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魔法少女ヒギリ×シルヴィア  作者: 鈍痛剣
Chapter1.邂逅
3/13

『邂逅』3

 波動が広がり、ローブの少女をも追い越していく。結界の波動ははじめ、黄色い輝きを伴って広がっていき、やがて砂糖が水に溶けるように目視できなくなった。

 これで少なくとも30分は思う存分に魔術と魔法を行使できる。魔術と魔法さえ自由に使えれば、敵の迎撃を無力化する手段は幾らでもある。このまま接近し、一気に制圧しよう――――シルヴィアは決断した。

 シルヴィアがひときわ強く壁を蹴った。それまでの速度を遥かに越えて、彼女の身体は矢のように加速する。

 間合いの変動に感づいたのか、白いローブの少女がシルヴィアを振り向いた。その顔は呆れと軽蔑を含んだ薄ら笑いを浮かべている。それも当然だろう、ここまで間合いを探り合っていた相手が、突如としてその読み合いを放棄したのだ。自棄で考えなしになったと取られるのも無理はない。

「所詮は雑魚か……!」

「…………」

 この時、シルヴィアの懸念は完全に解消されていた。敵の攻撃範囲などもはや案ずるに値せず、“魔術の自由行使を許された”時点で、既に勝利は約束されたものだと、シルヴィアは判断したのだ。

 客観的に見れば、この選択は誰もが早計に過ぎると断じることだろう。なぜなら相手に接近すればするほど、攻撃に対して求められる判断速度が高まるからだ。相手の手の内を未だこれっぽっちも知り得ていない現状では、対抗手段を発動することすら出来ないままに攻撃を受けてしまいかねない。故に安易な接近は、分の悪い博打に等しい。しかし、シルヴィアにそういったセオリーは通用しない。そもそも前提からして彼女は当て嵌まらない。

 動的な時間の中で判断する必要など、シルヴィアにはない。

「ブレイクタイムと洒落込むわ!! |甘美なる破壊者≪ヴァイオレント・キャンディ≫!!」

 ローブの少女は勝ち誇った顔で瓶を取り出し、その蓋を開いて振り向きざまに中身を撒き散らしてきた。中身は透明なジェル状の液体だ。

 液体は空中で七つの塊に分離し、それぞれ槍を模った姿へと変容していく。変容が完了すると、風を受けて震えていた表面が硬化し、ガラスのように光沢を放つようになった。七本の槍は、シルヴィアに向けて加速を始める。

 槍が加速を開始した時点で、槍とシルヴィアの間にある距離は約3メートルほど。既に槍はピッチングマシンさながらの勢いでシルヴィアへと加速しており、それに向かっていくシルヴィアの視点からは最早弾丸と大差ない速度と言えた。

 ――――だが、シルヴィアはそれを易々と回避してみせる。

「なっ……!?」

 飛来した全ての槍を全て回避しきると、シルヴィアは更に強く壁を蹴り加速する。既に二人の間の距離は4メートルに満たないほどにまで縮んでいた。

 ローブの少女は慌しい手つきで更に二つの瓶を取り出すと、先ほどの瓶と同様にジェル状の中身を撒き散らした。今度は槍に変形することもなく、液体のままシルヴィアのほうへと飛散していく。そしてそれは案の定、シルヴィアの軽やかな挙動のもとに回避されてしまった。

 液体による攻撃は失敗したかと思われたが、しかしそれはシルヴィアの背後で遅れて変化をはじめる。

 二つの液体は引き返してきた最初の液体とぶつかり合い、広がった勢いで薄く細い人型へと変化した。

 粘性を含んだ泥などの物質を人型に変形させ、簡単な意思を与える――――魔術界では最もポピュラーな使役術として知られる|泥人形≪ゴーレム≫だ。

 背後で何らかの能力の行使があったと察知したシルヴィアは、ほんの少しだけ振り返り、片目でゴーレムの存在を確認した。

「お行き、ワタシのゴーレム!!」

 続け様にローブの少女は5、6個の瓶を同時に放り投げ、新たに二体のゴーレムを生成した。恐らく、単純な射撃系の攻撃ではシルヴィアの追跡を逃れられないと判断したのだろう。三体のゴーレムを差し向けて足止めにするつもりなのだ。

「魔の泉より我が意に従いて武を顕せ――」

 一瞬のうちに判断を下したシルヴィアは、魔術の詠唱を終えると急激に減速しはじめた。

 彼女の両手は仄かな光を放ちながら、棒状の何かを生みだす。やがて光が失せると、それが向日葵を模った一対のステッキであることがわかった。

 ステッキは中心から木の枝のように割れて、トンファーへと変形する。

 マジカライズウェポンと呼ばれるそれは、魔法少女たちに支給される共通の武器だ。顕現した直後はステッキの形をとっているが、魔法少女が必要とする武器に合わせて姿を変えられ、万能の装備となる。

 今シルヴィアが手にしているマジカライズウェポンは差し詰め、マジカライズトンファーといった代物か。

 トンファーは攻と防を一体とする近接武器。間合いこそ広くないものの、柔軟な格闘戦を展開できる。

 シルヴィアが防御を兼ねた武装を選んだことには理由がある。

 事件の被害者・砂垣匠の死因は、体内での“何か”の爆裂だった。体内に取り込むことが容易で、尚且つ潜伏させることが出来る、身近な物質を操って殺害したのだろう。そして今ローブの少女が繰り出している“ジェル状の液体を操る能力”を“飴を自在に操る能力”と仮定するならば、事件と辻褄が合う。被害者の飲食物に糖類を含ませれば、あとは機を見計らって能力を発動させるだけだ。

 あの飴で生成されたゴーレムたちには、ほんの僅かでも触れることを許されない。ならば槍を使い安全圏から制圧するのが理想的だが、あくまで本命はローブの少女だ。槍を使ってリーチを守りながら戦っていれば、それこそ相手の思惑通りになってしまう。故に少々のリスクは度外視してでも短期決戦に持ち込みたかったのだ。

「一体目……」

 急激に減速したシルヴィアに対応しようと、ゴーレムも軽く減速をかける。それを見逃さなかったシルヴィアは反転し、一体目のゴーレムに向かって加速した。ゴーレムはビルの屋上に足を引っ掛け、より減速すると同時に勢いに乗せて回し蹴りを放ってくる。

 向かってくる蹴りを右のトンファーで受け流し、そのまま踏み込んだ勢いでシルヴィアはゴーレムを飛び越す。一瞬にして背後をとったシルヴィアは、容赦なくゴーレムの頭部を砕いた。

 ゴーレムは人を模った器に意思を宿らせる術なので、解除するには欠損させて人の形でなくすれば良い。頭部を失ったゴーレムは、そのまま水飴の姿に戻って地面へ飛び散った。

「二体目……」

 続いて二体のゴーレムがシルヴィアへと迫る。並ぶ二体のうち、シルヴィアはほんの少しだけ先行している右側を次の標的に選んだ。

 速度を維持したまま距離を埋めていき、少しずつ着地する回数を増やしていく。残り3メートルほどまで近づいた所で機を得たと見ると、躊躇なく右のゴーレムへと再加速した。ゴーレムは今まさに着地するといったタイミングで、そのまま勢いを乗せた右腕でラリアットを繰り出す。だがシルヴィアはそれも予測済みと言わんばかりにトンファーで受け止め、ゴーレムの左膝を叩き砕いた。既に左足で踏み込み右腕を振り回していたゴーレムは、体勢を変えることも出来ない。

 人型として作られた以上、たとえ液体で出来ていようともモチーフを超える動きを出来ない、これこそゴーレムの弱点と言えよう。

 足を砕かれた右側のゴーレムは飴に戻り、そして残るもう一体に取り込まれる。二体分の質量を得て肥大化したゴーレムは、着地の最中に急増した自重に引っ張られて転倒した。

「……三体」

 シルヴィアは一瞥もくれないまま、倒れた最後のゴーレムを砕き、そしてすぐさま追跡を再開した。

 ローブの少女がゴーレムを生成してから、僅か10秒にも満たない間の戦闘だった。しかしそのたった30秒のうちに、ローブの少女の表情は劇的に変化した。いまや彼女の顔は畏怖に冷たく引き攣っており、笑みを浮かべる余裕もない。

 二人の距離は10メートル前後に戻る。飛び散った飴に再び動き出す気配がないところを見ると、どうやら飴を操る能力――|甘美なる破壊者≪ヴァイオレント・キャンディ≫――には範囲の制限があるようだ。つまり彼女が飴を使った攻撃を仕掛けてくるたびに、10メートル程度の距離を開けて処理すればいい。

 完全に詰ませた。確信するシルヴィアは迷わず加速した。



 緋桐とシルヴィアとローブの少女を乗せたことを確認すると、枝里は慌てて車を発進させた。隠蔽結界の中だけあって、引き返すにもやはり飛ばし放題だ。

 助手席に必死にしがみつく緋桐はバックミラー越しに、ローブの少女と共に後部座席に乗車したシルヴィアの様子を窺う。ローブの少女が依然気を失ったままの一方で、シルヴィアは窓の外を鋭く睨みつけていた。少女を仕留め損なったことがそれほどまでに口惜しいのだろうか。何が彼女の殺意を突き動かしているのだろうか。考えたところで答えは見つかるはずもない。

 肩をすくめる緋桐に、枝里は運転しながら硬い面持ちで忠告する。

「緋桐ちゃん、これから本気で飛ばすから、ちゃんと捕まってるのよ!」

「えぇっ!? まだ飛ばすんですか!?」

「飛ばすしかないの!!」

 言い終わるのを待たず、枝里は限界までアクセルを踏み込んだ。途端に凄まじい勢いで身体がシートに叩きつけられる。体勢を崩した拍子に盗み見たメーターによると、この車の速度は既に140キロを越えたらしい。歩道の木々や標識があっという間に通り過ぎていき、もはや風景のほうが加速しているように見える。

 半ば放心状態の緋桐はふと、枝里がしきりにサイドミラーに目を向けていることに気が付いた。何事かとサイドミラーを覗くと、そこには驚くべきものが映っていた。

「う……馬っ!?」

 3メートルは優に超えるであろう巨大な馬が、こちらを追ってきているのだ。それも普通の馬とは違い、肌も瞳も髪もてらてらと輝いて見える。

「あれって……!?」

「ゴーレム! ……それも、普通じゃないわよ!!」

 普通、ゴーレムといえば、名の通り人の姿を模ったものが大半である。それは人型の方が使い勝手が良いという理由もあるが、そもそもの問題として、人以外の生物を模するとなると途端に高い技術が要求されるようになるからだ。人が人を模するのは簡単だが、他の動物の場合はそうもいかない。

 つまるところあの馬のゴーレムを使役している者は、人並み外れた技術を持つ魔術師であるということになる。そしてそれがこちらを追ってきているということは、言うまでもなく白いローブの少女の仲間が追ってきているということだろう。

 より一層面持ちを険しくしたシルヴィアが、マジカライズステッキを手にドアを開いた。

「シルヴィアちゃん!? まさか迎撃するつもりじゃないでしょうね!?」

「……減速して」

「何を言って……!」

「どの道追いつかれる……減速して」

「ああもう、わかったわよ!!」

 車は徐々に減速していき、馬との距離を縮めていく。近づいてくるにつれて、馬の背に何者かが乗っていることが分かってきた。馬の乗り手はやはり白いローブを身に纏っている。

 シルヴィアはマジカライズステッキを槍の姿に変え、開ききったドアに足をかける。シートで踏ん張るもう片方の足を除いて、ほぼ全身が車の外に乗り出した状態だ。

「む、無茶だよシルヴィアちゃん!!」

「ヒギリは隠蔽結界の準備を……そろそろ効果時間が終わる」

「……う、うん」

 シルヴィアの低く唸るような声に気圧された緋桐は、言われるがままにカードを手に取る。口を挟んではいけないと本能に訴えかけているようで、あっさりとその迫力に呑まれてしまった。

 既に馬のゴーレムと車との距離はかなり縮まっている。馬は更に速度を上げ、車の側面に肉迫する。先手を打ったのはシルヴィアの方だった。

 ステッキから変身した槍≪マジカライズスピア≫を騎手めがけて突き出す。シルヴィアの殺意を宿しているかの如く真っ直ぐに首筋へと進む槍は、その直後、敵が振り抜いた槍によって弾かれた。こちらからは見えない死角に隠し持っていたらしい。

 弾かれた槍を瞬時に引き戻したシルヴィアは、相手が反撃に出る暇を与えないよう、即座に続く第二撃、第三撃を繰り出す。シルヴィアの息も吐かせぬ連撃に、騎手は守りに徹するしかない。

 馬に騎乗し追ってきている以上、相手が長柄の武器で攻撃してくることはシルヴィアも想定済みだった。しかし車という馬上よりも制限の多い環境にいる彼女にとって、防戦は不利に過ぎる。故に先手を取り、攻め続けるほかに選択肢がない。

 技術で勝るも、動き辛い状態にあって攻撃が単調にならざるを得ないシルヴィア。技術で劣るも、攻撃の単調さもあってなんとか防御だけはこなすゴーレム馬の騎手。

 互いのアドバンテージが相殺され、戦闘は膠着状態へと陥っていた。

 枝里はゴーレム馬と車の距離を保ちながら運転し、緋桐は何もできず固唾を飲んで見守る。あらゆる状況が膠着したそんな最中、屋根に何かがぶつかる音がした。それから間もなく、シルヴィアが開いたほうとは反対――ローブの少女を乗せている側のドアが開かれる。

「っ!? 緋桐ちゃん、一体何が!?」

「お、女の子が……女の子が車にしがみ付いてます!!」

「はいぃ!?」

 そこには、車の側面にしがみ付いている新たな少女の姿があった。

 金髪と褐色の肌が好対照な、ミステリアスな雰囲気を放つ少女だ。

 突風に暴れる髪のあいだから、高いまなじりと鷲鼻の、少し大人びた面貌が垣間見える。頬には一文字の傷が刻まれていて、殊更にその雰囲気を際立たせていた。

 身に着けているのは祭服のようだが、そこかしこに和風の意匠が取り入れられており、どことなく忍装束にも似ている。そしてその白を基調とした配色からは、捕獲した少女の白いローブにも通じるデザインが見てとれる。

「この速度の車に飛び乗ってきたっていうの!? まさか、あの馬のゴーレムも陽動!?」

 激しい突風とゆれに苦戦しながらも、金髪の少女はゆっくり体勢を整える。その手には、骸骨を模ったマジカライズステッキを変身させた|短刀≪マジカライズダガー≫が握られている。

 シルヴィアも先ほどから金髪の少女のほうをちらちらと確認しているのだが、如何せん目の前の戦闘から手を離せない。それどころか背後に気を取られた一瞬の隙をきっかけに、騎手の反撃を許してしまった。すかさず槍を短く変身させて防御に移行するが、形勢は完全に逆転されてしまっている。後ろに退くこともできなければ、前を攻めることもできない。

「くっ……!」

 シルヴィアが迎えている絶体絶命の危機を前にして、ふと緋桐はなにもできずにいる自身に愕然とする。

 この車内で何もしていない人間はたった一人、緋桐だけなのだ。だというのに、金髪の少女は緋桐のほうを見向きもしない。きっとこの数秒のあいだに、脅威に値しないと評価を下されたのだろう。

 心の隅に小さく縮こまっていた勇気が、緋桐自身に問い掛ける。

 ――――本当にそれでいいの?

 枝里とシルヴィアは自分を見守ってくれた。その二人を今、見殺しにしていいと言うのか。

 ――――いいわけがない!

 緋桐の意思は迷うことなく自答する。

 自身が戦力にならない訳を、緋桐はよく理解していた。シルヴィアからマジカルマーシャルアーツの基礎を教わったものの、実戦での経験などは皆無で、その上こちらは武器を持っていない。短刀を持った本物の戦士と渡り合える見込みなど、万に一つもないのだ。

(だから、戦わない。私の戦う相手は……私!)

 覚悟を決めた緋桐は、アナトから与えられた魔術の知識を全て引き出し、今できることを選び出した。

「悪いけどさ……死んでくれよ」

 金髪の少女がシルヴィアの背中に狙いをさだめ、マジカライズダガーを振りかぶる。その瞬間、緋桐はポケットに畳んで入れてあった書類――――昨日アナトに貰ったグループ表を手に取り、生まれて初めて、自らの意思で魔術を詠唱した。

硬化(ハーディン)……!」

 かさぶたを剥がした時のような、そこはかとない快感と達成感が沸いてくる。すると書類はたちまち鉄板のように硬くなり、これっぽっちも曲がらなくなった。

 硬くなった紙の感触を信じ、今まさにマジカライズダガーを振り下ろしている金髪の少女めがけて投げつける。手裏剣のように回転しながら飛ぶそれは、みごと額に直撃し、金髪の少女を仰け反らせることに成功した。

「なっ……!?」

「シルヴィアちゃん!!」

「ヒギリ!!」

 シルヴィアは緋桐が作ったチャンスを見逃さなかった。一気に車内へと退き、隙ができた金髪の少女にタックルを喰らわせる。それと同時に、シルヴィアを追って車内へ突き入れられた敵の槍を、マジカライズスピアを三節棍へと変身させて絡めとった。

 バランスを崩した金髪の少女は車から落ちそうになるすんでのところでドアに掴まる。彼女は悔しげに表情を歪ませていたが、すぐ諦めがついたように外へと飛び出していった。その手にはいつの間に掠め取ったのか、ローブの少女が手にしていた宝玉が握られていた。

 背後の脅威が取り除かれたことを確認すると、シルヴィアは絡めとった槍を叩き折り、その片割れを騎手の頭へと投擲する。

 頭を砕け散らせた騎手は白いローブのみを残して泥となり舞い散った。

「あっ、あの乗り手もゴーレムだったの!?」

 口をあんぐりと開けて驚く枝里をよそに、残ったゴーレム馬の頭部を三節棍で叩き割る。これも泥となって散っていく様を見届けたあと、ようやくドアが閉じられた。

「……」

「…………」

「ふぅー……」

 強烈な脱力感が三人を襲う。まだ気を抜けないということはそれぞれ重々承知しているつもりだったが、安堵せずにはいられない。

 互いを讃えあいたい気持ちもあったが、とりあえずしばらくは口を利く気力が戻りそうになかった。



 車から離脱し路地裏を引き返す金髪の少女は、手に持った宝玉にふと目をやる。

 宝玉は曇り一つなく透明で、奥にある手の平を歪曲して映す。一見すると何の変哲もないガラス玉にしか見えないが、その実態は世界に数個しか存在しないと言われる貴重なマジックアイテムらしい。

 イシュタルの魔法少女たちは宝玉がどういう代物なのかまるで知らない様子だったから、奪取することそのものはさほど難しくはなかった。そもそも宝玉奪取の実行犯を務めるはずだったあの高慢ちきな少女が捕まりさえしなければ、もっと楽に済んでいたはずではあるが。

 路地裏を疾走しながら、周囲の気配を探る。どうやらもう追ってくる者はいないようだ。ほっと安堵した少女は、足を止めた。

 ――その刹那、背後からとてつもない速度で殺気が迫っていることに気付く。

「っ……!?」

 風を斬る音とともに飛来したその“殺気”は、左の太腿を貫いた。たちまち姿勢が崩れ、少女はその場に転んでしまう。

 狙撃された。それも普通の銃弾ではなく、魔術によって生成された実態なき風の魔弾であることを、少女は瞬時に感じ取った。

 痛みに震える左腿を押さえながら、銃弾の飛んできた方向を注視する。変身した魔法少女の強化された視野でもって、少女は街一番の高さを誇る廃ビルの15階に狙撃手の存在を確認した。狙撃手はにこやかな表情を貼り付けた、気品を漂わせるウェーブがかった長髪の少女。その身に纏った祭服から、さきほどの車に乗っていた少女と同じ、イシュタルの魔法少女であることが窺えた。

 金髪の少女は骸骨のマジカライズステッキを狙撃銃≪マジカライズライフル≫に変身させ、すかさず撃ち返す。今しがた腿を貫いた弾道と全くおなじルートをなぞって、魔弾がビルへと向かう。しかしそれは狙撃手に当たる直前のところで、突如として見当違いな方向へ吹っ飛んでいってしまった。いや、そこにある見えない何かに弾かれてしまった、というべきか。

 敵は不可視の壁で身を守りながらこちらを狙撃してきている。今の装備と足の状態ではまず勝ち目はないだろう。

「チッ……クソ!!」

 即座に判断を下した少女は、足元に向けて魔術を放つ。するとその場に小さな爆発が起こり、あっという間にあたり一帯を煙幕に覆い隠してしまった。

 少女は痛む足を強引に奮い立たせて、更に細く入り組んだ裏路地へと消えていった。



 鈍色と闇の路地裏が黄金の向日葵畑へと塗り換わる。見上げれば遮るもののない広大な蒼穹が広がっている。立ち上る入道雲を飛行機雲が貫いていくさまを見ていると、時間が止まっているように錯覚しそうだった。

 直前までの激しい逃走劇からは打って変わって、イシュタル本部の周辺はひどく喉かだった。

 オフィスに辿り着くなり緋桐がソファにへたり込む一方で、シルヴィアと枝里は捕獲したローブの少女を連れて階段を下りていく。どうやら寮棟だけでなくオフィス棟にも地下があるらしい。

 枝里から言い渡された「休んでいなさい」という言葉に、気遣いだけではない何かを感じ取った緋桐は、ひとまずオフィスのソファで待つことにした。するとその様子を見かねたのか、アナトが話しかけてきた。

「お疲れさま。ことの顛末は枝里から聞いてるよ」

「えっと。魔法少女の仕事って、いつもあんなに血が流れるものなんですか」

「うーん……ケースバイケース、かな。戦闘ばかりになることもあれば、全くない仕事もある。ただまぁ、基本的には危険な世界に関わらざるを得ないね」

「…………殺人現場の思念が伝わってきて……本当に苦しくて哀しいんです。私が住んでいた世界の裏は、あんなことばっかりだったんだ……って」

「そうだ、その力のことで言いたいことがあった。既に気付いてるかもしれないが、君の魔法は残留思念を読み取る能力だ。捜査にはとても便利な能力かもしれないが、使い方を誤れば君を破滅させかねない。気をつけてくれ」

「は、はぁ……」

「まあ、きっとそのうちシルヴィアが使い方を教えてくれるよ。……それじゃあ僕は仕事が残ってるから、行ってくるよ」

 緋桐に忠告を述べると、アナトは背広にハットを装着してオフィスを出ていく。他にも訊きたいことがあった緋桐は引き止めようか迷うが、結局尻込みしているうちに行かれてしまった。

 すぐまたやることが無くなってしまい、ソファの上でぼーっとしていると、今度はオフィスに戻ってきた朱莉に目が合った。

「おっ緋桐じゃーん! おつかれー。一人?」

「はい。枝里さんとシルヴィアちゃんは、捕まえた人を連れて地下に行って……」

「あぁ、あの魔法少女を。それにしても緋桐、初仕事だったのにシルヴィアとうまく息が合ってたな!」

「えっ……なんで知ってるんですか!?」

「実は近くのビルから紗雪といっしょに援護射撃の準備をしてたんだわ。まー、ちょうど見つけた時にシルヴィアが逆転しちゃってたもんだから、やる事なかったけどさ」

「そうだったんですか…………あっ、車に飛び乗ってきたあの娘は、どうなりました?」

「紗雪が足を撃ったけど、煙幕で逃げられちった。そうとう戦い慣れてるよ、あれは」

「朱莉ぃ……もっとわたくしを褒めてくださぁい」

 どこからともなく甘えるような声が聞こえてきたかと思うと、朱莉の背後に紗雪が現れた。相変わらず心臓に悪い登場の仕方である。

 紗雪は恍惚とした表情で朱莉に抱きつき、あろうことか耳を甘噛みする。その姿はまるで子猫がじゃれているようだ。

「おいおい、結局敵を逃がしちゃったのはお前だろー? ご褒美はお預けだかんな」

「酷いですのぉ……もう、ずっとはみはみしちゃいますわ」

「……えっと……」

「あぁ、気にしないでやってよ。狙撃戦のあとはいっつもこうなのさ」

「朱莉ぃ……朱莉ぃ……部屋に戻りましょぉ……」

「意外と小心者だからさ、こいつ。じゃあ、また後でなー」

 呆れつつも少し嬉しそうな笑みを浮かべながら、朱莉はオフィスを出ていった。

 二人は一体どういう関係なのだろうか。それより、寮に戻ったあと二人で何をするのだろうか。想像が膨らめば膨らむほど顔が熱くなる。とうの本人たちは至極平然としていたというのに、見ている緋桐のほうが変な気持ちになってしまった。

 しばらくしてまたオフィスの扉が開く。誰かと思って緋桐が顔を上げると、ひどくくたびれた男が入ってくるところだった。病院で会った刑事だ。

 刑事は職員に待つように言われたらしく、緋桐と同じソファに腰掛けた。憔悴しきった彼は緋桐の存在に気付いてすらいない。

 声をかけるべきか悩みぬいた末、とりあえず挨拶しておこうと決めた。

「あの、すいません。自己紹介が遅れました。救仁郷緋桐です」

「……あぁ、シルヴィア君の相方の。俺は相模直人、よろしく」

「そ、そんな大層なものでは……ところで、あの病室にいた方は……」

「亡くなったよ。あっという間だった」

「そうです……か」

「…………」

 重い沈黙が漂う。

 きっと相模にとって死んだ刑事は心から尊敬できる上司だったのだろう。そして彼が最後の最後で人を殺める側へと堕落してしまったという事実の重さは、緋桐にもなんとなく察せた。

 相模は向日葵畑のほうに目をやりながら、緋桐に背中で問いかける。

「君は残留思念を読み取る能力があるようだが……事件の真相まで見えているのか?」

「はい。病室に入った瞬間にまた新しい残留思念がまた流れ込んできて…………それでようやく真相まで見えました」

「その真相というやつを、話してくれ」

「……砂垣匠さんの本当の殺害現場は、本当はあの病室でした」

「…………」

「あの病室は本来、砂垣さんの部屋でした。そこへ二人……瀬川さんと、あの白いローブの子が取引に来たんです。でも交渉は決裂して、肝心のマジックアイテムも病室にはない。そこで二人は砂垣さんを瀕死の状態で路地裏に転移させ、砂垣さんの協力者二人を呼び出したんです。そこでもやはり交渉は決裂。協力者は持ってきたマジックアイテムを奪われた上に殺害されてしまいました。

 魔法少女は炎魔術で二人の死体を塵も残さず消し去り、瀬川さんは奪ったマジックアイテムの“術式痕を抹消する”効果を使って証拠を抹消。そして残すは砂垣さん一人のみとなった所に……シルヴィアちゃんが駆けつけたんです」

「なっ……彼女が!?」

 さすがにこれには落ち込んだままというわけにもいられず、相模は思わず振り返って確認する。

「シルヴィアちゃんの意思については……私もわかりません。そのあと瀬川さんはシルヴィアちゃんと戦い負傷したために、情報を改竄して砂垣さんの病室に入院した……らしいです」

「じゃあ……彼女は真実を知っていながら、わざとはぐらかしていたのか……?」

「もちろん、転移魔術を使ったことまでは知らないとは思いますけど…………ただ、彼女は彼女なりに根拠を持って行動しているはずです。それだけは信じてあげて欲しい、です……」

「……そうか」

 語気を弱めながらも緋桐ははっきりと言い切る。シルヴィアとは知り合ってからたかだか数日程度の仲だが、それでも信じたいと思わせる思い出が既にあった。

 それを聞いた相模は複雑そうな顔のまま、また向日葵畑へと目を向ける。スタッフに呼び出されるまでの数分間、彼はずっと放心しているようだった。



 黄金の花びらをそよ風が撫でていく。よく見ると花びらはどれもこれも乾いていて、季節の変わり目が近づいていることを知らせていた。

 向日葵畑を中心から見渡す緋桐の胸中は、眼前に広がる黄金とは対照的に暗く濁っている。

 この三日間のうちに様々な出来事があった。そのなかで緋桐は幾つもの理不尽と悲しみに出会った。彼女が今まで生きてきた世界は、実は彼女が信じているほど美しくなどなかった。ただ醜い出来事が目に入らないように整備されていただけだった。その事実は緋桐の心に重く圧し掛かる。

 そもそも彼女が信じていた感情すらも本当は――――。

 ふと振り返ると、祭服のような衣装からいつもの漆黒のコートに戻ったシルヴィアの姿があった。

「……シルヴィアちゃん」

「ヒギリのおかげで助かった。感謝する」

「ううん。私はほんの一瞬、決意しただけ。本当に命を賭けて戦ってるシルヴィアちゃんの方が…………憧れちゃうよ」

「ヒギリは…………私みたいになってはならない」

「どうして?」

「ヒギリには優しくあり続けてほしい」

 シルヴィアから放たれた思いも寄らない言葉に、ついさっきまでの殺意に滾る彼女の姿を想起してしまう。他者を憎むようにならないで欲しいという意味だろうか。

 必要なことは伝えた、といった様子でシルヴィアは緋桐に背を向ける。寮に向かって歩き出したその背中があまりに寂しそうで、緋桐は声をかけずにはいられなかった。

「あなただって…………貴女だって、私に優しくしてくれたよ」

「…………」

 シルヴィアの足が止まる。数秒ほど固まったあと、気を取り直したように歩き去っていってしまった。

 向日葵畑をひときわ強い風が吹き抜ける。いっせいに揺れる黄金の波は、緋桐の心のざわめきを体現しているようだった。




魔法少女ヒギリ×シルヴィア『邂逅』 終

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