1月2日雪『宿屋の夫婦一組』
「新しいの、入ったぞー」
「ほう、今日は何を作ったのかね」
降り始めた雪が頬に冷たいその日、近所で宿を営んでいる老人が呼び掛けに反応した。
「おう、爺さん。だが、うちには宿屋で使えそうな物は売ってねーぞ?」
「分かっとるわ、ただの世間話だ。この歳で旅に出るわけにもいかないからな。死んだ婆さんへの土産話が増えおるわい」
「え! お婆さん、亡くなられたのですか!?」
見ると、買い物に行っていたシュラが、袋を抱えて呆然と立っていた。驚いた様子で、大きな瞳がさらに見開かれている。
「シュラ、気にすんな。この爺さんの悪趣味な冗談だからな」
「はっはっは、悪かったねシュラちゃん。驚かせてしまったようだ」
愉快そうに笑う爺さんに、ぷくりと膨らませた桜色の頬を見せて、シュラは怒りを露にする。
「お爺さん! 冗談でも、そんなことを言ってはいけません。それを知ったら、お婆さんが傷つきます」
強い口調で諭されて、宿屋の主人は大人らしい誠実な態度を示す。
「シュラちゃんは若いね。若いときは死が怖いのだろうけど、老人になったら準備をしなくてはいけない。だから、常日頃から、死を笑えるようにお互い冗談として言い合うんだよ」
どっかの教本でも目にしたらしく、いつになくまともなことを言う爺さんに、カルラはジトリとした視線を送る。
そんな本性を知るよしもなく、シュラは感動の心持ちで、桃色の唇を微笑ませた。
「そうだったのですね。知らなかったとはいえ、失礼いたしました」
「いや、構わんよ」
「お詫びに、お茶をご馳走しますね」
そう言って、シュラは台所へと駆けていく。その姿を和やかな表情で見送る爺さんは、悪戯めいた口調でカルラに言った。
「シュラちゃんは美人になるぞ。良い嫁さん候補を見つけたな」
「なに言ってやがんだジジイ。ただの弟子だ」
それに、例え伸びしろを感じたところで、現段階で17なのだから期待は出来ない。
「そう言っておいて、シュラちゃんに告白されたらどうする?」
「シュラが?」
頬を染めて、照れくさそうに想いを告げるシュラの姿が頭に浮かぶ。しかし、想像の中であろうとも答える自分が分からない。
「じゃあ、そのうちシュラちゃんが、ベッドの上に誘ってきたらどうするんだ?」
「何いってやがんだ、ロリコンエロ爺……」
「お茶を持って参りましたー」
盆に湯飲みを乗せたシュラが、後ろから現れる。聞かれていたのか、そう思って顔色を伺っていると、シュラは小首を傾げた。
「どうされましたか?」
「いや何でもない。大人の話だ」
「シュラちゃんが、カルラのことを―――」
「ジジイっ! 新商品を見せてやろう!」
癪に障るが、爺さんの思惑に乗せられて、カルラが動く。そして、不機嫌そうに足音を響かせて、店内から靴を持ってきた。
「なんだ? これは」
「『足が速くなる靴』……の試作品だ。格好いいだろ?」
軍用の長靴に、外装として薄い鉄板で覆ったような外観で、うっすらと薄緑色を帯びている。お世辞にも格好いいとは言えない。
「まあ凄いな。だが、そんなものを買うような奴、この町にいるかね?」
「ふんっ。そいつはどうだろうなぁ」
そろそろか。そう呟いて、カルラは不敵な笑みを浮かべた。
すると、どこからか悲鳴のような、鳴き声のような音が聞こえてくる。
青ざめた爺さんが、声の主を探すと、西の方から鬼の形相で老婆が走ってきた。
「ジィジイィぃーっ! まーた、店の金を持ち出しやがったなーっ!」
「ば、ばあさん!」
狼狽えた宿屋の主人は、カルラに掴みかかる。
「お願いだ! その靴、売ってくれ!」
「50,000Gだ」
「ぶ、分割で30回払いで頼む!」
「毎度ありー」
靴を履いて、駆け出す店主。それを老人とは思えないような速さで追いかける婆さんが、店の前を通りすぎていく。
「死にさらせーーー!!」
そんな声が町中に響き渡る。
お盆を両手に持ったシュラが、きょとんとその光景に戸惑う。
「あれは、冗談でしょうか……」
「だと良いな」
しばらく、結婚はいいかな。そんなことを考えながら、カルラは湯飲みを受け取った。
宿屋の主人(享年64)
好きだった食べ物……肉じゃが
備考……ギャンブルに命を賭けて何が悪い
宿屋の女将(65)
好きな食べ物……イワナの塩焼き
備考……夫のために悲しんでくれて、ありがとうございます