アラフラ海大航空戦
トラック島南洋部隊を指揮する井上中将は小型空母2隻、防空戦艦山城、駆逐艦5隻、魚雷艇1隻の艦隊で米艦隊を攻撃するよう命令を出した。ただし被害が出るようであれば作戦を中止しするようにとのことであった。戦闘に被害はつきものであるが井上中将はともかくこれを嫌がった。
魚雷艇はアッツ島などにもあった戦闘小型艇3型のようなものでもあるが、武装は9ミリ機銃1挺、45センチ魚雷投射機2基と余分な武装を無くしている。その代わり発動機を水冷エンジン改造型のものを搭載している。この水冷エンジンは元々航空機用のものだったがいかせん空冷エンジンの技術がある日本といえど、水冷は複雑で整備も難しい。これはアツタが開発した発動機である。アツタは新型機に載せるための発動機を作成していた。ドイツ機に影響されて作成した水冷発動機で小型で700馬力のものを目指していた。結果、4ヶ月前、全長1880ミリ×全幅700ミリ×全高1100ミリ、重量550kg、出力720馬力とサイズにしては高馬力の発動機を作成するのに成功したが、冷却が不十分であった。この発動機8基作成し、試作軽爆撃機などに搭載したものの稼働率が悪く量産にはならなかった。だが冷却部を除けばまあまあ優秀な発動機であるためこの発動機を活用する方法を模索し遂にこの魚雷艇に巡りあったわけである。
さて話を元に戻す。
3月2日
〇二〇〇 夜中となり9隻の機動部隊は約100キロ南下していた。前日の二二〇〇に出港したこの艦隊は士気は極めて高かった。小型空母はまだ未熟だがほかの艦の練度は高かった。防空戦艦山城の装備など何度見ても驚くばかりである。機銃を120門(25㎜3連装40基)、40口径12,7ミリ高角砲20基 長10センチ砲10基 12cm30連装噴進砲6基、艦載機(戦闘機12機 爆撃機12機)でカタパルト3基が搭載されている。さらに轟水のテストとして搭載されていた水中聴音器もある。
同日
〇六〇〇 朝早くから航空機の爆音が吠える。この雄叫びは「興」三三型エンジンの音である。九七式戦闘機の保有数は既に半分ほど消耗しているのにも関わらず米軍は予備機がオーストラリアには蓄えられていた。
〇八〇〇 両軍の戦闘機の交差する上空は豪州北部の上空では無くなりつつあった。空戦場所はただただ紺碧の海が広がるその上空で行われていた。ポートモレスビー航空隊がそろそろ限界を迎えているのをみた米軍はパイロットや補充機を本土から届けられた航空機を蓄えているオーストラリアから取り寄せて一気に日本側の航空兵力を斬減させてしまうのが目的だった。ポートモレスビーを失えば、必然的にトラック諸島やラバウルが攻撃されこれが撃退されれば、日本側のソロモンへの制空権は失われる。それはソロモンが完全にアメリカの手に渡ることを意味していた。
ポートモレスビーでは基地の命運をかけた戦闘機の航空戦でただただ勝つのを祈り迫り来る敵機を撃退するのが仕事となった。
一〇〇〇 戦艦モンタナ、オハイオの二隻の戦艦と巡洋艦・駆逐艦を多数持つ第三艦隊による豪州北部の各島への移動が始まった。艦砲射撃で日本陣地を砕き兵士を焼き払う為である。この作戦は移動時にポートモレスビーに艦隊が距離400Kmまで接近することに難があった。逆に日本側にとっては攻撃のチャンス以外の何でもなかった。
オーストラリアにあったのはF4Fワイルドキャットで新型のヘルキャットは輸送サイズが大きく今回来た護衛空母では輸送することができなかった。第三艦隊は豪州北部から1000キロはなれ、ポートモレスビーからは1200キロほど離れた場所にいた。速力18ノットの速度で行く予定だった。オーストラリアでは今回米軍により多数の物資が蓄えられていたため米軍は別に本海戦を素早く済ます必要性がなかったのである。また低速で行けばその分日本軍のポートモレスビーの航空兵力が減少することとなる。そのための18ノットである。この速度で行けば1日と6時間もあればたどり着ける。これについて残りの米艦隊も200キロだけ前進することとした。
この日の米軍の大きな動きとしては戦闘機でポートモレスビーの航空隊と戦火を交えたことである。この日の空戦もお互い痛み分けで終わったが日本側は既に限界に達していた。海軍の96式戦闘機は既に数少なく、陸軍の97式戦闘機も20機もない。陸上攻撃機は37機あったが攻撃どころではない。攻撃機が破壊されることを恐れポートモレスビーの基地では森に機体を隠すなどの努力を行った。偵察機は4機あるため6時間交代でこれを飛ばした。トラックの航空機をこちらに持ってこれるなら100機の作戦可能機を得れるわけだが今の現状では、その地点からの補給は極めて困難であった。ラバウルは別に航空隊を持っていたがほとんどがポートモレスビーに転用されたためあるのはすべての機種を集めて30機であり、この地点の最低限度の必要数であった。
3月3日 この日はポートモレスビーの航空兵力が弱ったとしてポートモレスビーへの出撃は激減した。偵察機を送ってみたが大型機を確認できず戦闘機も減少しているのがわかった。(あくまで主な滑走路上には)本日は豪州北部の日本軍陣地を完膚無きまでに叩き潰すことが作戦の重点であった。日本側はこの第3艦隊の情報をある程度得ていたが攻撃できる状態ではなかった。
一六〇〇
「いい島だな、ここにジャップの猿どもがいるのか」第三艦隊を指揮しているパイ少将は笑みを浮かべながら言った。砲撃命令はこの数分後に出された。
やがて1発で1トンをゆうに超える砲弾が降り注いだ。
その時、日本の航空隊を第3艦隊を護衛している第7任務部隊は確認した。