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戦艦越後太平洋戦記  作者: 賀来麻奥
終局への道
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台湾最終決戦

 台北方攻略軍を壊滅させ南方に追い詰める日本軍。しかし台北攻略軍と南方攻略軍の抵抗に包囲作戦は難航し・・・。

 四月二日 台湾第一防衛連隊は住民部隊も引き入れて台湾に上陸したドイツ・共産党軍に対し迎撃作戦から追撃作戦に移り翌日の三日には一部の部隊が交戦し始めた。ドイツ・共産党軍は包囲されつつあるのを察し士気は下がっていった。

 

 四日になると今度はインドのコヒマを第39師団が占拠した。二週間で一万もの兵力を駆逐する快進撃は日本軍に士気を上げることと牟田口中将の自軍への過信を与えるには十分なものであった。「やはり我が大日本帝国軍は無敵なのだ」と。

 

 この日のコヒマ占領を皮切りに第39師団は南下を続けた。二日後には次の拠点であるトンへ攻略を開始した。

 

 四月四日 台湾の敵兵の作戦をくじかせることが成功できた大日本帝国陸海軍だが、いまだに敵は四千を超える兵力を保有している。そこで重い腰をあげざるを得ない帝国陸軍部は航空隊を利用した作戦を行おうとしていた。この作戦は一週間ほど前に練られたものである。

 

 航空隊を利用する理由としては先月より日本周辺の通商破壊作戦の被害である。既に今年だけで八〇〇〇トンの被害を受けている。そのため輸送船が撃沈されたら困る上にかなりの日数が必要とされる。唯一対潜水艦として有効であり速度が幾分か速い高速輸送船は南方で輸送を行っている。ニューギニア島・ニュープリテン島・ニューアイルランド島の中央の海域であるビスマルク海に米国の潜水艦がよく現れる様になりこちらでも被害続出である。そのため南方・豪州周辺から船舶を1隻でも引き出すことは愚行である。


 四月五日 この日九州の大刀洗飛行場に姿を現したのは巨大な航空機であった。それが合計で十四機ズラリと並んでいた。九八式輸送機と命名されたこの航空機は九七式飛行大艇をベースとした機体である。大きな変更としてはタイヤと機体の材質強化である。大まかな性能は九七式大艇とさして変わらないが、陸上で使えるためある程度は使い勝手が良くなっている。

 


 同日〇九〇〇 九八式輸送機十二機が作戦に必要な人員を乗せ台湾に向け出撃した。さらに一時間後に一機が後を追った。


 台湾では第一連隊と第二連隊がドイツ・共産党軍に対し包囲網を貼ろうとするがそのたびに小規模部隊が逆方位を受け損害を増やしていった。航空隊もロクに補給が来ないため動けないでいた。

 一三〇〇 ドイツ・共産党軍は反撃を開始した。一〇〇〇名で第一連隊の右方から攻撃を仕掛け陣形を破壊し僅か五時間で2キロ押し戻した。

 

 一八〇〇 第一連隊が苦戦しジリジリ戦線を押し戻されている中上空に巨大な航空機を発見した。九八式輸送機である。

「第一挺身隊降下開始!」九八式輸送機から一斉に白い落下傘を背負って降下する物体が確認された。それは落下傘を使用し降りてくる陸軍一八〇名の姿であった。

「増援だぁ!味方が来たぞ」台湾第一連隊が歓喜の声を上げた。

 挺身隊は一定のの高度で一斉に落下傘を開き持っていた手榴弾を一斉に投げつけた。この手榴弾は特殊な物で通常のものより威力が低い代わりに爆発までの時間が長い。


 そのため・・・ちょうど地面に落下した時か上空20mほどの場所で炸裂する。この攻撃は非常に効果的だった。上空にいる時は攻撃に弱い。そのためあらかじめ地上の敵を戦闘不能にさせることが必要だったのだ。

 手榴弾攻撃が直撃した敵兵は破片や爆風を上と下の2方向から受けほとんどの兵士が即死した。重傷を負いながら生きている兵士も再び降ってきた手榴弾攻撃により死亡した。

 落下傘を背負った挺身隊は銃撃戦を開始した。

 

 まさか空から増援が来ると思っておらず当惑し続ける敵兵に向けて挺身隊は軽機関銃を乱射する。ほかの兵士たちも小銃や拳銃を発砲し続けた。

 銃口からの火花が閃く中で岩で殴りつけられたかのようにぐったりとした死体が地面に横たわり、誰のものかも分からぬ手足が散乱しており、うめき声と銃声の不響音がこの惨劇の様子を表しているかのようであった。

 次々上空から降下してくる日本兵は10人に1丁機関銃を備えていたため、攻撃を開始するや否やドイツ・共産党軍はバタバタと倒れ、のた打ち回り血の飛沫が飛び散る戦場に恐怖を感じながら絶命していった。


 ━━━━奇襲作戦は成功した。

 そこから日本軍は勢いを衰えさせることなく一気に攻撃を開始した。挺身部隊は士官だけでなく普通の兵士にも拳銃が支給されるほど多くの武器が持たされていた。

 遅れて到着した二機は挺身部隊用の弾丸と二〇〇人換算で十日分の食糧を投下した。

 輸送機はずば抜けた航続距離でそのまま大刀洗まで戻ったという。運転士も交代のものを連れていたため一四機が無事に帰環できた。


 当惑し総崩れとなった北部攻略軍は再び南方へ逃走を開始した。すかさず追撃を開始し逃げまとう敵兵士の背中に銃撃を加える。幾百の銃弾が敵兵の身体を引き裂いていった。ボロ布のように引き裂かれた敵兵が土埃で隠れんばかりの勢いで挺身隊と第一連隊は追撃を続け、夜が来るまでに今日とられた領土を全て奪い返した。


 

 四月六日 挺身隊が台湾に上陸してから初めての朝が来た。ドイツ・共産党軍は既に疲弊しきっていた。もはや北方攻略軍は初期のような勢いはなくまともに戦闘が出来るのは三分の二であり、頼みの綱となった南方攻略軍も良い状況にあるとは言えなかった。足止めは出来ているが北部攻略軍が完全に壊滅すればそれすら出来ないほどにまで追い詰められていた。


 しかしそんな敵兵の気持ちに構わず挺身隊と第一連隊と第二連隊は包囲作戦を開始した。


 四月七日 この日完全にドイツ・共産党軍は包囲され海岸に向かいジリジリと押し戻されていった。日に日に降伏する兵士も増え、当初五七〇〇名近い兵力をつぎ込んでいたドイツ・共産党軍は既に戦闘可能な兵力は二九〇〇名にまで減少していた。

 

 さらに潤兵士長が率いる台湾衛国民軍は沿岸部を奪取すべく沿岸部の攻撃を開始した。銃底で殴りつけてでも敵を倒せと日本兵から教わった台湾防衛国民軍はひたすら敵陣を走り抜け敵を殲滅させていった。

 ここで台北からの砲兵部隊がようやく到着した四一式砲はこの日、狼狽ろうばいする敵兵に火を吐き続け遂に砲弾を打ち尽くした。


 四月八日 北方攻略軍はこの日、数百名にまで減少する被害を被り沿岸から北上した国民軍と挺身隊の包囲攻撃で全滅した。そして第一連隊が南方攻略軍と遭遇した。


 

 ━━━━八日後、台湾からドイツ・中国共産党軍は姿を消した。代わりに一〇〇〇名の捕虜が加わったとのことであった。

 次回「終戦工作」7月28日

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