2月10日晴れ 『蟹1匹』
「新しいの、入ったぞー……ん?」
そう言ったカルラの足の裏に、何か硬い感触が昇る。石でも踏んだのか、そう思いながら足を退かし、何気なく異物の正体を確認した。
そこには、あまり見掛けない生物が横たわっている。
「これは何だ?」
「蟹ですね。甲殻類の」
不意に溢れた疑問に、横に立った弟子のシュラは即座に答えた。
もちろん、それくらいは食文化に疎くても分かっている。二本のハサミも、硬い殻も、記憶にある姿形をしているだが、一点だけ異なる点があった。
「何でここにカニ? ふつう海とか川とかで生きるもんだろ」
周辺には、海域も無ければ、蟹が生息するような川もない。そのため、魚市場にも出てくることは無く、カルラも遠征先で一度だけ食べただけだった。
カルラはまだ息のある蟹を睨んで呟く。
「どうして居るんだよ、ふざけてんのか」
「唐突に、進化の可能性を否定しないで下さい」
シュラは呆れた様子でそう言うと、カルラと同じく蟹を凝視した。
「しかし、この種類は海に生息するものですね。誰かの落し物でしたら、届けて差し上げなくてはいけません」
「別に要らねぇだろ。売りもんだとしたら、落とした時点で食えねぇし」
「観賞用という選択肢はないのですね……」
その言葉にカルラは反論を述べる。
「観賞用って言っても、こんな地味なカニに観賞するような価値はねぇよ。この顔を見てみろ、人生をすべてを諦めたような顔をしてる」
「蟹は、大抵そんな顔だったと思いますけど」
そもそも顔ではないことを、あとで図鑑を見て知った。
シュラは、すぐに食べようとするカルラから守るように、蟹を両手でそっと持ち上げた。
幼い肌にトゲを食い込ませ、シュラは表情を強ばらせながら言う。
「それにしても、やはりトゲは痛いですね」
カルラも深く頷き同調する。
「確かに食いにくいよな。前に食ったとき、硬すぎて歯が欠けるかと思った」
「あの、え、カルラさん? 殻ごと食べたのですか……?」
「え?」
「いえ……」
思えば、蟹は食べられるとは聞いたことがあったのだが、調理法までは聞かずに焼いて食べたのだった。通りで不味いわけである。
気まずい空気を変えようと、カルラは口を開く。
「しかし、やっぱ誰も取りに――――」
『ぴぇーーーッ!』
そのとき、甲高い鳴き声が辺りに響く。羽が目の前に飛び込んだかと思えば、シュラの手から蟹を奪って飛び立つ。
渡り鳥らしき生物の影を眺めながら、カルラは言った。
「だから言っただろ? 食用だって」
「あの種類の鳥は、虫も食べますけどね」
蟹……
堅い外骨格を持つ甲殻類の生物で、その他水産節足動物も同じように呼ばれることがある。茹でると美味く、中の身を食べられる。人を無口にする魔力を持っている。




