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魔法少女ヒギリ×シルヴィア  作者: 鈍痛剣
Chapter4.真実の貌
11/13

『真実の貌』2

 緋桐が身に纏う、マジカライズステッキによる無色の鎧。半液体状の質感を有するそれは、緋桐自身の想定を超えて粛清者を手こずらせていた。

 いかに半液体状であっても、ただ柔軟なだけでは粛清者が繰り出す打撃を完全に無力化することはできない。加えて、衝撃を緩和する為に必要とされる鎧の質量や密度といったものを即座に計算できるほど、緋桐の頭脳は明晰ではなかった。あくまで鎧の質感は頭に浮かんだ直感的イメージに基づいて構成しているに過ぎない。ではそんな鎧でどうやって粛清者の攻撃を無力化するのか。その問題に緋桐は、爆発反応装甲――いわゆるリアクティブアーマーを再現することで対処した。

 鎧の装甲そのものを多層化し、打撃を受ける表面と緋桐を覆う内面の間に、衝撃に反応して爆発する液体を構成したのだ。

 これにより粛清者の拳は弾き返されて、幾らかの隙をも与えることができる。爆発によって起きた衝撃は内面の層が分散、軽減する。そのうえ魔法も併用して攻撃の軌道を先読みし、できる限り逸らすことで更に衝撃を軽減する。

 緋桐を襲う衝撃は決してゼロにはならないが、粛清者の凶手を生身で受けるよりは遥かに楽だろう。

 粛清者が有する戦闘技術のアドバンテージと、緋桐が有する鎧のアドバンテージの拮抗。時間稼ぎを狙う思惑も相まって、戦いは長期化の兆しを見せはじめていた。

「全く……厄介なものだ。リアクティブアーマーとは、年端のわりに小賢しい策を弄する」

「血が滲んでますよ。もしかして昨日の傷、ですか」

「……それがどうした」

「これ以上の長期戦はあなたも私も望んでないはず。ここで手打ちにすることはできませんか?」

「下らんな。魔女の甘言など聞き入れるに値せぬ」

「そうですか……っ!」

 僅かに出来た間にすかさず持ち掛けた交渉も、粛清者を相手にしてはまるで取り付く島がない。

 粛清者が振るう拳を弾き返しては反撃し、かわされてはまた拳を弾く。延々と繰り返される打撃の応酬のさなか、緋桐はひたすら交渉を成立させる手立てを模索していた。

 怪我によって相手の負担が重くなり続けるのと同様に、軽減しているとはいえ、爆発の衝撃によるダメージは常に蓄積し続ける。ただでさえ負担の大きい魔法を併用しているのだから、むしろ長期戦のリスクは緋桐のほうが大きい。

 リスク自体は死を覚悟している緋桐にとって瑣末なことだ。だが問題はリスクが呼び寄せる感情――殺し合いの中で芽生え始めている愉悦にあった。

 身体にダメージが蓄積するほど、魔法と魔術が脳に負担をかけるほど、粛清者のおぞましいまでの殺意を感じるほど、緋桐の意思とは裏腹に心が沸き立つ。難しいゲームを攻略するように、あるいは大金を賭けたギャンブルに興じるように、生と死の駆け引きから生まれるスリルが、なぜか無性に楽しい。

 相手の手の内を読み策を講じる。己のウィークポイントを考察する。そうして徐々に輪郭を現してくる死の感触を求めて、次の一撃を繰り出す。この手で殺したい。命が絶える瞬間が見たい。死が欲しい。

 まるで内側からどす黒い感情が溢れ出し、理性の堤防を決壊させてゆくような、そんな恐ろしい予感がしていた。

 刹那、ダメージに身体が怯む。思わず晒してしまった隙を粛清者が見逃すはずもなく、緋桐の腕は瞬く間に絡めとられ、組み伏せられてしまった。

「衝撃を与えることで爆発する装甲…………では打撃に依らず、関節を砕けばどうなるのだろうな」

 闇雲に殴り合っているように見せかけて、粛清者はリアクティブアーマーの弱点分析を終えていたようだ。彼の言うとおり、中の緋桐自身を痛めつける関節技では、リアクティブアーマーは意味を成さない。

 ならば、と緋桐は半液体状だった鎧を瞬時に凝固させる。すでに関節を極められて苦しい体勢ではあったが、鎧のすべての層を固めることで、関節技を強引に中断させることに成功した。だが――

「織り込み済みだ」

 粛清者は拍子抜けなほどあっさり手を放す。もしやと思い慌てて半液体に戻そうとする緋桐よりも一瞬早く、粛清者の拳は鎧を打ち貫いていた。

「えっ…………っ゛あ゛……!?」

 鎧の中をごう、と衝撃音が轟く。やはり打撃の威力は減じるが、硬質化してしまえば粛清者に砕けないものはない。

 鎧を貫通した拳は緋桐の鳩尾に深くめり込み、あばら骨数本を折ったうえに内臓を痛めつけた。

 想像を絶する激痛。全身を雷撃が駆け抜けるような衝撃に思考する暇すら奪われた緋桐は、意に反しマジカライズステッキの変身を解いてしまう。

「ぅ゛あ゛…………あ゛……」

「これで終わりだ……!」

 無防備に横たわる緋桐の頭に狙いを定め、無慈悲に粛清者が拳を構える。

 殺される。死ぬ。死。終わり。甘美にして魅惑的なその響きに、緋桐はふしぎと恍惚を覚えた。今から死ぬというのに、殺されてしまうというのに、どうしてこんなにも愉快なのか。

 刻々と迫る“死の瞬間”。絶望と恍惚という相反する感情に混乱する緋桐に、だがそれが訪れることはなかった。

 どこからか銃声が響く。何が起きたのか、誰が発したものなのかを緋桐が理解するより先に、今まさに拳を振り下ろそうとしていた粛清者が吹き飛ばされた。

 撃たれた? いったい誰に。

 思うように動かない身体をなんとかよじり、銃声のした方向を見る。その先には不吉な白い影――――クル・ヌ・ギアの魔法少女が長大なマジカライズライフルを構えていた。

「ビンゴ! こっちガ“本物”ノいる方だったミたいだネ!!」

 ライフルを構えていたのは、狂ったようにはしゃぐ、緑のメッシュが印象的な少女。ゆずを誘拐したクル・ヌ・ギアの魔法少女・リンドウだ。

 その姿を見咎め、緋桐は激痛に悶えながら身を起こした。

 彼女らがここにいるという事は、転移結界を利用できたという事は、今しがた脱出したイシュタルの仲間たちは。枝里は――。

 最悪の結末だ。粛清者の標的にされることのなかったであろう非戦闘員も、クル・ヌ・ギアの襲撃を受けたとあれば生存は絶望的だろう。

 死を受け入れようとしていた直前までから一転して、猛烈な殺意が蘇る。粛清者とは違い、あの少女に対してだけは個人的な深い怨恨もあって理性と衝動が合致した。

 絶対に許さない――殺す――。

 虫の息にも拘らず緋桐は怒りと殺意で身体に鞭打ち、とうとう立ち上がった。口の中は血の味がし、身動き一つ取るだけでも砕けた骨が灼熱の痛みを発するが、それでも止められない。

「ワオ、傷つきナがら立ち上ガる少女! 劇的だネー! でもキミは撮りタくないナー。役者ニしては個性ガ無いヨ。“本物”トはいえ“偽物”だからネ」

 相変わらず飄々として挑発を続ける態度に、緋桐の怒りは募り続ける。冷静さを失くした緋桐には、“本物”と“偽物”という言葉の意味を気に掛けるだけの余裕はない。何故クル・ヌ・ギアがイシュタルの人員を掃滅して尚、残るたった一人の緋桐を標的としたのかも。

 震える足を一歩、一歩とゆっくり前へ進める。ダメージによる苦痛もあるが、なにより怒りで震えていた。

 一歩ごとに力が籠り、土を蹴り潰すようにして踏み出す。やがてその衝撃が痛みを上回りはじめ、呼応するかたちで歩みも早くなる。

 いつの間にか緋桐は雄叫びを上げながら走っていた。

「――――――ッ!!!」

「スゴイ回復力……ト褒めタい所だけド、マァ落ち着きなヨ」

 リンドウが構え直したライフルから再び魔弾を放つ。猛進する緋桐の腹を真っ直ぐ捉えた弾道は、しかし目にも止まらぬ手刀の一閃によって逸れ、あらぬ方向へと吹き飛んだ。

「更にビックリ。覚醒モ近そうデ丁度いいヨ。ソれじゃ早速サプライズゲストの紹介~」

 降りかかる魔弾をことごとく撥ね退け、リンドウたちまであと5メートルほどにまで迫ったところで、突如緋桐の脚は止まった。

 リンドウの背後、何をするでもなく顛末を見守っていた十余名の魔法少女たちから一人、白いローブに身を包むひときわ小柄な少女が緋桐の前に立ち塞がる。深く被ったフードの下から覗く、くすんだ白髪と痩せこけた頬。暗く濁った瞳から放たれる視線は、緋桐をねめつけているようでも、虚空を泳いでいるようでもある。

 刹那、憤怒に滾る緋桐の全身をかつてない悪寒が駆け抜けた。理由はわからないが、緋桐の本能があの酷くやつれた少女を、ある種粛清者よりも危険な存在と認めているらしい。

「“偽物”。やッちゃていいヨ」

 緋桐の反応に早くも飽きてしまったのか、憑き物が落ちたように表情を消したリンドウが無造作に指を鳴らす。それに応じて今度は白髪の少女が緋桐へ向けて走り出した。

 距離を縮められるごと、全身を襲う悪寒が強烈になっていく。びりびりとした痺れに身動きを封じられた緋桐は、白髪が放つ拳を避けることもできず、粉砕骨折している胴へまともに受けてしまう。

 何かが潰れる音、人体から放たれてはならない音がした。

 見れば、白髪の腕は緋桐の胴を貫いている。緋桐の腹にぽっかりと穴を開け、肉も骨も臓腑も滅茶苦茶に掻き混ぜて背中を突き破っている。

 一瞬の出来事だったせいか、腹を突き破られたという実感がまるで湧かない。痛みも熱すらも感じられず、ただただ冷たい感覚だけが浸透していく。

「ぁ……えっ……?」

 その冷たい感覚はやがて得体の知れない不快感に変わって、白髪の腕から広がりだした。

 アナトとの契約で脳に刻まれた魔術の基礎知識がふと脳裏によぎる。――魔術を行使するとき、魔法少女の腕には術式陣が浮かぶ――。

 突き刺さる腕には確かに術式陣が浮かんでいた。それも一つではない。おびただしい数の紋様が複雑に重なり合い、蟻の群れが這っているかの如く蠢いている。

 身体に術をかけるつもりなのか? いや違う。“喰われる”。

「こりうす……いただき、ます……あなた」

 白髪の少女は相変わらず虚空を見つめながら、薄らとだが顔をしかめた。それが一体どんな感情を表現しようとしているのかは読み取れない。緋桐の自我もまた虚無へと散りかけていた。

 しかし消えかけの意識は突如として現実に引き戻される。

 緋桐の頬を掠めて、一本のクナイが白髪の少女の右胸を射抜いた。緋桐の背後から投擲された小型のクナイ。情報でだけ聞いていたその武器を放ったのは、やはり粛清者であった。

「魔女どもめがぞろぞろと……むざむざ命を捨てに来たか」

 悠然と言い放つが、掌には酷い銃傷を負っている。吹き飛ばされた衝撃もあってか、全身の傷もとっくに開ききっている様子だ。

「しぶとイなァ。粛清者ハお呼びジャないヨ。みんナ、やッちゃエ~」

 リンドウが心底呆れた顔で指示を飛ばすと、彼女の背後に控えていた魔法少女たちが一斉に粛清者へと銃撃を開始する。

 満身創痍の現状なら取るに足らないと踏んだのだろう。だが粛清者はそんな甘い予想を易々と裏切り、魔弾の掃射をすべて回避してあっという間に彼女たちの前にまで肉薄した。

「銃ごときで我を仕留めきれると思わぬことだ」

 襲撃直後に比べるといくらか動きは鈍っていたが、やはり粛清者の戦闘力は圧倒的だ。マジカライズステッキを近接武器に変えて立ち向かう魔法少女たちを、粛清者はこともなげに次から次へと叩きのめしていく。

「ア~ア~もうグダグダだヨ。マァ、雑魚は時間稼ぎダケやってクれれば良いかナ」

 ため息交じりにリンドウが白髪――コリウス――と緋桐のほうを振り向く。奇襲を受けて術を中断されたコリウスは地べたに座り込み、また何をするでもなく茫然としていた。

 一方の緋桐は――――“変り始めて”いた。

 全身を術式陣とは異なる禍々しい紋様に覆われ、血よりも深く暗い色に燃え上がる。同時に腹の空洞から溢れ出したどす黒い瘴気と溶け合う様は、さながら地獄の縮図のよう。

 やがて炎と瘴気は高密度に収束し、溜まりかねて激しく炸裂した。

「ア……ヤバいかモ」

 ここに至ってはじめて焦りを顔に表したリンドウは、即座にコリウスを掴んでその場を飛び退いた。シリウスも同様に危険を察知して飛び退く。

 直後、炸裂によって生じた衝撃波が緋桐を中心とした半径一〇メートルほどを――――文字通り、焼き払った。

 逃げ遅れた数人の魔法少女が、ものの一瞬にして塵芥と化し、消滅する。規模こそ違うが、その有様は原子爆弾を思い起こさせた。

「捕食ヲ中断されタせいデ、半端ニ刺激してシまったみたいだネ」

「な、何が起こったというのだ……」

「キミノ責任だヨ、粛清者。本物の“エーデルワイス”ガ覚醒してシまったのサ」

「奴がエーデルワイス……だと!?」

 舞い上がった砂埃が風にさらわれ、爆心地に立つ緋桐の姿も徐々に露わになる。最初に見えたのは全身から発せられる深紅の光であった。

 禍々しい紋様に覆われた身体と目の前の惨状、それぞれを見比べて緋桐の顔は青ざめていく。

 あまりに軽い命の感触。それと気付かず蟻を踏み潰してしまうように、あっけなく絶たれた人の生。創意工夫を凝らして丹念になぶり殺すよりも、よほど冒涜的かもしれない。

「私…………そんなつもりじゃ……私じゃない……こんなのじゃないよ…………ちがう……」

 赤く湿り気を帯びたモノ――少女だったモノ――が地面に染み付き、砂を取り込んで反吐のようにねっとりと広がっていく。

 人を殺すとは、生が死すとは、すなわちこういう事なのだと。あの子がこの先見たであろう未来を、そこにあった感情や知覚を、こんなものに変えてしまったのはお前なのだと。赤い汚物が咎めているように思えた。

 すこし遅れて、今際の際に少女たちが抱いていた思念が術式陣を通じ緋桐の心に流れ込んできた。

 眼球がつぶされる。喉が焼けていく。手足が溶け落ちる。全身の細胞が弾けて崩れていく。大切な人の顔を思い浮かべる間すら与えられず、すべてが無にされていく。

 ――すべて私が殺した。

 ころしてないの。

 敵をあれほど殺したがってたのは自分自身だ。

 なにをしたのかわからない。

 意思と反していたとしても実際にひとをころした。

 ちがうのかんけいないのこれじゃない。

 ころしたらひとはカタマリになるんだ。

 これじゃないこれじゃないちがうぜんぶちがう。

 ころしたころしたころしたころしたころした。

 ちがうわたしじゃないころしてないころしてないころしてない。

 ころしたころしたころしたころしたころしたころしたころしたころした――

 足が震える。あらゆる自我と感情が混濁する。関係ない。こんな惨状はとても受け止めきれない。目を向けていられない。

 半ば無意識のうちに緋桐は走っていた。粛清者もクル・ヌ・ギアも忘れて、ここから離れたどこか遠い場所に逃げたかった。

 転移結界を越えると、視界が塗り替わり薄暗い路地裏へと降り立つ。だがそこにも横たわる無数の骸、骸、骸、骸、骸、骸、骸。

 避難していく姿を見送った魔法少女。オフィスでいつもせかせか働いていた少女。食堂でひときわ賑やかにしていた少女。顔を見たことしかないけど、いつか話してみたかった少女。みんな壊れた人形のように地面へ突っ伏している。

 ここも死臭で溢れている。もっと他の場所へ、誰もいない所へ逃げなきゃ。

 考えることはできなかった。緋桐はただ僅かでも死の気配のない場所へと逃げたくて、自らの異様な風貌も忘れて走り出した。

 表通りの明るさに目が眩むが気にしていられない。人々が奇異の目を向けてくることのほうが恐ろしい。視線に殺されそうな気がして、見る者すべてを殺してやりたいと思ってしまう。

 ――私を見ないで。私は化け物じゃない。殺させないで。私に近寄らないで。

 理由もなく沸き上がる殺意とそれに恐怖する理性。人の目を意識すればするほど、緋桐の精神は引き裂かれていく。



 迷宮じみた洞窟の最深部、複数の照明機材が置かれ一段と明るい広間に、発掘隊の求めていたであろうものはあった。

 三階建ての小さなアパートくらいなら丸ごと収まりきってしまうであろうその広間の壁、三面すべてに隅々まで精緻な壁画が描かれている。規模・状態・希少性とどれを取っても考古学的価値は計り知れない。しかしどういうわけか、広間の四隅には丸みを帯びた爆薬と思しき無数の袋が配置されている。よく見ると壁そのものにも人為的に穿たれた穴が数ヶ所あり、それぞれ前述の爆薬が詰め込まれている。

 解せないことに、発掘隊の目的は調査などではなく遺跡の抹消だったのだ。いや、そもそも美津島グループが送り込んだ人員は発掘隊ですらなかった。

 首を傾げる相模の視線は次に、地面に散乱するいくつかのプリントを捉えた。紙面には調査結果が記載されているようで、壁画の接写とその図解で構成されている。

「なんだよ、これ……」

 図解によると、壁画の中央に描かれているのは“大いなる災厄”の運び手・エーデルワイスで、その周辺を取り囲むのは星の眷属・幻獣たち。壁画はエーデルワイスの命を奪い合う幻獣たちの闘争を描いており、人間が彼らを神として崇拝していたことを示しているのだという。

 覚醒したエーデルワイスの出で立ちを描いた図には資料的価値がある一方、“星の管理権”を賭けた闘争の示唆は社会秩序を揺るがしかねない重大な事実である。早急に破壊し、隠蔽する必要がある――――図解は以上にように総括されている。

 歴史を根底から覆すような事柄がさも当然の如く整然と記されているの紙面に、相模はおぞましいほどの寒気を覚えた。

 幻獣たちは遥か太古の昔から地球に存在していた。そして“星の管理権”とやらを賭けてエーデルワイス――災厄の運び手を奪い合っている。これが事実とするなら、異能社会の構築そのものが壮大な欺瞞だったということになる。

「瀬川さん……この社会の真実って、こういう事だったのか……?」

 書類から得られた情報を、推測を交えながら再構成するとこうなる。

 エーデルワイスと称される存在は地上を滅ぼしかねない災厄の運び手でありながら、同時にその命を奪った者に“星の管理権”を与える機能を備えている。幻獣たちによる“星の管理権”の争奪戦は遥か太古から続いており、五十年前に人類の前に姿を現したのは美津島グループや魔法少女のように、彼らが人間を利用することを覚えたからなのかもしれない。

 シリウスが言っていた事の意味が、少しずつだが分かりはじめる。彼が憤り、憎む世界の支配者たちが――――その真なる企みが。



 どれほどの距離を進んだのかもわからず、満身創痍のうえ全力で走り続けたために緋桐の身体はボロボロだった。痛みすら感じないほど感覚が麻痺しているから、どちらの足を前に伸ばしたかもわからなくなる。

 両脚を同時に進めようとしてもつれる。もはや受け身を取る気力すらもなく、顔を地面に叩きつける形で緋桐は倒れた。

 そんな有様を見かねたのか、訝しげな面持ちで緋桐を避けて歩いていた人々から一人、女性が駆け寄ってくる。

「ちょっとあなた、大丈夫? 意識はあるかしら、返事できる?」

 女性が心配そうに緋桐を抱き上げる。こんなおぞましい風貌の相手でも関係なく、善意から介抱しようとしてくれている。だが今の緋桐にはその優しさが怖かった。

「……めて……」

「あぁ、良かった、意識はあるみたいね。今すぐ救急車を……」

「……やめて……近寄らないで……」

「えっ?」

 優しい人なら殊更に巻き込みたくない。だから少なくとも善意のつもりだった。しかし女性を突き放そうと伸ばした腕が緋桐の理性を無視して殺意を纏っていることに気付いた時には、とうに手遅れだった。

 女性の上半身が瞬く間に消し飛び、取り残された下半身の切り株から赤い花が咲く。

 尋常ならざる光景を目の当たりにして皆理解が遅れたのだろう。一瞬の沈黙の後、街は阿鼻叫喚に包まれた。

 緋桐もまた絶叫した。

 自ら伸ばしたこの腕が、おぞましくも確たる手触りを伴って女性の命を絶った。魔法少女や裏社会の事情などにはおよそ関わり合いのない、ただそこに居たというだけの人をだ。今度ばかりは弁解のしようがない。

 半ば予測できていた結末とはいえ、腸をぐでり、とぶら下げるその切株をいざ眼前にすると、ひどく息が詰まる。鼻を突くその異臭を避けようと思ったら、不思議とまた足が動き出した。

 緋桐の心中に、先程までの混乱や迷いはない。人殺しになったという至極単純な自覚と、繕いようのない純粋な罪悪感だけだ。

 人々が放つ悲鳴とざわめきを、通り過ぎたそばから崩れ落ちていくビルの轟音が掻き消す。意識と完全に切り離された緋桐の本能的な破壊衝動は、無数の衝撃波を放ち街を空爆していく。

 ――――あぁ、どうしてこうなってしまったんだろう。

「どうしてって。エーデルワイスは大いなる災厄なんだから、破壊することが本能なんでしょ?」

 我知らず呟いた緋桐の言葉に、緋桐が答える。まるで天使と悪魔の囁きのように思えたが、今ではどちらか天使なのかもわからない。現にこうして歩くだけで人を殺し街を壊している化物に、善の心などあろうものか。

「それにしても、救仁郷緋桐の姿でずいぶん好き勝手してくれたよね。それは私のものなんだけど」

 一方の声がより大きくなって再び発言する。幅広の河川に跨る橋に踏み込むと、こんどは足音まで二倍、三倍と増えていく。どうやら緋桐の幻覚などではないらしい。

 然る後に橋の中腹にまでたどり着いた緋桐を、反対側から渡ってきた声の主が迎える。

「人から盗んだ顔と記憶と居場所で過ごした時間はどうだった? エーデルワイス…………偽物さん」

 クル・ヌ・ギア独特の白い魔法衣に褪せた茶髪をたなびかせ、目元に昏い闇をたたえても尚、その顔の輪郭が全く同一人物のものであることは容易に見て取れる。橋の反対側を渡ってきたのは、紛れもなく救仁郷緋桐だった。

「わた……し……? にせ…………もの……?」

「こいつ、この期に及んでまだ自分が偽物だって分かってないみたいよ、緋桐」

「っ………………」

「よくもこの私を騙してくれたわね! 死ね、クズ!」

 もう一人の緋桐に続いて現れたのは、同じくクル・ヌ・ギアの魔法衣を纏った高千穂ゆずであった。その顔は最後に会った日とは対称的に、蛆虫でも見るような表情を浮かべている。とてもかつての親友に向けるものとは思えない。

 胸の奥が押し潰されそうだ。状況に対する理解はまったく追いつかないのに、親友だと思っていた人からこの上なく軽蔑されていることだけは手に取るようにわかる。

 ――――私がゆずに何をしたって言うの?

 彼女は今日まで自分が救仁郷緋桐だと思って生きてきた。しかし両親の愛を受け、親友と過ごしたこれまでの全ての時間は、エーデルワイスという化物が模造した独りよがりな妄想に過ぎなかったのだというのか。

「まぁ、やめてあげよ? 哀れすぎて見てられないから」

 嘲笑しながら、もう一人の“本物の緋桐”が拳を構える。

 敵意。訳もわからぬまま直感的にその感情を嗅ぎ当てた本能が、またエーデルワイスの意思に反してどす黒い瘴気を放つ。瘴気は槍状に凝固し、二人へ向けて射出された。

「だ……めっ…………避けて!!」

 泣きながら、エーデルワイスが叫ぶ。だが二人は避ける素振りすら見せない。その代わり“本物の緋桐”は懐から宝玉を取り出した。瀬川恭参が殺害された時、クル・ヌ・ギアの魔法少女が盗み出したマジックアイテム。砂垣匠の殺害現場で術式痕を抹消したあれだ。

 宝玉は彼女の腕に展開された術式陣と連動し、氷海よりも冷たく深い青の光を放つ。直後、二人を射抜かんと飛び掛かった瘴気の槍は見えない手に掴まれたようにぴたりと動きを止め、ほどなく粒子となり風に溶けてしまった。

「イシュタルや砂垣さんは術式痕を消し去るアイテムだと思ってたみたいだけど、これは違うんだよね。アカシックレコード……この世の理との繋がりに割り込んで、対象の異能力を絶つ。それがこの“礼拝絶嗣”が持つ力。星の意思に遣わされているエーデルワイスも、繋がりを絶たれれば無力なただの獣っていうこと」

 宝玉から放たれた光に侵食されるように、エーデルワイスの全身を覆う術式陣もまた青く染められていく。心なしか殺人衝動も鳴りを潜めてきたかもしれない。両手足に錘を付けられ深海へと沈んでいくような、全身が弛緩し意識が遠のいていく感覚。

 “本物の緋桐”が言ったことの意味は殆ど解せなかったが、少なくとも自身の力が失われていることだけは理解した。そして同時に安堵する。これでようやく無関係な人々が死なずに済む。

 二人から向けられる死にかけの虫けらを眺めるような視線を一身に浴びて、エーデルワイスはふと思った。

 ――――私の正体を知ったら、シルヴィアちゃんも同じような目をするのかな。

 せめてシルヴィアにだけは知って欲しくない。シルヴィアにまで見捨てられたくはない。ならばその前に死んでしまうのが一番だ。そうすれば大切な人たちを手ずから傷つける事もなくなる。

「…………ごめん……なさい」

「うん?」

「生まれ……てきて……ごめん、なさい」

「………………貴女はエレシュキガル様に殺してもらう。この世界はより良いものへと再構成される。せいぜい次に生まれ変わる先を考えながら、死んで」

 拘束魔術が詠唱され、エーデルワイスの身体を鉄の蛇が縛り上げる。ほんの一瞬だけ憐れむような表情を露にしながらも、すぐにそれを掻き消した“本物の緋桐”は一歩、一歩と迷いなくにじり寄っていく。

 ようやく終われる。どうしようもなく哀しみだけを焼き付けたこの胸が、やっと鼓動を止められる。

 だがそんなエーデルワイスの決心に、またもや横槍を入れんとする人物がいた。

「エレシュキガルの手に落とされては困る。貴様を殺す者は奴ではない」

 唐突な浮遊感、眼前には血まみれの掌。それが粛清者のものであると気付いたころ、エーデルワイスの身体は遅れて吹き飛んだ。

「粛清者っ!?」

「もう! どこまで邪魔をすれば気が済むのかしら! どきなさいゴミ虫!!」

「フン。ゴミ虫は貴様らだ、魔女」

 もはやずたぼろの大きな背中が、だがやはり弱る事を知らない華麗な身のこなしで二人の攻撃をかわしている。その光景が徐々に遠ざかり、水に呑まれ、朧になっていく。

 ――――どうして!? 早く私を殺してよ!!

 エーデルワイスの悲痛な叫びは川の奔流に攫われ、消えていった。



 山脈の遥か彼方へ走り去る太陽。街を覆う夜闇に抗わんと街路灯が蛍火を宿しだす。だが少し開けた間隔で配置されたそれらは、むしろ闇を際立たせてゴシックホラーの典型的なイメージを想起させる。景観を統一すべく中世からの姿を残す建造物が道を挟むかたちで並び立ち構成する“街”という一つの生物が、口を大きく開いて喉奥の深淵へ立ち入る者を呑み込もうとしているようだ。

 フラムトゥグルーヴと合流し予定を越える数の転移陣を経由したものの、無理を押して進み続けたため、到着時刻は当初の予定からさほど遅れてはいなかった。アナトら一行の歩くこの名も知らぬ街こそが会談の開催地である。

 幻獣たちは機密保持のためか、徹底して現在地の具体的名称を口にしていない。シルヴィアの推測では、恐らくスロバキアかそこらの田舎町といったあたり。

 地元民らしき人影は一つたりと見受けられない。治安の悪い地域であれば人気がないのも当然なのかもしれないが、それを差し引いても余りに生気というものが無さすぎる。まるで電気だけが通ったゴーストタウン。会談に合わせて人払いを施しているのか、あるいは街自体が元より“協定”と連携を取っているのか。どちらにせよ街の不気味さを一層掻き立てている。

 普段ならホステルとして運営されているであろう建物に入るところで、ようやくイシュタルとフラムトゥグルーヴは別れた。

「お泊りってちょっとテンション上がっちゃいますねー! シルヴィアちゃんは綾那と一緒の部屋、決定! ふふふ~、どんな話します? やっぱコイバナ? コイバナいっちゃいます? キャー!」

 談話室に落ち着き、アナトからの労いとともに自由行動を認める宣言が終わると、崇城綾那は即座にシルヴィアの隣に飛びつく。ほかの魔法少女たちがくたくたに疲弊しているなか、彼女だけは相変わらず無意味に元気だ。

 一方でシルヴィアも相変わらず意に介さないといった様子で、

「先に部屋に戻っていて。私は所用がある」

 とだけ短く言い残しホステルを出ていった。魔法少女たちに自由時間を言い渡した後、一人静かにホステルを抜け出たアナトの動向が気掛かりだった。

 アナトの後ろ姿は、メインストリートから外れた細い路地へ入っていく。刹那、一度だけ振り返ったアナトと目が合った。

 咎めたり警戒するわけでもなく、暗に“ちゃんとついてきているな”と確認するようなアイコンタクト。シルヴィアも身を隠すことなく堂々と追う。どうやら互いに意図するところは同じのようだ。

 程なくして、路地を抜けた突き当りに石造りのひときわ古風なパブが姿を現した。壁に掛けられた灯火が光を躍らせ、二人の影がのたうつ。まるで悪魔の棲む屋敷だ。

 ただでさえ人の気配のない街ではあるが、成程、ここならば殊更人が寄り付きそうにない。

 入口の扉を開くと、取り付けられた鈴がやや控えめな音でシルヴィアの来店を知らせる。店内は暖色の灯りがぽつぽつと点在しているものの全体には仄暗く、プラネタリウムに見る星空のようだ。やはり店員の姿はどこにもなく、ただ一人、カウンター席にアナトだけが腰掛けている。

「この辺りもかつては魔女狩りが盛んに行われていた地域なんだ。今は違うけど、所によっては粛清者の息が掛かっている街もあっただろうね」

 アナトは白々しく昔話を語り聞かせはじめる。はなから他の話題に興味がないシルヴィアだったが、ここは牽制の意も込めてアナトに合わせる形で皮肉を返した。

「魔法少女である彼女を狩ろうとするならば、幻獣も粛清者と大差ないと言える」

「…………あぁ、やはりそうなんだね。確信を持つまでではなかったけど、そうか……」

 もはやここに至って言及するまでもないかもしれないが、改めてシルヴィアの言葉を受け“彼女”がエーデルワイスであるという事実を確認したアナトは、早々に潔く本題へと移った。

「たしかに彼女は魔法少女だよ。しかしそれ以前に災厄の運び手だろう? 野放しにしておけば多くの命が奪われる」

「災厄の阻止は詭弁に過ぎない。アナトの目的は“星の管理権”にある」

「詭弁ではないさ。“星の管理権”を目的としているのは事実だが、災厄を食い止めたいのも本心だ。むしろキミのほうが不可解だよ。彼女を手にかけることを非難しているようだけど、それこそキミの私情のための詭弁じゃないのかい?」

「私情であることは承知している。非難もしていない。私はアナトの指針を確認しただけ」

「じゃあキミの指針も教えてもらいたいな。キミだって彼女を手にかけ……“星の管理権”を奪い合わなければならない立場だろう?」

「迷っている。彼女を……ヒギリを救う方法があるかもしれないと希望的観測に頼ってすらいる。しかし引導を渡さねばならないのであれば、その役目を譲る気はない」

「キミらしくもない愚かな答えだね。それは消極的な決断でしかない。その程度の志に“星の管理権”は譲れない」

「アナトの目的はなに」

「地上に生ける者すべてを共生させたうえで、知性と感情をある程度抑制する。管理権の争奪戦はよりフェアになり、いびつな社会や文明は画一化する」

「それはただの独裁」

「まぁ聞こえは悪いだろうね。だがこれは僕の個人的な欲望を満たすものではなく、これから先の未来を見据えた選択だよ。世界に対する改善欲求を奪うことが、すなわち改悪を避けることになると考えた」

「それこそ消極的な願望」

「ならキミにこれ以上の動機と手段が提示できるかい?」

「今はできない。だが私の意思はかわらない」

「……どうあっても曲げられないというなら、“星の眷属”同士である以上、対立せざるを得なくなるよ」

「構わない」

 相変わらず独り言ように無機質な口調にうっすらと、だが確かな覚悟がこもる。これより先は拳を交える他ないだろう、と考えシルヴィアは静かに構えを取った。

 しかしアナトは一向に席を立つ気配すら見せない。明確な宣戦布告を受けてもなお、彼の瞳に戦意はなかった。

 短い沈黙の後に小さく溜息を吐くと、アナトはあろうことかシルヴィアに背を向けた。

「今から無用な騒ぎは起こしたくないな。それに店を潰すわけにもいかない」

「私を見逃すの」

「気持ちの整理というやつがしたくてね」

「…………私は日本へ戻る」

「わかってるよ。契約も今日限りだ」

 構えを解いたシルヴィアもまた背を向け、入口扉に手をかける。

 二人の視線の先にあるものは、背に受けた明かりが作り出す自分自身の影。もはやそこに意思の疎通は必要なく、むしろ己に言い聞かせるような語気でお互い言い捨てた。

「次に会うときは敵」

「あぁ。“ヒトの幻獣・シルヴィア”たるキミに容赦はしない」


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