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戦艦越後太平洋戦記  作者: 賀来麻奥
惨劇の後に・・・ 
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引き糸

誰だよ先週サボったの。

ドイツ中国派遣軍は2隊おり1隊は中国国民党に、もう一隊は中国共産党についていた。双方の兵力数はほぼ同等である。何故同じ国同士が対立関係にあるのかという疑問があるがそれはナチスドイツの陰謀であった。もとよりナチスドイツは中国などどうでもよかった。

 しかし大戦の勃発により日本はソ連と組んでナチスドイツの弊害となり立ちふさがった。 ソ連をどうにか引き込もうと内部で活動する者もいたがヒトラーはそれに反対した。東西の脅威を取り除きナチスドイツを世界の頂点へと導くという考えを持っていたのだろう。 それにドイツではソ連が対ドイツを意識していると考えていた。ドイツが戦車・機関銃など武器を大量に保有しているのはソ連の生産力を借りることができたからである。この時ドイツは代償として重戦車などの技術などを伝えた。ドイツとソ連の生産力勝負であればソ連が優位である。そして技術を身につけたソ連はこの時からいざとなればドイツから教わった技術でドイツ軍に十分対抗できるようになった訳である。現在ソ連は最前線に新型の兵器を送り込み次第に戦線を押し返しているとのことである。

 

 そのソ連と組んでいる日本の存在が幾分か邪魔であると判断したドイツはその力を減少させようと企んだ。だがヨーロッパ全域に兵力を振り込んでおき、なおかつ日本に対抗する軍を作ろうとすれば根こそぎ動員による不満・物資不足・資金不足などの問題が浮上するのは明白である。

 ではどうするべきかそこで目をつけたのが中国の東洋コンドル航空隊という訳である。 国民党についているドイツ側はこれを防衛するとともに国民党と共に日本軍に対する妨害活動などを働くべく1200名を送り込んだ。武器は主に自動小銃であったが重火器もある程度持していた。では共産党についているのはどういうわけか。

 共産党軍といえば国民党軍が組織的反乱を起こそうなど思っていないわけである。せいぜい単発的で200人もいれば多い方という見方をしていた。大戦が始まり兵力は減少し、西方面は確かに不安定な地区があるが、いざとなれば予備兵力をあて鎧袖一触、アリの巣に迷い込んだ死にかけの虫のように抵抗もできずに仕留めれると考えていた。

 そのため共産党軍は国民党軍が組織的に存在しているとは思っておらずドイツ兵がそこに存在するとは思っていなかった。そもそもこの国民党軍側のドイツ兵は自らをあえて白ロシア革命軍と呼んでおり国民党軍もそう呼ぶようにしている。

 

 

 ドイツが共産党に派兵した理由は簡単。共産党軍を利用して日本の拠点のひとつを占拠してしまおうというものである。要するに旅団にも満たない兵力で何十倍もの見方をつくったというわけだ。


 さて共産党軍とドイツ派遣軍が立案した台湾上陸作戦が開始されたのはいつのことなのか。時間は珊瑚海の決闘が終了した時刻より30分もどる。


 〇三三〇 小型艇40隻が2列でまだ暗い海を進み始めた。その後方から長さ80mはあるであろう船が2隻いる。小型艇には機関銃が装備されていた。それはドイツ製のラインメタルMG34機関銃である。これは軽機関銃兼重機関銃として使え空冷の7.92mm×57弾を使用するいわゆる汎用機関銃である。小型艇1隻あたりに20名が入り込んでいる。ワルサーP38と手榴弾を携行しつつ短機関銃MP40をほとんどの兵士が持っていた。持っていない兵士はMG34を使用する兵士か中国兵である。中国共産党軍は旧ロシア製モシン・ナガンM1891である。こちらは自動小銃ではなくボルトアクション式のライフルである。義和団事件の時に初めて実戦投入されたが、ソ連でもこれは現役である。そのため旧式とはいえど性能に問題はないのである。


 大型艦が動き出したのはそれから実に二〇分後のことである。1隻の中には両軍の兵士がなんと2000名ほどいた。缶詰状態とでもいえるその場所には寝るスペースも割り当てられておらず薄い布を下にしいて座りながら仮眠をとっていた。おまけに幅は12mと細いため速力は幾分か早いが軽巡洋艦の砲塔や艦橋を移住区へと詰められていたのは兵士だけでない。

 この作戦の総兵力は4800名ほどもいるため食料も叉莫大なものが必要である。軍隊編成は大雑把にいうなら3隊に分けられている。3隊は上陸後にそれぞれの地区へと向かう。台中と台北という名前のとおり台湾の中部と北部にある(ただし島の西側寄り)中間辺りに位置する場所に上陸する。台中方面へ一隊、台北に2隊が向かい速やかに占拠し基隆という島の北部に位置する場所を占拠する。これが第1段階である。第2段階からは占拠地区の制圧と本土から援軍を要請。この際援軍は2回の分けられて5000名余の予定である。


 一方その頃インド洋では機動部隊が周囲を索敵していた。恐らく兵員をインドに送り込めるのは明日になるであろう。それにも関わらず現在敵に発見されているというのだ。さすがに子供でも危機的な状況に置かれているか分かりそうなものである。


 


 この頃敵国の1つであるアメリカはというと敗北ともいえる本海戦の結果についての反省及び今後戦果を出すべくために話し合いの会議の準備がなされていた。

 この会議は恐らく10日間以上のちに行われるものであるが機動部隊よりも例の焼夷弾の成果が問われるであろう。


 

 〇六三〇

 時間が経つのは早いようで遅いものでもある。恐らく缶詰状態で航海などしたらそれは遅く感じるのではないだろうか。

 小型艇に乗っているドイツ兵は双眼鏡で台湾を確認した。台湾には現在日本兵はほとんどおらず治安維持程度に置かれた兵士と日本軍が徴収した住民による防衛軍である。要は軟弱な部隊しかいないのである。ただし空軍がいた。


 そしてその空軍が運良くドイツ・中国共産党軍の船団を捉えた。捉えたのは九四式偵察機である。複葉機のこの偵察機が捉えると驚き逃げるかのように基地へと戻った。それとほぼ同時に台湾が見え数分後には上陸場所に到達した。

 一応湾岸には日本兵がいたが1個分隊程度もいなかった。小型艇のラインメタルが一斉に咆吼し始めた。断続的に鳴り続ける機銃音と連動するかのように銃弾が発射され日本軍陣地に飛び込んだ。分隊とは大体12人であるが油断していたためだろうか1連射つまり約30発撃ち込んだところで4名が死亡した。3名も負傷し地面へなぎ倒されたが、残った兵士は抵抗を試みた。38式歩兵銃を構え射撃し始める。銃撃戦の末ドイツ軍1名が負傷し1名が死亡したが小隊は全滅した。小型艇からラインメタル機関銃が取り外されドイツ軍及び共産党軍が台湾へ上陸を開始した。

 「うああ・・・」なぎ倒された兵士がうめき声を上げるとドイツ兵は面白そうにその兵士を蹴り飛ばしワルサーP38の銃口を頭部に向け引き金を引いた。

 最近話の進展遅いですかね。

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