1月24日曇り 『親子一組』
「新しいの、入ったぞー」
「こら、サトシ。どこに行っていたんじゃ! 早く戻るぞ」
何かボケたことを言う杖を突いた老人が、カルラの手首を掴む。
しかし、その皺だらけの顔に見覚えもないし、サトシではないため軽く振り払う。
「誰が、どこの世界の十代だ、ジジィ。一人で土に帰れ、営業妨害だ」
世界観を揺るがすこと言うんじゃない。
カルラの言葉が気に障ったらしい老人は、入れ歯の口を開き、唾を散らしながら怒鳴りだす。
「誰がジジィだ、まだ花の90代じゃ。女の子達には見かけより若いと言われる年齢なんじゃ」
「花っていうか、花を手向けられる年齢じゃねぇか。あと、それ絶対お世辞だからな、いい年してどんな店行ってんだよ」
そんなことをしていると、例のごとくシュラが間に入ろうと顔を出す。
小さな足音が近寄ってきて、足元付近で止まった。
「カルラさん、お客さんですか?」
老人は懐かしいものを見たように、目を大きく見開いた。
「おお、花子。元気だったかい? そろそろ七五三だったかな、子供の成長は早いものだ」
初対面の人間による恒例の会話に、シュラはいつも通り頬を膨らませる。
「私は子供ではありません!」
「ほれ、千歳飴じゃ」
「え? ……あ、花子さんでもありません!」
そう言って、抗えぬ物欲にシュラは渡された飴を舐める。綺麗な和装に身を包めば、さながら七五三のように見えるだろう。
そろそろ老人介護に割く時間も無くなってきたため、カルラは話を切り出した。
「爺さん、俺らはサトシでも花子でもねぇんだよ。もっと面倒な」
「いんや、サトシだ。サトシ以外の何者でもない。目があって、鼻があって、口がある。まさしくサトシだ!」
はっきりと確信を持った目でそう言われると、もしかしたら自分はサトシなのかもしれないと思わされる。
しかし、深く考えなくとカルラであった。
カルラは眉を下げ、呆れたような声を出す。
「もうちょっと視野を広く生きろジジィ。そんなもの、花子にも爺さんにも太郎にもあるじゃねぇか」
「カルラさん、太郎さんは出ていませんでした」
そもそもサトシも花子も居ない。
老人の扱いに手間取っていると、急いで足を動かしながら、若い男が近づいてくる。
「じいちゃん、そんなところ居たのか! 探したじゃないか!」
「ん、本物のサトシか?」
「サトシ? いや、そんな名前じゃないけど……、オレはその人の息子だよ」
息子も心当たりがないのなら、サトシって誰だ?
ともかく、保護者が見つかったのなら有り難く、押し付けさせてもらうのが妥当だろう。
そう思って、カルラは老人を息子の方に向ける。
「さっさとボケ老人連れてってくれ」
「ああ。それにしても、悪かったね。最近、めっきりボケが進んじゃってね」
「儂ゃ、ボケとらん。どちらかというと突っ込む方だ!」
「それはボケか? ジジィ」
杖を振り回し喚く老人を見て、息子は微笑んだ。
「ありがとうね。こんなに楽しそうなじいちゃん、久しぶりだよ」
「こっちは営業の邪魔で、これっぽっちも楽しくねぇがな」
「カルラさんっ」
強く注意するシュラに、息子は気にしてないという風に、人の良さそうな笑みを向けた。
「いいんだいいんだ、本当のことだから。お礼とお詫びを兼ねて、何か買うよ。お勧めはあるかい?」
「へぇ、話の分かる奴だ。それなら大歓迎だぜ」
仕事だと分かると、カルラは店の中から使えそうな品を手に取り、親子の前に持っていく。
「こいつはどうだ? かなり便利だぞ」
「これは何だい? オレには首輪にしか見えないのだけど」
両手に持ったトゲの付いた赤い輪は、人型にも入るように調整されていて、丈夫な鎖も繋がっていた。
「見た通り首輪だ。魔獸でもジジィでも絶対に逃がさないくらい、丈夫な首輪だ。買うだろ?」
「買わないよ!」
「買った!」
「じいちゃんっ!?」
何故か、何に使うのかは不明であるが、生き生きとした声色で老人は受け答える。
心配そうにシュラは言う。
「お爺さん、あれは人に使うものではありませんよ。それでも良いのですか」
「シュラちゃん、俺の味方してくれないのかな」
「私はお店の味方です。変なものを売ろうとしないでください」
変なものではない。使う人間が変なだけだ。
「変じゃねぇし、格好いいし! なぁ、ジジィ」
「おうよ!」
「まあ、じいちゃんがそう言うなら……」
肩を組んでそう抗議すると、息子は折れて財布の紐を緩めた。会計を済ませると、仲良く去り行く背中に言った。
「じゃあな、ジジィ」
「じゃあな、サトシ。儂より長く生きるなよ」
「俺を道連れにしようとするんじゃねぇ」
そんな会話を最後に、二人の背中は馬車に乗り込んで見えなくなる。
見送っていたシュラは、聞き取りづらい呟いた。
「行ってしまいましたね」
「そうだな」
「少し、可哀想な方でしたね」
鎚を片手に工房に戻ろうとするカルラは、首を傾げて細めた目でシュラを見た。
「……んなこたぁ、ねぇだろ」
「でも、忘れてしまうのは、寂しいことですから」
「他人が誰かを分からなくなったって、息子のことはわかったろ? それでいいじゃねぇか。どんだけ忘れても、大切なもんさえ覚えていりゃ、それだけで人生は輝くもんだ」
シュラは呆れたように、楽しそうにカルラの後を追う。
「そうかもしれませんね」
足元まで近づいたところで、シュラは何かを思い出したようカルラの顔を見る。
「……そういえばカルラさん、硝子の粉末どこに置きましたか? さっきから探しているのですが」
何のことかを理解して、カルラは足を止めた。そして、誤魔化すように黒目を泳がせる。
「えっ。あー、でも大切じゃ―――」
「大切です! 今すぐおもいだしてくださいっ!」
これでは老人もバカには出来ない。
もしかしたら、サトシも忘れているだけなのかもしれない。そう思いながら、カルラは思い当たる場所を必死に探すのだった。
老人(95)
趣味……大人の秘密
備考……腕利きの商人で、その世界では有名。ある業界ではカモとして有名。
息子(24)
趣味……ごますり
備考……息子だと思っていたようだが、実は孫だった。直すの面ど―――
サトシ……誰?




