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魔法少女ヒギリ×シルヴィア  作者: 鈍痛剣
Chapter2.加速する拳
5/13

『加速する拳』2

 夜が明け、住宅街にも人の往来が増えてくる。

 和田町近辺には私立の女子高と共学の公立校が一つずつあり、通学する生徒たちは殆ど女子ばかりだ。

 そんな中に四人の魔法少女が紛れ込む。四人はそれぞれ魔術によって異なる顔に変身し、二組に分かれていた。

 緋桐と紗雪は先行し、誘拐犯と接触し次第、即座に後退。後方で見守っている朱里とシルヴィアに交代する形で後方支援へと回る。

 本来の役割分担なら朱里とシルヴィアのほうが先行するべきなのだが、この二人ではそもそも標的とされないだろうという問題もあってこんな布陣になった。

 しかし後方が先に接触する場合を考慮したら、むしろこの布陣が効果的であるとも言える。

(なんにも起きないですね)

(今のところは平和そのものですわ)

(うーん、紗雪と緋桐でもだめかなー)

(…………)

 四人は念話を通じて連絡を取る。

 些か以上に地味で陰気な雰囲気の容貌に変身した緋桐と紗雪は、ほかの女子学生たちの通学風景に見事に溶け込んでいる。

 面貌をまったく違う人のものに変える変装魔術は、変身する顔をどれだけ正確にイメージできているかが重要となる。

 シルヴィアと朱里はそのイメージが確かでないために上手く変身できない。

 緋桐は昔観たテレビドラマからイメージを得、紗雪は読んだことのある小説からイメージを得たため、上手く変身できた。

 なるほど、朱里さんもシルヴィアちゃんも小説やテレビには興味がなさそうだ、と緋桐は納得した。あの二人は根っからの体育会系らしい。

(あっ、学校が見えてきましたよ)

 学校と四人との間の距離は徐々に狭まってきていた。

 いくら周りと同じ制服を身に着けていたとしても、さすがに校内にまで入るのはリスクが過ぎる。ある程度まで近付いたところで、四人はさっと脇道へと隠れた。

(収穫なし、かねぇ)

(仕方ありませんわ。そのための長期潜入でしてよ)

(そうですね。まだ初日ですし)

(……明日も同じようにする)

 四人は周囲を警戒しながら、転移魔術で潜伏先の家へと戻った。

「たっだいまー。はぁー、これで少なくとも今日は何も起きないだろうね」

「まだ下校時刻がありましてよ」

「でも、下校する子たちに紛れる為に、また学校まで歩いて行くんですよね? それって目立ちませんか?」

「先程の脇道に転移陣を配置しておいた。……この隠れ家からまた転移していける」

 転移魔術は一見すると何処にでも瞬時に移動できる便利な術のようだが、実際は転移陣を配置してある場所へ一方的にしか転移できない。そのうえ、転移陣は一定期間を過ぎれば自然消滅してしまうため、長期に渡って使用する場合は定期的に再配置せねばならない。

 ただしイシュタル本部への転移は普通の転移魔術とは違い、会長と呼ばれる人物の魔法によって形成された結界が、関係者だけが持つパスに反応して自動的に転移させるものだ。

 魔法によって形成された転移結界は、使用者が生存している限り機能し続ける。魔術と魔法の違いを象徴するような効果と言えよう。

「そういえば転移で思い出しました。本部の転移結界を展開してるっていう会長さんに、私まだお会いしたことが無いんですけど……」

「ん? あたしらも会ったことないよ?」

「えぇっ?」

「なんか病気療養とかで出てこれないらしい。採用してもらってる以上は、一度は会っておかなきゃいけないとは思うんだけどさ」

「そうなんですか……」

 四人はがっくりと脱力し、それぞれソファに腰掛ける。

 潜伏用の隠れ家はそこそこの高さのマンションだ。2LDKの部屋で、昨夜の宿泊室よりも格段に生活しやすい。

 四階の高さから見渡す眺めは、周りに高い建物がそう無いおかげでそれなりに壮観だ。それゆえに地味ではあるが、緋桐はこの質素な眺めに慣れ親しんできた。

 1週間近く前まで住んでいたはずなのに、今となっては不思議と懐かしい。

 ほんのちょっぴりの切なさに胸を押さえながら町を見渡すと、すぐ下の路地に見覚えのある黒髪が立っていた。

 ゆず。緋桐の親友、高千穂ゆずだ。誰よりも親しくしていたのに、結局未だに別れの言葉一つ告げられずにいる、あのゆずだ。

 気がつけば身体は勝手に玄関へ向かっていた。

「どちらへ?」

「え!? あ、その……」

 突然慌てた様子になる緋桐に、紗雪が怪訝そうな顔を向ける。あまり褒められないことをしようとしているだけに、面と向かって問われると答えづらい。

 浮き足立つ気持ちと後ろめたさの間でしどろもどろしていると、意外なところから助け舟が出た。

「行ってきな、緋桐」

「……はい!」

 朱里が笑顔で促す。どうやら緋桐の真意に気づいているみたいだ。昨夜の会話から既に何かを悟っていたのかもしれない。

 玄関を出る前にいちど振り返り、朱里に礼を返してから、緋桐は急いで出ていった。

 危うく転びかねないほどの勢いで階段を駆け下り、マンションのロビーを出る。既にゆずはマンションの前を通り過ぎてしまっていた。

 力なく歩く背中が交差点を抜けて、公園へ向かう道に差し掛かっている。緋桐は迷わず呼び止めた。

「ゆず!」

 昼前のがらんとした道路に緋桐の声が響き渡る。

 ゆずの小さな背中が一瞬びくりとして、すぐに立ち止まった。だがまだ振り向いてはくれない。

 震える肩から恐る恐る確かめるような呟きが放たれる。

「…………緋桐……?」

「うん……久しぶり」

「……っ!!」

 緋桐らしい頼りない声を聞きとがめ、ゆずがようやく振り向く。

 すこし怒っているような顔を見せたゆずは、瞳に溜めた涙を隠しもせずに緋桐のもとへ駆け寄ってきた。

「どうして帰ってきたの!? ……あと、どうして何も言ってくれなかったの」

「あぅ……ごめんね」

「バカじゃん」

 緋桐のいつものしゅんとした顔にゆずは安心して小さく笑った。

 それから近くの公園に場所を変えると、二人は矢継ぎ早に互いの近況を報告しはじめた。

 無論、イシュタルや魔法少女のことなどは正直に話せないので、それぞれの単語はうまく別の言葉に言い換えて誤魔化す。いつの間にか、親戚の経営する探偵事務所でお仕事の手伝いをしながら生活している、という設定になっていた。

 ひとしきり報告を終えた二人は、また最初のしんみりした雰囲気に戻る。

「本当に心配した。っていうか心配して損した。最悪よまったく」

「それは本当にごめん」

「だいたい、どうして今になって帰ってこれるようになったのよ?」

「まぁ、色々と都合がはまって。本当は今こうして会ってるのも、あまり褒められたことじゃないけど」

「私のために無理して来てくれたわけ?」

「うん。悩みがあって相談もしたかったし」

「悩みって?」

「お仕事のための技術みたいなことで、少し伸び悩んで……今は別の人に別のやり方を教えてもらってるけど、なんだか逃げただけのような気がするの」

「…………」

「それはきっと、単に私の覚悟が足りないだけの問題。方法をすり替えてはいるけど、結局、最後は同じことになるんじゃないかなって思う。私には覚悟が足りないんだ」

「…………」

「するとだんだん、今の生活にも同じことが言える気がしてきたの。何も考えないで成り行きに身を任せてきたけど、これで良かったのか不安で。考えることから逃げて、何の覚悟もなくお仕事をしてる。そこで働くことに理由とか目標なんてないし、他の人たちみたいな信念もない。でも覚悟しよう、ってすぐに出来るわけでもないし、どうしたらいいのかわかんない……」

「じゃあ辞めちゃいなよ」

「えっ」

「そんなとこ辞めて、私の家に来なよ。親は無理やりでも説得するわ。お仕事とはすぱっと縁を切って、私と一緒に暮らしなさい」

 想像だにしない言葉が飛び出し、緋桐は唖然とする。

 それじゃ迷惑をかけてしまう、と言い返そうとしたが、ゆずに目を合わせた途端に反論の言葉は霧散してしまった。

 ゆずの目はさっきまでとはまるで違う、闇の深遠を思わせる色に染まっていた。

 たった今の言葉は提案でも懇願でもない。もっと強制的で命令調な、歪んだ意思表示なのだ。

 イシュタルに拾われる前までの生活では見ることのなかったゆずの表情に、緋桐はぞっとする。

 私の知っているゆずじゃない。

 そんな心の声に気づいたのか、ゆずははっとして目を逸らし黙り込んでしまった。緋桐も言い返す気力を削がれてしまい、二人の間にひどく気まずい沈黙が流れる。

 それから三分間ほど互いに言葉に詰まっていたが、突如としてゆずが沈黙を破った。

「……緋桐」

「?」

「あの人……何?」

 ゆずの震える声に振り向くと、二人のほうへと近付いてくる黒服の男性の姿が目に映った。

 黒服は懐からカードを取り出すなり、おもむろに走り始める。生気を感じさせない緩慢な所作はひどく不気味で、一目のうちに普通の人間ではないとわかった。

 混乱して足が動かせないゆずの前に出た緋桐は、昨日教わった紗雪流の動きを思い出しながら構えを取る。

 おそらく相手は件の誘拐犯だろう。緋桐とゆずのどちらが狙われいるのかはまだわからないが、少なくとも対話や交渉の通じる相手には見えない。

 立ち塞がる緋桐に向かって黒服が大きく腕を振り上げる。走った勢いに乗せてラリアットを繰り出すつもりだ。

 昨日の訓練で想定したのとまさに同じシチュエーションが眼前に迫ってくる。このまま練習通りに動けば、まず間違いなく相手をその場に倒せるし、あとはゆずを連れてすぐ逃げればいい。

 紗雪から学んだことを実戦で試せる絶好のチャンスだと緋桐は思った。――――実戦の間合いに入る直前までは。

「……?」

 その瞬間に起きたことを緋桐はとっさに理解できなかった。

 頬に強烈な振動が伝わり、目の前にいた黒服が90度真横にぐるりと回転した。追って周りの木々までもが回転し、天も地もすべて一緒に回る。

 一体何の魔術だろう?

 しばしの間、緋桐は自分がラリアットを受けて倒れてしまったという事実に気付かなかった。相手を押し返す為のたった一歩が踏み出せなかったのだ。

 地面に倒れ伏したまま、黒服に襲われるゆずの姿を見守る。立ち上がりたくても身体に力が入らず、頭の中にサイコロが転がってるみたいで思考が回らない。

 ゆずは戦慄の表情のまま固まってしまい、黒服にカードを貼られてその場から消滅してしまうまでずっと倒れた緋桐を見つめていた。そして消えるゆずを追うように黒服も蜃気楼となって消える。

 砂まみれで倒れる緋桐だけを残して、公園はまったくの無人になった。

 数秒してどこからともなくシルヴィアが駆けつけた時には、既に緋桐は意識を失っていた。



 煙草臭い。それが扉を開けたイヴァナが最初に抱いた感想だった。

 町外れにあるその倉庫群は、一棟のみを残して今は使われていない。使われている一棟も、きっと正式な手続きを踏まえて使用されているものではないだろう。

 倉庫内に立ち並ぶ檻状のコンテナには、無数の少女たちが囚われている。鉄格子に縋り付く彼女らは一様に小さく震えており、中には失禁している者もいた。不自然に目が泳いでいる者や支離滅裂なうわ言を呟いている者も何人か見受けられ、とてもまともな人間には見えない。

 動物園の如き様相を呈するコンテナをざっと一望したイヴァナは、不愉快そうに眉をひそめた。

 コンテナが囲む中心には一台のテーブルと、それを囲みギャンブルに興じる四人の黒服の男たちの姿があった。イヴァナが入ってきたのに気付くなり、彼らはさっと身だしなみをを整えて起立する。

「クル・ヌ・ギアから来た。捕獲した少女たちを受け取る。……人数は?」

「和田町から8人、ほかから20人、合計28人ですな……んふふふ」

「目標数の30に達していないようね」

「んふ……1人は今さっきちょうど捕まえたって連絡があったばかりですわ」

「それでも29だ。本当にそれだけか? 何か隠し事をしているように見えるが?」

「やっぱり魔法少女様に隠し事はできねぇですなァ。1人は四人でマワしてる内にいつの間にか死なせちまったんですわ……んはははは!!」

「…………」

「ふふふふ…………うっ」

 先頭に立って報告をしていた男の汚い笑い声が一瞬にして止まる。彼の眉間にはいつの間にかダガーが深く突き刺さっていた。

 マジカライズウェポンと思われるそのダガーを引き抜いて男を蹴り倒すと、イヴァナは残る全員を禍々しいまでの強烈な眼力で睨む。

「そこの3人。こいつの二の舞になりたくなければ、ふざけた事はしないほうがいい……」

 3人は返事すら喉を通って出てこない、といった様子だ。ただあんぐりと口を開けたまま、身動き一つ取れずに固まっている。

「カットカット! 即死させるなんてナンセンスだヨ。もっと苦しみ悶えるとこを見せてくれないとサー!」

「……っ!」

 倉庫にまた別の少女の声が響き渡る。

 イヴァナが更に不愉快そうに歪んだ顔で振り返る先には、緑のメッシュの少女が呆れ顔で肩をすくめる姿があった。

「血の量も足りないし、刺し殺すなら喉とか目とか痛そうじゃないと駄目だヨ! 0点ダ!」

「貴女のクソ下品な趣向のもとに私を評価するな」

「批評家相手にムキになってちゃまだまだだネ~。ヒヒヒヒ!!!」

 新たな笑い声は倉庫のなかをいつまでも反響する。それがイヴァナに与える不快感は計り知れない。しかし相当なストレスを与えているであろうことは、握り締められた拳が確実に物語っていた。



 目を覚ました緋桐が最初に見たものは、目と鼻の先にあるシルヴィアの顔だった。いつかの朝もこんな風な目覚めだったな、とぼんやりした頭が回想する。

 やがて回想の中の時系列が気絶する寸前にまで追いつくと、焦燥からか緋桐の顔が見る見るうちに青ざめていった。

「ゆず……さっき私と一緒にいた子は!?」

「転移魔術で連れ去られた。私も後方で見ていたが間に合わなかった。……謝る」

「謝らないで……シルヴィアちゃんに責任はないよ」

「…………今は粟ヶ窪朱莉と上福元紗雪が術式痕の解析をしている。解析が完了次第、敵地に潜入する」

「そっか……」

「…………」

「私、最低だ……。あの時こそ戦わなきゃいけなかったのに。体は動いていたのに。……自分が暴力を振るう側になることが怖くて、大切な友達を守れなかった。捜査中に自分のことで勝手に動いちゃった結果がこれだなんて……」

「彼女の目の前で魔術を使いでもしない限り、面会して話すこと自体には特に問題はない」

「ううん、不安な気持ちを忘れたくて会いにいったのは、やっぱり駄目だった。……そんな甘えた気持ちでいたからこうなった」

 寝かされていたソファから体を起こす。ふと時計に目をやると、ちょうど短針が頂点に辿り着いたところだった。あれからもう4時間近く経っている。

 親友が誘拐されたというのに、4時間もずっと眠っていたというのか。

 どこまでも甘い自分が憎くて仕方ない。思い返せば思い返すほどに腹が立つ。それと同時に、確固たる決意が心の中に芽生え始めていることを緋桐は実感していた。

「私、今度こそ戦う。どこまで出来るかはわらかないけど……私が迷っている間に誰かが悲しんでいるなら、そうさせる人と私は戦わなきゃいけない」

「…………わかった」

 シルヴィアは少しだけ俯いてから頷く。彼女の希薄な感情表現が、自責と決心に燃える今の緋桐に伝わることはなかった。

 支度らしい支度もしないまま、二人は急いで玄関を出る。

 じっとしていられない。すぐにでもゆずを助け出したい。緋桐はいま、かつてないほどに心を研ぎ澄ましている。

 公園に着くと、解析を終わらせたらしい朱莉と紗雪が驚いた様子で緋桐に目を向けてくる。

「もう大丈夫ですの?」

「大丈夫です。ご心配をかけてすいません」

「転移陣は西南の町外れのほうにあるみたいだな。地図で見ると近くに廃倉庫がたくさんあるようだから、そこに目星をつけてみる」

「わかりました。今すぐ行きましょう!」

「お、おい。友達が連れ去られて焦る気持ちはわかるけど、行ったところでアンタ本当に戦えるのかい?」

「戦います!」

「……そうかい」

「少々危険な手段になりますが、目的地までは敵の転移陣を利用して移動しますわ。本気で戦うつもりですなら、今度こそ油断は命取りになりましてよ?」

「その覚悟をしてきました」

「…………言葉に偽りはなさそうですわね」

 覚悟を問いかける紗雪に、緋桐の鋭い視線が突き刺さる。普段のシルヴィアが放つそれに若干だが似てきた。

 戦うための技術と知識は最低限教えてあるし、それを振るうための覚悟まで出来ている。それならば紗雪に緋桐を引き止める理由はない。



 檻状のコンテナが開き、黒服が中の少女たちを一人ずつ連れ出す。連れ出された少女はすぐ近くで待ち構えるもう一人の黒服の前で突き放された。

 少女たちは平衡感覚を失っていて、まるで赤子のように足元がおぼつかない。

 ふらふらと亡霊のように揺れる少女の肩を強引に掴むと、黒服は何の躊躇もなく、そこに灼熱の焼印をねじ込んだ。

「あがぁ……っうぅぅう」

 じゅう、という音とともに柔らかな肌が焦げ、円状の奇妙な図形が刻まれる。反抗する力すら持たない少女は、獣のように絶叫しながら気を失った。それを見届けるなり、三人目と合流した四人目がカード――簡易術式符を貼り付けて少女をどこかへ転移させる。

 一連の作業は、3時間ほど前ほどからずっと続いていた。

 拘束され放り込まれたゆずは、自分の目を疑った。こんな人権やモラルをあっけなく踏みにじる行為が、現代の町外れで起こっている光景だとはとても思えない。

「な、なによこれ……」

 何もかもに理解が及ばない。黒服たちはなぜこんな事をするのか。少女たちはなぜ抵抗すらしないのか。少女たちが消滅する現象は一体何なのか。

 それら全ての疑問に、どこからともなく現れた緑のメッシュの魔法少女が答える。

「キミの知らない世界だヨ?」

「……私をどうするつもりよ」

「特殊なお薬を打って頭を回らなくしてあげたアト、ボクらの本拠地まで転送するネ」

「何のためにそんな」

「ボクらの仲間になってほしいんダ」

「は?」

 メッシュの少女の懐から注射器が取り出される。中に青光りする液体を詰めたそれに針を装着すると、ゆずの腕にあてがってケタケタと笑い始めた。

「これを打つと頭の中がパーになって、幸せになれるヨ。数時間ダケ。……その後は高い中毒性と禁断症状に襲われて、これなしじゃ生きていけなくなっちゃうけどネ?」

「そういうのって決して安くないんでしょ? 私なんかに使わなくてもいいんだけど」

「ウン。ボクも自分に使いたい所なんだケド……あいにくキミたちを魔法少女にしなきゃいけないカラ」

「魔法……少女……?」

「ボクたちと同じように、不思議な力でクズなお仕事をしてもらうんダ! 仲良くしてネー?」

 不思議な力、魔法。

 現に目の前で起きている奇天烈な現象の数々がそれだというなら、メッシュの少女が言うことも嘘ではないのだろう。そんな超常の力がいまから自分のものになる。

 後戻りできない道へ引きずり込まれていると分かっていても、ゆずは沸き立つ心を抑えきれなかった。

「………………人の心を操る魔法って、ある?」

「あるヨー?」

「……いいわね。それって最高じゃない」

「アレレ? もしかして乗り気なのカナ?」

「ええ、私は乗り気よ。……早く連れて行きなさい」

「ヘェ……見所があるネ、キミ」

 ニヤリと不敵に笑うゆずを前にして、メッシュの少女は意外そうな顔になる。捕らえた少女達の中で、自ら進んで仲間になりたがるような者はゆずが初めてだった。

 何かを確信した様子の彼女はいつになく愉快そうな面持ちのまま、容赦なくゆずに注射を打った。

「あっ……ヒィィィッ!!」

 静脈からヒンヤリした感覚がゆずの体内に侵入してくる。それが脳にまで達した瞬間、背骨に破壊的なまでの衝撃が走った。脳から足先までを一直線に電撃で貫かれたような感覚だ。

 ゆずがそれを快感なのだと理解するのに、由に数十秒はかかった。脳のキャパシティーを越えた快感というものは、むしろ痛みに近い。

 骨の髄までビリビリと痺れて、悪寒とともに震えが止まらなくなる。いつの間にかゆずは意識を失っていた。白目を剥いて仰け反ったまま動かなくなった彼女の姿は、時々思い出したように痙攣するのを除けば死体に見える。

「ヒヒヒ……さっきまであんなに強気だったのに、一発キメただけでこんなになっちゃうんダ? ヒヒヒヒヒヒ!!」

 先刻までのゆずの尊大な態度はいまや見る影もない。それが堪らなく嬉しいらしく、少女の笑声はより甲高く耳障りなものへと変わっていった。

 倉庫の隅に佇み一部始終を眺めていたイヴァナは、やはり不快そうに顔を歪ませる。メッシュの少女が背を向けていることを確認すると、イヴァナは密かにマジカライズステッキを銃の形へと変身させた。

 殺意に滾る瞳と照準がメッシュの少女の後頭部を捉える。人差し指が引き金へと伸び、今にも撃鉄が起こされると思われたその瞬間、甲高い笑声は忽然として消えた。

 倉庫の扉が重々しい金属音とともに開かれる。眩い光芒の中心に、四人の魔法少女の姿があった。

「我々は魔法少女派遣イシュタルの者だ! 協定違反の現行犯として現場を押さえさせてもらうよ!」

「こちらは警視庁異能犯罪対策部の協力を得ていますの。抵抗すると良いことは無くてよ?」

「…………あいつ」

 並び立つ四人の中からシルヴィアが倉庫内へ踏み出し、中にいる人間を一通り睨みつける。その視線は隅に佇むイヴァナの視線と交差し、互いの面貌を確認すると同時に妙な因縁を予感させた。

 うろたえる黒服たちを一瞥し、メッシュの少女はなおも愉快げに嘲笑している。彼女にとってはこの状況すらも鑑賞物に過ぎないらしい。

 一方、失神するゆずの姿を見咎めた緋桐は、その隣で注射器を手にしているメッシュの少女に対する憎悪の念を抑えきれずにいた。露骨なまでの殺意を込めた緋桐の視線は、凶悪さにおいては最早シルヴィアのそれと大差ない。無論、シルヴィアほどの研ぎ澄まされた境地には届かないが、粗暴な迫力はむしろシルヴィア以上に動物的だ。

「もう嗅ぎ付けられたんダ? ……やっぱり下請なんかに任せるべきじゃないネ」

「ゆずに…………私の親友に何をしたっ!!」

「親友……ヘェ、イイねそのフレーズ。インスピレーションが沸いてくるヨ」

「……許さない!」

「撤退する。所詮四人とはいえ、バレたらお仕舞いよ。お前ら、始末されたくなければあいつらを足止めしなさい」

 イヴァナは手にしたマジカライズライフルの照準をシルヴィアに向けなおしながら、黒服たちに指示を出し始めた。

 捕獲している少女たちのうち、現時点で転送が完了しているのは20名。既に半分以上は転送し終えているから、なんとか失敗ではないと言い張れる数かもしれない。どちらにせよ下請の黒服どもに非があることに違いはないが。

「緋桐は中距離から牽制、紗雪は後方で狙撃支援。あたしとシルヴィアは突っ込んであの二人の魔法少女の相手をする」

 指示を出し終えるや否や、朱莉はシルヴィアと共に走りはじめる。返事を返す暇もなかったが、どちらにせよ緋桐には従う他に選択肢がない。

 朱莉から与えられた牽制というポジションは事実上、自由に動いて良いと言われているにも等しかった。最後尾に紗雪の狙撃が配置されているのも、緋桐の行動をサポートさせる目的だろう。緋桐はむしろ、これといった役割を分担されていない事を不満に思わないでもない。

 四人はそれぞれ自分の位置にむけて駆けながら、同時に変身魔法を発動した。

「「「「アウェイクン!!」」」」

 “変身魔法”は“変身魔術”とは根本的に違うものと言える。

 変身魔術が顔や服装などの見た目を変容させる術なのに対して、変身魔法は身につけている衣服を一時的に全消滅させ、代わりに魔法衣を構築するだけのものだ。

 魔法衣がもたらす効果は身体能力の向上・術式処理能力の向上・魔法能力の強化の三つに分けられる。どれも戦闘において重要な効果であるだけに、魔法衣はつまり戦闘形態と言い表すのが最も相応しい。

 四人の体を光が包み、着ているものを侵食していく。全身が万遍なく覆われると、光が炸裂して一瞬のうちに魔法衣を形作った。

 それぞれ少しずつ形状は異なるものの、イシュタルの魔法衣は青の布地に黄色のラインが走る西洋祭服風の衣装として統一されていた。

 魔法衣がもたらす力に確信を得、緋桐はマジカライズステッキを召還する。ステッキはすぐさま拳銃へと変身させられ、その照準をメッシュの少女へと向ける。

 引き金を握る指に迷いはない。銃口から実体を持たない殺気の塊が放たれ、メッシュの少女の隣をかすめた。

 緋桐の銃口を微動だにせず見守ったメッシュの少女は、満面の笑みをもって緋桐を挑発した。

「くっ……馬鹿にして!」

 もう一度撃ってやる、と銃口を向けなおした直後、メッシュの少女に格闘戦を仕掛けはじめた朱莉によって射線は遮られる。

「敵が近づいてますわよ!」

 後方から紗雪の忠告が聞こえる。気がつけば、黒服たちのうち3人は緋桐に向かってきているではないか。

 以前までならひどく狼狽していた状況だが、しかし緋桐は深呼吸とともに深く落ち着き払って分析を始めた。

 1時方向から2人、10時方向から1人。先に片付けるならば、より数の少ない方が容易だろう。しかし1時方向に迫る2人のうち一方は、今朝ゆずを誘拐していった張本人だ。心に湧いてくる怒りとは別にしても、一番簡単に倒せるのは彼だ、と緋桐は考える。

 今朝襲われた時の相手の動きを思い出す。ひどく大振りなラリアットだった。あの動きから格闘術に長けているようには思えない。

 同じズブの素人とはいえ、こちらは二つの格闘術を学んでいる。決心がついた今なら技術においてまず負けることはなかろう。

 緋桐は1時方向に向けて走り出した。

「なっ……一体何を!?」

 後方から見ていた紗雪は、セオリーから外れた緋桐の動きに驚きと少々の落胆を覚えた。しかしその直後、評価は一変する。

 勢いに乗せて押し蹴りを放つ黒服の軸足を先んじて蹴り、膝をついた所にすかさず肘を打ち込む。頭に強烈な打撃を受けた黒服はあっという間に失神して倒れた。

 一歩間違えれば命を奪いかねない強烈な攻撃に、緋桐の気持ちが反映されているようだった。

 続いてもう一人の黒服が左ストレートを繰り出してくる。緋桐は肘を上に向けた右腕でそれを遮り、そのまま潜り込ませて相手の左腕を払う。がら空きになった胸に左の突きを入れたものの、まだ相手は屈していない。

 強化された魔法少女の突きならば生身の敵など一撃の元に倒せるはずだ。果たして緋桐が下手なのか、躊躇が残っているのか。もし仮に後者だとするならば、そんな甘さは今すぐ捨てなければ。緋桐の眼光は更に冷たくなる。

 とは言え相手もかなりのダメージは受けているらしく、反撃として繰り出されるフックは先ほどまでに比べるとかなりキレを失っていた。こうなるともはや他愛ない。

 緋桐は迫る反撃をことごとく打ち払い、同時に一撃ずつ確かなダメージを加えていく。

 フックを払い裏拳を叩き込む。ニーキックを押し返し手刀を刺し込む。相手の攻撃をことごとく無力化し、生じた隙を間断なく打つ。その闘いぶりはシルヴィアのそれとほぼ同じだった。

 七手ほど打ち合いを繰り返す頃にもなると、背後から来るもう一人の足音が既にだいぶ近い。頃合を見た緋桐は、黒服が最後の力を振り絞り放った腕を掴み、足をかけて後方へと放り投げた。

 吹き飛んだ黒服は背後のもう一人に見事衝突し、同時に二人をノックダウンさせた。

 最初の黒服は軸足を蹴ったときに膝を砕かれてしまい、二人目は呼吸器周りの筋肉を万遍なく打たれ、三人目は下手をすれば頭蓋にひびが入りかねない程の勢いで頭を地面に打ちつけていた。三人とも、とても再び立ち上がって反撃できるような状態にはなく、緋桐の攻撃がどれだけ確実に敵を無力化していたのかがわかる。

 一部始終を見届けていた紗雪は我知らず緋桐に畏怖する。

 昨日まで使うことを躊躇していたシルヴィア流のマジカルマーシャルアーツをたった今、緋桐は黒服ども相手に披露してみせたのだ。威力そのものはまだ無意識に自制をかけている様子だったが、あの立ち回りではふとした拍子に敵の命を奪いかねない。それは逆説的に“彼らを殺害するつもりでいた”ことの証左となる。最初にメッシュの少女目掛けてマジカライズピストルを迷わず発砲したことも、裏付けとしては十分すぎるほどだ。

 覚悟をした、と緋桐は言った。成る程たしかに、彼女の見せた闘いは徹頭徹尾勝つことのみを追求したものであり、勝つために手段を選ばないだけの覚悟を窺わせた。しかし紗雪にとってはそれこそが恐ろしい。

 誰よりも親しい友人を自らの迷いの為に守りきれず、目の前でむざむざ連れ去られてしまった無念と悔恨を晴らす為、同じ過ちを二度と繰り返さぬ為、今度こそ迷いを捨てて闘いに挑んだ。ここまでの思考プロセスにおかしな点は少なくとも見当たらない。ただ、そういった思考順路の果てに導き出した“殺害する”という結論は、14歳の少女が選択する手段としては飛躍しすぎている。

 紗雪と緋桐は出会ってからまだ僅か一週間ばかりの関係に過ぎないが、彼女がこれほどまでに割り切りの激しい人間だとはとても思えなかった。いや、印象に対する食い違いだけで済ませるには、この変わりようは余りに常軌を逸している。それとも彼女の凶暴性は、元より内に秘められていたものなのだろうか。

 とにかく、潜在的な自制心が残っていたのがせめてもの救いだったと言えよう。

 少し荒れた呼吸を整えなおし、向こうで戦闘を続けているシルヴィアたちのもとへ向かっていく緋桐の手は、何かを求めるように握ったり離したりを繰り返している。深海生物の口を思わせるその蠢きは紗雪の心に不吉な予感を喚起させた。


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