2月12日曇り 『司書1名』
「新しい本が入ったわよ」
古い紙の臭いが漂う埃っぽい広間に、女性の声が響き、並べられた本棚の森に消えていく。
褐色の肌が特徴的な彼女は、つまらなそうに前方を見る。
そこには木造の床を軋ませながら、長身の男がいくつかの本を手に持って近づいて来ていて、彼は三メートル先で立ち止まった。
「久しぶりだな、ライブラ」
受付台の向こうに座る眼鏡の女性に向かって、カルラはそう言った。
名前を呼ばれた、ライブラは美人に整った顔を不機嫌そうにしかめ、静かに唇を動かした。
「カルラ君、遅すぎだとは思わないのかしら?」
そう言われても反省する気配を見せないカルラは、随分と以前に借りた書物を受付台の上にどっかり乗せた。
「そうか? とりあえず、生きてる内に会えて良かったじゃねぇか。いつ死んでもおかしくはないだろ?」
「私、そんなに歳を取っていないのだけれど」
「人間の世界だと、百を越えてりゃババアだ」
「人間って不便よね」
道具の性能差みたいに言うんじゃない。
まあ、今日はそんな話をするために来たわけでもないから、反論なんて意味のないことをするつもりはないけど。
そんな話をしていると、後ろで小さな足音が近づいてくる。
「カルラさん、置いてかないでくださいよ~」
馬車の代金を払っていたシュラだった。小さく白く、小動物のようなその姿を見たライブラは、興味深そうに言った。
「あら、愛らしいわね。ペット?」
「……っ!?」
出会い頭にそう言われ、シュラは驚いて体を硬直させる。言葉に迷って詰まって口ごもっているため、代わりにカルラが答える。
「いや、違うからな。……こいつは俺の弟子だよ。シュラも否定しろ」
「すみません。突然のことで、驚いてしまいまして……」
「こんなに小さな奴隷なんて聞いたことはないけれど、法律上は大丈夫なのかしら?」
「話聞いてたか? 奴隷じゃなくて、弟子だっつてんだろ」
「同じものじゃない」
違うよ?
これだけの叡知の中にいて、どうしたらこれほど偏った知識が身に付くものか。
「ま、人間族では無さそうだし、実年齢と外見が違うのは、よくあることではあるけどね。私みたいに」
「人間族ではないのですか? ダークエルフのように見えますが……」
「私は夢魔族よ。普段は隠しているけれど、羊みたいな角が生えているの」
瞳を輝かせているシュラを見て、ライブラは楽しそうに教える。その姿は親子のように見えるのだが、実際は何世代分の差があるのだから、世界は不思議だ。
「本は返した。もう行くぞ」
「カルラ君、ちょっと待ちなさい」
「何だ? しばらく来ないから、何も借りねぇぞ?」
ライブラはかぶりを振って、人差し指と中指で挟んだ、一枚の封書を差し出した。
「違うわ。貴方の師匠からの手紙を預かっているの。受け取ってくれないと、私が文句を言われるのよね」
「……どうも」
手紙を受け取って、カルラは急ぎ足でその場を立ち去る。シュラはぺこりとライブラにお辞儀をしてから、その後を追った。
階段の踊り場で追い付くと、カルラの横に並んで歩く。
「それ、カルラさんのお師匠さんからの手紙ですよね」
「みたいだな。字が同じだから、間違いない」
「会ってみたいですね。この近くに住んでいるのですか?」
「いいや、もう死んでいるから、土の中だろうな」
楽しそうな声が止まり、途端に静かになる。
「それは……悪いことを聞きました。申し訳ありません」
「何言ってんだ? 人間族はすぐに死ぬんだから、いちいち悲しむんじゃねーよ」
「でも……」
シュラが立ち止まったことに気がついて、数歩先でカルラは振り返った。
「私は、カルラさんが居なくなったら悲しいです」
泣き出しそうな震えた声でそう言った。
どうして、こんなに素直な弟子を持ったのか、もっと性根の腐った奴ならば、もっと、自分のような奴ならば、こんな言葉を口にすることもなかったのに。
「まだ俺は死なねぇよ」
約束されない約束が、もう一度心に結ばれる。
ライブラ・シームズ(111)
特徴……眼鏡と角
備考……サキュバスをイメージした外見と反対の、真面目で冷たい人格で作りました。参考キャラは雪の人!