐会に戻るんですか?嫌ですよ、私」
「あんな場所に戻るわけがなかろう。ああ、もう時間もないし、馬車は面倒だな。転移するか」
「え?転移ってどこに……」
行くんですか、という私の言葉を最後まで聞かず、魔術師長は私の腕をとった。
次の瞬間、私達は大理石なような白い石に覆われた空間に立っていた。
驚いて辺りの様子を窺うと、遥か高い天井には線のような石の切れ目を何本も通しており、そこから月の光が差し込む様子が幻想的だった。空間を囲う白い石も僅かだが淡く発光しているようで、厳かで神秘的な、まるで神殿や教会のような場所だった。
「ど、どこですか、ここ」
「誓いの場だ」
「誓いの場?」
「ああ。我がローサントリーヌ家のみが使用する場所だ。この場についてはおいおい知れば良い」
魔術師長はそういうと、奥の数段上がった祭壇のような場所に向かった。どうやら今はこの場所についての細かい説明はする気がないらしい。
祭壇の上に立つと、魔術師長は振り返って私に手を差し伸べた。
「早く来い」
「あ、すみません」
私は慌てて一歩を踏み出し、驚きに目を見張った。
踏み出した足にさばかれてふわりとたなびいたドレスの裾が、白い。
咄嗟に両手で裾を持ってドレスを広げた。キラキラと虹色に煌めくダイヤがちりばめられた純白のドレス。真っ黒なドレスを着ていたはずなのに、と混乱しながら背中を見るように振り返った視線に飛び込んできた、繊細な刺繍が施された長いヴェール。
「この格好……どうして」
「ハナ。何をしている。早くこちらへ来い」
半ば呆然としながら魔術師長の元に歩いて行く。
魔術師長の前に立つと、魔術師長は私を見て満足そうに笑った。
「似合っているではないか」
その思いがけない優しい瞳に、カッと顔が赤くなった。
「魔術師長様、このドレス……」
「魔術に決まっているだろう。そなたが言っていたウエディングドレスとやらは、このようなドレスなのだろう?仕立屋に自ら紙に描いて説明したそうではないか」
「はい、まあ、そうですけど……」
「ドレスで何か気に入らない点でもあるのか?」
「いえ、ドレスは完璧です。こんな……こんなドレス……夢のようです」
じわじわと喜びが胸に溢れてきて、思わず涙ぐんだ。
「でも、どうして」
「言ったではないか。あのような結婚式は茶番だと。今からが本当の結婚式だ。二人だけだがな」
そう言って魔術師長は誓いの場を見渡すように視線を一周させた。
「そなたが仕立屋に語って聞かせた結婚式を行う教会とやらは、本来は祈りを捧げる場所なのだろう?であるならば、私達の結婚式に最も相応しい場所はここだと思った。この誓いの場は、ローサントリーヌ家にとって最も重要な場所であるし」
視線を戻すと、魔術師長は再び私の全身に目を走らせた。そして柔らかく目を細めた。
「それに、私の花嫁の本当の婚礼衣装を、他の者達に見せてやる義理はないからな」
「魔術師長様……」
私の右頬にスッと一筋の涙が伝った。その涙を何も言わずに魔術師長が指で優しく拭ってくれた。
「で、でも、こうやってちゃんと結婚式をしてくれる気があったんなら、あんな見世物みたいな式をする必要はなかったんじゃないですか?」
照れ隠しに不満をいうと、魔術師長は喉の奥でクッと笑った。
「陛下への貸しだ。貸しておいて損はない。落ち込んだり慌てたりしているハナを見るのも楽しかったしな。それにどん底まで落ち込んだ後だと喜びもひとしおだろう」
「……なんであなたは……。ほんっとうに意地悪ですね!!」
「意地悪ではない。私は落ち込んだり拗ねたりする様子のハナが、可愛くて好きなのだ」
「か、可愛っっ……!!」
ボンッと顔から火が出たかと思った。魔術師長、正気か!?
恥ずかしくて魔術師長の顔がまともに見られない。視線をウロウロさせる私に魔術師長はクックッと可笑しそうに笑っている。
「……からかってますね?」
段々といつもの意地悪げな様子に戻っていく魔術師長に、私は思わず唇を尖らせた。
「いや?からかってはいない」
魔術師長は笑いながら私に一歩近づくと、片手を私の後頭部に添えた。
「ただ……愛おしいと思っただけだ」
そう言って優しく私を引き寄せると、柔らかい口付けを落とした。
唇が触れ合う直前に見た紫の瞳には、私がずっと夢見ていた、花嫁への確かな愛情が映っている気がした。
ハナの花嫁姿は誰にも見せたくないんだもん、という魔術師長様の独占欲。