終結へと向かう戦局
日本殲滅作戦
第一段
期間:9月1日~15日
目的:ニューギニア周辺の航空勢力と航空基地の殲滅
参加航空母艦:大型空母8隻・軽空母5隻
参加航空機:850機
第二段
期間:9月16日~10月2日
目的:サイパン航空兵力と航空基地の殲滅。及び上陸地点の攻撃
参加航空母艦:大型空母8隻・軽空母5隻・護衛空母12隻(内5隻は補充航空機輸送用)
参加航空機:1150機
3月16日 この日4月10日までに提出が命じられている。【今後ノ戦闘大綱】【本戦争ニ必要ナ兵力】の2つの資料の内容が大雑把ながらまとまった。
【今後ノ戦闘大綱(草案)】
一,中国・南方・インド・ビルマ・ソロモン周域全てに於いて戦線の不拡散に徹底する。
二,マリアナ諸島とその周辺に航空兵力・海上兵力・陸上兵力を可能な限り送り込み、アメリカ海軍を誘導し、敵海軍を撃滅。
三,某国の別の交渉パイプを通じて講話の糸口を探す。
【本戦争ニ必要ナ兵力(草案)】
一,陸軍・・・砲兵旅団・戦車旅団をそれぞれ三つずつ。
二,海軍・・・一・一・三・三・五・五計画を基準とする
今後ノ戦闘大綱だが作成中、本戦争計画は欠落しているものがあることに気づく。それはこの戦争の終わらせ方である。確かに個々の戦闘の計画も必要であるが、終わらせ方が無いというのは致命的なものである。勿論対立関係にある国が降伏してくれればそれで終了であるが、アメリカ・イギリスをはじめとする何十各国という国全てを降伏させるなど日本人全員が屍と化しても不可能とさえいえる。
その点日露戦争はアメリカを仲介として、うまい具合に講和する事ができた。確かにロシア内部で革命運動が起きたりロシアに不利な条件が重なったものの、泥沼戦争へと移行仕掛けた時に"仲介国"を利用するというのは有効であったわけである。泥沼化して先に根を上げるのは国力が低い国である。アメリカと比べて日本の国力差は月とすっぽんと言える。
ここで陸海軍は不拡散に徹して(ただし現進行中の作戦にこれは適用されない)戦力を蓄え、それをマリアナ諸島に展開してアメリカ海軍を誘い込んだところを撃滅するという作戦をとることとした。
そこでスイスなどの中立国にいる武官に交渉パイプを探させうまくいけば有利な条件で講和できるかもしれないという訳である。問題は「うまく戦力をマリアナ周辺に送り込み敵海軍を撃滅できるのか」という事と、「交渉パイプは見つかるのか」の2つの疑問である。
この輪郭程度しか掴めていない作戦を基に導き出された必要な兵力が。陸軍は砲兵旅団・戦車旅団をそれぞれ三つずつというものである。恐らく最終案では大きく変わっているだろう。ところで海軍の一・一・三・三・五・五計画とは何を指すのかと思った方がほとんどだと思われる。この計画は艦戦増設のものである。数字はそれぞれ戦艦・空母・重巡洋艦・軽巡洋艦・駆逐艦・轟水を表している。要するに戦艦と空母は1隻ずつ、重巡洋艦と軽巡洋艦は3隻ずつ、そして駆逐艦と轟水は5隻ずつ新たに建造するのである。
この計画は海軍が開戦後考えていたものである。しかし今年に入って海軍内部全体の均等をはかるため大型艦(大型巡洋艦以上・水雷艇・潜水艦の建造を控えるとの作戦が命じられたため一度は廃案となった。 しかし次作戦は一部で大東亜最終決戦と称されている戦闘である。今後の戦闘大綱の草案でも確かにそのような意思が読み取れる。これを成功させれば道が開けるという考えが生んだ作戦であろう。ただし逆から見ればこの作戦が失敗すればこの戦争はダメだと捉えれる。
一方ヨーロッパ方面ではドイツ軍の侵攻はめっきりと遅れた。それどころか押され始めている。ドイツ軍はモスクワ攻略に全兵力を投入すれば良かったのだが、総統ヒトラーは何故かスターリングラードの同時進行にこだわった。背景にはイタリアもある程度戦争の準備をし参戦し地中海を手中に収めたためドイツ軍はほとんどの兵力を東部に送り込むことができた。そのため余裕が僅かながらに生まれた。そこでヒトラーはソ連の首長であるスターリンの名前が入っている地域をモスクワと同時に落とせば戦意を喪失するであろうという半分冗談とすら思える程の理由でスターリングラード侵攻作戦を決行した。
そして昨年11月にはモスクワまで距離30キロまでに接近した。しかし12月に入るとロシアはマイナス何十度もの氷の世界へと一変した。それでもドイツ軍はモスクワに向け進撃し、モスクワ防衛陣に突入するが冬装備をしていなかったドイツ製の武器は次々動作不良となり兵士自身は凍傷に襲われ侵攻はストップしてしまった。スターリングラードは11月で既に8割を制圧していたため12月に入ってもドイツ軍は善戦しほぼ全域を制圧し占領できた。
しかし元の作戦が倒れてしまった。まさしく元も子もない状態である。そして今年2月からソ連軍の大反撃が開始され3月にはドイツ軍は80キロも押し戻された。
一方イタリア軍もアフリカでイギリス軍の猛攻を受けていた。今現在は足止めができているがこれからどう転ぶかは不明である。
3月19日 この日牟田口率いる部隊はコヒマのイギリス軍と接触し交戦。しかしイギリス軍はこの場所に兵力を1万程度しか貼り付けておらず、何倍も多い日本軍に早くも押され始めていた。
台湾では南部攻略軍がこれまでの遅れを取り戻すかのように台中を完全占領しそれから周囲10キロを完全制圧した。北部攻略軍も10キロ進撃し台北までの距離を40キロまでに詰めた。一般的に人間は徒歩時速四キロとされているため、半日もあれば十分な距離である。
だがこの時北部攻略軍は中衛本隊と距離9キロ開いていた。そこに目をつけた日本軍はある作戦を立てた。
次回更新予定日
6月30日(可能性10%)・・・書き溜め無いから多分無理
七夕(可能性89%)・・・多分この日
その間(1%)・・・七夕の日でいいやーとなる