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戦艦越後太平洋戦記  作者: 賀来麻奥
惨劇の後に・・・ 
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陸の志

 計画の半分までしか物語が進みませんでした。

 ので2と3を投稿することとなります。

 一,援軍として1個旅団を増援する

 二,台北で敵の進行を食い止め、海軍の援助の元海上封鎖を行い敵の弱体化を図る。

 三,総力でひたすら攻撃を続け敵を殲滅する。又、海軍の艦砲射撃等の援護を受ける。

 

 上記三つより採決により三が決定された。台湾配置の兵は全身全霊、国のため陛下のため敵の撃退に務めるべし。

 

  陸軍省     第48師団宛  電報 三月六日一三〇〇


 3月8日 台湾に送られた増援部隊も夜の恐怖を体験した。またも白兵突撃を受けたのだ。

 増援を受けた彼らは第一部隊2000名,第二部隊1000名,第3部隊1200名の兵力を得ることができた。しかし前線に到着していない部隊もいる。が、遅くても今日の夕暮れ時には到着する様である。

 この時、第一、第二連隊は台北まで距離70キロと距離を詰めていた。上陸地点から既に25キロ進撃している計算になる。既に台中に一部部隊が流れ込んでいるのも事実だった。最も市民は台北方面に逃げたので虐殺は避けられた。一方の台南攻略部隊は距離70キロと同じだがこちらは進撃ポイント場所から僅か10キロしか進んでいない。

 こうした遅れがきっかけで増援のタイミングが早く行われた訳である。また本来台南には兵力の増援は1000名までとしていたが、遅れをとっているため仕方なく300名を付け足すことにした。最も兵力を増やせば早くなるというのは間違いである。


 3月9日 「俺たちが送り込まれるのは台北が陥落してからじゃなかったのか」援軍として来た中国共産党兵が文句を言う。それもそのはず本来彼らは台北などの主要首都の陥落とともに送り込まれるハズだったからである。しかし来てみれば敵の足止めを受け台北までまだ距離があるという状態である。

「まあ侵攻が上手くいかないから作戦変更したんだろうよ。日本兵は朝昼は茂みから隠れて撃ってくるくせして夜になると猛獣に早変わりだ」彼らの会話通り第48師団の第一台湾防衛連隊(正規名称ではない)は、日が上がっているうちは足止め程度の攻撃しかしてこないが夜になると機関銃の銃撃も恐れずに白兵攻撃してくる。

 ドイツ軍で第一部隊率いるカースチ・ルイズ・レングレー大佐は疑問に思っていることがあった。この所敵の航空機による攻撃がないな。空はそのことを心配させない色鮮やかさだったが次第に雲が増えてきた。

 この日2回目の増援が行われた。随分と素早いことである。



 インドでは3月8日までに英国軍の妨害攻撃が4回も行われた。インドはその日あいにく雨で上空偵察が困難であった。道は泥でぬかるんだ。トラックやバイクはタイヤを泥にとられて速度が落ち機動性は下がった。それでも前に進んだ。

 捕虜2人はしびれを切らした牟田口から斬首されそうになったが、どうにかインドの日本軍用の兵舎横の捕虜収容所に送られた。

 作戦死傷者は30名を超えている。今日の英国軍の妨害作戦はどこからかともなく銃弾を打ち込んでくるというものであった。トラックは生憎防弾装備はされていなかったため、壁である鉄板や布を銃弾は貫通しそのまま中の兵士を攻撃できるわけである。すぐに攻撃した場所に陸軍兵士が駆け込むが3回は姿を確認できなかった。ただ1回は逃げ去る3名を発見し内2名が追撃時に死亡した。この兵員は英国第2師団所属部隊である。また管轄下にインド兵を持っていた。日本は独立させるために物資援護などして編成させているが、こちらは英国の植民地だからという理由で駆り立てられた兵士である。

 この地域の英国側にいたのが印度23・33・161旅団と印度第20・23師団である。


 さてさてその打通先のビルマにも多量の日本兵が駐在していた。この方面からインドとの道を打通するために動員できる兵力は約1万名であった。この部隊はビルマ国境を抜けて少しした場所にあるウクルルを占領する任務をもっていた。そして牟田口中将が率いる第2総軍は北部から進軍しコヒマ占領の後に南下。佐藤中将率いる第1総軍は南部より進撃しピシェンプールという地点にまで進軍。このピシェンプールの1つ上の町をインパールという。


 

 その夜━━━━。

〇〇〇〇 防護巡洋艦平戸と4隻の護衛艦は国籍不明の大型船舶を2隻発見した。発光信号で「貴艦の所属を教えよ」と送ったが無視して進んでいった。次に日本艦隊は停止を命じるが、これも無視された。平戸は2隻に急接近した。その距離一〇〇である。

「主砲全砲塔、空砲射撃用意」空砲で脅し停船させる方法に出たらしい。

「砲撃開始」命令とともに旧式艦の主砲が吠えた。旧式だろうが何だろうがやはりこのサイズの咆吼は銃などと比べ物にならない。

 

 この大型艦というのが中国から台湾に兵員を移送させていた船舶であった。正直兵員を載せて動かすのが精一杯であるため信号のやり取りをする機能など無い上にその知識があるものさえいない。最もこの船は相手が日本艦隊だから逃走しているわけだが。

 そして主砲がこちらへ突き出され轟音が乗員の聴覚を麻痺させた。さらに空砲といえど空気圧に押され上層甲板(木製)がベリベリッと音を立てて剥げた。

 

 ちなみに空砲というのは銃身内部の小さな金属片などが一緒に飛ぶため映画のようにゼロ距離で頭に銃身を向け撃ち、「実は空砲でしたァ」と言って頭から銃を話すシーンがあるが、実際やると頭に穴があいて最悪絶命しているという展開が待っている。

 それはともかくこの空砲に驚き右側の船舶は停止した。

 しかし左側にいた大型艦は逃走を続ける。が出せる速力は最大18ノットであった。一方平戸は20+数ノット出せるから話にならない。

 痺れを切らした艦長が船体射撃を命じ、仰角0で砲撃され海の藻屑となった。


 残った1隻は乗っていた乗員を拘束し、拿捕するか悩んだ後沈没処分となった。確かに幾分か高性能な船ではあった。


 

 3月10日 日付は日本艦隊が大型艦を確認したときにちょうど変わった。その7時間後。


 〇七〇〇 フォーカー・ハリケーンが20機姿を現した。日本軍上空であった。案の定銃撃が行われた。乾いた泥がはねる。オレンジ色の軌道線が地面に真っ直ぐ伸びていく。「どこから来たんだ」しかし返事はこない。来るのは殺意のこもった銃撃である。


 

 一方の台湾戦線では、北部の台湾第1連隊は総兵力が1500名にまで減少していた。作戦遂行可能数75%でほとんどが死亡している。全滅判定が与えられるのも近い数値である。

 実は敵が0になるのが全滅ではなく大体30%が死亡したら全滅と判定されるのだ。

 しかし最後の一兵となっても玉砕の覚悟で戦闘を行うのが日本軍である。それにこちらは攻められているのだから逃げるわけにも行かない。後方には一般市民もいる。

 

 中国共産党軍は総兵力が増援合わせて5700名(3分の2は後方に展開)中400名が死傷。さらに精神不安定な者が100名にも及んだ。しかし数を見ればわかるようにドイツ・共産党軍は圧倒的優位な立場にあった。


 台南攻略方面の軍団は2900名で対する台湾第2連隊は総兵力1800名でありこちらもドイツ・共産党軍が有利であった。


 


 〇九〇〇「こちらイギリス航空隊、ドイツ機を発見」イギリス軍の航空施設にはこのような情報が入っていた。 

「馬鹿な・・・こんなところにいるわけがないだろう」と言い確認のため数機を飛ばした。

 怪しい空気がインドとビルマ周辺を漂っていた。

 毎回読んでいただきありがとうございます。


3月9日 謝罪:よんどころな用事があるので12日の水曜日まで更新日を伸ばします。すいません。

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