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戦艦越後太平洋戦記  作者: 賀来麻奥
風雲告げよ
62/115

インドと南方に艦隊を!

 2月26日 2月も終わりに近づくさなか日本艦隊の各艦の修復はある程度終えていた。さらに喜ばしいことに4番艦の大型巡洋艦「小矢部」が竣工したことである。これで大型巡洋艦「松浦」「狩野」「木曽」の3隻との同艦型である。

 連合艦隊はこの時インドに大艦隊を派遣しインド東部制圧に総力を上げることを決定した。派遣部隊は以下のとおりである。


 本作戦における総合指揮官 総指揮官(水上源蔵中将) 参謀長(辻 政信大佐)

 第1総軍(佐藤幸徳中将) 第31師団-15000名

              第97師団-9000名(臨時編成)

              機械化斥候2個大隊-1400名、歩兵第300連隊-2000名

              バイク(陸王など)500台、軍用トラック200台、軍馬等10000頭 

 第2総軍(牟田口廉也中将)第33師団(甲)-16000名

              第39師団(乙)-15000名 

              第40師団(丙)-17000名

              第98師団(丁)、第99師団(戊)(直轄軍などを臨時編成)-36000名

              軍馬12000頭、ビルマ牛30000頭、象1030頭、羊、山羊等約10000頭

              他、インド国民軍6000名


 消耗している師団などがあるが臨時編成により兵の数を集めることができた。第1総軍の第97師団は4個連隊程度の兵員数だが書類上はそうなっている。臨時編成のためいかしかたない。第98師団、第99師団も臨時編成だがこちらは各師団1万8000という兵力である。実際作戦必要人数のため第97師団から引き抜いたというほうが正しい。そして今回インド国民軍が参戦することとなった。


 これを海上ルートを通じて送り、援護する連合艦隊は以下のとおりだ。


 戦艦「越後」「飛騨」「金剛」「榛名」

 空母「飛竜」震電18機 九六式艦上戦闘機12機 九七式艦上攻撃機20機  

 大型巡洋艦「松浦」「狩野」「木曽」「小矢部」

 駆逐艦12隻  轟水9隻  輸送船100隻 高速輸送船7隻


 いよいよ大型巡洋艦4隻そろっての初陣で、防空艦上戦闘機の震電もまた初陣である。

 

 またこの他に日本軍はトラック島に小型空母を2隻送るという任務があった。これは既に5日前から向かっている。トラック島には現在駆逐艦や魚雷艇の他に防空戦艦山城があった。小型空母には96式艦上戦闘機が搭載されている。もちろん艦爆・艦攻も搭載できる。

 

 連合艦隊の半分以上の力を上げた作戦は28日に開始される予定だった。が、・・・。


 2月27日 〇八〇〇

 豪州北部諸島が空襲を受けているという報告を得た。敵機の数は確認された以上で100機である。これは奇襲で1個小隊に被害が与えるのが目的といった小規模空襲ではない。あからさまにけし粒のような小島の一つは消し飛ばせる数である。

 豪州北部諸島は88ミリ高射砲や20ミリ、9ミリなどの機関銃が配備されている。おまけにその兵団にもともとある機関銃や大砲などを活用すればかなり効果的な対空砲火が行えるはずである。さらにこの島は南の前線という危機感もあってか毎日のように訓練を行っている。ここには安定した量の軍事物資が供給されるため1日そこらで潰れるところではない。ポートモレスビーの攻撃隊も向かっているはずである。


 同日 一六〇〇

 豪州北部の空襲はこの時間よりまったくおこなわれなかった。だが被害は大きく五〇〇名が死亡したとのことである。ポートモレスビーの航空隊は重複有りで250機が出撃し20機が撃墜された。この攻撃で敵の損害は50機にも及んだ。問題はそこでなかった。偵察機の話によると戦艦クラスの艦艇がいたとのことだった。輸送船は確認されなかったが戦艦があるという時点で敵はこの地方の制圧を狙っている。するとポートモレスビーも下手すればとられてしまわれない訳である。


 連合艦隊は慌ててインド派遣艦隊から有力な艦艇を根こそぎ動員することとした。南方に送るのである。

 海軍・陸軍の将校クラスで会議が行われ8時間後の2月28日0時に会議は終了した。このドタバタによりインドへの派遣は1日遅らせることとなってしまった。

 

 だが南方派遣艦隊はそうもしていられなかった。

 越後型戦艦2隻・大型巡洋艦4隻・重巡最上・駆逐艦2隻+予備役の駆逐艦4隻・轟水4隻は臨時南方派遣艦隊として呉の港を後にした。


 一方のインドでは現地の日本軍と戦闘の最終的な打ち合わせのようなものをしていた。同日中国のチベットでもこの動きを察知していた。中国軍スパイが情報を持ち出すことに成功していた。

「ようやく俺らも戦闘だ!再び中国国民党の力を中国共産党の奴らに見せてやる」

 

 もちろんイギリス軍もインパールに攻撃してくることは薄々感づいてきていた。


 

 インドの戦闘は5国(日本、インド・中国・イギリス・ドイツ)の部隊により大きく動こうとしていた。

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