進軍開始、インド派遣兵
〇七三〇 台湾の航空隊が報告を受け慌ただしく陸軍に告げられそれから全体に伝わるまでに消耗した時間は長かった。この時間帯はというと事実を察知した部隊がようやく中国共産党・ドイツ軍と接触した時間であった。しかし台湾に置かれているのは二級線兵士で武装も38式が大半だった。半おっとり刀で迎撃に来た日本兵へラインメタルの掃射がかかる。土埃や硝煙が上がる。死体が道という道に転がる。その道を駆け抜けながら北に向かう二隊は素早く拠点を制圧し既に上陸ポイントから6キロも進んでいた。
日本兵は掃射で身体がえぐり飛ばされ、民間人と思われる姿の人々さえ土砂が混じった赤色の生ゴミになっいた。まさしく惨劇そのものであった。そこに容赦なく日光が照らされ異臭が放たれ始めた。
これは「非戦闘員や民間人への無条件発砲も許可する」との命令がだされたばっかりに起きたものである。上陸した中国共産党・ドイツ軍は食料などの物資が足りなくなれば民家から強奪するつもりであったし、そもそも民間人を拘束するほどの兵力の余裕などなかった。そのため取られたのがこの台湾一掃作戦であった。
一方の南方に向かう部隊は思うように戦闘が進んでいなかった。この部隊にはドイツ軍が一切編入されていなかったのだ。そのため武装はライフル銃か付与された手榴弾くらいのものである。この部隊と対峙した日本兵は中隊規模であった。こちらは「国籍不明の軍が上陸」との報告を受けて間もない部隊であり状況の判断が早かった。共産党軍の先頭集団と激しい銃撃戦が展開された。
台湾方面に配置された日本陸軍は第48師団であった。兵員は合計で2万名以上いたが中国侵攻時に香港に1万名を超える兵士が派遣されたため現在いるのは8000名ほどの兵力である。この内歩兵は5000名であり他は砲兵隊・輜重兵・工兵等・捜索隊等であるが、この内の砲兵隊というのは名前ばかりであり50個中隊がいるが肝心の砲が無い。あるのはインド革命兵に援助されている41式山砲などの旧式なものが僅か20門ときた。捜索兵に至っては憲兵隊・警察の計300名をそう呼んでいるだけだ。要するに中身スカスカ師団という事である。第48師団が揚陸機能を備えた極めて貴重な存在であったことが災いしたわけだ。
ちなみに中川広中将が第48師団を指揮している。
師団としては貧弱であるが旅団程の相手を敵として扱うのであれば十分である。しかし各所に兵力は分散されており台北にようやくまとまった兵力があるという訳だ。
━━━━そのため上陸したドイツ・共産党に対する反撃を行うのが遅れている。
〇九〇〇 台湾第1歩兵連隊と台湾第2歩兵連隊が台北と台南の両端から進撃し上陸兵を挟み撃ちにしようとしていた。現在上陸した敵兵と対峙しているのは2つの連隊の傘下である。だが合計880名であり5倍ほどの兵力相手には敵わない。
台北方面に向かった2隊はあれから怒涛の進軍をさらに続けあれから7キロ進んだ。住民さえも皆殺しにする血も涙もない軍隊は日本兵がこもっている家屋には手榴弾をほおり投げ木っ端微塵に粉砕し、住民を100人程度広場に集めると拳銃や小銃を乱射し全て射殺した。
台南に進んだ共産党軍だけで編成された部隊はようやく4キロの進行を果たした。交戦中の大隊は多勢に無勢であり撤退を余儀なくされた。台南配属の第2歩兵連隊は旧式の38式歩兵銃しか所持していないのも原因である。
その時上空より爆音が鳴り響いた。航空隊である。遅れた分を取り戻すかのように容赦ない攻撃が行われた。第1線を退いた九五式戦闘機が15機ほどで一斉に機銃掃射をかけた。その後方からは不気味な形状をした黒光りするものを抱えている機体が迫ってきていた。慌てて射撃を行うが効果的な攻撃が出来る訳はなく地鳴りがするような羽音をなびかせる爆撃機は近づいていくる。蜘蛛の糸を散らすように共産党軍が右往左往し始めた。だが喚いたところでどうにもならない。突如としてブォーといった甲高い音と共に幾つもの物体が落下し地面に直撃すると炸裂する。耳を裂くような音と衝撃を放ちながら、烈火の柱が乱立し火山の噴火を思わせる情景が一面にひろがった。周囲の地面も高温になり転がった兵士を苦しめた。黒煙の中もがき苦しむ兵士たちに再び戦闘機の掃射がかかる。共産党軍の先頭集団はこの攻撃により壊滅した。
この輝かしい戦果を作り上げたのは11機の九三式双軽爆撃機であった。50キロ爆弾を10個も積み行った爆撃は100名もの敵に損害を与えたのみならず度肝を抜き取ることに成功した。
それは台北に向かう部隊に対しても行われた。こちらはラインメタルの機関銃で迎撃された。軽機関銃であるが数は幾分かあるし通常の小銃でも射程距離に入っていたため一斉に攻撃を開始した。機関銃独特の一定のリズムの発砲音が鳴り響いた。
しかしながらそれで20機以上の編隊を全て撃ち落とすことは不可能である。最初の掃射で10名程が土埃に血飛沫を混ぜ飛ばしながら倒れた。そして軽爆撃機の爆撃でやはり多大な被害を被った。土埃がおさまるとかつて道であったところが血塗られた荒地へと変わっていた。
「クソが!」ドイツ兵士が罵りの言葉をあげる。ワルサーP38を右手で持ち空に銃口を向け発砲した。
「行くぞお前らは日本兵ごときにビビる腰抜けどもなのか?」その言葉に反発するかのようにドイツ兵は次々に立ち上がる。共産党軍も彼ら独自の言葉を掛け合い再び進軍を始めた。
夕暮れ時に両軍はいよいよ有力な部隊とぶつかることとなった。
その頃南雲率いる機動部隊の哨戒も中止された始めていた。夜間飛行はそれなりの腕を持つ搭乗員でないと敵を発見できないし着艦も危険なためである。甲板には航空機が戻り始めており3輪同時に甲板に付けてフックを制動機のワイヤーに引っ掛けズルズルと少し進んだところで停止した。
一九〇〇 やがてインド派遣隊は無事インドにたどり着いた。予定より幾分か速い。どの後輸送船から兵士が続々と陸に上がる。バイク・トラックや軍馬もドンドン陸揚げされている。兵士たちは少しの休息のあと軍備を整えて驚くべきほどの軽装備で進み始めた。インド派遣軍が進撃を開始したのは23時の事であった。
バイクに乗り込んだ兵士が偵察のためインド右方へと向かった。
この動きを英国の潜入通信隊は視察に成功していた。そして本拠地へと連絡した。
次回 5月23日(木)〜26日(日)更新