2月25日雨 『囚人1名』
「新しい料理、試食してくれるか?」
「……なぁ、何で俺だけここなんだ?」
硬い石床に座り込んで、カルラはいつもの不機嫌そうな顔つきで尋ねる。
ここにはベッドもトイレも窓もあり、一見すると一般的に粗悪な部屋なのだが、ただひとつ、出入口が鉄格子であることが、客人というよりは囚人という外見を演出していた。
昼飯の乗った盆を両手に持ったホネストが、無表情で冷たく聞き返す。
「何か文句でも?」
「大有りだっ! 普通、客相手にこれはねぇだろ!? 俺でもしたことねぇぞ!」
爆発したりはしたけど。
「急な来客で、部屋が一つしか確保できなかった。仕方あるまい」
「いつから王宮は手狭になったんだ? 何百部屋とあるだろうが!」
ホネストは面倒そうに、深い溜め息をつく。そして、鋭い目付きでカルラを見据える。
「今宵は周辺貴族が集まるのだ。弟子の分を確保しただけで良しとしろ。ただでさえ、兵器開発要員など特例なのだからな」
どうやら、呼ばれた理由は外部研究者の協力ということらしい。しかし、今のところそれらしいことはしていない。設計図の在処も、まだ分からない。
「つーか、一部屋確保できたなら、俺もそこでいいじゃねぇか」
「トルアドが言うには、あの娘は貴様の子でもなければ、子供の年でもないのだろ? 婚約もしていない男女を一緒には出来ないのは当たり前だ」
ふむ、分からん。
常識皆無であるカルラに、倫理観というものを理解することが出来るはずがなかった。
「もうすぐ工作部隊の部屋が空く。そこを使え」
「あいよ」
「私はこれから出掛けるため、案内は出来ないが……迷うなよ?」
どうやら、この男は俺の知能を疑っているようだ。
返事をしないでいると、ホネストは黙って振り返り、静かな足音を残して去っていく。
何かを忘れているような気がする。しばらく考えると、腹が鳴ってきた。
「あ、昼飯!」
見ると、扉の前に昼飯は置かれていて、手を伸ばすが届く気配はない。
仕方なく、カルラは外に出ようとする。
「……開かない」
カルラの両手が扉を押すが、びくともしない。何故か鍵が掛けられているようだ。
思い返してみれば、風呂から上がって寝るまでに、この六畳のスペースから出たことはない。何故なら、トイレもベッドもここに有り、食事はついさっき帰って行ったからだ。
寝ているときに閉められたのだろう。
「くそっ! とっとと出しやがれ!」
カルラは鉄格子を蹴りあげるが、伝わるのは痛みのみだった。
その時、隣で男のひび割れた声が聞こえてくる。
「うるせぇよ、兄ちゃん。眠れねぇだろうが」
「あぁんっ!?」
「ここに来たってんなら、あんたも終わりだぜ」
昨日は暗くて、よく分からなかったのだが、どうやらこの部屋には隣人が付いてくるようだ。
ルームサービスにしては洒落が利いているが、隣人というものはおすそわけを持ってくる人妻以外はお断りしている。
しかし、現時点でやることが無いため、壁に背をもたれて話を聞くことにする。
「……どういう意味だ?」
「ここはな、国が重要だと判断した罪人を閉じ込める場所で、情報を搾り取るまで外には出さない。出ていくときは死体さ」
「へぇ、じゃあ、お前は何の情報を持ってんだ?」
「言うわけねぇだろ。言わなけりゃ衣食住が保証されるパラダイスだからな。ガッハハハ!」
そう言って、男は派手な笑い声をあげる。
そんな能天気な罪人に、カルラも小さく笑う。
「俺に言わせりゃ、鎚と釜戸がなければ、どんな場所でも地獄と変わりゃしねぇがな」
「ほぅ、昔居た奴も、似たようなことを言ってたな」
昔、同じようなことを言う男を、カルラもただ一人だけ知っていた。
趣味人で自由人、そんな縛られることを拒む人物で、縛られていった人物が、記憶の中に甦る。
「……キュクロウドという男か? どうしてた?」
「知ってんのか? たしか、三年くらい前だったな。魔族の男で、設計図作りを命じられてたらしい。いい奴だったなぁ」
「どうなったか、知っているのか?」
壁の向こう、何を思っているのか男は言葉に詰まる。数秒、思い出したことを後悔するように、深く溜め息を付いた
「朝、起きたときには声が聞こえなかった。番兵が驚いて、奴の体を引っ張って出ていって、それっきり……。帰って来ねぇんなら、死んだんだろうな」
「そうか……」
少しだけ、ほんの僅かに希望があった。年月が法律を変えて、クロが再び外に出られる環境が出来ていたのではないかと。
しかし、クロの裁判は、憎き魔族への制裁として、死刑が宣告されていた。
はっきりと死ぬ瞬間を見ることは無かったが、刑の執行日から今日まで、あまりにも多くの時間が経過していた。
「死んだのか」
カルラが呟くと、壁の向こうの隣人は何も言わなくなった。
隣の男
備考……隣国のスパイで、王宮料理人として潜入していたが、見つかって投獄される。それから十五年間、ホネストのアドバイザーとして重宝されている。