表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
戦艦越後太平洋戦記  作者: 賀来麻奥
惨劇の後に・・・ 
81/115

陸の志3

 「皆さん周知の通り平戸を雷撃した船舶は米国の潜水艦であることが、敵船舶を撃沈した護衛艦択捉より確認されております」

「よって吾輩は今後の戦闘経過を見直す必要を痛感いたした。【今後ノ戦闘大綱】【本戦争ニ必要ナ兵力】の二つの資料の作成を命じる。又、国防方針についても改訂を命じる。期限は4月10日までとする」



 3月12日  一三〇〇 五時間前平戸が洋上にて突如雷撃を受け3発が命中し、浸水多量で沈没した。幸い乗員は約9割が救出された。潜水艦による雷撃と判断し周囲の護衛艦が素早くその海域に移動し爆雷の投下を開始。数分後に爆発を確認し重油の膜と残骸が浮かび上がった。その潜水艦の乗員の所持物らしきものを発見し後に米国の物であることが判明した。

 その後、急遽作戦は中止となり全艦は旅順へと向かった。平戸の偵察員は「近くに来るまで雷跡が見えなかった」と言う。


 一方陸上では攻防戦が続いていた。ドイツ・共産党軍は次第に消耗していく兵力と物資の状況に少々焦りを感じ始めていたが戦闘の経過はそれを思わせるものではなかった。

 台湾国民軍は初の戦闘である。北進する敵軍に日本陸軍より付与されている38式歩兵銃で屈指の抵抗を見せる。

 台湾には多量の38式歩兵銃がある。第一時世界大戦の事を鑑みた陸軍が量より質を求め当時50個師団だった兵員数を40個師団に減らした時に戦争物資に余りが生じた。その後再び50個師団基幹になったが新たに設立された師団には9ミリ小銃が渡された。そのため38式歩兵銃は予備として台湾や満州等に送られた。そのため一般市民に与えるほどの物資を台湾の帝国陸軍は所持しているのである。しかし大砲などは殆どあまりが出なかったため台湾は重火器等の火力が小さいということである。

 

 南方攻略軍は善戦していたかというと決してそうでは無かった。台湾防衛第2連隊は兵装は決して良いものと言えない。何しろ国民軍と火器については同等だったのである。だが国民軍とは違って長年訓練を積んできている訳である。それにまず士気が違う。また地形をよく理解している点は上陸軍に対して有利な武器である。


 

 インドに派遣されていた空母飛竜はインドへ艦載機を任せると本土へ帰投することとなった。一応4機だけ震電を積んでいた。この時戦艦榛名と轟水と潜水艦が1隻ずつついていった。

 しかしこれでもインド洋上には戦艦金剛と小型艦10隻がいることとなる。


 インドとビルマの打通を遂行するために牟田口率いる兵団の先頭は山脈地帯を素早く駆け当初の目的より半日も早いペースで進んでいた。後4日もすれば第一目標のコヒマへと着く。そこを占拠した後は進路を南にとる。そうすれば第1総軍がインドからビルマへと真横に進路取り道が打通できる。



この日の夜上空に多量のグライダーが飛行していた。それはイギリス国籍を表すマークが記されていた。総数50機にも及ぶ。英国軍はは執拗な妨害作戦を行いつつ日本軍側の進路を的確に見抜いていた。グライダーは牟田口率いる部隊の右方10キロから15キロ周辺に白い物体を落としていった。それはある程度降下するとパッパッと大きくひろがった。イギリス兵をぶら下げた落下傘は少しづつ高度を落としていく。

 牟田口の部隊は山間部の木々に阻まれあまり見えなかった。おまけに気にする事はないなどと言った者がいた。牟田口であった。

 ちなみにインド配置の航空隊はこの編隊を発見できず、機動部隊も昨日帰投してしまっており日本の航空兵力がこの編隊と銃撃を交えることはなかった。そもそもグライダーに火器がついているのかは不明だ。


 落下傘で降下したイギリス兵は500名にも及んだ。降下したのは英国兵士だけでなく多量の銃火器・銃弾・食料物資だった。


 それから数日は台湾は押したり引いたりが進んでいった。インドについてもその間は何の問題も無いように思われた。


 

 3月15日 第39師団の物資を運搬する班が突如として機関銃による銃撃を受けた。いきなりの攻撃に兵士だけでなく牽引していた馬などが急に暴れだした。狭い道でドタバタと暴れだした獣達は日本兵士に攻撃を加え混乱を大きくさせていった。しかしそれには構わず攻撃は続いた。これに加えて手榴弾が混乱する第39師団に降り注ぎ血肉を撒き散らせた。 容赦ない攻撃で第39師団の運搬物資の3%が消失し輸送時間に6時間の遅れた生じた。



 台湾は北方第2陣が壊滅した。しかしそれ以上に最悪な事態が起こり始めていた。台湾の航空隊の基地の内の1つが30名からなる奇襲部隊から攻撃を受けた。

 

 比較的小規模な基地であったため配属されている航空機は94式偵察機と95式戦闘機が3機ずつだけだった。航空機同様兵員も少ない。おまけに戦闘員は3名のみだった。この基地はちゃんとした舗装もしていない簡易滑走路と小屋と弾薬庫の計3軒だけがあるだけだった。

 ラインメタル3丁の掃射はこの小規模な航空基地を廃墟にするには十分な火力であった。 立てこもりをはかった搭乗員・整備兵の建物には手榴弾が投げ込まれ機銃掃射で倒壊し中にいた日本兵は圧死又は傷を負い死亡した。機体は弾薬庫にあった燃料で全て焼いた。


 少しして日本側の偵察機がこの航空基地を93式双発軽爆撃機が偵察したがそこには航空機の残骸と倒壊した建物と荒らされた格納庫があるだけだった。


 進行が思うように進んでいなかった南方攻略軍が猛攻撃を仕掛けた。台湾防衛第2連隊はこの日台中とその南西部にある彰化で相次いで敗走し南方攻略軍に進行を許した。



 

  

 「アメリカ潜水艦により先月と今月合わせて既に100隻もの貨物船が撃沈されております。油槽船も8隻が沈没しております。場所はいずれもサイパン島周囲100キロ圏内です。」この時期から日本のシーレーンは急速にやせ細っていった。

 陸戦得意じゃないもんでなんかもうgdgd感が・・・。

 来週からある程度最初の方から構想ねっていたものを投稿いたします。

 

 次回投稿日:未定。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ