夜戦前の戦い
――――その巡洋艦へ爆弾は命中した。刹那――。
すさまじい光量が発せられ、高雄を見ていたものはたまらず瞼を閉じた。次に見えたのはそれが五〇〇キロ爆弾によって起きた爆発なのかと疑うような火柱が轟然たる大音響とともに出現し空さえも紅蓮に染まる、まさに恐怖心を植えつけられるような光景だった。それは被雷した巡洋艦高雄だった。
「弾薬庫に引火したか」栗田司令官は正解を言い当てた。爆弾は無情にも手負いの高雄の船体を貫き弾薬庫で炸裂したのだった。当然甲板上は靴底が焦げるような熱量に見舞われ建造物・砲台などが火に覆われ小規模な爆発を四回した後にもう一度大きな爆発を起こすと、船体は三つに裂けながら海底へと消えていった。生存者は海に飛び込んだ二〇名のみでほぼ全員が火傷を負っていた。幸いにも敵機は強烈な対空砲火と護衛戦闘機の奮闘により攻撃を早急に切り上げて帰投した。
それ以上の幸運としては第三波が日本艦隊を発見出来なかったことだろう。原因として第一・第二戦隊が南東へ向かいつつ移動してこと・天候が悪くなった事・第二波が攻撃を早急に切り上げてしまった事などに加え第三次攻撃隊は発進が遅てしまったことが重なった。第三次攻撃隊は総数なんと百余機の大編成だったためもし戦闘を行っていれば日本艦隊の損害はさらに増えたことであろう。
一七〇〇 最終攻撃隊にあたる第四次攻撃隊の総数はいままでよりずっと少ない三五機だった。第三次とは違って発見できたが機数の問題がここで出た。
暁の太陽を後ろに飛来してくる敵機を待ち構えるのは第二戦隊だった。第三次攻撃隊は戦闘機一二機、爆撃機一六機、雷撃機七機であった。
結論から言って雷撃隊はまったくの無駄に終わった。動きの遅い雷撃機はたちまち三機が撃墜された。無理も無い、この艦隊の全ての巡洋艦の対空砲・機銃は幾百もある。
だが爆撃隊は恐らくいままでの攻撃隊の中で一番の腕を持っていた。まず直角に急降下してきたのだ。急行爆撃機というのはもともとそういうもので、当たり前のことだがいままでの編成隊の急降下爆撃機のパイロットは緩い降下で爆撃してきた為に対空機銃などでも迎撃可能だった。
急降下爆撃機の最大の利点は一度上昇し急降下に移ってしまえば、自機を狙えるのは僅かな火器だけだということだ。
この急行爆撃隊は恐ろしい腕前を見せた。まず負傷している巡洋艦三隅に四機が立て続けに爆撃を仕掛けた。なんとこの内三発が命中した。三隅は艦橋や煙突がまるでブリキ細工のように破壊され、油をかけた紙のように激しく燃え上がり戦闘能力を喪失し爆発を何度も起こし沈んでいった。
駆逐艦は初春が狙われた。二機が降下してきた。この時一機に奇跡的に高角砲が命中し敵機は四散した。だが残る一機の爆弾がマスト部分の甲板を貫いた。幸い火薬庫に引火はしなかったものの大火災を起こし大破しグッと減速した。
他の一〇機の内一機が撃墜されたが他は攻撃を続行し駆逐艦朧と巡洋艦熊野を大破せしめた。
これが何十機という大編成だったら艦隊は全滅規模の損害を被っていたに違いない。彼らの爆撃の命中率は八〇%を上回るものであった。これは驚異的な数字である。ドーントレス爆撃機の命中率はいままで平均的に二割前後だったからである。つまり米航空隊の練度が格段に上がってきていることを示していた。
米西海岸の戦いではまったく関係ないところに魚雷を放つ雷撃機がいたがさすがにそんな下手糞は今回はいない。まあこれは極めて異質な例である。そもそも雷撃機は今回運が悪かった。雲が無く動向が読まれてしまうというのが一番の問題であった。
日本艦隊を攻撃したこの機動部隊の指揮はレイモンド・スプルーアンスがとっていた。猛将であるウィリアム・ハルゼーは対地攻撃に集中していた。
スプルーアンスに割り当てられた航空母艦は正規空母四隻である。運用機数は四〇〇機に及んでいる。
一六四〇
「サイパン島まで距離は後…約三〇〇キロか」震電の搭乗員が計器を見てそう呟いた。
サイパン上空の制空を命じられたが本当に島の近くかと思うほどで、雲の周りにも海面にも機影は無く、ただただ自分達のエンジンの爆音が鳴り響いているだけである。
第一機動部隊のサイパン上空・周辺空域の敵航空兵力の駆逐をすべく南雲は九七式戦闘機五〇機と震電を九機発進させた。ただ発動機不調と第一戦隊に若干の護衛を付けたことにより九七式は四〇機となっている。とはいえ大編隊であることに変わりはない。
大編隊で作戦に赴いているのにこれで敵と遭遇しなければかなりの無駄骨である。最も島に近づくたび遠方に艦隊がいるではないかと思う。
サイパン上空まで後一時間掛かるらしい。が、震電はそもそもの戦闘の想定としては局地戦であり航続距離は長くはない。これ以上進むと帰りの燃料に余裕が無くなる。隊長機はそう判断すると手信号で九機とも帰投することとした。後は任せたぞと九六式にジェスチャーで伝え機首を反転した。帰りの燃料を出来るだけ多くしようと高度を二五〇〇メートルから五五〇〇メートルまでに少しずつあげていくことにした。空では上に行くほど発動機の空気の混合比や空気抵抗の関係により燃費がよいのだ。
だが海上には思いもしない艦影があった。それはまったくの偶然であった。雲の切れ間に編成隊と思わしき部隊が航空母艦からいざ飛び出さんとしているところだった。こちらには気づいていい無いのかと思ったとき猛烈な砲火が周りの護衛艦から一斉に放たれた。
高度二五〇〇メートルといえ四〇mmクラスであれば機関砲弾までも飛んでくるほどの距離である。体が持ち上がるほどの衝撃とともに風防のガラスの一部が割れて冷たい風が入ってきた。慌ててエンジンの出力を最大にし操縦レバーを引き上げた。エンジンがうなり声を上げつつ上空へと飛翔し始めた。周りを見渡した。「一機・二機・三機…」と味方機を数える。が、自分を合わせ七機しかいない。
隊長は悔やんだ。二機やられたか。防弾設備は全戦闘機の中で一番の震電を二機も落とすとは敵は空に対してかなり警戒しているな。と考えつつ速度を落とすなと指示しこの空域より脱出した。
米軍がこのとき全艦隊に対空レーダー(試作段階)を装備していた事をこのパイロット達は知るはずもなかった。
仲間を失ったが感傷に浸る暇は無い。今は残った部下達と無事空母に戻り報告をしなければならない。計器を見る。燃料の心配をしたわけではない。
「近いな…」飛んでいる方向が正しければ後三八〇キロで味方の空母がいる。
一七二〇
四〇機の九六式戦闘機はアメリカ航空隊三四機と空中で遭遇した。落下式増槽を切り落とし軽くなった機体で一斉に襲い掛かった。どうやらサイパン島を攻撃しに来たらしく艦戦だけでなく艦爆も混じっていた。爆弾をもっている機体などカモでしかない。たちまち乱戦となる中艦爆は次々と火を噴いていった。
敵戦闘機は高空域から得意げに降下しながら銃撃する方法で挑んできた。それをひらりとかわす九六艦戦は敵が上昇へ移る所に銃撃を加える。高空域から一撃離脱すると米軍機は必然的に上昇を行わなくてはならない。それが敵の弱点である。さらに数の優位がものをいった。この編成でアメリカ戦闘機は総数で一二機に過ぎなかった。やがて一機が二機に追い回されるようになると勝ち目は完全に失われた。結果としてこの日最後の空戦は日本側が三機の損害で三一機を撃墜するという華々しい大戦果だった。
日本側は敵の戦力を削ぎ次第帰投と命令が掛かっていたためそのまま戻った。
「空母をはじめとし大小六〇ほどの艦艇が展開していたんだな」飛行長が尋ねると男は「はい。間違いありません」と答えた。先ほどの震電の搭乗員である。
「そうか」つまり四〇〇キロ離れた場所にはもう敵の主力が…。第一戦隊と第二戦隊はどこまでいっただろうか。
米航機動部隊では今回六つの編成隊を出しておりその戦果を確認中であった。まず巡洋艦一隻沈没させ他にも損傷を負わせているが航空母艦を攻撃していないこと。第三次攻撃隊はエレベーターが不具合だったために出撃が遅れ、おまけに攻撃目標を捕らえ損ねるという失態まで。
そして気がかりなのは肝心な日本機動部隊を発見していないのだ。同じくこちらも発見されていないが輸送船改造の護衛空母は二隻撃沈させられている。航空隊もそれなりの損害を受けている。
そのため偵察を続行しようとしたが夜の航空戦は危険なため航空機による攻撃を中断した。敵が来襲してきた場合、夜戦を行うこととなったのはウィリアム・パイ率いる艦隊となった。
次回「月影の殴り合い」
更新日 12月15日までに投稿