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魔法少女ヒギリ×シルヴィア  作者: 鈍痛剣
Chapter1.邂逅
1/13

『邂逅』1


 夜空の輝きを文明の灯火が凌駕したときから、星光の定義は地上に奪われた。街を見下ろせば何処も彼処も街灯が煌煌と照らしつけている。さりとて人工の灯りが届かない場所すら、雑居ビルが作る不自然な影ばかりだ。純然たる夜は最早この地上にはほぼ残っていない。

 地平から上に見渡す空が漆黒のカーテンで覆われていて、そこに砂金を散りばめたような星々が輝いていて、人の目に痛くない程度の淡い月光が中心にある、そんな眺めこそがこの星の本来の“夜”だ。ところがそんな景観は、今となっては最果ての砂漠くらいでしか見られない。

 都会の中にあっても高層ビルの屋上など、とりわけ空に近い場所では星空の光をより身近に感じられるだろうが、やはり地上から放たれる文明の光は眩すぎる。

 零時を過ぎてから暫くしたころ、超高層ビルの頂に地上の歪な光を見下ろす人影が現れた。それは闇と煌きを同時に備えた、約一四〇センチほどの小さな“夜”の少女。精巧な人形のように整った顔立ち、刀剣を想起させるストイックな出で立ち、すらりと伸びる長い手足、白く冴え渡るきめ細かな肌――――どれを取っても美しいと言うほかにない、夜を体現する女神であった。

 彼女の眼差しは向かいのビルの屋上へと向けられている。そこにいるのは、黒で統一した背広とソフト帽に身を包んだ怪人。こちらは対照的に全身黒ずくめで、一点たりとも明るみのないただの“影”と言えよう。

 夜と影の対峙する様は、人々の視界から外れたこの場を異界の光景へと変貌させていた。いや或いは、人目を避けていくうちに異界へと辿り着いてしまったのか。そんなことはこの期に及んではわからない。二人の眼差しはこの時、相対する標的のみに向けられている。そのほかの事など二の次だ。

 先に動いたのは“夜”だった。蝙蝠が翼を広げるがごとくコートを翻し、前方へ大きく跳躍する。

 対して“影”は腰を低くし、後方へ軽く飛び退いた。

 一秒も数えないうちに向かいのビルへと到達した“夜”は、着地の瞬間に殺気を感じ取ったのか、即座に側方へと転がった。起き上がりざまに視線を戻すと、果たして直前まで“夜”のいた場所へ踵が落とされている。それを確認すると“夜”は起き上がる動作を中断し、床についた左腕を軸にして払い蹴りを繰り出した。

 膝を思い切り払われたまらず転倒した影は、第二撃を察知して素早く後転でその場を脱する。だが顔を上げると視界には既に“夜”が放つ足刀蹴りが映っていた。

 この瞬間、“影”は自らの敗北を思い知ると同時に死を覚悟した。



 魔法少女ヒギリ×シルヴィア 『邂逅』




 空を覆い隠さんばかりに林立したビルディングの群れは、まさにコンクリートジャングルといった風情で、“高度に発達した文明はむしろ人類を退化させる”とかいう話を思い出させた。幼少期を自然の中で過ごした少女にとって、窓の向こうを埋め尽くす鼠色は息苦しく感じるだけだった。

 ―――とある都市の一角、とあるビルの三階に店を構える、胡散臭い事務所。エアコンが稼働音をがなり立てている以外は、驚くほど静まり返った空間。そこに少女の姿はあった。

 少女はこれといって容姿に特徴を持たず、強いて挙げればくりくりした目が可愛らしいくらいの、ごく普通の中学生だ。そんな彼女だからこそ、この殺風景な事務所には殊更不釣合いだった。

 応接ソファに腰を下ろす彼女は腑に落ちない様子で、テーブルを挟んで向かう相手の顔を覗いている。

 相手は一分ほど手元の書類と睨めっこをしたあと、少女の視線に気が付いて、顔をあげた。

「僕の顔に何か?」

「い、いえ……」

 その顔は、栗色の体毛に覆われたイタチだった。似ているとかいうレベルではない、イタチの顔そのものである。

 少女より少し背が低い程度の巨大イタチが、ビジネススーツをきっちりと着こなして、ソファに腰掛けていた。もはやその光景は、可愛いもの好きな女子中学生のファンシーでメルヘンな脳を以ってしても、到底信じ難いものだった。

「まぁ突然のことで混乱する気持ちも判るよ」

「は、はぁ……」

「ある日いきなり両親を亡くしたとなれば、普通はそうだよね」

「…………」

 そうではない、と突っ込みたい気持ちで胸が一杯だったが、少女が両親を失って気を落としていたのもまた事実だ。

 彼女の両親は揃って事故死したらしい。

 それ以外の情報を一切知らされず、このような怪しい事務所に連れて来られたとあらば、うら若き少女にも何らかのきな臭さは感じて取れた。だが、まさかこのようなファンタジーな存在に出くわす嵌めになるとは、誰が予想できただろうか。

「…………あのぉ」

「どうかしたかい? トイレなら奥に入って右だけど」

「そうではなく……えぇっと……その、ご様子、というか……」

 相手の容姿については、如何せん指摘し辛かった。怪しい事務所に連れて来られたこの状況に少女が身構えていたというのもあるが、そうでなくとも、いきなり「顔、イタチですね! 流行りなんですか?」などとは言えまい。

 すっかり困窮してしまった少女を見て、イタチ人間は腑に落ちたように、なるほど、と手を叩いた。

「ごめんごめん! そうだよね、この恰好じゃちょっとね、アレだよね」

 そう言ってイタチ人間は、きっちり七三分けのヅラを頭に装着してみせた。その表情は心なしか誇らしげに見えた。

 意味がわからなかった。

 少女は一層混乱し、本格的に自分の正気を疑い始めた。これほど常軌を逸した状況においても、相手ではなくまず己を疑う、そういう誠実な少女だった。

 そんな彼女の葛藤などいざ知らず、イタチ人間は淡々と喋り始めた。

「えーっとね。君のご両親、マジカル闇金融にそこそこの借金をしていたね」

「……はい?」

「十中八九、事故を装った保険金狙いの他殺だ。訃報を受けてからすぐ、怪しい人たちが家に来なかったかい?」

「えぇ、来ましたけど……言われるがままに印鑑を押されて……」

「その時に保険金をぶんどられたんだろうね」

「ま、まじかる……やみきん……」

 電子機器がショートしたみたいに、少女はしばらく身動きができなかった。それもショッキングな現実に打ちのめされているわけではなく、やたら頻出するマジカルと付く単語が解せないからだった。

「で、本題だけど。僕らの組織は、魔法少女の育成・派遣を仕事としていてね」

「魔法少女…………新手の売春、ですか?」

「ないない。そんなのはマジカル風営法が黙っちゃいない。僕らはいわゆる何でも屋というやつさ」

「まじかる風営……法……」

 ふわふわした幻想的な四文字と、仰々しい法律名の組み合わせはあまりにも不釣合いで、いよいよ少女は(あぁ、真面目に考察したら負けなんだな)と思った。

「正確には異能社会における協定の俗称で、マジカル風営法なんて法律は存在しないけどね。でも絶対不可侵の協定だ」

 妖精さんの社会にも色々とあるんだなぁ、などと少女は呑気に感心する。このイタチ人間のことは、不思議な不思議な妖精さんの一種であると半ば強引に納得したらしい。

「少し脱線しちゃったね……魔法少女の募集は普段からかけているけど、会長の意向で、身寄りのない子は優先的に保護するようになっているんだ」

「私みたいな子が、他にも?」

「うん。そもそも表社会で生きていくのに、魔術事件に巻き込まれたという経歴は、それだけで危うい。そこらの一般人は異能のことなんて知らないだろうけど、魔術社会を忌み嫌うアウトローの異能……人物や家系は一般社会にも多く潜んでいる」

 表社会への復帰が難しいという話の深刻さに、少女は形だけは理解を示す。だが、どうにも現実味が追いつかなかった。

 両親を突然失ったことの寂寥、怪しい事務所に連れて来られたことの不安、謎のイタチ人間と遭遇した困惑。さまざまな感情がない交ぜになり、視界の全てが他人事のように思えていた。

「ここに所属してくれれば、寮を提供できる。生活に充分な給金も出せる。僕らは、君の力を求めている。どうかな、一つ、魔法少女になってみる気はないかい?」

 少女に選択肢はなかった。否、選択するつもりもなかった。たとえ表社会に戻ったところで、彼女の居場所は既にどこにもない。訝しみこそしたが、少女は迷わなかった。

「……よくわからないですけど、よろしくお願いします」

「随分と決断が早いね」

「正直、自分のことはもうどうでもいいと考えてます。生きられるなら何でもいいです」

「…………子供がそういう事を言うものじゃない」

 この時はじめて、スーツにヅラのイタチ人間が顔をしかめた。

 見た目がシュールすぎるあまり迫力は感じられなかったが、これまで彼に対してどこか胡散臭い印象を受けていただけ、意外に真摯な人かもしれない、と少女は驚いた。



 数分後、路地裏にイタチ人間と女子中学生の姿はあった。

 イタチ人間曰く、宿舎と本部を紹介してからさっさと契約の儀式を済ませる予定らしい。よくわからないけど、何処へ連れ込まれようが最早どうでもいい、と少女は諦観していた。そんな考えを先ほど咎められたばかりだが、咎めた張本人が最も不審なのだから、改めるのも億劫だった。

 ふと少女の方に振り向いたイタチ人間が、手を差し伸べてきた。握手を求めているのだろうか。

「そういえばまだ名乗ってなかったね。僕は眷属アナト」

「け、けんぞ……?」

「僕のように少女と魔法契約を結べる幻獣は、一般的に眷属と呼ばれているんだ」

 背広のイタチ人間が常識を語る様は、一周してむしろ説得力がある。

 とりあえず握手には応えたが、次から次へと繰り出される異界の知識に少女の脳はパンクしかけていた。

「はぁ……よろしくお願いします」

「そういう君の名前は……えーっと」

 アナトは唐突に立ち止まり、手元の資料をぱらぱらとめくり始めた。どうやら彼は少女の名前をまだ覚えていないらしい。

 彼女にとって名前を覚えてもらえないのはいつもの事で、こんな不思議世界の幻獣が相手でもそれは同じなんだな、とむしろ安堵を覚えた。

「救仁郷緋桐……くにごう、ひぎり」

「くにごう……珍しい苗字だね」

「よく言われます」

「…………」

 もはや彼女にとっては定型句でしかない一言を最後に、二人の間に沈黙が訪れた。

 アナトはなにやら資料を探しているらしく、鞄の中をほじくり返している。幻獣を名乗る割に、毛ほども威厳を感じさせない背中だった。

 一方で緋桐としても特に振るべき話題や質問はなく、黙っている他なかった。そもそもイタチ人間と何を話せばよいのか、考え付きもしない。

 そうこうしている内に、二人は開けた場所に出た。ビルの陰に遮られていた日光が網膜へと雪崩れ込み、トンネルの出口さながらに緋桐の視界を奪う。

 光は思いのほか強く、瞬きを繰り返して目を慣らし、緋桐が目前の光景を視認できるようになるまでに由に一分は時間がかかった。

「着いたよ。あそこが本部にして、魔法少女たちの宿舎だ」

 魔法か何かを行使したのか、あるいはこの道に慣れている為か、アナトはさしたる不自由もないようである。緋桐は今まで彼を着ぐるみの怪人としか思っていなかったが、この時ばかりは不思議と素直に感心していた。そしてそれ以上に感嘆を誘ったのは、回復した視界に広がる光景だった。

「あれ? ……あれっ!?」

 大気圏まで見通せそうなほど雄大な青空、見渡す限りを覆いつくす向日葵畑、そしてその中心に鎮座する天文台――――直前まで目にしていたコンクリートジャングルからはまるで想像もできない景観だった。

 わけもわからず緋桐は慌てて背後を振り返ったが、バス停と思しき掘っ立て小屋が影を落としているのみで、ビル街の面影はどこにもない。

「関係者だけが持つパスに反応して、本部事務所まで転移させる魔法の壁……結界の応用さ。初めて来る子はみんな驚くよ」

 アナトは苦笑気味にさらりと言ってのけたが、緋桐は依然として何が起きたのかわからないでいる。正真正銘の魔法を目の当たりにして、平静を保っていられるわけがなかった。

「さぁ、行こう。あの天文台が本部だ」



 閉め切ったカーテンの僅かな隙間から真昼の陽光が差し込む。ベッドから起き上がった少女はその光芒に僅かに目を細めた。

 緋桐と同年代のようだが、顔も体型も緋桐のそれとは比較にならないほど端麗な少女だった。しかしその面持ちにはまるで感情というものが見受けられず、整った容貌と相まって体温のないマネキンのようでもある。

 少女は名をシルヴィアという。アナトと契約した魔法少女の一人である。

「…………新入り」

 彼女の視線は窓の向こうの向日葵畑にいる緋桐に釘付けだった。



 案内されるまま上がり込んだ天文台の中は、先刻の簡素で無機質な事務所とはまるで違い、雑多で生活感溢れるオフィスとなっていた。これといってファンタジーな要素も見当たらない、表社会のそれと大差ない平凡な中小企業のオフィスらしい。

 それぞれのデスクに向かう職員たちは、とりわけ忙くもないらしく、時々手を止めて緋桐に好奇の視線を送ってくる。緋桐にとってそれは心底むず痒く、たまらなく居心地が悪い。なので気を紛らそうと、窓際に飾られた観葉植物に意識を集中することにした。

(魔法のオフィスならマンドラゴラとか置いててよさそうなのに)

 観葉植物と睨めっこを始める緋桐を尻目に、アナトは書類を纏めながら小走りで奥のデスクへと向かっていった。その後姿はイタチ頭の存在感こそ異様だったが、仕事に向かう“大人の背中”そのものである。

 ついていって邪魔をするわけにもいかず、緋桐は観葉植物の隣に留まることにした。

「……ひんひひはんへ?」

 背後から声をかけられ、緋桐の肩がびくり、と跳ねる。突如として耳に届いた意味不明な言葉に戸惑いを覚えつつも、何らかの呪文ではないかと期待を秘めて緋桐は振り返った。

「あら、ごめんなさい」

 ――もちろん、そんなことはなかった。

 緋桐の目の前で、スイカのような巨乳をぶら下げた女性が、割り箸を口から離す。割り箸と唇をつなぐ糸がやけに淫猥だった。

 どうやら割り箸を咥えたまま喋っただけで、呪文の詠唱や高等な言語などではないらしい。このオフィスに入ってからもう何度目かわからないが、緋桐は改めて落胆した。

「カップ麺を調理する時、いっつもこうしちゃうのよねぇ……貴女、新入りさんね?」

「あ、えっと、はい。そのようです」

「私は宗頤枝里(そうえんえり)。アナトは儀式の準備に取り掛かるらしいから、その間に私がココを紹介することになったのよ。よろしくね」

「は、はい、よろしくお願いします」



 シルヴィアは舞い上がる自分の心に戸惑いを覚えていた。何故そのようになったか、何が彼女をそうさせるのか、皆目見当もつかない。どういうわけかシルヴィアの本能は、アナトが連れていたあの少女との間に運命的な何かを感じ取ったらしい。

 この奇妙な昂ぶりを単なる体調不良と断じるのは容易である。しかし彼女がそうしなかったのは、己の体調などよりも仕事を優先しているからだった。

 心のざわつきを押し隠す鉄面皮のまま、黒のトレンチコートを羽織って寮室を出た。向日葵の咲き誇る晩夏にあって異様なそのロングコートは、彼女の矮躯にはとうてい不釣合いで、まるで背伸びした子供が親のものを勝手に持ち出したようだ。だが合成皮革の鈍い輝きは、彼女のプラチナブロンドを際立たせるには打ってつけとも言える。

 階段を下り切ると、ちょうどオフィスから枝里が少女を連れて出てきたところだった。

「あら、シルヴィアちゃん」

「……宗頤枝里」

 枝里の呼びかけに応じてシルヴィアも渋々立ち止まる。迷いを振り切るために仕事に集中しようとしていた矢先のことであった。

 例の少女といま正に対面している。その事実を理解した途端、心臓が鼓動を早め、視線が勝手に緋桐を捉えてしまう。一秒ごとにシルヴィアの内心の動揺は大きくなるばかりだ。

 しかし客観する分には、シルヴィアは些かも平静を取り乱さず落ち着き払っているように見えた。

「あぁ、この子? 新入りさんの……えーっと?」

「救仁郷、緋桐……です」

「おぼえた」

「「えっ?」」

 たった四文字の返答をもって、シルヴィアはさっさと緋桐に背を向けてしまった。これ以上は動揺が顔に出てしまうと悟ったためである。

 その言動はシルヴィアの思惑通り、無関心という印象を緋桐たちに与えた。その結果にシルヴィアは些かも疑問を抱かない。この上ない関心を寄せているからこそ、彼女は素っ気無く振舞うのだ。感情を捨てることこそが、彼女にとっての仕事に臨む心構えであったから。

 シルヴィアは転移魔術を展開して、瞬く間にその場から消え失せた。



「あの子は……」

「私がマネジメントしてるシルヴィアちゃん。掴み所がないっていうか、感情が見えなさすぎて、私も手こずってるのよね」

「……シルヴィア、さん」

「気になる?」

「なんとなくですけど……」

 ――――一方で緋桐も、シルヴィアのことが気がかりでならなかった。

 理論値を突き詰めた人形のような容貌、一切の贅肉を廃した流麗な体型、プラチナブロンドと黒い外套のコントラスト――――すべてが鮮烈に美しい、女神の光臨。

 その邂逅に緋桐は尋常ならざる感動を覚えていた。そしてやはり彼女自身、なにゆえの感動なのかわかっていない。ただシルヴィアと違い、緋桐の受けた衝撃には、そこはかとない既視感が紛れているような気がした。

「たぶん貴女も私のチームに配属されることになるでしょうし、あの子とも仲良くしてあげてよね」

「は、はい……」

「それじゃ戻りましょっか」

「……えっ?」

 緋桐が頭を悩ませる一方、枝里はひどくさっぱりした物言いで踵を返しはじめた。その背中を追う緋桐の足取りは忙しない。

 事務所と寮を案内してくれる約束だと緋桐は記憶していたし、実際そうである。なのに彼女が自らの記憶を疑ってしまったのは、信じられないほど“何も案内されなかった”からだ。

「あ、あの~……ここの案内をして頂けるというのは……」

「うどん」

「……はいっ?」

「カップうどん、そろそろ5分経つのよ」

「…………なるほど」

 挙句の果てにカップ麺如きのために案内を放棄されたとあっては、強引に納得するしかない。

 ここに所属する人物は須くこのような脳みそここにあらず人間だけなのだろうか。そんな憂慮に、緋桐は更に頭を悩ませた。

「私、カップうどんが大好きなの。だから常に五分刻みで行動してるのよね」

「はぁ」

「緋桐ちゃんが来た時点で既に2分経過してて、そろそろ4分半。そういうこと」

「そ、そうなんですか」

「どっちにしろ案内するようなこともないのよ。天文台は一階が事務所で、隣には寮があって、それだけ。契約する前に環境を確認してもらうのが規則なのよね」

「へぇ……」

 寮室の中を見せてもらうだとか、そういった確認の仕方を期待していた緋桐は、今日何度目かわからない落胆の溜息を吐いた。おそらくその寮も例外なく、マジカルも何もない平凡な寮なのだろう。

 “やっぱりここに神秘を求めてはいけない”というルールが、緋桐の未熟な経験則をまた一つ成長させた。



 視界いっぱいに広がる黄金の向日葵畑が、鈍色のビル街へと塗り換わる。転移魔術によって辿り着いた先は、先ほどまで緋桐たちがいた裏路地に程近い場所だった。

 シルヴィアの背に不釣合いなコートも、ここでは路地裏の暗闇に溶け込むカモフラージュとして立派に機能している。

 程なくして、表通りから人影が駆け寄ってきた。

「君がアナトの派遣魔法少女か?」

「そう」

「自分は警視庁異能犯罪対策部第一課の相模だ。よろしく頼む」

「魔法少女派遣“イシュタル”所属魔法少女シルヴィア」

「……よ、よろしく」

 相模と名乗った刑事は背広姿の似合う生真面目そうな男性だった。見たところの年齢は二十代後半から三十代前半ほど。がっしりした体格が頼もしく、叩き上げの刑事らしい精悍な印象だ。しかし魔法少女との協力捜査は初めてなようで、警視庁の極秘捜査に手を貸す協力者が義務教育すら果たしていない少女であるという事実に、少なからぬ不安を抱いている様子だ。

 泳いでいる目からも、どう接触を図るか思い悩んでいる様子がありありと伝わってくる。

「あー……喫茶店にでも寄った方が?」

「早く現場へ」

「……」

 仕事に向かう時のシルヴィアは事件のこと以外は、協力する相手にすら興味を示さなかった。彼女の上品な佇まいと無感情な言動は、初めて会った人間によく動物のミミズクを想起させる。

 一方で相模は、上司から“図体はでかいが一本気すぎる”とマグロのあだ名で親しまれている自分とシルヴィアを比べて、なるほど、肉食の鳥とは気が合わないはずだと一人でに得心した。相模は不安な前途に戸惑いながら、また小走りで現場へと向かった。



 世間の14歳くらいの少年少女たちは自立する精神と依存する幼さの中間にあって、その不安定さがどういうわけか家族と距離を置くという行動へと帰結するものらしい。

 救仁郷一家は、そういった都市伝説をいまいち正確に理解することができない家族だった。それほどに救仁郷緋桐は親孝行で、両親を心から信頼していた。

 その夜も緋桐は父を肩叩きで労い、母の食器洗いを手伝った。

 安いアパートのあまり広くない居間、安いテレビそれを囲み和やかに笑いを浮かべる家族。裕福とは言えなくとも決して不自由はない、素朴故に幸福な夕食後の風景。それを客観視して何か思うところがあったのか、母が遠い目で開口する。

「……あなたのような優しい娘を持てて、お母さん、本当に幸せよ」

「急にどうしたの?」

 あまりに急な話題転換だったものだから、緋桐はつい吹き出してしまった。少なくともその時点ではこの幸せな家庭に終わりが来ることなど誰も考えてなどなかったし、幸せを再確認するほど重要な出来事があったわけでもない。ただそんな平凡な日常に感謝することが、母の癖であったからという、それだけの理由だった。

「いまさら確認するまでもないことだけれどね、緋桐の存在があたり前であることそのものが、とっても有難い」

「お母さん、よくその話するね。あたり前だから有難いって」

「父さんと母さんが結婚する前からずーっとその話ばっかりだ」

 肩をほぐされてすっかりご満悦の父が、居間から声を上げる。呆れたような声色だが、心なしか嬉しそうでもある。

「だって感謝しなきゃ。ご飯一つにだって、農家の人や運送する人、直接売るお店の店員さんに、経営者さんがいて。更にその人たちを支えてくれる人たちがそれぞれに沢山いる……きっとそのうちの誰か一人でも欠けてしまえば、私たちはこのご飯を食べられなかったわ」

「そ、人と人とが支えあって成立する世の中……ってやつだな。昔から母さんは、一日に一回はその話をしなきゃ気がすまない性分なんだよな」

「うん……大袈裟だけど、でも私はお母さんのそういう考え方、すっごく好き」

「でもなぁ、世の中意外と面倒くさい人もいっぱいいるぞ?」

「で、昔からお父さんはすぐ揚げ足を取りたがる性分よね」

「……はいはい、俺が悪うございました」

「はは……」

 もう幾度と繰り返したかわからない話題だが、緋桐はそれが嬉しくて仕方がない。緋桐にとって一日で最も心の休まる瞬間だった。しかしそれを遮って電話のベル音が耳朶を叩く。澄んだ水面に石を投げ入れられたように、救仁郷家の団欒が掻き消える。父と母の瞳が心なしか曇ったような気がした。

 父は受話器を取って適当な返事を繰り返し、母と共に外出の準備を始める。どちらも無言のままに淡々と準備をこなしていて、緋桐のことなど構っている暇もない様子だ。そんな両親の急すぎる行動に緋桐は言い知れぬ不安を覚えた。

 何が起きているのかも何をしたらいいのかもわからず、緋桐は無意識に手を伸ばしていた。赤子が親の抱擁を求めるような、ひどく幼稚で受動的な仕草。それでも両親の目に彼女の腕は映らなかった。

 受話器を置き、手早く着替えを済ませた両親は、玄関で靴を履くと一度だけ緋桐のほうを振り向いた。

「緋桐。お父さんたちは……ちょっと仕事関係で、ちょっと会社に向かわないといけなくなった」

「すぐ帰ってくるから、ごめんね」

 ――――ごめんね。

 母の発した何気ない四文字の言葉が、緋桐の心にずんと沈み込む。永遠の別れを告げられているような重苦しい響きだった。

「それじゃあ、行ってきます」

(駄目! 行っちゃいけない! 行ったらもう二度と……)

 二度と会えなくなる。

 緋桐はこれから訪れる未来を必死に叫ぼうとした。喉が裂けても構わなかった。だが彼女の声は両親には届いていない。それどころか彼女の身体は本心に反して手を振っていた。

 両親を心から愛し慕っている救仁郷緋桐はよりにもよって、これから死にに行く両親に手を振って見送りをしている。否、正確には、手を振っているのは緋桐ではない。数十時間ほど前までの“過去”の緋桐だ。

 “現在”の緋桐は、両親の最後の姿を不本意ながら見送った。これが夢であるとわかっていても、涙が溢れて止まらなかった。



 頬に感じる温かい滴りが徐々に冷え、乾いていく。緋桐は目を瞑りながら、晩夏の朝を肌に感じていた。

 ――このまま目を開けばそこは我が家で、愛する両親が待っていると、半ば本気で信じていた。だが緋桐の記憶には確かに両親の死という事実が刻み込まれている。どうしようと叶うことのない夢想だ。

 観念して起き上がろうと思ったその時、真っ白な瞼の裏に影が差し込む。空気を介して人の気配を感じた。緋桐は迷うことなく母の気配であると断じた。

「母さっ――――!!」

「…………」

 しかし緋桐の目の前に居座る人物は、プラチナブロンドの見たこともないような美少女で、少なくとも母などでは絶対になかった。そしてその顔を自らの記憶と照合することで、ようやく緋桐は自分の置かれている状況を把握した。

 この少女は昨日出逢った、シルヴィアという名の魔法少女の先輩だ。緋桐は魔法少女派遣会社にスカウトされたのだ。

 シルヴィアと顔合わせを済ませたあと、緋桐は応接室で書類にサインをし、アナトとの契約を完了した。その際アナトが『契約直後は魔術と魔法の知識が情報の奔流となって一気に脳へと流れこんでくる。脳が情報を整理するために半日は眠ることになる』と説明していたことを思い出す。実際にどれほどの知識を獲得したのかは不明だが、文字通り12時間以上はたっぷりと眠ってしまっていたことを見るに、どうやら本当に脳の情報整理というものはあったらしい。

 独りでに納得した緋桐は改めて眼前の光景を注視する。

「…………」

「…………」

 目と鼻の先ではシルヴィアが無表情なまま、じーっと緋桐の顔を観察している。まるで時間が止まっているかのように微動だにせず、ただ緋桐だけを凝視していた。緋桐もしばらくシルヴィアの美貌に目を奪われてしまっていたが、気恥ずかしくなってきたあたりで目を逸らし、代わりを探すように周囲を見回した。

 場所はどうやら寮の一部屋のようだ。八畳ほどの部屋に二段ベッドと事務机が置かれているだけの簡素な部屋で、奥にはキッチンらしき場所も見える。少々狭め、家具は最低限のもののみという質素を極めたような条件だったが、アパート暮らしの緋桐にはむしろ住みやすそうに思えた。そしていま緋桐がちんまりと座っているのは二段ベッドの一段目らしい。おそらく二段目はシルヴィアのもので、この部屋も彼女のものなのだろうが、どういうわけか彼女は緋桐のいる一段目に正座している。緋桐の傍らでずーっと観察してくる。

「……おはようござい……ます」

「おはよう」

「あ、はい」

「…………」

「…………」

 勇気を出して挨拶をしてみたところ、シルヴィアは存外にあっさり返事をしてくれた。でも会話はそれっきりで、すぐにまた口を閉ざして緋桐を凝視しはじめた。

 未だ如何ともしがたい空気に、緋桐はとりあえず見つめ返すことで解決を計った。その後、枝里が迎えにくるまで実に1時間、緋桐とシルヴィアはずっと見つめあっていた。



「ごめんねぇ、お邪魔だった……のよね?」

「ち、ちが……います……と思いますです」

「ぬふふふ! でも二人ともキス直前みたいな感じだったじゃん?」

「そんなことは……ただ朝起きたら、シルヴィアさんが私をすごく見てて……どうすればいいかわからず……」

「へぇ……あのシルヴィアちゃんが興味大ってね……」

 ハンドルを握る宗頤枝里は、朝からシルヴィアの不思議な一面を目撃できたことがよほど愉快だったらしい。鼻唄の途中途中で「なるほどぉ……」とか「そっかぁ……」などと嬉しげに呟いている。

 一方、緋桐は助手席で肩をすぼめる。心の中は色々な想いがない交ぜになって濁水のようだった。脳裏に焼きつくシルヴィアの美貌、両親が既に故人であるという事実の再確認、今後の生活に対する底知れぬ不安。明るい感情はシルヴィアに対するものだけだった。

 二人は救仁郷家の自宅へと向かっている。緋桐と枝里とで話し合った結果、残された家具類を片付けて使えるものだけ事務所へ持ち帰ることにしたのだ。給料で家賃を払って自宅に住み続けることも枝里から提案されたが、こうして自宅へ向かうだけでも悲愴感がこみ上げてくるのに、住み続けることなんて出来るわけがなかった。

「ほら、見えてきたわよー」

 曲がり角を過ぎ、やがてフロントガラス越しにアパートが見えてきた。丸一日ぶりの我が家に目頭が熱くなる。もうこの場所には、父も母もいない。自分もいなくなる。そう思うと、どうしようもなく寂しかった。

 枝里は緋桐を慰めることはしない。どんな言葉で以ってしても、親族を失った哀しみは紛らせることができないことを知っているみたいだった。

 それ以上に枝里は、アパートの前に立つ男性の存在が気がかりでならなかった。彼は人目を嫌うようにせっせとどこかへと退散してしまったが、枝里の目にはその素振りがひどく胡乱に映った。なんとなく不吉な予感がした。


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