見殺し
更新日不明ってえらくいい加減ですね。年表ですが近頃きついので手が空いた時に投稿しときます。
来月からは土曜日も出勤日となりますので投稿が困難となります。
八月一日 九八式防空艦上戦闘機、通称「震電」の航空機の発艦練習が航空母艦「瑞鳳」で行われいた。しかし一八〇mの飛行甲板ではいささか長さが足りないと見える。証拠として震電は後方甲板から走行を開始してそのまま端まで進んで海に落ちたように見えた時にようやく風を掴みふわっと空に浮き上がる。一度浮いてしまえば重い装甲板を取り付けられている震電でも自由自在に飛べる。今日は九機の離着艦訓練をしている。一番最後に飛ぶ震電は良いが、最初に飛び立つグループは飛行甲板を最大まで扱えない。
しかし現在甲板取り付け作業を行っている新型空母は飛行甲板を張り出しでおり長さは二四〇mにも及ぶ。「もっと長い甲板じゃないとキツイな」と搭乗員の一人が愚痴を漏らしたがそれも解消されるだろう。
八月二日 「装甲車の増産を急げ期限は二日後だぞ」兵器工場の班長らしき男が怒鳴る。それに応えるように民間人から徴収した車両に機銃などを作業者が慌ただしく取り付ける
装甲車増産計画 陸軍提案
民間より車を政府が租借という処置で引き取り助手席に機関銃を備え付け、ガラスはすべて防弾ガラスに変え装甲車として扱う。
協力してくれた者には二ヶ月分の食料配給を一割増加・並びに最大一年間一定の金額を渡す事とする。徴収した車は使用後は普通車に戻し返却。
もし装甲車が修理不能に陥った場合は陸軍がほぼ全額を補償する。五〇〇輌を目安として徴収。期限は八月一日までとする。
これにより集まった車両は全部で四七〇輌であった。戦後になればなんとでもなるの発想で考え出された案である。
八月四日 陸軍の新しい装甲車が続々兵器工場から出されている頃、海軍の造船ドッグからは新しい戦闘船が朝日を浴び出てきた。新鋭駆逐艦「薙刀」である。ゆっくりと出てきた駆逐艦薙刀はやがて煙突から煙をもうもうと出しながらタービン最大出力で走行を始めた。最高速力は三三ノットと駆逐艦の中では決して早い方ではないが三〇ノット以上でていれば事足りる。
二日後には二番艦と三番艦の「鎌」「剣」が八日には四番艦と五番艦の「矛」「鉈」が続々と海を駆けた。
1週間が経ち船体や艦橋などが既に完成していた巡洋艦計六隻も武装の取り付けが終了した。ます重巡洋艦「高瀬」次いで「荒川」「六甲」が就役し軽巡洋艦「高倉」「三原」「小山」が完成した。
そして八月二三日ようやく新鋭正規空母「凌鳳」翌日に戦艦「尾張」が就役した。翌日から練習が早速行われる。新しい車を買っても大体一週間もすればなれるが、船ともなると部屋の位置や武器等の変化があるためそうはいかない。あらかじめ設計図などができている戦艦は越後と飛騨のノウハウもあるためある程度早く作ることができた。問題の空母は設計を急いだため一部コンクリを使うという若干荒いことをしている。コンクリは工作が容易であり素早く作ることができるが重量が増加する。結果として設計より三〇〇トンばかし重量が増えている。今回は電気溶接を多く使っているため、あまり経験がないものでも作業に加わることができた。そのため竣工期間が非常に早かった。
連合艦隊は新たな戦力をむかい入れ、来るべき戦いに向けて必死に訓練を行っていた。
しかし戦いというのはいつも非情なものであり自らの都合通りには動かない。
八月二八日 ポートモレスビーではアメリカ軍偵察機がこの日空を飛んだ。ポートモレスビーは今年の春に大損害を受けたが本国の兵員の血を吐くほどの努力により必死の補充・輸送が行われてある程度の航空・陸軍兵力が備えることに成功している。たまに九七式大艇を改造した輸送機が燃料をせっせと届けてきており必需品はある程度揃っている。 ただしキャラメル・サイダーなどの豪華品は少なく良いとも悪いともいえない状況であり、弾薬なども実は十分とは言えないほどの貯蔵量であった。これが前線の状況だった。大本営の報告では前線基地は敵を寄せ付けないほどの軍備を誇り、雲に波に敵を撃ち破っているという絵空物語が語られている。
アメリカ軍偵察機はB-24だった。二機の日本機が迎撃のため発進すると直ぐに逃げてしまう。厄介な機銃もついているため撃墜せずに駆逐する程度で終わらせた。稀に偵察機が来るため別段珍しい話ではなかった。
しかし翌日、八機のB-24と六機のP-47が来襲。これは明らかに爆撃目当てだとみた航空隊が出撃。航空戦となり双方の戦闘機二機が未帰還機となりB-24を二機撃墜した。一機が爆撃したが森の中でこれといった被害は無かった。
三〇日には一四機のP-47が来襲。全て爆装しており爆弾を捨てると背を向けて一気に逃走を図った。この際一機の九六式陸上攻撃機に命中し真っ二つに裂けて燃え始め使用不可能となった。他にも10名あまりが負傷するという僅かながらに損害を負った。
三一日は久しぶり静かな日だった。こういうのを嵐の前の静けさというのだろうなとシャレにならないことをいう搭乗員がいた。そして翌日見事に正解を導いた搭乗員は空へと向かった。
この日洋上に展開されていたアメリカ艦隊は大型空母八隻、軽空母五隻をはじめとし巡洋艦を一〇隻、駆逐艦四〇隻という途方もない数を海域に集めいていた。艦載機の総計は八五〇機にも及び護衛空母が後方で数十隻という数で補充任務についていた。
九月一日午後 報告を受け取った本国は海軍大臣米内と参謀や中将数名と各部長の少将などを集めて艦隊を動かすかどうかの検討を開始した。
ポートモレスビーの兵員たちは少し待てば助けが必ず来るとの合い言葉とともに必死の抵抗を見せた。しかし届くのは激励の言葉ばかりで、飛んでくるのは敵機ばかりであった。
「ジャップのいる島は地図から消しても神は許す」と唱える米軍パイロットは莫大な後方支援を受けて攻撃を続行した。
「何故艦隊を動かさないのですか」との意見に米内は「仕方あるまい新鋭艦は訓練中である」と答え、「せめて駆逐艦の一隻でも」との声には「今無闇に兵力を消耗するのは得策ではない」として「そのような少部隊を送ったところで戦況がどう動くと」問い詰められ出撃の意見を唱えた参謀や中将・少将などは完全に黙ってしまった。
陸軍は阿南陸軍大臣は島にいる兵力は十分であるとして事実を黙認しながら派兵の案を握りつぶした。
ここにニューギニア島全て失うのもやむ無しとして見殺しの意見が決定された。
ニューギニアの兵士は来るはずも来ない連合艦隊を今か今かと待ち構えていた。しかし非情なことに助けの来ない島は次第に立ち向かうすべを失い一〇日から行われた空と海を埋め尽くす爆撃機と駆逐艦の砲爆撃により戦意を喪失した。
アメリカ軍は第二案として保留されていた上陸作戦を行う余裕ありと判定し上陸を開始した。
その日から銃を杖として鉛のような足を引きずる日本軍と、要請さえあれば砲爆撃を行う米軍との一方的な戦闘は続き、日本陸海軍はポートモレスビーを勢力圏内地図から消した。
次回更新日 10月14日(月)・10月27日(日)