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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

『片腕女房』

作者: C・トベルト

短編小説『片腕女房』


 これはむかしむかしの、孤独で哀れな物語。

 野田村と呼ばれた小さな町外れに、ある夫婦がいました。夫の名は竜二、妻の名はお国と言います。

 とても真面目な夫と、病弱だが美しい妻でした。

 子を賜る事はできませんでしたが、互いが互いを思いやり、とても仲の良い夫婦でした。

 その仲の良さといったら、情を忘れた悪人さえも見てるだけで心が温まり、普通の人が見ると恥ずかしすぎて、家の中に隠れる程でした。

 結婚して十年、妻は病気にかかりました。

 不治の病です。夫は妻の病気を治す為、必死に働いてはその金を全て妻の治療の為の金に当てました。

 しかし、妻の体はどんどん弱くなり、遂に死期が近付いて来ました。

 その頃になると夫も覚悟を決めて仕事を辞め、四六時中妻のそばにいました。

 そして四六時中、互いの今まで楽しかった事、悲しかった事、辛かった事、嬉しかった事。とにかく色んな事を語り合いました。 それも時期が経つに連れ、お国の口数は少なくなり、夫が延々と喋るのをお国が聞いているだけになっていきました。


 さて、ある春の夜の事。 その日は月がとても綺麗で、龍二はその月を見ながら最近の食事の事を話していた時です。

 お国の口が、わずかに開きました。それに気付いた龍二は味噌汁の話を止め、お国が何を話すのかじっと見ていました。


「……」

「お国、お国、大丈夫か?」


 竜二が強く声をかけてみると、お国は途端に元気な時のように沢山喋り始めました。


「はい、あなた、私はまだここにいます。夢にも仏様のいるとこにもいっておりません」

「そうか、良かった」

「ですがあなた、私には見えるのです。美しい花が。

 もうそろそろ、私は旅に出るでしょう」


 お国はそう言うと、優しく笑いました。

 しかしその笑みはとても儚く、弱々しい笑みでした。

 夫、竜二はお国の右手を掴んで叫びます。


「お国!逝くな!逝くでない!まだお前がそっちに逝くには早過ぎる!!」

「……あなた」

「お前は私と共に生きるのだ!

この十年、二人で一緒にやってきたではないか!頼む。私と一緒に、生き、て……握ってくれえ……」


 そこから先は言葉が出ませんでした。

 竜二が握った妻の手はまるで硝子細工に色を塗ったかのように綺麗で冷たくて、細かったからです

 そして竜二がどんなに強く握っても、お国が握り返す事はありませんでした。

 『その時』が近い事を悟った竜二はお国の手を握ったまま、ぼたぼたと涙を流します。 何も言わずに、泣いていました。

 それを見たお国はたまらず、もう一度声を上げます。


「……あなた……」

「お国!」

「……あなた、お願いがあります」

「な、なんだ、なんでも聞くぞ!何でも言え、全部叶えてやる!」

「……それは」


 かすれる声で妻は願いを言いました。

 竜二は必死に妻の願いを聞きました。

 願いを聞いて、夫の顔は真っ青になりました。


「お前の腕を切って欲しいだって!?」

「……はい。そしてその腕を…後生大事に…持っていただきとうございます。

 ……そうすればたとえ私が向こうに……逝っても……一緒に、手を繋いで……いられます……」

「ウ……!

 ム……!

 む…………!」


 しばらく呻いた後、ついに夫は首を縦に振る事はありませんでした。


「い、いかんいかん!

それはお前のからだを傷付ける事になる!

 そんな事はでき……お国?」

「…………………………………………………」


 しかしお国はそれきり、一言も喋らず、動かず、微笑む事はありませんでした。

 夫は泣きました。

 わあわあと子どものように泣きました。

 それは暗い真夜中の、とても悲しい出来事でした。



一週間後。



 ある長屋の居間の囲炉裏のすぐ近くで、竜二はじっと火を見ていました。

 火はパチパチと弾け、その上に浮いている鍋の中身はぐつぐつと音をたてて煮え立っていました。

 具はお玉しか入ってないので食べられません。 竜二は次に、右手に持った妻の右腕を見ました。


「お国…約束通り、腕を切ったぞ。

 俺は刃物とか使えねえから、お前の体を無茶苦茶に傷つけるかもしれねえ。

 だからお侍様に頼んで、お前の体から腕を斬って貰った。

 たった一振りでお前の体から腕が離れたんだぞ。

 でも……でもよう!

 お前、あれから一度も手を握らないじゃないか!ずっと冷たい死人の手のままじゃないか!

 いつになったら、動いてくれるんだ!?

 頼む、頼むから、動いてくれよう!」


 竜二はまたボロボロと涙を流しました。

 この一週間、家から出ずにずっと腕を眺めては泣いていました。

 ボロボロと涙が零れ落ち、何度も妻の腕の上に落ちました。


 すると、微かに冷たい腕が動きました。

 かと思うと、腕はまるで糸で操られてるかのように竜二の腕から離れ、ゆらゆらと浮き上がったのです。

 竜二は吃驚したのを通り越えて。なぜだか呆れてしまって、「ぽかん」と口を開けて固まってしまいました。


「あ!?

 な、なんだこれ、は……?」


 しかしその声を腕は聞かずに、ーー耳が無いから聞こえているかどうか分からないけれどーー、ゆらゆらと台所の方に向かいました。


「お、おい!待てよ!」


 不意に正気を取り戻した竜二は急いで台所に駆け寄ります。

 そこにはまな板を取り出している腕がありました。

 片腕でひょいとまな板を持ち上げ、それを囲炉裏のそばまでゆらゆらと浮かびながら運ぶと、それをゆっくりと置きました。


「な!?

 俺の家の道具に何勝手に触っているんだ!? 早くその手をどかせい!!」


 竜二がそう叫ぶと、腕はまな板から離れてまたゆらゆらと浮かびなから、台所へ向かいました。

 その時の竜二は驚きよりも、自分の物を持ち出された怒りのような感覚で動いてました。


「あいつ何を!?

 待て、待ちやがれ……ひっ!?」


 台所に入った竜二はまた酷く驚きました。 何故なら片腕が包丁を持っていたからです。

 竜二は一時、刺されるのではと思い口も動きも止めました。

 片腕は包丁を持ってはゆらゆらと浮かび、固まっている竜二の前を通り過ぎるとまた、囲炉裏のそばに包丁を置きました。


 そしてまたゆらゆらと浮き上がり、また台所に向かいました。その頃になっても、竜二は相変わらず動けませんでした。

 あの片腕の気味悪さに動く事が出来なかったのです。

 今度片腕が手に持ったのは豆腐、次は大根、次は赤味噌。

 こうして、囲炉裏のそばに味噌汁の材料が揃いました。


「赤味噌に豆腐に大根に・・・なんなんだよ一体」


 それらを見ている内に竜二は気を張るのも怖がるのもばかばかしくなり、床に座り込んでしまいました。

 片腕はまた包丁を取り出すと、トントンと音を立てて大根を切りました。

 そして切った大根をお玉を使って囲炉裏の上の鍋に入れました。

 次は豆腐を切り、次は赤味噌を入れ、あれよあれよと言う間に鍋の上には味噌汁が出来ました。

 片腕はまた台所へ向かってお碗を取り出しました。

 そしてそれを囲炉裏のそばに置くと、お玉で味噌汁をすくい、お碗に移しました。

 そしてそれを竜二に差し出したのです。


(食べろ…というのか?)


 竜二は箸を取り出して大根から食べました。

 もし腕が化け物だった場合、すぐに熱い汁をかけて箸でつつくためです。

 ぱくり、と大根をたべました。

 続いて汁を少し啜りました。


(ん?この味は…お国が作った味噌汁の味だ)


 竜二はお碗越しに不気味な腕を見ました。

 片腕はゆらゆらと浮かびながらまな板と包丁を台所に片付けています。


(という事は、あれはお国の霊が乗り移った腕なのか?

 もしそうなら、これは、その、そうだ。

 これが、嬉しい、という気持ちなんだな)


 竜二は顔を歪ませ、涙をボロボロ流しました。涙をぼろぼろ流しながら口をもごもごと動かし箸に食べ物を挟ませ口に運んでいきます。


(畜生!

 一週間泣きっぱなしなのに、まだ涙が出ちまうなんてよう!)


 竜二はこの一週間の中で一番大粒の涙を流しました。涙を流しながら、味噌汁を食べていました。台所では、片腕がゆらゆらと浮かびながら包丁やまな板を片付けていました。



時は過ぎて、夏。



 以前と同じ仕事場で働けるようになった竜二はここ最近、笑みが絶えることはありませんでした。

 理由は金でした。

今までお国を治すためになけなしの金を集めていましたが、その必要が無くなったために余った金を自由に使う事が出来るようになったのです。それは結婚してから十年ぶりに味わう自由でした。


(すげえ、すげえぞ!

 まだこんなに使う事が出来る!まだこんなに金が残っている!)


 チラッと竜二は台所を見ました。

 そこには相変わらず片腕が料理を作っています。


(しかもお国は飯も食わないし喋らないから幾ら使っても咎められない!食費もかからない!

 俺は今、なんて幸せなんだ!!)

「へへへへへへ、」


竜二はまたニヤニヤと笑いながら酒を飲もうとしましたが、酒が切れていました。


「おーい、酒くれ酒え!」


 竜二が言うと片腕がゆらゆらと浮かびながら酌を持って来ました。

 ゆらゆら揺れているせいか酌が少し震え、ちゃぷちゃぷと音が聞こえてきます。


「おお、ありがとうよ」


 酌を受け取った竜二はまた酒を飲みました。そして今日もまた、夜遅くまで一人で酒を飲み続けていました。





また季節は変わり、秋になりました。


 相変わらず片腕はせっせと食事、洗濯、掃除をして一日を過ごしていました。

 洗濯は村の外れの水洗い場で洗いました。 竜二がお国の療養の為に他の人から離れた場所に家を立て、今にも壊れそうな古い水洗い場を何度も修理して使えるようにしたので、ここには人が殆ど訪れないのです。

 そんな訳で片腕が竜二の着物を洗濯板で洗っていると、不意にズキンと人差し指の指先に痛みを感じました。

 親指で痛い部分をさすると、何故か人差し指の指先に切り傷のようなモノが出来ていました。

 片腕はしばらく傷口をさすりましたが、やがてまた洗濯に戻りました。

 そして、手を握って貰えない辛さと指先の傷みを必死に耐えていました。



 その頃の竜二は、夜遅くまで遊び呆けるようになりました。仕事場から貰える金を、ほぼ全て自分の遊びの為に使い込んでいました。

 毎日が楽しくて仕方ありませんでした。

 酒をたらふく飲み、美味い飯を食べ、綺麗な服を着飾り、…その羽振りの良さに美しい女や、親友が何度も誘いました。

 竜二はその度に、苦笑しながらまるで当然のように同じ言葉で断り続けていました。

これが、竜二の断り続けた言葉であります。


「俺はお国以外の人とこの世を楽しむつもりはない。というのも、

俺が来るのをあの世で待ってる奴がいるから、俺がいつかあの世に行った時にきっとあいつに会う時に、俺はどれだけこの世が楽しい所かを伝えたい。

そしてその時、俺以外の人間の事をあの世で一人待つお国に話したくは無いのだ」


 そう言って、彼は断り続けました。

 そして竜二は遊び続け、家に帰るのはいつも深夜でした。

 家では毎晩、お国の片腕が掃除して、洗濯して、食事を作り、竜二の帰りを待っていました。

 竜二が何処で何をやっているのか、誰に何を話したか全く知らず、ただただ竜二の帰りを待っていました。





 さて、更に月日はたって年が開けて最初の節分の日。


 皆が鬼が来ないよう扉の前に柊の葉とイワシを飾ったその日、一人の男が鬼に襲われて殺されました。

 ガラガラと長屋の扉を開けたのは、役人です。その後ろから、医者が入りました。


「先生連れてきたぞ!」

「仏様はこちらだな?ちょっと見せてくれ」


 そして、二人は同時に長屋の中を見ます。 そこには一人の男が仰向けに倒れていました。

 目がカッと見開かれて、口からは泡が吹き出ています。

 そして、首には赤くてゴツゴツした肌の片腕が一本ありました。首に鋭い爪が食い込み、まるで大木のように天に向かって真っすぐ伸びていました。


「な、なんて酷い……」


 そう呟いたのは役人です。

 今まで何人もホトケを見てきた彼も、この惨状には目を背けるしか出来ませんでした。

ただただ、「安らかに成仏出来ますように」と手を合わせていました。

 医者も同じように顔を青くしていましたが、 何かに気付き、死体の首を絞める片腕に近寄ります。

 そして鬼のような片腕をさすったり、指先を眺めていましたが、「うん、やはり酷い」と一人納得していました。

役人がおずおずと「どうしたのだ?」と尋ねると、医者は赤くなった片腕を見て、こう言いました。


「これは汗疹(あせも)だ。余程長い間、この片腕は風呂に入らなかったのだろう。このホトケ以上に臭い」


 と答えました。役人かそれがどうかしたのかと尋ねると。


「それにこの片腕は、指先に幾つものささくれや切り傷が出来ている。

 もしかしたらこの殺された男はこの片腕をただの道具として見ていたんじゃないか?

 だから片腕から怒りを買って殺された……のかもしれないな」

「………………………」



役人はもう一度、片腕に向かって手を合わせた。


「どうか安らかに眠れますように…」



 

 

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