マリアナの悪魔Ⅱ
皆さんは海で魚を狩るため狙いを定め水面下に一気に降下していく鳥の姿を見たことがあるだろうか。それも何十羽と群がっている。
上空を埋め尽くす鳥は互いにぶつかることも恐れぬかのように優雅に空を駆け獲物を見つけるや否や途端に飛行軌道を著しく変化させながら水面にダイブし獲物を狩る。その鳥は狩られる魚から見れば死神同然である。まさしく第二戦隊が味わっている恐怖はこれと等価であろう。
一六〇〇 この時間、第二戦隊は運悪く米航空隊の攻撃隊と遭遇した。米航空隊の編隊の総数は全機で七五機に及んだ。私は先ほどこの第二戦隊が死神に出くわしたのと等価と記したがこれは間違いであろう。なぜなら第二戦隊にはただ狩られるだけの魚とは大きく違う点が二つあった。
それは上空にも味方がいること。もう一つはその上空の敵にに対して攻撃をすることが出来ることである。
ただしその上空の味方というのは九八式水戦六機であり普通の戦闘機とまともにやれば勝ち目は無い。九八式水戦は海軍の九六式をモデルにした戦闘機であり運動性能はまあまあ良いが速度は水戦なので最高で三九二km/hと同世代戦闘機と比べ鈍足である。フロートは九八水偵とは異なり燃料タンクになっていない。
しかしそれでも六機は攻めかかってくる編成隊へと向かっていった。
「全艦対空戦闘用意、陣形維持」旗信号で素早く全艦にそれが伝えられる。耳を劈ざくような航空機エンジンの爆音に負けぬ音をあげ高角砲が鳴り響いた。大型巡洋艦二隻の精密な対空射撃により二機が黒煙を吐いて墜落した。だがそんな事はものともせぬと急降下爆撃機は突っ込んでくる。腹には不気味に黒光りする一〇〇〇ポンド(五〇〇キロ)爆弾が見える。七五機の内、急降下爆撃機としてドーントレスが五〇機であった。
第二戦隊にとって幸運だったのはこの空域は雲が無い晴天であり敵機がどちらからくるかをしっかり目測で確認でき回避が比較的容易だった事だろう。華麗な操艦で爆撃を次々かわして行きあわよくばこのまま被害を受けずに攻撃をよけ続けることが出来るのではないかと思ったときだった。閃光が突如艦隊の中に現れた。続いて爆発音。
「駆逐艦初霜、被爆」高度八〇〇メートルから爆撃を受けた駆逐艦が初霜は抗うことも無く真っ二つに船体がメキメキと裂けた。やはり他の戦闘艦は長く正視するに耐えないような恐怖を感じる。
上空のほうでは既に二機が落とされ残り四機となっている九八式水上戦闘機が銃撃を爆撃機に加える。敵戦闘機が後ろにつくとフロートがついた戦闘機とは思えないような飛行を見せ銃撃をかわす。ただのカモとして九八水戦をみていた米軍パイロット達はこれに驚愕した。
その奮闘の甲斐あってドーントレス爆撃機二機撃墜・三機撃破とヘルキャット戦闘機一機を撃墜するという戦果をあげた。しかし多勢には敵わず攻撃隊の動向を食い止めるには至らなかった。
さらに第二戦隊は数分後巡洋艦三隅が爆撃を一発受け中破した。羽黒も直撃を二発受けるも一発不発だったため幸い被害は後部甲板が破壊されたに止まった。不発だった爆弾は信管を取り外し海中へ投棄された。
他にも駆逐艦二隻が三発ほど至近弾を受けるも大した損傷は無かった。艦隊と水戦での総合撃墜は一〇機であった。無論米軍からしてはかすり傷程度でしかない。
「ここで何機落としても戦いには大して影響しないだろうな」機銃座の男が呟いたが、まったくそのとおりである。
一六三〇 第二波と思わしき編隊が接近してきたことが越後の防空艦橋で確認された。 第二波の攻撃を受けたのは第二戦隊でなく第一戦隊であった。第一戦隊と第二戦隊は距離が一〇キロしか離れていないのでどちらと遭遇しても決しておかしくはない。というよりどちらの艦隊も見えていた。総計は七〇機で各種の組み合わせも比率も第一次攻撃隊と異なっていた。戦闘機二〇機・爆撃機三〇機・雷撃機二〇機となっていた。挑発するかのようにグラマン戦闘機が遠距離から数秒試射をした。
第一戦隊の上空護衛はサイパン制空隊から少しばかり割り当ててもらった九六戦闘機九機であった。この内四名はポートモレスビーの地獄の空戦を経験したエースパイロットであった。エースというのだから敵機を既に五機以上蹴落とした者である。五機というと少ないように思う方も若干居ると思われるが、空戦というのは基本的には一対一だ。一対一の空中戦で片方が撃墜される場合、五回空中戦を行い撃墜されない確立は実に三二分の一である。おまけに戦闘機は出撃すれば必ず戦闘をするわけでもなく、相手が墜ちるまで絶対戦闘を続けるというものでもない。つまりエースパイロットは数十回と出撃し実戦で何度も戦い次々戦果をあげている猛者という事となる。
上空から第一戦隊を見るのに夢中になっている敵編隊に九七式戦闘機九機は機体を背面にしそのまま逆落としで襲い掛かりたちまち六機もの機体を一瞬で撃墜した。その後敵戦闘機と乱戦となった。
艦隊は盛んに発砲し敵機を狙い撃ちした。雲がない空で動きの遅い雷撃隊の魚雷は爆撃機同様よみやすかった。だが爆撃は急降下爆撃機が行っているということだけあり力量のある搭乗員が乗れば命中率はかなり高い。
最初に命中したのは新参で訓練がまだ足りない練度の低い戦艦尾張であった。
「第一主砲天蓋に爆弾命中!」しかし…爆煙が消えると少し焦げた様な汚れがついただけで損壊部位は無かった。装甲が何百ミリとあるので五〇〇キロ爆弾ならば防げる。海の王者ここにありと見せ付けたのだ。そればかりか尾張は今回高角砲と機関銃の対空射撃により二機を撃墜。
戦闘機は戦闘機同士で交戦しているため上空はほとんど爆撃機と雷撃機が見えるだけだった。
さらに第一次ミッドウェー海戦前から参戦している古参の戦闘艦は操艦技術が高くまるで爆弾や魚雷のほうが避けていくかのように見える。ほとんどが古参の第一戦隊の内最初は戦艦が狙われ尾張は二発、飛騨は一発に命中したがどちらにも大した損害は与えられず、やむなく小型艦に狙いを絞ったときは既に爆弾を搭載している爆撃機はほとんどいなかった。
雷撃隊は偶然駆逐艦島風に魚雷を命中させるも戦果はそれだけだった。
だが最後のドーントレス爆撃機の編成隊が爆撃するとき雷撃隊の魚雷攻撃により、操舵で進路変更した巡洋艦のコースが爆撃隊のコースとぴったり重なった。必然的にその巡洋艦へ爆弾は命中した。
刹那――。
次回更新日 12月2日~12月5日以内のどこか。




