セイロン沖海戦=Ⅲ=新たな作戦
すいません久しぶりの投稿でグダグダになってます。
まぎれもなくドイツ国旗が翼に描かれていた。Bf109のE型である。数は多くない12機程度だ。
「何故こんなところに航続距離の短い戦闘機が・・・」驚くのも無理はない、Bf109は速度、火力、防弾などは高い数値であるが、航続距離はすこぶる短い。しかし目の前に姿を現したのは、紛れもなくBf109なのだ。
「・・・!、対空戦闘開始」行き成りのことで驚いたため対空戦闘の合図が遅れてしまった。ちょうどその時、後方からさらに敵機が来ていた。高度が高いためいまだ気づいている者はいない。
Bf109より大きい。特徴的な翼の形、固定式の脚の爆撃機━━━━。Juー87愛称スーツカである。
日向の対空砲はまだ多く備え付けられていなかった。20ミリ対空機銃が20挺である。他にあるとしたら対潜用の長砲身47ミリ砲である。
「撃て!撃て!」日向の甲板から20ミリ機銃が吐き出される。Bf109はその20ミリ機銃と同等の威力を持つMGFF20ミリ機関砲を500キロ以上の速度で銃撃仕返してきた。
Bf109は散開すると四方八方より銃撃を加えてきた。
「小癪な!」Bf109は蝶のように舞って対空機銃を軽やかに交わしていき近づくと日向に銃撃を加えていく。
だが、それは大した攻撃ではなかった。事実Bf109の対空機銃など日向にしてみればカスリ傷のようなものである。特殊攻撃艇には一切の攻撃を加えないところ見ると時間稼ぎなのだろうか。
そんなことを考えていると、上空から不気味な飛翔音が聞こえてきた。
「敵爆撃機直上!3機急降下」報告された意味を脳が理解するときは既に敵の腹から爆弾は切り離されていた。爆弾の落下音、馬力をあげ機首を持ち上げるJuー87が切り離した6発の爆弾のうち2発の250キロ爆弾は日向の甲板に命中した。
それは装甲がほどこされた日向の甲板とて耐えられるものではなかった。爆弾は装甲をいとも簡単に突き破ると格納庫で大爆発を引き起こした。そこにはまだ出されていない特殊攻撃艇があった。ガソリンなどは入れていなかったものの全て使用不可にされたうえ、格納庫内は大火災を引き起こした。
すぐさま消火活動が行われる。日向の火災はその後30分もの時間を要した。作戦はその時点で中止された。
6日後、インドに派遣された日向、轟水、吾妻の全隻は広島の呉湾に戻った。
「ドイツ機がいた」帰港した水兵が口を開き言った言葉がそれだった。
海軍本部はこの事態をそこまで重く見ようとしなかった。つまりドイツ機が出たという事実を無視したのである。
日向は今回船体内部を8割焼き払われた。機関室に問題はないものの復旧にかなりの時間を要することとなった。ただ、今回を機に完全に航空母艦に変更する事が決定されたため、これはこれでよかったのかもしれない。
ドイツの行動はUボートを3隻沈めたため少し落ち着いたかと思われた。しかしドイツ軍の対日行動はとどまることを知らなかった。それを知るのはもう3日間の時間を要する。
インド航空部隊は前週のセイロン沖海戦で出番を得られず、この精神状態に一撃を加えるように信じられないことが起こった。
ドイツ機による空襲があったのだ。総数20機の少数部隊だが滑走路を1本と弾薬庫2箇所、陸上攻撃機7機、戦闘機5機が使用不能となり、人員も30名が失われた。被害は壊滅的な規模ではないもののこの地区には100機しか配置できていない。これは練習機や偵察機も合わせた数である。つまり一線で使用しているのは60機で今回で5分の1が使用不能になってしまったわけである。
今回のことについていは陸海軍はドイツ機に対して無責任だったということで反省を強いられた。これに伴い海軍は再びインドに派遣隊を出すとともに、インドに最新鋭の98式防空艦上戦闘機を配備する考えを示した。98式防空戦闘機は艦上機ではあるが陸上では使えないなどという変な仕様にはなっていない。また陸軍は敵のインドの拠点を攻略する作戦を発動することとした。
「インドの方もよろしく頼むぞ」陸軍は牟田口廉也中将を指揮官としインド敵本拠地攻略と、ドイツ機が隠蔽されている場所の捜索をする事とした。実はインド内部にはまだイギリス軍などが拠点としている場所がある。場所は東部のインパールだ。
ドイツ機は実はチベットのインドとの国境とそう離れていない場所の民家(のように見せかけた)に隠されていた。そこはドイツ軍が極秘のうちに創立していた航空部隊があった。
話は第1次世界大戦まで遡る。