『DAWN OF FATE』1
暗闇に純白の火の粉が舞い落ちる。人の手から生まれたものを全て塗り潰し、無へと帰すように、遠景の摩天楼を滲ませる。
燃え上がるような白い息を指先に吹き付け、痛みすら伴う冷たさをほんのひと時だけ紛らす。今年は暖冬になると報じていたニュース番組はもう二度と信じる気になれない。
十二月二五日、午前零時。その夜はいつも以上に冷え込み、比較的温暖な地域にも降雪が確認されるほどだった。
細長い女性のシルエットに狐の面貌をたたえた幻獣は、その麗しい肢体を覆い隠すような黒いロングコートに身を包み、街はずれの小さな喫茶店へと急いでいた。人払いの術が施され、古びた幽霊屋敷のような外観と成り果てた喫茶店。魔法少女を束ねる組織が本拠地とするならばさして珍しくもない外観だ。それが弱小勢力であるならば。
クル・ヌ・ギア。異能社会、とりわけ魔法少女組織を中心とする界隈において、その名を知らぬ者はいない。大手魔法少女組織の代表たる幻獣たちが互いに不可侵の領域を定め、異能社会の秩序を律するために締結した協定――――あるいは支配種を選定するエーデルワイス争奪戦を穏便かつ有利に進めるための同盟――――に背いたはぐれ者の中でも、恐らく最大の勢力を有する影の頂点。その代表こそが彼女、エレシュキガルであった。
協定から禁止薬物と認められたMADの生産と流通で権威を確固たるものとしたエレシュキガルだが、これまでに成してきた所業から世間がイメージする人物像と、実際の彼女の思想は意外なほど食い違っている。少なくとも悪行によって得た地位であることは正しく自覚していた。そして目先の利益を求めるだけの私欲とも無縁であり、大義へ至る手段として悪行を成す悪党と自らを定義していた。
エレシュキガルにとっての大義は、彼女が愛する者と、これから生まれ来る二人の愛の結晶に捧げるものだった。
喫茶店の扉を開き、外気から逃れるように屋内へ滑り込んだまさにその時、静寂に支配された暗闇を赤子の泣き声が貫いた。我知らず駆けだしてしまう。平素の彼女からは想像もできないほど、慌ただしく品のない足音。
「おかえりなさい、あなた。見て――――とびきり元気だわ」
辿り着いた最奥の寝室に、エレシュキガルの待ち焦がれた光景はあった。
ベッドの飾り板に背を預けるうら若き女性。憔悴しながらも衰えぬ優しい笑みがむしろ儚く映える、エレシュキガル最愛の妻。その腕に抱かれる、小さな新しい命。
「あぁ。無事でいてくれて有難う……ルーニァ」
緊張から解き放たれて崩れ落ちそうな脚を一歩、一歩と確かめるように踏み出す。怯える子供のような足取りでようやくベッドの傍らについたエレシュキガルに、生まれたての赤ん坊が差し出される。いざ抱き上げてみると、体重以上の重みが腕の中にずしりと圧し掛かり、少しだけぞっとした。
ルーニァと呼ばれた女性は、そんな恐る恐る赤ん坊を抱くエレシュキガルの姿に苦笑しながら、しかしどこか憂いを帯びた面持ちでいる。
「この子があなたとわたしの一番大切な子。そして、この世界に生を授かった哀れな子よ」
「……せめてこいつが生きる時代くらいは変わるとも」
赤ん坊の産声はこの世に生まれ落ちたことを嘆く絶叫なのだ、という言葉を聞いたことがある。いま腕の中にいる子も同様に、これから生きてゆく世の無惨を憂いて泣いているのだろうか。であるならば、より良い時代を譲り渡すことで、生まれてくれた命に報いなければなるまい。
子供の名前は既に取り決めていた。二人が出会った場所、今では廃屋も同然となったこの喫茶店のかつての店名をそのまま与えようと。
シルヴィア。人間と幻獣の混血児。やがて世界の変革を担うであろう運命の子。
協定の崩壊より遡ること約十三年前――――エレシュキガルがまだ未来に志を託していた日のことである。
魔法少女ヒギリ×シルヴィア 『DAWN OF FATE』